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  リシュリューと共にくぐった王宮の門は、クリスを無駄に怯えさせた。
  何せ一度目が「あれ」であったから。しかもあの時は裏の門からこっそり入って「ああなった」わけで、実際にこの表門を見るのは学生以来だ。こんな「罪深い」自分が見て良い、参って良い場所ではないと、クリスは「心の中だけで」改めて思う。そうして、王宮内で相対したあの時のリシュリューの態度を思い出し、いっそトラウマと言っても良いレベルで気持ちがズンと沈むのを感じた。本当は自分のせいで無駄な罰を受けることになった第一騎士団の人たちにもきちんと謝罪したいが、そう思うだけで、クリスにはまだその勇気が持てないでいる。何せここに立つことにすら震えを感じるほどなのだ。

「大丈夫か、クリス? どこか具合でも悪いのか」

  その体調不良の一因であるリシュリューがクリスの蒼白な顔を見咎めて心配そうに声をかけてきた。クリスはハッとし、大丈夫だと言う風に首を振ったが、リシュリューは怪訝な顔をしたままクリスの背中を優しく撫でた。

「人払いはしてあるから心配しなくていい。無駄に緊張する必要はない」
「えっ…」
「今日は王だけでなく、王妃も不在だ。だから心配しなくていい」
「………」

  それは安心する材料なのだろうかと思わずにはいられない。さらりとではあるが、以前クリスは、王がクリスに会いたがっているという話をリシュリューから、またジオットからも聞かされたことがある。全く大それた、畏れ多いことではあるが、仮にそれが真実ならば、何を置いても果たすべきことではないのだろうか。
  それなのにリシュリューは、それどころか王が不在の時を見計らってクリスを王宮へ連れてきて、何やら見せたいものがあると言う。大丈夫だと示しはしたが、本当はちっとも大丈夫ではない。今にも卒倒してしまう勢いだ。

「クリスは以前、王宮の剣技会を観たことがあると言っていたな」
「はい」
「その闘技場はここから見えるあの東塔の方角にあるが、神官庁はその逆に位置しているのだ。少し離れているが、森が見えるだろう?」
「はい。とても綺麗です」
「神官庁を見学したことはあるか」
「いいえ。神官庁はごく限られた者しか入ることが許されない聖域だと承知しています」
「ん? そんなことはない。言っただろう、事前に申請すれば誰でも入れる」
「誰でも…ということは、さすがにないのでは…」

  そもそもリシュリューは特別だし、メディシス家自体も古より王家と深い繋がりを持つ特別な存在だ。だからこうして王族が住まう王宮内にもやすやすと入れてしまうが、本来「王城」はもちろん、これから向かおうとしている「神官庁」とて、クリスのような一般人には当たり前に縁遠い場所である。リシュリューが執務を行う場所も、便宜上「王宮」と一括りに表されてはいるが、厳密にいえば武官長の執務室や騎士団の控え所、国民を招聘できる闘技場等と同様、文官長の間も、王や王妃らが住まう王城とは別の場所にある。神の代理人たる神官たちの集う神官庁が唯一王家の棲む城に最も近い場所にあり、政事とは一線を画しながらも、あらゆる面で巨大な発言権を有しているのだ。
  しかしリシュリューはその聖域をあまり敬っている様子が見られない。本当に自分などが足を踏み入れてもいいのかと躊躇しているクリスに向かって、近所の花屋へ連れて行くくらいの様相で実にあっさりしている。
  そのリシュリューは尚も言った。

「おかしいな、学園で習わなかったか? あんな所、別に誰でも入れる。神官の免状を希望する者は漏れなく毎年あそこで聖者の儀を執り行うことになっているし、2年前に神官庁長官が変わってからは、国外の者を入れる事例すら出て来た。長になった奴が元々カネに汚いから、姑息な商売をするようになってな」
「しょ、商売? 聖域で…そのようなことが許されるのですか」
「王が許可すればな。つまり、許されたからやっているということになる。どうだ、少しは気楽な場所のように思えてきたか? だからクリスもそんなにびくびくする必要はない。むしろ客人なのだから堂々としていればいい」
「………」

  何とか頷きはしたものの、やはりそれで「はいそうですか」とリラックスできるほどクリスは図々しくできていなかった。それに、リシュリューは軽く言ってくれるが、国の免状を持った神官など年に何人も出ない。ある意味、王宮の役人や騎士を目指すより難しいかもしれない、恐ろしく狭き門なのだ。間違いなく「誰でも入れる」というのは語弊がある。勿論、リシュリューを相手に、そんなことをいちいち言い返したりはしないクリスだけれど。リシュリューにとっては何もかもが「大したことではない」のだと思うと、クリスは並んで歩く隣の存在の大きさに圧倒され、足元がぐらついた。王家だけではない、やはりリシュリューも偉大な存在なのだと改めて痛感する。
 だからそれからどれくらいの間、歩いていたかも定かではないのだが―…、幾つかの門をくぐり、いくばくかの人間に頭を下げられながら進んだ先に、その神々しく荘厳な建物は姿を現した。幾重にも立ち並んだ円柱形の柱には均等に植物を模した美しい彫り物があり、それに支えられた神殿は全体が堅固な白の大理石で造られている。そして壁のあらゆるところには柱と同様の植物や竜の姿が刻まれていた。
  しかし、クリスがそれらに感嘆の息を飲む間もなく、中から数名の女官たちが急ぎ足でやってきた。そうしてリシュリューとクリスに向かって深々と頭を下げる。クリスはそれに恐縮しきりで背筋を正したが、リシュリューの方は平然と、そしてやや横柄な態度で神官長の所在を訊ねた。と、つい一刻程前に所用で出かけられたが、話は伺っているので中へと案内される。

「逃げたな」

  リシュリューはぽつりとそう呟いたが、「まぁ別にあんなものはいない方が煩くなくていい」とクリスに笑って見せた。クリスは何とも応えられず、ただそんなリシュリューを困ったように見上げるしかなかった。



To be continued…



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