龍麻がいた真神学園も大分普通ではなかったが、この天香学園はまた異色であると如月は思った。
  広大な敷地内には学生が不自由しないだけの施設・設備は一通り全て揃っている。彼らはその中で思う存分学生としての本分を全うし、余計な欲望に駆られる事のない健全な学生生活を謳歌する事ができるのだと…学校側はそう謳っているのだが。
  この学園全体を取り巻く不穏な空気は一体何なのだろう。
「 嫌な感じ」
  如月の内なる想いを九龍が代わって声に出した。ちらと横目でその姿を見ると、九龍は初めて店に訪れた時につけていたゴーグルを装着し、服装は龍麻のTシャツとジーンズだが、あのおかしなベストはまたしてもきっちりと身に着けていた。そしてこれからどこぞの家にでも侵入するかのような黒い手袋に、腰には怪しげな鞭とコンバットナイフがこれみよがしにぶら下がっている。背中のリュックは軽そうだが、如月が用意したハンドガンは当然そこに入れているのだろう。
「 ……怪し過ぎるな」
  思わず呟いてしまうと、しかしそんな如月に九龍は自分こそが呆れるというような顔を向けた。
「 如月さん。自分の格好見てから言ってもらえます?」
「 目立たないという点では僕の方が正しい」
「 いや、目立つと思うんだけど…」
  ぽりぽりと顎先を掻く九龍は如月と出会ってから初めてペースを乱されたというような態度を示した。
  けれどそれももっともな話かもしれない。如月は全身黒ずくめの忍装束を身に纏っていたから。


  恋の亀急便(後編)



  時は夜も大分更けてきた辺り。下校時刻と寮に入る刻限が定められている学生たちはとうに部屋に篭っている時間だ。
  しかし九龍たちは龍麻がいるであろう寮に向かってはいない。2人はただでさえ人の気配のない学園内で更に奥まった場所―墓地の傍の茂みに潜んでいた。
  九龍が前方の墓群を凝視しながら不満気な声をあげる。
「 そもそも何でついて来るかな。結局自分も緋勇さんの事が気になってたんじゃないか」
「 煩い。君が僕にロクでもない事を言わせるからだ。最早彼を君なんかに任せてはおけない」
「 ロクでもない事って何。緋勇さんの事が好きだっていう自分の感情?」
「 ……そうだ」
  一瞬迷ったようにしながらも素直に肯定した如月に九龍は苦笑した。
「 ロクでもなくなんかないでしょ。自分の気持ちを思い出せて良かったじゃないですか」
「 煩い」
「 煩いってねえ…。まったく素直じゃないんだから。……ところで間違いないの、緋勇さんがここに来るって」
「 間違いない。昼間までに収拾した情報と協会が龍麻に依頼してきた件から鑑みるに、龍麻はこの辺りの時間にここへ来るはずだ」
「 あーあ、残念。折角亀急便のユニフォームも持参してきたのに」
「 どうせあの銃は自分用だろう」
「 そうだけど。……あ!」
  九龍の声と同時に前方から3人の人影が現れた。2人はそれで咄嗟に息を潜め気配を殺したが、如月はすぐにその中の1人に目を見張った。

  龍麻。

「 ……おお、本物の緋勇龍麻だあ…。噂通りだ」
  すると横でしゃがみこんでいた九龍も何やら感嘆した声を漏らした。如月がそれを咎めようとした瞬間、しかし段々と近づいてきた龍麻たちの会話が聞こえてきた事で如月は口を閉じた。
「 龍麻」
  3人のうちの1人―龍麻よりも少しばかり長身の男子高校生だ―が、不意に墓地の窪みに屈み込んだ龍麻の肩に手を触れて言った。
「 龍麻。お前、今夜も潜る気なのかよ…。全く好きだな、お前も」
「 うん。潜る」
  振り返り、その学生にやんわりと微笑み返しそう答える龍麻。
「 ………」
  如月はその場面を見ているだけで自らの中で何かがパリンと音を立てて割れるのが分かった。
  何だあの餓鬼は。
  何だあの親し気な態度は。
  龍麻も龍麻だ、どうしてあんな風に―。
「 綺麗に笑うなぁ」
  すると九龍が再び如月を代弁して声をあげた。ぎくりとして視線を落とすと、九龍はリュックを下ろして中から龍麻の為に注文したはずのハンドガンに弾薬を詰め始めていた。
「 ……何をしているんだ?」
  如月が眉間に皺を寄せると、九龍は何でもない事のように言った。
「 潜る準備。あの3人、今日も遺跡の調査に行くみたいだから。後つけないと」
「 後を…」
「 当然でしょ? そこに遺跡があるなら潜るのがハンターだし、緋勇さんのやってる事見届けないと」
「 ………」
「 だって緋勇さんがここで何をしているのかちゃんと調べないとさ、声掛けられるものも掛けられないし」
「 ………」
「 如月さんだって今すぐ飛び出して行って『龍麻、帰って来い!』なんてやるつもりはないわけでしょ」
「 ………」
  九龍の言葉に如月は何も言えなかった。
  あるわけがない。帰って来いなどと言うつもりなどない、そんなつもりでここに来たわけではなかった。
  ただ自分は知りたかったのだ。龍麻が何故自分から離れていったのか、そして離れた今、何処で何をしているのか。本当はすぐにでも確かめたかった。しかし踏ん切りがつかなかった。
  あの九龍の前で放ったたった一言を忘れていたが為に。
「 ねーねー、ひーちゃん」
  その時、茂みの向こうから再び龍麻の傍に立っていた人間が明るい声をあげた。今度は健康優良児的な女子高生だ。2つにまとめただんご頭にテニスラケットを持っている。墓場には実に似合わない格好だった。
「 また潜ったらさ、あの綺麗な女の人にも会えるかな? びっくりしたよねえ、バタフライさんって言ったっけ」
「 うん」
  答えながら龍麻はごとりと石碑をずらした。どうやらそこが地下遺跡への入口らしい。
  そんな龍麻の背後から女子高生は尚も嬉しそうに話しかける。
「 不思議な人だよね。ひーちゃんが持ってる物と交換で何でも出してくれるし。お陰でひーちゃん、最近あそこのたっかい通販のお店利用しなくて済んでるでしょ。何て言ったっけ、じぇ…じぇれいど…?」
「 JADEショップ」
「 あ! そうそう、それ!」
  龍麻が即答した自分の店の名前に如月はらしくもなく肩先をぴくりと揺らした。
  龍麻は勿論知っている。あの店を経営しているのは如月翡翠、以前の旧友であり、戦友であり、一時は恋人のように共に暮らした男。
  けれどその男が営んでいる店の名前を口にしても龍麻の顔色に何ら変化はなかった。
「 ………」
  それを認めた途端、如月はふっと己の力が緩むのを感じた。
  立ち上がり、黙って龍麻たちに背を向けた如月に九龍が静かな声を発した。
「 どうしたの」
「 ………」
「 まさか帰るとか言わないよね。これから一緒に遺跡探索しよう」
「 君だけでするといい」
「 緋勇さんは」
「 龍麻は平気だよ。立派に任務を果たしているさ」
「 ……そう見えるの?」
  そう訊いてきた九龍はどこか怒っているような声だった。如月がそれで視線を九龍に落とすと、九龍はつけていたゴーグルを外してやはり不機嫌な目をして如月を見上げていた。
「 馬鹿みたい。ヤキモチやいたんだ。高校生が君の龍麻にいちゃこら構い倒しているの、見てられないんでしょ」
「 どうとでも取ってくれ」
「 取り戻しに行けばいいじゃない。そこにいるよ」
「 元々僕のものじゃない」
「 ……ふう。まったく手のかかるお人だな。あのね、どんな宝物も自分を強く欲してくれる人の元へ行くんだよ。如月さんがそんなじゃ、宝だって困って遺跡の中を彷徨うってもんだ」
「 何を…分かった風に…」
「 見てみなって」
「 ………」
  促されるようにもう一度墓地の方を指差され、如月は九龍の迫力に押された事もあり仕方なく…否、吸い寄せられるように再度龍麻のいる方向へと顔を上げた。
  龍麻は墓地の石碑を動かした後、一旦立ち上がって自分の傍にいる2人を困ったように交互に見やっていた。
  そして子どもに言い含めるようにそっと言った。
「 今日は2人は帰りな」
「 えーっ。どうしてさ、ひーちゃん!」
「 ……お前1人で行く気かよ?」
「 うん。今日のエリアは危険な所だよ。今までで一番」
「 だったら余計にお前1人で行かせられないだろ」
「 そうだよひーちゃん! こんな何があるか分からない所で1人で行くなんて良くないって。そりゃああたし達もそんなに役立てるわけじゃないけど、でも、少なくとも1人よりは心細くないでしょ?」
「 気持ちは嬉しいけど…」
  龍麻はまた曖昧に笑んだ後、どうしようという風に2人を見やった。
  その笑顔に如月は覚えがあり、目を見張った。
  他人の親切に嬉しいと答えながら、一方でどこか困ったように見せる笑み。
  高校の頃もよく仲間たちの前であんな表情を見せていたっけ。無理をさせたくなくて、自分の前でくらい素でいて欲しくて、気づけばいつでも傍にいたいと欲していた。
「 その優しさがさ、もしかすると如月さんの本当の欲深い想いを封印しちゃって、逆に緋勇さんに気を遣わせてしまったのかもよ」
  すかさず九龍がそう言った。
  如月が黙って視線を向けると、いつの間にか九龍は亀急便のキャップを目深に被り、一体何処から出したのか小さな四角い包みを持って立っていた。
「 葉佩…?」

「 亀急便でーす!!」

「 な…っ!?」
  しかし如月が仰天するのも構わず、九龍は突然突拍子もない高い声をあげると、茂みを飛び出て龍麻たちがいる墓地の方へ小走りに駆け出した。呆気に取られる如月をよそに、九龍は同じく突然の事にぎょっとして身構えている3人に飄々とした声で続けた。
「 緋勇龍麻さんにお届け物です!」
「 俺に…?」
「 おい、お前何なんだ、急に?」
  驚いた風に訊き返す龍麻と、そんな龍麻を庇うようにして立つ男子学生。
  それでも九龍は帽子で目元を隠しながら、白い歯をにっと見せた。
「 判子お願いしまーす」
「 だからお前は誰なんだッ!?」
「 皆守」
  しかし龍麻がその学生―皆守というらしい―をさっと片手で止め、目の前に現れた九龍の前にすっと出た。そしてじっと観察するような目を向けた後、言った。
「 亀急便って、JADEショップの人?」
「 はい」
「 俺、何も頼んでない」
「 いえ、頼みましたよ」
「 ……?」
  不審な顔をする龍麻に九龍は尚も俯いたままそう言い、さっと箱を渡すと「貴方はこれが欲しかったんでしょう」と言った。
「 ………」
  龍麻は九龍に渡された包みを黙って受け取り、そしてそれをそのままびりびりと破いて開いた。
「 ……これは」
「 おい龍麻。何なんだ、それ」
「 ………」
「 なーに、ひーちゃん? 鍵?」
  今度は女子学生が不思議そうな顔をして龍麻の手元を覗き込んだ。そして小さな箱にちょこんと入っていたそれに首をかしげる。
「 何の鍵? どんな宝箱も開けられる鍵とか?」
「 うーん、ある意味宝を開けられる鍵だけど。用途は一個しかないかな」
「 ……俺はこれを捨ててきたんだよ」
  押し殺したような声で言う龍麻に九龍は笑った。
「 よく言うでしょう。宝自体に惚れられると、それをどんなに手放そうとしても、それはどこまでも己がこれと決めた主について回るんですよ。貴方は捨てたつもりでも、向こうはそんなつもりはないって」
「 ………迷惑なんだよ」
「 誰が? 貴方が? 相手が?」
「 ………」
「 もし答えが後者だって言ったらどうする? ……如月さん」
「 な…?」
  振り返ってそう言った九龍に龍麻がびくりとして顔を上げた。

「 翡翠……」

  そしてそう呟いた。
「 ………」
  九龍に呼ばれたからではない、龍麻が見たからではない。如月は自身も隠れていた茂みから出てくると、頭から覆っていた頭巾を取り去り、はっきりと開かれた視界の下、懐かしすぎる相手を見つめた。
  九龍が発した台詞を反芻する。迷惑なんだと龍麻は言った。けれどもしその意味が自分が考えていたようなものでないのなら。
「 僕は迷惑なんかじゃない。どうして僕にまで気を遣うんだ」
「 ………」
  何も言わない龍麻に如月は耳がじんと痛くなるのを感じながら尚も続けた。
「 勝手に出て行って勝手に自己完結されても困るんだ。君はそれで僕を解放したつもりなんだろうが…。ただ囚われただけだった」
「 ……俺は災厄しか招かない人間なんだよ」
「 龍麻。君の帰る場所は僕の所だけだ」
「 ………勝手なこと、言うな」
「 ………」
  ぐっと下を向き、龍麻は吐き捨てるように小さく言った。感情を殺そうとでもするように強く唇を噛む姿は痛々しかった。こんなに弱っていたのか。違う世界で、違う場所で新しく自分をやり直そうとしていたのだと思った。昔のしがらみを忘れて楽しくやろうとしているのかと思った。だったら自分はもう用済みではないか、一瞬そんな風にも思ったのに。

  本当は全然変わっていないのだ、お互い。

「 ここに貴方たちの探す物はないでしょ」
  暫しの沈黙の後、九龍が言った。
  そして帽子を取り再びゴーグルを身に着けると、九龍は悪戯小僧のような顔をして豪快に笑った。
「 だからここの探索はプロの俺に任せなよ。君たちは…見つけたでしょ」
  呆気に取られる2人の学生にも意味なく笑い掛け、九龍は半ばうきうきとした調子でそう言った。
  固まる如月と龍麻をよそに九龍だけがイキイキとしていた。
「 俺はこういう瞬間が一番好きだな」
  九龍の弾むような声を如月は何処か遠くの方で何となく聞いていた。
  今はただ目の前に佇む龍麻の姿だけを追っていたかった。



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…前・中・後編とか言ってるくせに更にもう1話あるんです(汗)。まとまりのないやっちゃ…。