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  折りたたまれた紙片を慎重に開くと、そこには黒い小さな種子が十ほどもあった。
「これは…花の種?」
「うん。何の花の種か分かる? 当ててみて」

  ヴィリーは少し幼い表情になってそう言った。元々同級生の誕生日にサプライズパーティを開いたり、ちょっといけ好かない教師を嫌味なくからかってみたりと、悪戯心のある青年である。わくわくした目に多少なり押されながら、クリスはその種子ののった紙片ごと、角度を変えつつ眺め、触ったり匂いを嗅いだりしてみた。しかし、これまで見てきた種子のどれとも違うと思う。どこかで見たことがあるような気もするが、分からない。
  降参だと言う風に友人へ視線を向けると、ヴィリーはニコリと笑いかけてから答えをくれた。

「それ、セラの種なんだ」
「セラの……え…えぇっ、本当に!?」
「驚いた!? 良かった! でも僕も驚いた、これを手に入れられた時はとても嬉しくて興奮したよ。何せ学園でも図鑑でしか見たことがなかったし、ずっと前に課外活動でクリスや皆と行った博物館で、遠目にちらっと見られただけだっただろう。王都では繁殖研究が進んでいるってことだけど、ジオット様の下で働くようになってこちらへ足を運ぶようになっても、そこらの花屋じゃ勿論お目にはかかれなかった。何せ稀少だからね」
「そうか…。どこかで見た気がしていたけど、アカデミアの図書室で見ていたのか」
「うん。クリスがこの花の実物が見たいって、珍しくグループ活動のテーマに提案してきてさ。僕は最初花なんてって思ったけど、確かにあれは一見の価値があった」
「博物館でも人だかりができていたよね。ただの白じゃない、不思議な色合いでとても綺麗で…あれは人を寄せると思った。懐かしいな。僕は背が低くて、ジャンプしても全然、ちらっとしか見えなくて」
「ははは、僕もそうだよ! あの時はまだお互い小さかったからね。ん…そういえば、クリス、背が伸びたでしょう? いや、かなり伸びた? 今さら気づくなんて遅過ぎだけど!」
「あ、うん、そうなんだ。こちらへ来てから、何だか急に伸びて。少しだけだけど」
「いや、少しなんてもんじゃないよ、ちょっと立ってみて? ほらほら、ああ、やっぱりだ! 大分伸びてる! 前は僕より頭一つ分も小さかったのに、今はほら、僕の口のところまで頭があるもの!」
「…本当だね。こうやって見ると、あの時とはヴィリーを見上げる角度が違う…」

  一緒に並んでみて、クリスは自身でも驚きながらそう言った。昔から栄養不足だ何だと言われて、もっと食べた方が良いとこの友人からも折に触れ注意されるほどに、クリスは学園でもひときわ小さな存在だった。そんな低身長や痩せ型の体格もコンプレックスの一つだったのだが、何故かここ1年で「大きくなった」と言われることがとても多くなった。リシュリューやジオット、屋敷の人間たちも、クリスの遅い成長期には妙な感心を寄せている。
  再び席につき、互いに見合ったところで沈黙が起きた。クリスは、何やら感慨深気にこちらを見てくるヴィリーに戸惑った。何か話すべきだろうか、しかし何から話して良いか分からない。話したいことは幾らでもあるような気がするのに。
  それに、と。クリスは心の中で葛藤した。
  本当はヴィリーも、もっと言いたいことがあるのではないか? 背が伸びたとかそういうことではなくて。何故って、仮にも長いこと同じ学園の寮で共に生活してきた友人に対し、クリスは一言もなくアカデミアを去り、家を移し、今とて、ジオットがこうしてお膳立てしてくれなければ連絡を取ろうともしなかったのだ。会いたくなかったわけではない、実際にこうして会えたらとても嬉しい。少し話しただけでも、図書室で一緒に図鑑を見たこと、あの街で唯一の博物館へ行ったこと、2人で背の低さを嘆きあった寮での風景など、思い出すだに胸の奥が温かくなる。けれど、そんな思い出を共有してきた間柄だからこそ、彼はもっと他に、いの一番にこちらの「薄情」を責めたいのではないかと…、クリスはそう思うのだ。
  しかしそのことを先に謝罪してしまおうかと悩んでいるうちに、ヴィリーが口を切った。

「クリス。その花の種、クリスならきっと見事な花に育て上げられるんじゃないかと思って買ったんだ」
「え…? あ、そういえば! こ、これ、とても高価な物なんじゃないの!? そうだよね、王都でもそんなに簡単に手に入らないのじゃ、これ一体どうやって…というか、幾らで買ったの!?」

  クリスがはたと気づいて焦ったようになる姿を見て、ヴィリーは笑った。

「嫌だなぁ、クリス。値段なんて、そんな野暮なこと訊くものじゃないよ。こう見えて僕、今はジオット様の所でとても稼いでいるんだから。…っていうのは、まぁ言い過ぎだけど。ははっ、まだ新米だし、お給金はさすがにね、いきなり大金持ち、なんてことにはなれないけど。でも、本当に気にしないで? これ、その仕事先で知り合った人から安く譲ってもらえたから、実は相場より大分破格の値段で買えたんだ。むしろ、あの文官長殿の婚約者様に、そんな安物をプレゼントするなんて失礼かなって思ったくらいだし」
「…そんなこと」

  ヴィリーから初めて「文官長の婚約者」と言われて、クリスはさっと表情を曇らせ、目を伏せた。
  ヴィリーの方はそれに気づいたかもしれないが、自らの態度は変えずに続ける。

「ここだけの話、ジオット様は、仕事にはとても厳しい御方だよ。当然だけどね。でも、この道を選んで良かった。もともと僕の家なんて、貴族って言っても名ばかりだからさ。そのうち自分で何か商売しようとは思っていたけど、今はジオット様の所でとても良い勉強をさせてもらっている。その種だって、今の仕事をしていなければ出会えなかったし、セラの花との再会があったからこそ―…、今こうして、クリスとも顔を合わせられた」
「え?」

  クリスが眉をひそめて聞き返すと、ヴィリーはまた人好きのする笑顔を浮かべた。いつも誰にでも優しい青年だったが、今もそれは表情によく表れている。慈愛の笑みだ。

「この花の繁殖について業者の人と話していた時、『僕の友人ならきっと簡単に増やせるんだろうな』って言っていたら、その話をジオット様がどこからかお耳に入れたらしくてね。僕がクリスと同級生で同じ寮生だったってことも、だからその時にお話したんだ。…まぁジオット様はご存知だったようにお見受けしたけれど。そりゃそうだよね、きっと君の身辺調査なんて十二分にされているのだろうし、僕たち同級生のことをジオット様が知らないわけがない」
「………」
「でも、何でか、ジオット様が『へえ、そうだったんだぁ』なんて知らないふりをされるものだから、僕も『そうなんです』って態度でいたんだけれど。あれは、どういうのかなぁ、やっぱり僕への優しさかな?」
「優しさ?」
「うん。だってジオット様の所で雇ってもらうって、本来スゴイことだからね。普通に考えて、僕みたいな学園を卒業したばかりの若造なんて採用されないよ。でも、クリスの同級生だから雇い入れた……なんてことだったとしたら、僕にとっても周りにとってもちょっとした悲劇でしょう? だからジオット様は僕のことを知らないふりをされたのかな、なんて」

  ヴィリーは淡々と話していたが、クリスは途端、下半身に冷気が襲うのを感じて、微かに震えた。そんなクリスの足元で丸まっていた小竜は、クリスの異変を敏感に察知して目を開き、さっともたげていた首を上げる。
  しかしクリスはそんな小竜に構う暇がなかった。思わず急いた口調となった。

「ジオット様はヴィリーの能力を正当に買って、それで採用されたんだよ。君はあのアカデミアで誰よりも優秀だったじゃないか。第一、そんなことで人を雇うなんて…あの方は、そんなことはなさらない!」
「うん、僕もそう思うよ」
「え」

  勢いをかき消されてクリスははたと口を閉じたが、ヴィリーは困ったように苦い笑いを浮かべた。

「僕もそこまで自分を卑下したりしない。この話が出た時は、あれ、やっぱりコネで入りこめたのかな、なんて思わないでもなかったけど。でも、違うと思う。そこは大丈夫。ただ、事実がそうだとしても、世間の見方は違うから。そういうことを知って悪く思わない人が一人もいないなんてことはないからね」
「………」
「だからジオット様は知らないフリをなさったんだと思う。本当はとっくに知っていたはずのことを」

  クリスが何も言えずに黙りこむと、いよいよ焦った風にヴィリーは両手を振った。

「ごめん、何だかヘンな話になってしまった! 僕が言いたかったのは、つまり、ジオット様はとてもお優しくて、良い御方だってことさ。それに、この花のことがなければ、僕と君を会わせようとはなさらなかったんじゃないかってことも言いたかったんだ。ジオット様は、僕が本当に君の友人たりえるか、見定めていたと思う。これは僕の勝手な想像だけど」
「……そんなこと」
「それに僕自身が君と会いたいって言い出さなかったというのもあると思う。だって、僕がはじめから、『僕はあのクリストファーの親友で、長く同じ学園で学んだ者なんです、だから会いたいんです』って頼めば、もしかしたらもっと早くに今日のような場を設けても良いか、ご検討下さったかもしれないよね。でも僕はそうしなかった。僕はね、クリス。酷い奴なんだよ。君の友だちなのに、自分から君に会いに行こうともしなかった」
「……ヴィリー?」
「だから、今日は謝りたいとも思っていたんだ」

  クリスが言おうと思っていたことをヴィリーが先に言い出した。クリスは当惑した。ヴィリーの方は相変わらず静かだけれど、彼自身も困ったように眉尻を下げている。
  そんな「似た者同士」を、小竜は首だけを上げて不思議そうにじっと眺めやっていた。



To be continued…



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また字数オーバーしてしまった…。
ところで「セラの花」はおまけページの某話にちらっと出てきたことがあります。