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  クリスは動物たちだけでなく、屋敷の使用人たちとも交流を持とうとしなかった。
  いつも日中は地下の書庫にこもるか、自室で静かに本を読むか日記を書くか。とにかく独りで静かに過ごすのだ。リシュリューの提案によって寝室を共にするようになってからは、どちらかというと地下にいることが多くなった。「リシュリューの部屋」との意識が強かった居室に独りで籠るのは何となく気が引けたから。
  とはいえ、そんな毎日がクリスにとって退屈とか窮屈というわけではない。メディシス家の地下書庫はその蔵書数も膨大なら、リシュリューの偏屈によってめったに人を入れなかったせいで、とにかく荒れ果てている。庭園へ出ていた頃から少しずつ整理を始めていたクリスだが、外へ足を向けなくなってからはその仕事に専念するようになり、これがなかなかに遣り甲斐がある。元々人と活発に過ごすより、独りで黙々と作業をこなす方が性に合っていたこともあって、クリスはクリスなりに、その作業を楽しんでいたのだ。
  また、その中においても、オーリエンスの歴史書物には一際興味をそそられた。意図せず国の中枢にいる人物―まさに歴史を動かす当人―と近しくなったこともあり、クリスは改めて多くの書物から母国の過去・現在を知り、そして未来に思いを馳せるようになった。そして、己の置かれた立場の重さについても考えるようになった。
  オーリエンスを支えているのは間違いなく、この国に根を張り、確固たる生活を築きあげてきた民衆そのものであろう。しかしながら、それらの人々を束ね、謎多き竜という生物と「契約」を交わし、この大地に平和と安寧をもたらしている王家は、明らか人智を超えた恐ろしく崇高な存在で、畏怖すら感じさせる。
  さらに言えば、その王家を支え、政事を行い、荒れた周辺国との調整役を担うメディシス家は、そしてリシュリューは、クリスがこれまで考えてきた以上に、この国にとって欠かせない人物なのだと思い知った。元々メディシス家はクリスにとっては遥か遠くに在る、生涯一度として目通るはずのなかった生きる世界の違う貴族の家柄だ。クロスウェル家も貴族には違いないが、広い領土を誇るオーリエンス出身の貴族は一等級から三等級までその地位に歴然とした差異があり、それによって就ける仕事も限られている。先日出会ったカミラに言わせれば、そのような階級制度もこの国の悪しき風習ということになるのかもしれないが、生まれた時からその環境で暮らし、そのことに対し大した疑問も抱かず唯々諾々と生きて来たクリスにしてみれば、カミラの主張こそが異端であり、突飛であり、受け入れがたいものであった。
  いずれにしろ、クリスはこの仄暗い、しかし居心地の良い書庫で学びを深めるうち、再度自分の立場というものに茫然とした。リシュリューは本来、二階級貴族の、しかも半分は異国の血を持つ、さらに言えば同性の自分などと一緒にいて良い存在ではない。あまりに己を卑下するとリシュリューが気分を害すると思うからこそ、最近ではクリスも「自分なんて」といった表現は控えているが、それが事実なのだからどうしようもない。リシュリュー・メディシスはクリストファー・クロスウェルなどという、どこの馬の骨とも知れぬ青年を正妻に迎えてはならない。例えこの国の法律やリシュリューの身内、街の人々、さらにはこの国の王さえもがそれを祝福しようとも。――実際、クリスは何故周りの人たちがこんなにも殆ど無批判で自分のことを許してくれているのか、あまつさえこの婚約を祝福してくれるのかが分からない。「お前は特別だ」と、リシュリューの友人を名乗る隣国の王子は言った。それはリシュリュー本人の口からも聞かされたことだ。けれども、それを思い出す度に、クリスは耳を塞ぎたくなる。自分は特別なのではない。特別なのはリシュリューの方なのに、と。
  再び良からぬ方向へ考えが動き出しそうで、クリスはハッと我に返り、大きくかぶりを振った。今はともかく、リシュリューが帰ってきた時にこのような態度や表情でいてはいけない。リシュリューには不快な思いをせずに、心地よく過ごしてもらいたいのだ。それに貢献することが、このようなつまらぬ者を留め置いてもらえることへの謝辞の印であるし、自分の最低限の責務である――と、クリスは思うのだ。



To be continued…




全然1200字で収まらない…新聞連載やっている作家さんてスゴイんだな(笑)。