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  リシュリューから「クリスを外出させる」と聞いた屋敷の使用人たちは、表情こそ平静を保っていたものの、内心では相当に胸をざわつかせた。何せリシュリューが好んでクリスを外へ出すなど、これまで一度としてなかったから。例えばクリスが何の気なしに花の種が欲しいと思ったとして、それをシューマンがそれとなくリシュリューに伝えたとする。しかしそれでリシュリューがクリスへ城下町にある馴染みの店―マーサの花屋―に行くことを勧めるかと言えば、決してそのようなことにはならない。そうした場合はマーサを、否、マーサの店の品そのものを屋敷へ全移動させてクリスに好きな花を好きなだけ選ばせる。
  また、ジオットから「クリスに自由な時間をやってはどうか」と提案された時も、リシュリューは一応不承不承頷いたものの、クリスがそれでどこそこへ行きたいと希望しなかったのをこれ幸いと、その話もそのまま立ち消えにさせた。もともとリシュリューが所有する屋敷を含めた敷地が広大だから、これまでは庭仕事をしたり馬の世話をしたり、或いは小竜と戯れていれば、それだけで十分「外には出ている」ことになっていたし、ジオットが眉をひそめるような「囚われの姫」という印象は屋敷の人間たちも抱きにくかった。しかしながら、リシュリューの管轄する敷地内と、今回の「それ以外の場所への外出」とでは明らかに意味合いが違うし、つい先日、ヴァージバルによる「凶行」によって、リシュリューが言うところの「クリス誘拐事件」が起きたばかりでのこの流れは、良い兆候なのかそれとも、と。2人の幸せを願っている使用人たちは、どうにも複雑な気持ちでその準備に追われることとなったのである。



  そうして翌日早くに、リシュリューはクリスを伴って屋敷を出た。いつもは何処へ行くにも徒歩で向かうリシュリューだが、今日はクリスも一緒とあって馬車を出させている。質素な造りのそれだが、高貴な者が乗るものだとはひと目で分かる外形なのでクリスは恐縮した。ジオットには暗に「そういうことにも慣れていきなさい」と言われているが、いざ、メイドたちに着飾られ、このように仰々しい様子で見送られ、豪奢な馬車へ誘導されると、どうしても気が小さくなってしまう。「自分などが…」という考えが脳裏をよぎり、同時に昨晩リシュリューから指摘された「自己肯定感が低い」という台詞を思い起こして気持ちが暗くなる。

「リシュリュー様は、本日ご登城されなくても宜しいのですか」

  しかし馬車に乗り込んだ後、何よりも最も気になっていたことをクリスは口にした。突如として今日のことを決めたリシュリューだが、いつも多忙な身で、今日の政務についてはどう思っているのか、心配せずにはいられなかったのだ。

「クリスは自分がどこへ連れて行かれるのかよりも、俺の仕事の方が気になるのか」

  するとリシュリューが実にもっともな疑問を呈した。クリスにしてみれば前者の方が気掛かりというのは至極当然で、「自分などのことより」リシュリューの仕事の方が、要は国への務めの方が優先されるのは当たり前に過ぎることなのだが、リシュリューにしてみれば「そんなこと」である。どこまでもすれ違いな2人なのだ。
  ただ、リシュリューもクリスの考えを結局はよく分かっているので、問いただした直後にはもう自分から言葉を続けた。

「行き先は王宮だから、俺も少しは顔を出すし、政務については心配しなくていい。大体、毎日俺がいなければ回らない国など、ロクなものではない、そうだろう? ただでさえ、俺は俺を殺して毎日馬車馬の如く働いているのだから」
「お……王宮へ行かれるのですか」

  クリスが驚いて仰け反ると、リシュリューは流れる外の景色を眺めながらぞんざいに頷いた。

「正確に言うと、王宮内にある神官庁の庭だ。本来は事前に許可がなければ入ることができない場所だが、早朝、早馬で俺たちが行くことは伝えてあるので大丈夫だろう。向こうの神官長も、この俺には頭が上がらないからな」
「………」
「言っておくが、クリス。これは権力の濫用ではないぞ? あくまでも俺と神官長との関係性の上に成り立っている特例措置なので、お前が気兼ねをする必要はない」
「は、はい…」

  顔パスで普段は事前申請が必要な場所へ出入りできる時点で十二分に権力の濫用である…などということを、この場で口出しできる者はいない。ジオットなら言ったかもしれないが、クリスを外へ連れ出すことに賛成な彼は、違う意味で沈黙を守るだろう。
  そうしてクリスは馬車に揺られて、まさかこんなにもすぐまた来るとは思わなかった場所―王宮―の門をくぐることになった。



To be continued…



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