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「謝るって…何を…」

  クリスが何とか訊き返すと、友人の困ったような顔はますます曇り、ふっと小さなため息までもが口元から漏れた。何故か緊張しているようだった。
  言葉を出してきたのは、それからやや経ってからだ。

「クリスが家のことでアカデミアを辞めたと知った時、悲しみとか驚きよりも先に……凄く、頭にきたんだ」
「それは……当たり前だよ。ごめん、何も言わずに、いきなりあんな形でさよならしてしまって…。だから謝るのはむしろ僕の方で――」
「そうじゃない、ちょっと待って」

  クリスが頭を下げようとするのを慌てて片手を出して止めると、ヴィリーは急いたような早口となった。

「腹が立ったというのは僕自身に、だ。僕は自分に腹が立った。クリスが家の込み入った事情を僕たちにわざわざ言うわけがないからね。君はいつだって遠慮して、僕や仲間を頼ることはなかったから。…だからこそ、どうして僕は君の悩みに気づくことができなかったのかって…自分の不甲斐なさに腹が立ったんだ」
「それは…それはおかしい」
「いや、おかしくないよ。これは僕の心の問題なので、クリスがそうして否定したところで意味はない」

  初めて強い口調になったヴィリーは眼差しも心なしか強気となり、クリスを真っ直ぐ射抜いてきた。クリスはその迫力で途端に押し黙ったのだが、その影響か、ヴィリーはすぐに自ら灯した怒りの色を潜めた。

「謝らなくちゃいけないことは他にもある。君が学園を去ってから事の次第を知ったからと言って、その後に連絡を取る方法なんていくらでもあったと思う。探そうと思えば探せたよ。でも僕はそれをしなかった。とても薄情だった」
「ヴィリー、それは――」
「現に、他の寮生や、クリスとは殆ど関わりがなかった下級生達でさえ、君の力になりたいと、家を越してしまった君の行方を追った。実際、それで君の居所を見つけた彼らからは、何がしか支援の申し出があったでしょう?」
「…え?」
「そもそも、先生たちだって君の中途退学はあまりに惜しいと、幾つかの救済措置を提示したと聞いたよ。君は固辞したそうだけど」
「それは…今後家がどうなるか分からなかったし、奨学生として残るのは抵抗があって」
「君なら学費全額免除の制度を使うことだってできると言われたはずだよ」
「僕なんて…確かに先生方の親切はありがたかったけど、そこまで優秀というわけでもなかったのに、あんな特別扱いを受ける気持ちにはとてもなれなかった」
「……他の生徒たちの支援の申し出を断ったのは?」
「それは知らない…。そんな話があったことは、僕は――」

  あの頃のクリスはとにかく金策に必死だったが、実父ながら、あの無謀としか言い様のない事業に投資しようなどという物好きはいなかったように思う。
  それを告げると、ヴィリーは少し怪訝な顔をして顎先を掻いたが、「僕が聞いただけでも」と後を続けた。

「君は学園では皆の憧れの的だったし、そんな君がある日突然、本当に風みたいにパッと消えてしまったから、ショックを受けた生徒はとても多かった。だから一等級貴族の下級生達は人を使って君を探させたし、寮仲間にも、自分の親を通して、君の父君の事業援助を考えた奴がいた。……だから僕は、僕が何もしなくても、君は…まぁ、学園に戻ってくることはないにしても、きっと外でもうまくやっていけるって……そう思うことにしたんだ。何せ僕のようにカネも地位もない身分じゃ、君の力にはどうしたってなれないからね」
「ヴィリー…一体、何の話を…。僕は…アカデミアじゃ、はみ出し者で……」

  いつも独りでいることが多かった。それこそ、居場所は図書室の隅っこや学内庭園の植物園、馬舎など、人気の少ない所ばかりだったのだ。ヴィリーや寮室の近い同級生とは話もしたし、それこそ一緒に博物館へ行くことなどもあったが、基本的にクリスは単独で行動するのが常だったし、専攻した研究分野が不人気だったこともあって、教師と対面式で研究発表することもザラだった。……その学習方式のお陰で、語学は飛躍的に向上したとも言えるが、少なくともクリス自身の認識として、自分が「学園で憧れの存在」だったとか、学園を去ることで「ショックを受けた下級生がいる」などとは、寝耳に水も良いところだった。
  そもそもこのヴィリー相手でも、クリスは互いの内面まで深く語り合うような機会は持ったことがなかった。勿論、良い友人には違いない。けれども、学園を辞める際に一言も残さず去るような、そんな浅い間柄――。
  ただ、これは自分の性格が主要因としても、ヴィリーにも同じような、何というか互いに一定の距離を保っていたいというような雰囲気があるとクリスは感じていた。
  だから―…だからクリスも、ヴィリーに対してだけは少しの迷いがあったものの、結局、何を言うでもなく学園を去ったのだ。
  それなのにヴィリーは今になってとんでもないことを言い出す。

「クリス。クリスはね、自分で分かっていなかっただけで、皆からとても好かれていたよ。皆が君と仲良くなりたい、もっと親しくなりたいと思っていたんだ。でも、君がそれを望んでいないように見えたし、どこか壁があったから…。だから、暗黙の了解というかさ…。君に近づいて良いのは、そういう資格があるのは、誰もが認める秀でた点を持つ…例えば、成績上位の奴とかさ…何となく、そう言う風に決まっていったんだよ。勿論、わざわざ口に出してそんなことを言う者は少なかったけど。いや…いたかな。そうやって防波堤になっている人間も少なからずいたかもしれない、僕は関知していなかったけれど」
「ヴィリー、ちょっと待って…」
「いや、とりあえず僕に先に話をさせて。本当はこの話もするつもりなかった、他の連中のことなんてどうでもいいんだからね、僕自身は。けど、このことにも触れないと僕の話ができないからさ。つまりね、あの頃、君を助けたいと思う人間はたくさんいたんだ。本当にたくさん。けれど、その中に僕は入っていないんだ。繰り返しになるけど、君なら大丈夫だと思ったから」

  クリスに向ける目はあくまでも静かではあったが、その奥の光には明らか悲しみが灯っていた。

「君なら大丈夫って…そんな、何もしない自分自身に汚い言い訳を唱えてさ。僕にはいつでも引け目があった。君と僕は友だちだって、必死に思っていても、思いたくても思いきれない。だって僕には、君を助けるために必要なお金も地位も、何もなかったんだから」
「………そんなもの」
「そう、そんなもの、だ。その通りだよ。何もできなくても、本当の友だちなら、せめてクリスの心の支えにはなろうとかさ…せめてそれくらいはと思って然るべきなのに。そういうことは少しも考えられなかった。本当に信じられないよ…そんな風に卑屈になっていた自分がさ…。…――だけど、君は特別だから」

  何も言えないクリスにヴィリーは言った。

「クリスファー・クロスウェルは特別な人だ。どんな人間も、草木や動物たちをも魅了し、狂暴な竜とだって心を通わせることができる、支配下に置くことだってできる、神に近い存在」

  ヴィリーは一気に話した後、再び小さく息を吐いた。そして、さらに続けた。

「クリスがあのメディシス家の、しかもご当主であらせられるリシュリュー様に見初められて婚約者になったと聞いた時は凄く―…、凄く、嬉しかったし、良かったと思った。本当に、心から。そして、とても大それた言い方だけれど、それはそうだろうと深く納得したよ。アカデミアの皆も、地元の人たちもきっとそうだと思う、君にこれ以上ふさわしいお相手がいるだろうか?ってね。よく考えれば、リシュリュー様くらいの御方でないと、君に釣り合う人間なんて、少なくともこの国にはいないのだし」

  クリスはヴィリーのよく動く唇を見つめたまま、何も発することができなかった。
  一緒に笑い合ったりすることはあっても、どこか遠い存在と感じていた友人の本音。それは彼があまりに優秀で、自分がそれに並べないからこその違和感だと思っていた。
  けれど、ヴィリーにしてみれば、それはまるきり逆の話だったのだ。ヴィリーこそがクリスを畏れ、敬っていた。その感情が過ぎるが故の、「何となくの距離感」だった。互いにそんな風では、それこそ「内面を語り合える深い仲」になど、なれるわけがなかったのだ。
  ヴィリーはクリスが衝撃を受けることも予想はしていたようで、「ごめん」と謝りはした。けれど、去り際には再びあの意思のこもった強い眼差しで、「もしまたこういう機会があるのなら、今度はクリスの意思で呼んで欲しい」と言った。
  クリスはそんな彼に何と返したのか、後に思い出そうとしても思い出すことができなかった。



To be continued…



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