エピローグ 痛みに敏感になったのは、やはり以前の事があったからなのか。 「 …ぁ…いた…ッ」 「 えっ!」 興奮で紅潮していた顔が瞬時にはっとなる。そして思わずそう口走ってしまった雪也を心配そうな瞳が覗きこんでくる。 「 ごめ…雪、痛かったか…?」 「 あ……」 潤んだ目をゆっくりと開いて目の前の相手を見やると、その恋人はじっと子供のような視線を向けたまま半ば怯えたような表情をしていた。 「 悪い…乱暴過ぎたよな…。ごめんな…」 そう言って雪也の身体を浸食していた相手…涼一は、息をつきながらも必死にそう言って謝った。自らは未だ中に入ったままの姿勢で、慰めるように雪也の髪の毛を何度も撫でる。 「 平気…」 そっと言って雪也が片手を差し出すと、涼一の方はその手を取ってから少しだけ安心したような顔を見せた。それから努めて雪也を傷つけないように、ゆっくりと腰を奥に進めていく。雪也は堪えながらもふっと息を漏らし、やがて声をあげた。 「 あ…ッ、ひぁ…あ…ん…ッ!」 「 ゆ…き…ッ」 「 やっ…あ…ぁ、りょ…ッ!」 片手を上げたもののその行き場を探して雪也はしばし空を描き、ただ与えられた衝撃と痛みに喘ぎ続けた。声をあげる度に涼一の動きは激しさを増していった。そしてまた雪也自身も、呼ばれる度により大きな喘ぎ声を漏らしているような気がした。 そして激しく降ってくる涼一からの口付けに翻弄され、雪也は次第に何が痛みなのか何が苦しいのかも分からなくなっていき、やがてひどく心地よい気持ちになっていった。 もっともっと強く抱いて。 「 あぁ…ッ!」 「 雪…!」 声に出したわけではないのに。まるで自分の望みを知っているようだと雪也は思った。再び薄っすらと視界を開くと、涼一はもう当に雪也の事を見つめていた。 「 愛してる……」 決まりきった台詞。 自分を抱く時、涼一は恥ずかしげもなく必ずそう言った。そうしてその後必ず優しいキスをくれた。自分はそれをただ大人しく受け入れるだけ。 でも、それが。 「 涼一……涼一……」 求めるように呼んで、雪也は涼一の首に彷徨わせていた両腕をそっと回した。身体の中に深く打ち込まれていた涼一のものがより熱く波打った気がした。雪也はぎゅっと目をつむりながら、痺れを感じている開かれた両足に力を込めた。 涼一のいる浴室から断続的に流れるシャワーの水音を聞くのが雪也は好きだった。行為が終わってベッドでぐったりしている時は正直目を開くのも億劫だった。だから雪也はじっと視界を閉じたまま、ただ涼一がいるであろう方向へ耳を澄ます事を習慣としていた。自分がいる寝室は怖いほどの静寂に満ちているのに、涼一のいる所はいつでも賑やかだ。ザーザーと耳に鳴り響くその音は、雪也にはまるで異国の音楽のようにさえ聞こえる事があった。 「 雪…?」 そしてしばらくすると必ず呼んでくれるその声がある。 雪也が目を開くと、もう既にベッドの傍にまで来ていた涼一がこちらの様子を伺い見るようにしながら濡れた髪の毛を拭いていた。 「 ごめん。寝てた?」 「 ううん……」 「 お前も入る?」 「 うん……」 頷いたもののどことなくだるくて、雪也はうつぶせの格好のまま枕に顔を押し付けた状態で再び目をつむった。そっと頬に触れてくる涼一の手の感触がする。雪也がそれに促されるように目を開くと、涼一はやや曇った表情を見せていた。 「 だるい?」 「 平気だよ」 セックスとは関係なく、涼一は雪也の痛みに対して過剰に反応する。雪也の大丈夫だ、平気だという台詞を何回も聞いて、ようやく安心するようだった。 けれどこの日はいつもより更に態度がどことなくおかしかった。抱き合う前からどうも何かを言いたいのに言い出せないという様子が見てとれたのだが、いつもははっきりと言う涼一であったから、雪也も無理に問い質したりはしなかった。 けれどしきりに自分の頬を撫でたり髪の毛に触れてきたり。言い出しそうで黙りこくっている涼一に、雪也も遂に口を開いてしまった。 訊かなくては分からないから。 訊いて良いと知っているから。 「 涼一…どうかした?」 「 ………え」 「 何か言いたそう」 「 ………うん」 涼一は考えあぐねたように一瞬声を遅らせたが、やがて思い切ったようになって頷くと立ち上がり、寝室の入口近くに掛けてあったジャケットのポケットから何かを取り出して雪也の傍に戻って来た。 「 何…?」 雪也が不審に思って上体を起こすと、涼一は「これ」と言って手にしていた物を雪也に渡した。 それはネジ巻式の腕時計だった。 「 ……何?」 それを手に取ったものの、何がどういうわけなのか分からずに雪也が涼一を見上げると、相手はますます苦しそうな顔をした。 「 お前が護に会う前に…本当はその前に返そうって思っていたのに…俺、できなくて」 「 え…? 何なの?」 未だ分からずに再度聞くと、涼一はくぐもった声で言った。 「 それ…護から雪への誕生日プレゼント…」 「 え?」 訳が分からずに思わず間の抜けた返事をすると、涼一は堰を切ったように話し出した。 「 俺、ずっと前護からの誕生日プレゼントお前から取ってさ…。その後、誤って壊したって言っただろ。勝手に箱開けて…鍵とそれ入っているの見た時、かっとしたんだ。だって俺と同じもんだったし…。だから本当に力任せに投げ捨てて壊して…でも…気になって…。修理に出そうとしたら、それ外国製の何とかってやつで、直すのにすげえ時間かかるって言われて…」 「 それで、今まで?」 「 本当はもうちょっと前に直ってたんだ。でも、返すの嫌だった…。できなかった」 「 涼一…」 「 俺の捨てて、雪がそれするの見たくなかった」 「 何…言ってんだよ…」 そんな風に言って俯く涼一に、雪也はどっと力が抜けるのを感じた。改めてそのぴかぴかの腕時計を見やる。護の趣味っぽいな、と雪也はただ単純にそう思った。 「 雪…それ、する?」 「 ……するって言ったら?」 「 ………」 黙りこむ涼一に、雪也は目を細めて微笑んだ。少しだけ首をかしげ、下を向いている涼一の顔を伺い見る。 「 涼一らしくない。絶対するなって言わないの?」 「 お前は…俺がそういう事ばっかり言う奴だと思うわけ?」 「 うん」 「 ああ、そうかよ」 さすがにむっとなったようになり、涼一はふくれた顔をして見せた。 けれど、やがて。 「 ………じゃあ、するな」 涼一はしばらく考えたような顔をしてから、ぽつりとそれだけを言った。雪也は予想通りのその返答にまたおかしくなって笑った。くっくと笑う雪也に、涼一はますます不快な顔をしたが、やがてどうでも良い気分になってきたのか、ふうっと息を吐いて「どうせ俺は最悪な奴だよ」と冗談交じりに毒づいて見せた。 「 涼一」 けれどそんな涼一にようやく笑いを収めてから、雪也は真っ直ぐな視線を向けるとはっきりとした声で言った。 「 好きだよ」 その時に見せた涼一の顔を雪也はずっと覚えていたいと思った。 |
【fin】 |