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  お前が屋敷に入れないと言うのだから仕方がないじゃないかとジオットは笑ったけれど、リシュリューとしてはこの年若い叔父と会う時はいつでも憂鬱なので決して笑えない。渋面で返すだけだ。
  すでに商売の拠点は隣国へ移しているはずなのに、この実母の弟はしょっちゅう母国を訪れてはリシュリューの執務室にも堂々とやってくる。悲しいかな、名誉貴族でもあるこの叔父はその称号を与えた国王とも懇意にしている為、無下に追い返すこともできないのだ。

「そろそろ誤解も解けたのじゃないかと思って顔を出したんだよ」

  ジオットはそう言って面前の椅子に腰を下ろしたが、リシュリューは一瞥もしなかった。…が、応えねば追い払えないのも事実なので、仕方がなく声だけは発する。

「誤解などしていない」
「していただろう。クリスの優秀な学友を良からぬ輩だなどと。彼を紹介した俺ともども屋敷に出禁とは、あまりに酷い扱いじゃないか。無論、ヴィリーにこのことは伝えていないけれどね。こんな話を聞かされたら、如何な彼でも蒼白になって仕事が手につかなくなるだろうから」

  将来有望な新人をこんなことで潰したくはないしとジオットは言い、あからさまなため息までついて見せた。リシュリューは無視を決め込む。それでジオットのため息はより深くなったのだが、構わず話すと決めて来たのか、叔父は淡々と先を続けてきた。

「しかしヴィリー自身も、戻ってきた時の表情は暗かったよ。クリスが嫌がるだろうと思ったのに余計なことを言ってしまったと」
「余計なこと? クリスは特別って話か?」
「あぁ、クリスから聞いたのかい? よくあの子が話したね。良かったじゃないか、俺はてっきり、あの子は口をつぐんでだんまりを決め込んでいると思った」
「クリスは俺に隠し事をしない」

  リシュリューがむっとして答えると、ジオットの方は暫し口を閉じた後、ふいと執務室の窓へ視線を移した。今日は朝から小雨がぱらついている。この時期、オーリエンスで雨が降るのは珍しい。広大な国土にあって、比較的温暖な気候に恵まれ、農作物もよく育つ豊かな土壌を持つ国だが、1年にひと月ほど、雨が極端に少ない時節がある。今がまさにそれで、それに乗じて祭りや祝い事の類が増えるため、街はいつも以上に賑やかとなる。
  結婚式もあちこちで行われるし。

「お前たちはいつ結婚するんだ」

  今日は生憎の雨でも、街のどこかでは幸せなカップルが式を執り行っているに違いない。ジオットはそれに想いを馳せながら何となくその言葉を口にした。別にそのことを訊こうと思って訪ねたわけではない、理不尽な出禁ではあるが、屋敷の主の許可を得なければクリスに会いに行くことは叶わない。確かにヴィリーが「先走った」ところもあるだろうから、その謝罪はきちんとしたいと思っていた。だからクリスに会うため、先にリシュリューの元を訪ねたに過ぎないのだが―…。

「結婚?」

  しかしふと口をついて出たその質問は、思いのほかリシュリューの表情を険しくさせた。こんな問いかけはこれが初めてではない、すでに何度かしていることであるのに。

「何故急にそんなことを訊く」
「……急にということはないだろう。確かに俺自身、クリスの気持ちが固まるまで待つべきだ、婚儀を早める必要はないと言ったこともあるし、その想いに今も変わりはない。しかし最近の様子を見るに、そろそろしてもいいのじゃないかと思ってね」
「お前に俺たちの最近が分かるのか」
「だってクリスは明らかにお前さんを優先しているじゃないか。一時屋敷に引きこもったのだって、お前以外を見ないと決めたからだろう?」
「………」
「…違うのか?」

  難しい顔をしたまま部屋の隅一点を硬く見つめるリシュリューにジオットは静かに訊いた。この男は頑固だし気難しいし横柄だしで、確かにジオットも一時は2人の結婚を反対したい気持ちに駆られた。しかしながら、この頃のリシュリューはクリスの学友を屋敷に招きいれることも許したし、その場に自分がいないことまで同意した。この独占欲の強い男が、だ。つまり、以前より遥かにクリスのことを考えられるようになっているし、クリスもそんなリシュリューを一番に想って行動しているように見受けられたから、ジオットとしても正式な形で結ばれて良いのではと思ったのだ。そもそももう共に暮らして長いのだし。
  しかし当のリシュリューが首を振った。

「無理だな。今のままでは結婚などできない」
「……何故?」

  ジオットが一瞬言葉を詰まらせた後にそう問うと、リシュリューはここで初めて目前の叔父をじっと見据えた。

「俺が式を挙げようと言えばクリスは間違いなく頷くだろう。クリスは俺の言うことなら何でも聞く。例えどんな無茶なことを言ったとしても、応えようとするに違いない」
「はっ…大した自信じゃないか。1年以上も告白を躊躇っていた男の言葉とも思えない」
「いちいち頭にくることを言うな。…だが、確かにそうだ。以前の俺はクリスが何と応えるか、俺を受け入れてくれるか不安でたまらなかった」

  いやに素直に話すじゃないか―…。ジオットは心の中で驚き戸惑いながらも、勿論顔にはその想いをおくびにも出さず、平静に返した。

「それが今はこんなにも違う。それが、何か問題でも?」
「俺に問題はない。問題があるのはクリスの方だ」

  リシュリューはすぐさまそう言い切ってから、ふうと大きく息を吐いた。それから自らもふいと背後の窓ガラスへ目を向けて、外を眺めながらぽつりと言う。

「いつまで経っても、クリスにとって俺は仕えるべき主なんだ。屋敷の使用人たちと何ら変わらない。仮に俺が愛人を作っても、クリスは何も言わないだろう。―…むしろメディシス家の跡取りができると喜ぶかもしれない」
「……まさか」
「何がまさか、なんだ」

  リシュリューが再び鋭い眼を向けてきたことでジオットは思わず口をつぐんだ。勿論、「まさか」の後には、「さすがのクリスも、そこまでではないだろう」と言うつもりだった。確かに「人の愛し方が分からない」ことを悩んでいた青年ではあったし、どこか冷めたところ、諦観の念の強いところもある。それは認める。しかしながら、こうまでリシュリュー・メディシスという男に激しく愛されてきて、今になってリシュリューに別の人間―クリス以外に愛する者ができたら、さすがにクリスの心も揺れるだろう、そう思うのだ。それだけの関係性を築いてきているはずだから。
  一方で、それでもジオットが思わず黙ったのは、リシュリューの言いたいことも分かってしまったからだった。確かに。確かに「あの」クリスならば、仮に本心では心が揺れても、「リシュリューがそれを望んだのなら」と受け入れるかもしれない。むしろ女性の愛人など連れてきた日には、確かに、「メディシス家の跡取り」問題が解決されて安心するところもあるかもしれない、と。
  ジオットもそんな風に考えてしまって。

「……だからと言って愛人を作る気はないんだろう?」

  やっとの想いでジオットがそう訊くと、リシュリューは遂に不快の感情を全面に出して眉を吊り上げた。

「当たり前だ。この俺が、クリス以外の人間を愛せるわけがないだろう」
「だが、クリスを試すために誰か連れて来ると言う手も―…」
「そんな卑怯な真似はしない」

  ガタリと椅子を蹴って立ち上がると、リシュリューは驚くジオットに再び背を向けてため息をついた。

「とにかく式などまだ挙げられん。クリスの心を本当に開かせない限りは―…」

  言いかけて黙りこむリシュリューの背中にジオットはもう声をかけられなかった。もしかするとこの2人は、自分が思っていたよりも相当厄介で面倒な溝に落ち込んでいるのかもしれない。そう思うと、この後ろ向きな思考に囚われている甥に何と言ったら良いか、ジオットはすぐに答えを見つけることができなかった。



To be continued…



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