メディシスの恋2(+α…)



7.現在


  勢いのまま強引に引っ張って自室に連れ込んだから、リシュリューはそこで2人きりになるまで、クリスがどんな顔をしているかも全く分からなかったし、自分のせいでクリスが腕を痛めている事にも気づかなかった。
「クリス…っ」
  ただ、どうしようもない焦燥がリシュリューの全身を巡り巡っていた。
  ジオットに訊かれた時のクリスの表情。興奮していたからちらとしか見えなかったけれど、クリスは今にも泣きそうな顔をしていた。
  そして今も。
  何だか弱い者苛めをしている気分だ。
「嫌なら嫌と……はっきり言わないと、このままお前を抱く…!」
  強引に押しやって、ベッドに縫い付けるようにして上から圧し掛かり、リシュリューはクリスに言った。
  頭の中では、さすがに今夜はもう駄目だと警鈴を鳴らしている。分かっていた。昨夜、クリスを抱き殺さんばかりに拘束してから、未だ半日ほどしか経っていない。クリスは疲れきっているし、第一こんな風に不機嫌を露にしたまま相手の身体だけ奪ったところで、後に襲うであろう虚しさは計り知れない。
「どうなんだッ!」
  それでもリシュリューは怒りの混じった眼をクリスに突き刺す事を止められなかった。
  ジオットに言われたたった一言で、こうもムキになっている。情けないが、それもどうしようもなかった。分かっている。知っているのだ、クリスがこの結婚に心底から乗り気ではない事など。クリスは何でも「リシュリュー様の良いように」と、控え目に微笑むけれど、婚約してからこうして身体を繋げるようになった今でも、伴侶となるリシュリューを「愛している」とは、一度も口にしていない。

  自分はこんなに何度も何度も言っているのに!
  「だから相手からも欲しい」などと、勝手だという事は承知しているけれど。

「リシュリュー様……」
  血走った眼で睨みつけているとクリスがようやく声を発した。両手首を強く押さえつけられた格好で苦しいだろうに、その事にはちらとも触れず、ただ自らもリシュリューへと視線を向ける。
「嫌じゃないです」
  そしてクリスはそう言った。その顔は笑みを湛えながらも、やはりどこか泣き出しそうなものに見えたのだが。
「リシュリュー様に抱いて頂けること……とても、幸せです。嫌なわけがないです」
「ならば、どうして!」
「リ……んんっ」
  クリスが言いかけたものを途中で遮り、リシュリューは有無を言わせぬ口づけをした。
  言葉が欲しい、でも聞きたくない。リシュリューは怖かった。クリスの唇から発せられる言葉で自分を傷つけるようなものはこれまで一度たりともなかったけれど、それでも本当に欲しいと思う言葉も貰えない。貰える自信がない。
「あ……はぁっ……」
  クリスが苦しそうに息を吐いた。あまりにしつこく舐っていたせいだろうか、そっと唇を離した時には既に肩を震わせ、黒い瞳を潤ませていた。
  それが拒絶のようで、余計リシュリューの苛立ちは強くなる。
「泣いて懇願してももう遅いぞ…。俺は……お前を、壊してやりたい」
「リシュリュー様……」
「お前は俺を苦しめる天才だ」
  自嘲するようにそう呟くと、クリスは一瞬目を見開き、それから――ここで本当に悲しそうな顔をした。
  それでもリシュリューが乱暴に衣服を剥いでいく事に厭う仕草は全く見せない。恥らって顔や首筋を赤くはするものの、自分だけが目の前で素肌を晒しても、クリスはもうリシュリューのされるがままだった。
「あっあ…」
  わざと淫猥な音を出しながらクリスの胸の粒を吸ってやると、クリスは実に可愛らしい声で啼いた。女が持つ豊満な乳房にここまで興奮した事はない。クリスの身体はまだどこか未成熟でほっそりとした身体つきではあるが、一方で男子らしい硬さも備えている。けれど、リシュリューにとってはそれが酷く好ましいものに思えた。女のようなきつい香りも発しない、クリスにはいつでもまっさらな清廉さが感じられる。
「あ…はぁっ…」
「気持ち良いかクリス…感じてきているな」
「あぁっ…」
  ほんの小さな囁きで一際切なく啼いたクリスに、リシュリューはすっと目を細めた。
  リシュリューは女性嫌いで通っているが、女を抱いた事が一度もないかといえば、決してそんな事はない。嗜みと言っては言葉も悪いけれど、ジオットが世話をしようと言い出すよりも随分と前に、そういう「通過儀礼」は既に経験済みだった。実はそれを強要したのは母のジェシカで、リシュリューが未だ成人にも到底届かない年頃に、「後腐れのない相手だから心配するな」と無理矢理見知らぬ女性を宛がったのだ。母は息子にそれらを強制する時も始終無表情だったが、嫌がる息子にこんな真似までさせて、やはり腐っていると軽蔑したものだ。
  思えばそんな事もあったから、リシュリューは「女性」というそれだけではなく、性交渉そのものにも興味がなくなったのかもしれない。
「クリス……」
  それが、クリスだけは。
  一度抱いてしまったら収まるかと思った熱も留まるところを知らない。クリスを片時も離せない。リシュリューはクリスの身体に溺れきっていた。
「いぁっ…」
  未だ執着したように胸の飾りに意地悪く喰らいついていたら、さすがにクリスが痛みを訴えるような声を出した。ハッとしたが、それでも何故か許してやる気が起きなくて、リシュリューは更にクリスの性器に手を伸ばし、必要以上に強く握りこんだ。
「……っ」
  クリスが声にならない声でひくっと身体を引きつらせた。じわりと浮かんだ涙が頬を伝う。やはり苛めだ。リシュリューにもその自覚はあった。どうした事かクリスを大切にしたい、真綿で包むように優しく抱きしめて、いつでも笑わせてやりたいと思う一方で、今日のようにどうしようもなく居た堪れず怒りがくすぶった時などは、全く正反対にこうしてクリスを痛めつけてやりたい衝動に駆られた。

  クリスに酷い事を言ったりしたりした事が一度もないと言えるのか?

「言えるわけがない…っ」
「え…?」
  思わずそう吐き出したリシュリューにクリスが反応して薄っすらと目を開いた。
リシュリューはそんなクリスの顔をわざと隠すように掌で一瞬だけ隠すと「何でもない」とぶっきらぼうに答えて、それから再び目をかち合わせた。
「クリス」
  そうしてやはり底意地悪く問いかける。
「こうして抱かれたことがあるのか。俺以外の人間に」
「え……?」
「抱いたことはあるか。女を」
  一度訊いてみたいと思っていた事だった。クリスは初めて抱いた時に「初めてだ」と言っていたけれど、女性との経験はあるかもしれない。また、あまり想像は出来ないが、男性との事とて、「抱かれた」経験はなくとも、「逆」がないとは言い切れない。何せリシュリューはクリスの過去を何も知らない。大体、幾ら借金の形に売られたとはいえ、いきなり見知らぬ男の元へ下って己の身体を差し出してこいなどと命じられ、はい分かりましたと素直に頷くなど、リシュリューの常識からは到底考えられない事なのだ。そうなると、クリスに限ってとは思っても、もしかするとそれなりの経験があるのかもしれない…と、余計な邪推もしたくなる。
「答えろ、クリス」
  クリスに対してマイナスな感情が沸き起こるのを止められず、リシュリューは詰問した。
「僕は……」
  するとクリスはあからさまそれに傷ついた顔を見せたものの、意外にもきっぱりと、そして毅然として答えた。
「これまで、誰ともした事はありません。リシュリュー様が初めてです」
「本当か?」
「はい」
  頷く声が僅かに震えた。
  それはクリスが嘘をついたからではなく、リシュリューが自分の言葉を信じていないかのように確認してきた事に対して悲しみ、悲嘆にくれたが故だった。
「……くそっ!」
  だからこそ、リシュリューも余計に自暴自棄になった。自分がクリスを苦しめている。自分がクリスを傷つけている。それを十二分に自覚しているのに、止められない。全て悪いのはこんな風に儚く傷ついた顔を見せるクリスのせいだと思った。ただ真っ直ぐ愛してくれればいいだけの話なのに、クリスはいつまでも躊躇いを捨てない。ただひたすら従順に跪き、己の身体を良いようにさせて力なく微笑む。
「何故怒らない!? 何故……嫌だと言わない!?」
「リシュリュー様、僕は…」
「煩い! 別に嫌ではないと言うんだろう!? だがお前は……決して俺を受け入れていない!」
「そんな事…っ」
「俺はただの従順な、感情のない抱き人形になど、興味はない!」
  よせばいいのにリシュリューはそう言ってクリスを罵倒した。しかもそう言って罵るくせに、クリスを抱く手は止まる事がない。再び手淫を再開し、リシュリューは乱暴にクリスの秘所に指を突き入れ強引にその中をまさぐった。矛盾もいいところだった。興味はないと、こんなクリスでは要らないと言っているくせにクリスを激しく求める。決して離す気はないのだから。
「いっ…んん…」
  クリスが苦痛に歪んだ顔をする。それでもリシュリューは行為を止めず、クリスにも自ら足を開くように強要しながら、強引に己のものをその中心に差し込んだ。
「ひっ…んぅ…!」
「くっ………!」
  大して馴らしもせずに挿入を進めた事でクリスのそこは残酷に裂けた。ぎくりとしてそのぬるりとした感触にリシュリューは我に返る想いだったが、それでもそこから自分を抜こうとはしなかった。ここで離してしまったらもう二度とクリスを手に入れられないような酷い焦燥が全身を襲う。身動きが取れなかった。
「や…あぁッ、あッ、んんっ、ああぁッ!」
  ぐいぐいと奥に腰を進めていく度にクリスが悲鳴に近い鳴き声を上げた。リシュリューはそんなクリスの悲鳴を聞きながら、取り憑かれたようにクリスの身体を貪った。何度も中に押しやっては引き抜き、再度力強く己の楔を打ちこむ。クリスがその度衝撃を受けたように身体を跳ね上がらせる姿を片時も見逃すまいと脳裏に刻みこむ。
「あぁっ、あっ、あっ……リシュリュ、さまっ…」
「クリス…お前が……どう思おうが……! お前は、俺の……ものだ…!」
「あぁっ…リ……リシュリュ、様……やっ、あ、あぁ――ッ」
「く……ッ――!」 
  リシュリューは更に動きを加速させ、クリスの細い両足を高く抱え上げながら激しく腰を打ち付け続けて、最後に――クリスの最奥に容赦なく大量の精を解き放った。
「…ぃ…ッ…!」
  それにクリスがあからさま苦悶に満ちた声を上げ、顔を横へ背ける。拍子、新たな涙がぽろりとベッドに流れ落ちた。
「はっ……」
  リシュリューは荒く息を継ぎながらそんなクリスを凝視した。放った直後だというのに、下半身は未だ物足りないと、クリスの体内でじくじくとした熱を脳に伝える。クリスの悲嘆に暮れる顔を見ているだけで更に欲望に火が灯る。異常だった。
「クリス……」
  それでも無意識に伸ばした手は震えていた。クリスの頬に辿る涙に触れようとしたが、そのせいで震えはより一層酷くなり、咄嗟に出しかけた手を引っ込める。
「リ…シュリュ、様…」
  クリスが薄っすらと目を開いた。
  怯える権利があるのはリシュリューではない、クリスだ。けれどその瞳にリシュリューを責める類のものはなく、ただただ静かな海のようにその色は穏やかだった。
「……っ」
  リシュリューの胸に言い様もない後悔が襲う。大切にしたい、優しく優しく愛してやりたいと心から想っているのに、どうしてそんな愛しい相手に、こんな暴力じみたセックスを強要してしまったのか。そうだ、これはただの暴力だ。愛の営みなどではない。
「クリス…俺は…」
「あっ…な、か……」
「す、すまない!」
  少し身体を揺らしただけでクリスが敏感に反応するのを見て、リシュリューはここでようやく、自分が未だクリスの中に入っている事を思い出した。
「あっ…あ…」
「う……」
  腰を動かした瞬間、クリスが恥じらいの声を上げるものだから、リシュリューはそれだけでまた興奮しそうになった。
  それでも何とか己を律し抜け出ると、クリスの腿からは精液だけでなく、先刻裂けたせいで滲み出た赤い血が共に一筋の線を描いた。
「……すまない」
  ぽつりと謝罪の言葉が出たが、それは酷く弱々しいものだった。
  クリスの顔をまともに見られない。こんな事をして、本当にいよいよ嫌われた。愛してもらうどころではない。絶望的な気持ちがリシュリューの全身を覆う。
「リシュリュー様……」
  するとクリスがゆるりと片手を伸ばしてリシュリューの手に触れてきた。ぎくりとして咄嗟に相手の顔を見やると、クリスはやはり未だ泣き出しそうな顔をしていたが、変わらぬ慈愛に満ちた瞳で口許に笑みを浮かべた。
「リシュリュー様が謝るなんて、駄目です…。リシュリュー様は、いつだって堂々と……怒っておられるくらいが、いいです」
「……無茶を言うな。お前をこんな目に遭わせておいて、さすがにそんな態度は取れない」
「僕は大丈夫です。……あ……でも、あんまりこれを言うと、リシュリュー様はお嫌なんですよね……?」
「……ああ、嫌だ」
「申し訳ありません」
「そっ……そういう風に謝られるのも、嫌だ!」
「そう、ですよね。はい。もう謝りません」
  クリスはそう言って少し困ったように笑いながら、実にさり気ない所作で自らの涙を拭った。
  それからまだ横になっていろと慌てるリシュリューに笑顔だけで返し、クリスはゆっくりと身体を起こした。
「だ、大丈夫か…? まだきついだろう、クリス、俺は……」
「リシュリュー様」
  ただたどしく言葉を継ぐリシュリューを珍しく制して、クリスは言った。
「リシュリュー様の仰る通りです…。僕には……人が持っていて当たり前の感情というものが、常に希薄なんです」
「クリス…?」
  抱いている途中で言ったあの酷い言葉を指しているのだと想い、リシュリューは血の気の引く想いだった。
  そんな相手の気持ちをどう捉えているのかは定かではないが、クリスは俯いたまま後を続ける。
「リシュリュー様のような素晴らしい方に勿体ないお言葉をたくさん頂いて……それなのに、それを返せない僕は……本当に罰当たりですよね。リシュリュー様がお怒りになられるのも当たり前です。僕のような態度を取られ続けたら、誰だって怒ります」
「クリス、俺は――…」
「でも、」
  クリスはまたリシュリューの声を掻き消すように、けれど未だに顔を上げないまま、遠慮がちに言葉を発した。
「でも……ごめんなさい。僕は、本当に、分からないんです。どうしたらいいのか、分からないんです。リシュリュー様のお傍にいたいです。本当にそう思います。僕をこんなに必要として下さったの、リシュリュー様だけだから。でも…」
「でも……?」
  反射的に鸚鵡返しをしたリシュリューに、ここでクリスが初めて顔を上げた。
「リシュリュー様が……それに、ジオット様も、気付いておられますよね。僕のこの……リシュリュー様のお傍に置いて頂きたいと思っている気持ちは……リシュリュー様が求めて下さっているものとは、違います」
  クリスの顔は毅然としていた。リシュリューは一瞬言葉に詰まり、己の衝動から起こした過ちのせいで今度こそクリスが自分の手の届かないところへ行ってしまうのではないかという危機感で一気に悪い汗が噴き出した。

  自分が追い詰めてしまったせいで、クリスはもう「答え」を出してしまおうとしている。
  待つと言ったのに。結婚してからゆっくり考えればいいじゃないかと言ったはずなのに。結局堪え性のないこの態度が、行為が、クリスを苦しめて罪悪感を抱かせて、こんな事を言わせてしまった。
  愛してくれるようになるまでゆっくり待てばいいのに。愛してもらえるように、これから幾らでも努力すればいいのに。
  気持ちが急いて、ただこんな風に身体だけ自分の良いようにして。
  最低じゃないか。

「僕はリシュリュー様の優しさに甘えて、自分がリシュリュー様のお傍にいたいばっかりに……、今回の結婚のこと、お任せすると言いました。でも――」
「クリスッ!!」
  それ以上言わせてはいけない。
  リシュリューは思わず大声をあげ、がつりとクリスの両肩を力強く掴んで揺らした。
  クリスはそれに驚きで目を丸くして思わず口を噤んだが、リシュリューはそれを幸いにと今度こそ自分が先に口を切った。
「クリス……さっき、俺は常に堂々と……怒っているくらいが丁度いい、俺らしいというような事を言っていたな」
「え…? あ…はい…」
  唐突にそんな事を言うリシュリューに対し、クリスは途惑いながらも流されるように頷いた。
  だからリシュリューはそんなクリスをじいと見つめた後、おもむろにその細い身体をぎゅっと抱きしめ、強い口調で言い放った。
「ならば、俺はお前に命令する。逆らう事は許さない。いいか、勝手に俺の傍を離れるな」
  クリスが黙って顔を上げた。リシュリューは自分の懐にクリスを抱えこんだまま自らもその瞳に視線を重ねた。
「たとえ今のお前にまだ……惑いがあろうとも……。そのせいで俺の心全てを満たせないとしても、だ。お前はもう俺のものなのだから、勝手に俺にふさわしくないとか、俺の負担になっているから消えるとか……身を引くとか……。そういうくだらない戯言を言うのは一切なしだ。分かったか!?」
「リシュリュー様…でも…」
「俺に『でも』もなしだ!」
  リシュリューはそう言った後がつりとクリスの顎先を摘み、強引なキスをした。
「……っ」
  クリスは当然それに途惑ったような反応を示したが、命令通り、それに対して避けるとか嫌がる素振りは見せなかった。
「……いいか、クリス」
  唇を離した後も未練がましくその柔らかい口許に指先を当てながらリシュリューは言った。
「いいな。俺から離れるな。俺はこれからも激情に任せてお前に無体をする事があるかもしれない。その時は俺を殴ればいい。きつく諌めてくれて構わない。だが、俺から離れるのだけはなしだ。いいな? 約束するな?」
「……はい」
「本当に分かったのか?」
  リシュリューの念を押すようなそれに、クリスは素直に頷いた。
「約束します。リシュリュー様がこんな僕でもお傍に置いて下さると仰る限りは……絶対にお傍を離れません」
「……よし」
「あ、でも」
「な、何だ?」
  どきりとしてらしくもなく身体を揺らすと、クリスはそんなリシュリューに少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「僕……リシュリュー様を殴るなんて出来ません。諌めるなんて事も」
「……分かった。ならばやはり、そこは俺の方が自省して気をつけるようにする」
「はい」
  ほっとしたように笑うクリスに、リシュリューは釣られて一瞬は自分も笑んだが、それによって余計先刻からの罪悪感に苛まれた。
「クリス……さっきは本当にすまない…。あんな抱き方…すまない」
「そんな、僕は大丈……あ、えーと、その、とにかく、リシュリュー様がお気になさる事なんて全然ありませんから」
「気にするに決まっているだろう、血まで出て…。今、薬を持ってくる、待っていろ」
「リシュリュー様、でもっ」
  クリスが何事かを言いたそうにしていたが、その時のリシュリューの耳には届かなかった。ただもう急いで薬を取りに行き、その後はクリスが恥ずかしがって嫌がっても構わずに、自らの手で薬を塗っってやった。
  だからクリスが何故薬を取りに出ようとしたリシュリューを咄嗟に止めようとしたのかは、「その時」が来るまで分からなかったのだが……。

「リシュリュー! 貴様、貴様には学習能力というものがないのか!? クリスに傷まで負わせるなんて……俺はこの結婚には反対だっ!!」

  薬だ何だと騒いでいたせいで、リシュリューがクリスに乱暴して怪我まで負わせてしまった事がジオットにバレた。……あんな風に強引にクリスを連れ去ったリシュリューだから、ジオットも最初から嫌な予感を抱いてはいたのだが、それにしてもまさか薬が要るまでに酷い事になるとは想像しなかったらしい。ジオットの怒りは並大抵ではなく、遂にリシュリューたちの結婚に反対の意まで唱え始めた。

  そうして。

「お、おい、ジオット! クリスを! クリスを何処へ連れて行った?!」
  それから数日後。
  ジオットは一旦リシュリューの屋敷を退いたフリをして、「それ」を実行したのだった。
「クリスを暫くお前の元から離す事にした」
「な……」
  あまりにもさらりと平然と言うので、リシュリューも一瞬頭の中がフリーズした程だ。
  けれどジオットはそれをさも当然と言う風な態度で我がままな甥っ子に背を向けた。
「言い忘れていたんだが、メディシス家には代々、正式に結婚するまで、花嫁に必要以上に触れてはいけないという掟があってなぁ。姉上……お前の母上様にもこの事は伝達済みだ。式の日取りやら何やらを決めるまでは、クリスとは距離を取ってもらう」
「ふ…ふざけるなッ!」
  リシュリューは勿論激昂したが、今回ばかりはジオットも強気だった。
「それから、その式の日取りだが。これはクリスともよくよく相談してから決めるので、予定は未定だな。なあに、周りの声などどうとでもなる。今日日、有名人の婚約破棄なんてものも然程珍しくないしな」
「こ、婚約破棄……!? 何を言っているんだ、そんな事、クリスだって! クリスは何処だ!? 会わせろ!!」
「だから駄目だと言っているだろう」
  激しく詰め寄るリシュリューに、ジオットは厳然たる態度でばっさりと突っぱねた。
  そしてくるりと正面を向き、真っ直ぐにリシュリューを見て言う。
「俺はな、リシュリュー。あの子にも幸せになってもらいたいんだ。お前だけが幸せなんてのはまっぴらごめんなんだ」

  あの子にも人を愛するという事を教えてやりたいんだ、と。

  ジオットがそう言った時、リシュリューは思わず衝動でジオットを殴りたい気持ちになったのだが、何せ「一応」、「曲がりなりにも」、クリスを引き合わせてくれた恩人でもある。大体、こうなった一番の原因は自分にもあると分かっているので、そこはぐっと堪え、リシュリューは心底真面目な顔をして言った。
「教えてやるさ。別にお前の力は必要ない、クリスには俺がこれから何でも教えてやるつもりだ。だからクリスを返せ!」
「……そのエロ魂が少しはマシになったらな」
「エロ……おいジオット!」
「クリスを休ませてやれ。ああ、小竜をボディガードにつけたから、安心していいぞ? お前の婚約者だからと誘拐など目論む不遜な輩がいても大変だからな。ま、俺や姉上しか知らない隠れ家だから、そうそう見つかる事もないと思うが」
「クリスを返せ〜ッ!」
「だから、少しは頭を冷やせ。それまでは駄目だと言ってるだろうが」

  結局、ジオットはまるで取り合わなかった。
  リシュリューが「クリス欠乏症」という病でいよいよ王宮での仕事が困難になり、国益に重大な損失が出そうだと国王が判断するまで、このジオット(&ジェシカ)の厳しい(?)措置は続けられる事となる。
  2人の結婚式までの道のりは、なかなかに険しい……。




終…


この話より先に誕生した24メッセにて、この後の展開がちらりと読めます。