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　 不覚にもクリスは、リシュリューが「ジオットとお前の友人とやらは、お前を悲しませたのか？」と訊いてくるまで、自分が上の空で食事の手が止まっていることにも気づかなかった。

「……え？」

　 はたと気づいて顔を上げた時には、真正面にリシュリューの大層厳しい眼差しがあった。そこでクリスはようやく自分の不手際に気づき、慌てて身体を揺らした。その拍子、手元のフォークが床に落ちてしまって余計に焦ったのだが、リシュリューの視線から逃れられたのはその一瞬だけだ。

「ごっ、あっ、申し訳ありません！」

　 給仕のメイドは新しいフォークをテーブルに置いてくれたが、クリスは彼女に礼を言う前に「テーブルに向かって」謝罪した。リシュリューとまともに目を合わせるのが気まずかった。かといって、最早沈黙しているわけにもいかない。クリスは見るからに焦りながら急いで口をついた。

「申し訳ありません、食事中にぼうっとしてしまって」
「具合でも悪いのか」
「いいえ、大丈夫です。申し訳ありません」
「そんなに何回も謝らなくていい」

　 リシュリューは多少なりむっとした様子を示したが、声色は静かなまま、自らも食事の手を止め、改めてクリスに問いただした。

「今日は楽しくなかったのか」
「決してそんなことはありません。懐かしい友人と会うことができて嬉しかったです」
「とてもそうは見えないから訊いているんだが」

　 リシュリューは今度こそ呆れた顔でため息をつくと、「とにかく食べろ」と促した。クリスはすぐ頷き、急いでその通りしようとしたが、気持ちと動作とがかみ合わず、ナイフとフォークを握る手は自然と震えてしまった。
　 知られたくなかったから余計にそんな挙動不審な態度を取ってしまったのかもしれない。
　 クリスは今日の友とのやりとりをリシュリューに知られたくなかったし、話したくなかった。リシュリューに隠し事など、許されるわけがないのに。

「今日のことでクリスがそんな風になるのなら、ジオットは今後一切この屋敷に足を踏み入れさせないし、お前の名ばかりの友人にも然るべき処遇を考えさせてもらうが」

　 それで案の定リシュリューがそんなことを言い出したものだから、いよいよクリスは蒼白になってしまった。

「リシュリュー様…っ…」
「そうだろう？　まさかクリスのこんな顔を見る羽目になるとは思わなかった。久方ぶりの友人と２人きりの会話を楽しんで、俺は今日きっと違う意味で不愉快な想いをするのだろうと覚悟していた。しかし、どうせ不快になるのなら、そちらの方がよほど良かった。今、そのことを嫌というほど思い知っている」
「…やはり、僕がヴィリーと会うことは快く思われていなかったのですね」

　 クリスが小さな声でそう言うと、リシュリューは肩を竦めながら「そんなこと、当たり前だろう」と悪びれもせずに即答した。

「当たり前だ。嫌に決まっている。俺は誰だろうと、クリスが俺以外の人間に心を許しているところを見たくないし、いつだって気が気ではない。ただ、そういう風に思うことが間違っていると頭では理解しているから、物分かりのいい婚約者のフリをした。……それに、ここ最近のクリスはずっと屋敷の中で塞ぎこんでいて、さすがにそれを良いとも思えなかったしな」
「……塞ぎ込んでいたなんて、そんなことはありません」
「そうか？　しかし周りの人間はそう思っていたし、俺自身も、お前があのバラ園を放置したり、小竜や馬たちと会わないことが本意とはとても思えなかった」
「…………」
「俺に遠慮して、何もかもを我慢するクリスは嫌だと思った」
「リシュリュー様」
「だからジオットが、久しぶりの学友と会わせてやれと言ってきた時、嫌だったが、承知した。２人きりにさせてやれという要求にも、全く腹が立ったが許すことにした。これまで何の連絡も取らない友人など、大した間柄ではないのだろうし、今さらクリスに近づいてくるなどロクな奴ではないと思ったがな。そしてそのことに関しては、どうやらその通りだったわけだ」
「違います！　決してそんなことはありません、ヴィリーは何も悪くありません！」
「俺にとっては悪い奴だ。クリスにそういう顔をさせているのがそいつなのは間違いないのだから」
「そうではありません…っ…。そうではなくて……」

　 けれどクリスはその先の言葉を紡ぐことができなかった。リシュリューに今日のことを話さないわけにはいかない。けれど、やっぱり抵抗がある。ヴィリーに言われたことを繰り返すのは苦行に近い。何故って、話を始めたらどうしたって、またあの「大嫌いな言葉」を口にしなければならなくなるから。
　 自分は決してそんな人間ではないのに。
　 クリスが黙りこんでいると、また前方からリシュリューのため息が聞こえた。ハッとして慌てて口を継ごうとすると、リシュリューは先んじて手を振り、「やめろ」と制した。
　 そして言った。

「別に話したくないことなら話さなくてもいい。だが、少なくとも暫くの間、ジオットもその友とやらもこの屋敷には立ち入らせない。それはいいな？」

　 クリスは口を開きかけたが、リシュリューが目で「逆らうな」と言ってきているのが分かったので、辛うじて沈黙を守った。リシュリューはジオットのこともヴィリーのことも悪い風に誤解していて、それは解かなければと思うのだが口を開けない。
　 その夜はクリスにとって時間の経つのが恐ろしく遅かった。
To　ｂｅ　ｃｏｎｔｉｎｕｅｄ…
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