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  ジオットが共に来ることもなく、その「友人」がクリスの元を訪ねてきたのは、リシュリューと彼について話してから数日後のことだった。赤茶けた多少癖のある髪を短くすっきりとまとめた長身のその青年は、見た目涼やかで、「商人」というよりは「貴族」の風体だ。発する言葉もはきはきと通りやすく、一目で人好きのする人物だということも分かる。
  しかしこの突然の来訪は、メディシス邸の使用人達の間で少々物議を醸すこととなった。と言うのも、「彼」はジオット直筆の書簡を持参していたものの、ジオット当人は急用だとかでその場におらず、何より、その日はリシュリューが登城していて不在だった。確か当初の予定では、クリスの友人を招くのはリシュリューがいる時にということだったし、つまり今日はその約束の日ではない。当然のことながら、表門を護る警護人たちは当惑した。この人物がクリスの友人であればもちろん失礼があってはいけないが、予定と異なる日にジオットも伴わず屋敷へ来たとなると、「偽物」の可能性も考えざるを得ない。となれば、おいそれと中へ通すわけにはいかない。そこでやんわりと日程が違うことを告げたのだが、するとその「彼」は警護人たちよりも驚き、恐縮し、自分はジオットから今日行くよう言われたが、勘違いだったのなら大変な失礼をしたと書簡だけ渡し、その場を去ろうとした。その為、さらに警護人たちはあたふたすることとなり、1人が代表して彼が持参した書簡を抱き、屋敷の責任者である執事シューマンの元へと急いだのだが――。

「クリス様。ご友人のアーベル様がお見えになられました」

  シューマンは邸内の使用人たちが当惑していることなどおくびにも出さず、しれっとした態度で地下書庫にて作業中のクリスに告げた。

「え?」

  当然のことながら、クリスはきょとんとして顔を上げた。急に言われて暫し事態を掴みかねたからだが、じわじわと入ってきたその言葉にやがて意識も覚醒し始め、「ええっ!?」と直後、珍しく大きな声が出てしまった。シューマンもそのことに恐らくは驚いたと思うが、勿論、表情は変わらない。

「あの…シューマンさん、今、何て?」
「ご友人のアーベル様がいらっしゃいました。何でもジオット様は急用とのことで、お1人でお見えにございます」
「でもリシュリュー様が…。そ、それに、こちらへ来るのはまだ先ではなかったですか?」
「クリス様にご報告が成されていなかったとは、申し訳ございません。私自ら今朝にでもお伝えさせて頂くべきでした。本日この時間にアーベル様がいらっしゃることは、私も昨晩リシュリュー様からお聞きした次第です」
「昨晩!? リシュリュー様が!? で、でも僕には…」

  朝も何も言われなかったし、いつも通りのリシュリューだった。クリスは困惑してただその場に佇むしかなかったが、シューマンはやや急かすようにちらりと手元の懐中時計に目を落とした。

「リシュリュー様からは、クリス様のご友人に対し、決して失礼がないようにと仰せつかっております。そしてこちらが、アーベル様よりお預かりしましたジオット様からの書簡にございます」
「……僕に?」

  何となく読まずともその内容には予測がついたが、クリスが急いでそれに目を通すと、想像通り、そこには今日のことを謝る言葉と、やはりリシュリューがいては積もる話もしづらいだろうから、リシュリューの不在時に彼を行かせる、そのことはリシュリューも承知しているからということが簡単に書かれてあった。

「アーベル様は庭園前のテラスにご案内してございます。リシュリュー様より、まずはクリス様が育てたバラを見て頂くのが良いのではとのお話を頂いておりましたので」
「…………」

  とにかくお着替えをと、書庫の上方からメイド達がそわそわしながら声をかけてくるのが聞こえた。勿論、シューマンはその不躾を叱ったが、クリスや他の使用人たちが当惑し、浮足立ってしまうのも道理だった。どうやらこのことはジオットを中心に、リシュリューとシューマンしか把握していない変更のようだ。警護人にまでその話が行き渡っていなかったのは謎としか言いようがないが、皆を驚かせたいと言うジオットの悪戯心なのか、はたまた、リシュリューによる「意地悪」か。つまり、突然の予期せぬ来訪人が、用心深い警護人達からどのように見えるのか、というような。
  いずれにしろ、着替えのためメイド達に早くと促されるまま、クリスは急いで歩を進めたのだが…、何とも胸中は複雑だった。隠してまで実行しなければ自分が了承しないとでも思ったのか、そんなことも思ってしまう。それに、それをごり押ししてきたであろうジオットに対して、リシュリューは果たして何を思ったのか。やはり気にかかるところはそこだ。このことを直前まで内緒にしている時点で、何をか含むところがあるとしか思えないのだが。
  久しぶりに会う友人がもうすぐそこにいると言うのに、クリスはその「彼」に関して完璧に上の空だった。



To be continued…



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