恋の亀急便(その後)



  本当は心のどこかで待っていたのかもしれないと龍麻は言った。
「 離れなくちゃって思って日本を出たのに、九龍君と間違われて日本へ行けって言われた時は…嬉しかった。翡翠の店を初めて利用した時も凄くどきどきした。無意識に頬が緩んで」
  淡々と話す龍麻はまるで大昔の事を懐かしむような目をしていた。
「 最初は面白半分だったんだ。翡翠の店に色々な物注文して…。俺の名前を見て翡翠はどう思うんだろう、きっと驚いたり不審に思ったりするんだろうな。それを考えたら何だか無性に楽しかった」
「 酷いな」
「 でも段々…」
  あの昔と変わらぬ姿勢―如月の家の縁側―で、龍麻はまだ季節ではない桜の木を眺めながら静かに続けた。
「 俺、自分でお前から離れたくせに…。もしかしたら、来るんじゃないかって思った。……注文をやめたら」
「 ………」
「 お前が俺を探しに来てくれるんじゃないかと…思ったんだ」
「 龍麻…」
  確かに如月は龍麻からの注文がぴたりと止んだあの日から異様に機嫌が悪くなり、心配で心配で何も手につかなくなった。一体どうしたのだろう、何かあったのだろうか。それともやはり自分と関わるのは好ましくないと思い直し、店を利用するのを止めたのか。前者の理由よりはその方がマシだろうが、だがしかし。
「 ……すまない」
「 あれ、謝るの?」
  龍麻は参ったという風な顔を一瞬だけ見せ、けれどすぐにおどけたようになると軽く笑った。
「 うん、でも確かに。結果的に翡翠は来てくれたけど、変な少年が一緒について来たのは、ね」
「 彼は―」
  振り返りながら微笑する龍麻に暗に責められているような気持ちがして、如月は思わず言い淀んだ。
  何しろ2人きりになり初めてようやく落ち着いて互いの顔を見合わせた時も、龍麻は開口一番如月が予想だにしなかった言葉を吐いたのだ。

  何であの子、俺の服着てんの?

「 君がヤキモチをやくなんて」
「 俺だって感情のある人間なんだよ」
  隣に座った如月を横目で見ながら龍麻は別段怒ってもいないような顔で、けれど口調だけはどこかふくれたような様子で答えを返した。





  門限の過ぎた学園内の敷地で騒ぎ過ぎたせいだろうか、墓地にはやがてそこを護るという墓守だの生徒会の役員だの、果ては学園の秘密を探っているという探偵までもが現れて、暫しちょっとした騒動になった。また、九龍が平然と「奴らの目を他へ逸らす」などと言っていきなり手にした閃光弾を投げたものだから堪らない。事態は収束するどころか、最早隠蔽する事も不可能なくらいの惨状に陥ってしまった。
  結局、学園の生徒会長の独断と偏見により、その中にいた者から唯一人龍麻が「事件の首謀者」とされ、向こう1ヶ月間の停学処分を喰らってしまった。
  九龍は「それも全部計算通り」などと嘯いて笑っていたが。
「 まぁそのお陰で、こうしてまた呑気にここで庭を眺めていられるんだけど」
  龍麻は言った後、何かを思い出すようにくっくと笑った。
「 でもさ、この年で今さら停学処分になるなんて思わなかった。あそこの学校では真神の時よりも優秀な優等生をやっていたのに」
「 そうなのかい? 夜中に遺跡潜りなんかしていて?」
「 それとこれとは別だよ。……何だかね、可笑しいんだよ。あの学園には一生懸命な子がたくさんいるの。皆必死に生きてるんだよ」
「 ……何か…見えたのかい」
「 ん……」
  らしくもなく恐る恐るという風に訊ねた如月に、龍麻は喉の奥で1つ音を出すと後は黙りこくった。
  そうしてその話題を誤魔化すようにさっと顔を上げると、がらりと口調を変え、言った。
「 あれから九龍君からは連絡ないの?」
「 ああ…。ないよ、行ったきりだ。まったく人騒がせな奴だよ。うちで働かせてくれと強引に申し出ておいて、結局1日も働いてない」
「 働いたじゃない。俺にこれくれた」
「 あ…」
  龍麻が指にかけてちらと見せてきたものに如月は声を出しかけ、口を噤んだ。
  そこには九龍が龍麻に「届けた」如月の家の鍵があった。
「 あの子、俺の代わりにあの学園の探索するって言ってたけど、あそこはなかなか難しいよ。大丈夫なのかな、やっぱり俺も停学解けたら戻ろうかな」
「 ……大丈夫かどうかは分からないが、無事なのは間違いない。相変わらずめちゃくちゃな注文をしてくるからね。金をどこで都合してきているのか…」
「 あの子って俺たちと違って何か特別な力があるわけじゃない。でも不思議なんだ…。俺よりよっぽど大人だし、それに何か…俺たちなんかよりももっと大きな《力》を持っているようでさ」
「 考え過ぎだよ。ただのおかしな奴さ」
「 ふ……翡翠って気に入った人の事は最初やたらと冷たいんだよね」
  如月の言葉を揶揄するように龍麻は言い、「俺にも最初そうだったじゃない」と付け足した。
「 そんな事は…」
  それで如月が困ったような責めるような声を出すと、龍麻はすかさず視線を逸らし、再び口を開いた。
「 でもやがて信じられないくらい甘くなるんだ。甘く甘く、溶けてしまいそうになるくらい……」
「 龍麻…?」
「 それが苦しかったと言ったら……翡翠は傷つくかな」
「 …………」
  如月は自分の方を見ない龍麻の横顔を黙ってじっと見つめやった。
  九龍に自身の想いを吐露させられた時、本当はとっくに分かっていたはずの感情を何故自分はああまで押さえつけ、そして忘れ去ろうとしていたのだろうと思った。立場を考えれば許されるはずのない恋だから? 己の汚れた欲望で龍麻を汚すのが後ろめたかったから? 龍麻という人間を徹底的に理解できず、拒絶された時の事を畏れて逃げていたから?
  それはいずれも正解のようで、いずれも間違いのような気がした。
「 龍麻」
  けれどもそんな煮え切らない己の感情が折角傍に来てくれた龍麻に窮屈な想いをさせてしまったのだ。龍麻は「自分にだって普通の感情はある」と言った。けれど如月は、どこかで「そういう風」に龍麻を見る事ができなかったのかもしれない。
  龍麻は《力》を持った特別な人だから。
  如月の血筋にとっても特別な存在だから。
「 《力》なんかなくたって変な奴は世の中にいっぱいいるんだな。あの九龍君とか」
  龍麻は自分を見つめる如月にようやくちらとだけ目を向け、ふっと笑った。
  更に指折り数えるように空で次々と他の名前も出していく。
「 それにあの学園の人たちも。皆守や八千穂さんや、白岐さんに取手君。皆俺より弱いけど、俺より強いんだ。……あ、でも皆守は、ちょっと別かなあ?」
「 ……あの時、君の傍にいた学生か?」
「 そうだよ? いつもお節介焼いてきてさ…。優しいよ」
「 ………」
  思わずむっとして黙りこむと、そんな如月に龍麻は今度こそ楽しそうに笑った。
「 翡翠、何考えてるの」
「 ……君が思っている事だよ」
  そのからかうような口調が癪に障り、如月はさっと手を伸ばすと隣にいる龍麻の肩先を掴んだ。やや強く触れて無理にこちらを向かせると、龍麻は別段驚いた様子も見せずに「何」と白々しく問うてきた。
「 何、じゃない……」
「 痛い。離してよ」
「 ………」
「 翡翠」
「 出来ない」
「 翡……」
  龍麻のゆっくりと開く唇をじっと至近距離で眺めながら、如月は自ら寄せた唇でそれを捕らえた。触れたくて触れたくて堪らなかった、けれど再びここへ連れてきてから1度もそれを出来なかった、そんな自分を嘲りながら、如月は今はもう箍が外れたように龍麻の唇を貪った。
「 ん……」
  龍麻がそんな如月の肩に自らの指先を置いた。力なく掛けられたそれだったが如月は嬉しかった。より力が入り、その勢いのまま床にねじ伏せてしまうと、龍麻は案外簡単に倒れ、仰向けの姿勢のまま尚如月からの口づけを受け取った。
  何て容易なこと。とっくにこうしてしまえば良かったんだ。
「 俺……」
  するとようやく濡れた唇を離した如月に龍麻がハッと息を吐いた後言った。
「 お前じゃないと…嫌だから…」
  その瞳は以前のものと何ら変わっていなかった。特に何をする当てもないのだと寂しく笑った、あの卒業式の時のものと。
  あの時からこうして縋っていてくれたんだ。
「 僕もだよ」
  熱くなる身体を持て余しながら如月がようやっと答えると、龍麻は一旦目を閉じた後、唇だけで笑みを象り。
  そして言った。
「 来てくれてありがとう」
「 ……龍麻」
  如月はそんな龍麻の頬を片手でさらりと撫でると、もう一度という風にキスをねだった。龍麻は従順だった。まるで互いの立場が逆転したようだ、如月はそんな不遜な事を思いながら、ただひたすらに自分を許してくれている龍麻の唇を奪い、そしてその身体にも望むままの愛撫を与えた。
  静かな夜だった。
  互いの吐息しか聞こえない事が如月には信じ難い程に嬉しく、また惜しくもあった。誰にも見せたくはない、けれど全ての人間に見せ付けてやりたい、そんな風に思ったから。





  ただ、後日。
「 あんな写真くらいあげたっていいだろ」
「 駄目だ!」
  龍麻の苦笑しながら宥める言葉にも如月は納得せず、声を荒げて眉を吊り上げた。
「 九龍君、ちゃんと別れ際に俺に言ったんだよ。『言いつけを無視して持ち出してきちゃったけど、ごめんなさい』って。『ホンモノを取り返す手伝いしたんだからいいでしょ』って」
「 駄目だ! あれは最高の1枚だ! 他の誰にも見せたくない!」
「 まったく…」
  呆れたように笑う龍麻を尻目に、如月は己の大人気のなさを自覚しつつ、今夜も天香学園へ行く為の準備を完了させた。
  九龍が勝手に部屋を漁って見つけた龍麻の高校の時の写真。さんざ「これが欲しい」と言っていたが、まさか本当に持ち出していたとは。
「 あれを取り戻す迄は彼に死なれては困る。不本意だが、様子を見てくるよ。龍麻、眠る時はきちんと戸締りをするんだよ」
「 もう…分かってるよ。行ってらっしゃい」
  ひらひらと片手を振って見送る龍麻に戦闘準備万端の如月。まるであべこべになってしまったが、とりあえず互いにそれを困ったものだとは思っていないらしい。如月は龍麻を取り戻し、龍麻もまた如月を取り返した。2人は今、当たり前のように一緒にいる。そして互いに寄り添い合う。
 そしてそんな2人を他所に、たった1日恋の宅配業をこなした無類のトレジャーハンターは、今夜も新たな宝を手に入れる為に奔走するのだ。時に「ロクでもない事」に巻き込まれ、けれど嬉々として困難を交わしながら。
  特別な《力》はないけれど。

「 Yes! Mission Completed!」(by葉佩九龍)



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