「錆びついた視線」



  あなたは人の目を気にしますか。



  (1)


「 だから言っているだろう。お前とはさ、もうこれっきり」
  突然夜中に呼び出されたと思ったら、そんな風に切り出された。
「 これっきりって…?」
「 分からない? お前って本当にバカだよな。俺はさ、お前のそういう鈍いところにもいい加減イライラしていたんだよ。そういう事、お前気づいていたか?」
「 ごめん」
「 ごめんじゃねェよッ! そういう自分だけがカワイソウって感じの貧相な面もすげえムカつくんだよ! お前実際思っているだろ? 『涼一ヒドイ! ボクが一体何をしたの』ってよ」
「 別に思ってないけど」
「 けど? けど、何だよ!」
「 剣が何を怒っているのかが…良く分からないから」
「 ………全部だよ、全部」
  だからお前とはこれっきり。
「 ………」
「 雪は最後に何か言う事あるかよ?」
「 ………ないよ」
「 ………あ、そ」
「 あ…あった」
「 何だよ?」
「 貸したお金とかは…返してくれるの?」
「 ………」
「 剣―」
「 じゃあな! お前との縁もこれまでだ。明日から会っても声かけるなよ!」
「 ……………」
  いつだって。
「 自分1人、好い様にするんだよな……」

*

  桐野雪也が初めて剣涼一に出会ったのは、大学入学後すぐの事だった。
「 同じ学部だろ? よろしくな」
  最初に声をかけてきたのは涼一の方だった。人気講師が登場する少年法の授業は大勢の学生が受講希望を出していたが、その大教室の一角に座っていた雪也に、涼一は声をかけてきたのだ。偶々自分が歩いていった方向に雪也が座っていたからか、それとも初めから何か感じるところがあったからなのか、涼一は雪也に「よろしく」と言い、隣の席に座って人好きのする笑みを向けてきた。
  涼一は付属の高校からそのまま上がってきたという事もあってか、学内でもとても顔が広かった。また誰にでも屈託なく接するその明るい性格に似つかわしく、涼一はさらりとした茶系の髪にすらりとした体型を有していて、見るからに快活そうな青年だった。また涼しげな切れ長の目元はいつも何か楽しい事を探しているようで、その人懐こい容姿も皆に好かれる要因になっていた。
  勿論、そういった「皆に好かれている」云々と言った事は、当初の雪也には知る術もなかったのだが、とにかくこの剣涼一という青年は大層な人気者だったのだ。
  そんな涼一の一声が、2人を知り合わせるきっかけとなった。
「 名前何て言うの? 桐野? ふーん、下の名前は? 雪也? へえ、そうなんだ。俺は剣涼一って言うの。涼一でいいよ、涼一で。皆そう呼ぶしさ」
  涼一は未だ講師が現れない雑然とした講堂内で、雪也の顔を見ながらまくしたてるようにそう話しかけてきた。雪也は涼一が初対面だという事、また同じ学部でこれから多く接するだろう相手に嫌な気持ちを与えてはいけないという思いから、戸惑いながらも必死の対応をした…が、授業が始まる前にはいい加減疲れきってしまった。
  涼一は大層な話好きらしく、ざわついた教室内でもその音響に負けず劣らずの声で良く喋った。相手がどんな鈍い反応を返そうが、怯む事がない。マイペースな調子で実によく口を動かす。雪也はそんな相手の話を聞いているだけで神経が疲弊するのを感じた。涼一が悪いわけではない。「そういう状態」に雪也が慣れていないだけなのだが。
「 先輩が言ってたんだけど、最初はこの大教室にこんなにいっぱいいる学生が、日を追う毎に少なくなっていって、ここも段々がらんどうになってくんだってさ。その景観が爽快だって。早くそうならないかな。人の多過ぎる講義って息苦しくない?」
「 そうだね…」
「 ただここの講師って結構有名らしくてさ。講義も面白いらしいから、ここはまあ、そんなに人数も減ったりはしないのかな」
  取りとめもない話だった。初めての相手には得てしてそんなものだろう。それはいい。
  けれど。

  この見るからに「自分とは違う世界の人間」と、これから先「軽い挨拶」を交わす事はあっても、特に仲良くなっていくだろう、なれるとは、雪也は到底思えなかった。今は最初だからだ。最初だからこうやって話もしているが、多分、向こうも今日を最後にこんなにこちらに話してくる事はないだろうなと思った。
  自分のように話さない人間には。
  しかし涼一は授業が始まり、終わった後も、しつこく雪也に絡んできた。
「 なあ、一緒に飯行かない? 折角知り合ったんだしさ。まだそんな慣れてないだろ? まあ、それは俺もだけど」
 同じ講義内でも涼一の知っている顔はちらほらといるようだった。しかしその相手の誰に話しかけられても、涼一はただうまく笑顔で挨拶をするだけで、決してそちらに行こうとはしなかった。
 ただ雪也の隣で一生懸命話を振るだけで。
「 桐野ってこの大学第一志望? あ、そもそも現役? あ、そうなんだ。じゃあ俺と同じだな。何で法学部に入ったの? やっぱ就職とか気にした? それとも、何か頭とか良さそうだし、司法試験受ける? とか?」
  その間中も、涼一は雪也から目を離すという事がなかった。
  さすがに辟易した。
「 あ、悪い。俺、もしかしてうるさ過ぎた?」
  ようやく涼一が雪也の気持ちを汲んだのは、昼食が終わるくらいの時で。
  あまりにも口数が減った雪也に、涼一もようやく自分ばかりが喋っているという事に気づいたようだった。
「 ごめんな。俺、初対面の奴にはいつもこうなっちゃうんだよな。話してないと落ち着かないって言うかさ」
「 そうなんだ」
「 うん。元々喋るのが好きだって言うこともあるんだけどさ。何か落ち着かないんだよな。それに俺って沈黙が駄目なタイプだから。見ていて分かるだろ?」
「 うん」
  雪也は沈黙が好きだった。
「 あ、駄目ついでに。あと俺、すげえ寂しがり屋だからさ。はははっ。1人って駄目。落ち着かない」
「 ふうん」
  雪也は1人が好きだった。
「 元々人間がすげえ好きってのもあるんだけどさ。だからこうやって新しい奴といっぱい会える季節とかって好き」
  雪也は誰彼構わず人に話しかけるのが苦手だった。
「 だからこう…こういう新しい時はさ、俺はきょろきょろしちゃうわけ。どんな奴がいるのかなって」
  そんな雪也の思いとは裏腹に、涼一はただ喋り続けた。
「 で、知り合ったらとりあえず話してみる。そういう瞬間もすごく楽しいしさ」
「 …真っ直ぐ見るもんね、人の事」
  ようやく隙をついて一言、雪也はそれだけを言った。すると涼一はすぐにその言葉に反応して嬉しそうに笑った。
「 あ、そう! 桐野はあんまり人と目を合わせないタイプ?」
「 ああ…ごめん」
  雪也は相手の目を見て話す事が苦手だった。
「 ああ、別にいいよいいよそんなの。日本人ってそういう人多いって言うじゃん。俺は何とも思わないし。そんなのは人の勝手だし性格だからさ。まあ、何にしても」
  そこで涼一はようやく一息ついたようになり、食堂の自販機で購入したコーヒー缶を手に取って一口やった。
「 今日は桐野みたいのと知り合えてラッキーかな」
  そうして、多分今まで多くの人間にそうしてきたのだろう、実に爽やかな笑みを見せて涼一は言った。なるほど、悪い人間ではなさそうだった。気楽に友達付き合いをするには、いい奴かもしれない。
「 …………俺も」
  けれど、そうは応えつつも、雪也はやはり「違う」と思った。自分と、この剣ととでは。
「 でも俺、あんまり喋らない方なんだけど」
  やんわりそう言うと、向こうは全く意に介していないようにあっさりと返してきた。
「 別にいいじゃん。俺は気にならないけど?」
「 ……………」
「 色いろいるから面白いんじゃん、人間なんてさ。だからさっき言ったろ? 俺って好きなんだよ。色いろな奴と知り合うの。だからこうやって日々探索するわけ。どんな奴がいるのかなってさ」
「 ……じゃあその探索に引っかかっちゃったんだ、俺」
  多少の厭味を込めてそう言ったのだが、涼一は気づかなかったらしい。まるでいたずらが見つかった子供のような無邪気な顔をして、再びにやっと笑んできた。
「 そうそう。もうばっちり引っかかった。真っ黒だし、目立った」
「 ?」
「 髪」
「 あ、ああ……」
  涼一に指を差されて雪也は自分のまるで手を加えていない黒髪に触れた。少しだけ伸びたかなとふと思う。涼一はそんな雪也を再びまじまじと見やってから、続けて言った。
「 それに桐野は俺とタイプ違いそうだったし」
「 え……」
「 思わない? 自分とは世界が違うって」
「 ………思うけど」
  何だ、コイツも自分と全く同じ事を感じていたのか。
  「違う」と。
  雪也が意外だと言わんばかりの顔で視線を送ると、そこには未だに柔らかな笑顔のままの涼一がいた。そうして、テーブルに頬杖をついたままの格好で、一言。
「 俺らって、結構合うと思うよ」
  その言葉通り、それ以降2人はよく行動を共にするようになった。

*  

  引け目を感じていたわけではないが、「年相応の格好」というものが、雪也にはよく分からなかった。そもそもそういう事には全くといって良い程無頓着だったから、雪也は当初、センスの良い涼一と一緒にいる事を恥ずかしいとすら感じた。

  涼一とは何もかもが正反対だと思った。
  髪が短いという点は同じだったが、髪を染めるのは嫌いだった。自分に古風なところがあるとは思わなかったが、日本人なのだから黒い髪そのままでいいではないかと思っているところは確かにあった。
「 雪也さ、髪染めてみれば。もっと明るい色にしたら顔も明るくなるしさ」
  悪気はないのだろうが、涼一は雪也の顔をまじまじと見てはよくそう言った。
  雪也自身、自分で自分の事を地味な顔だなと思っていた。別段周囲に顔を背けられるほどの酷さではないのだろうが、ぱっとしない平凡な顔には違いないと思う。顔だけではない。外見も中身も、取り立てて目立つところのない人間だと、雪也は自分自身でそんな評価を下していたのだ。
「 雪也のさ、好きな事って何?」
  涼一はそういう事もよく聞いてきた。涼一はとても多趣味で、スポーツは一通り何でもこなすと言っていたし、週末は暇さえあれば何処へでも行きたがった。本当に忙しない青年だった。雪也も散々それに付き合わされ、色々な所へ無理やり同行させられた。
  何をする時も涼一は雪也を誘い、雪也がどんなに気乗りがしなくて嫌そうな顔をした時でも、強引に引っ張るその手を緩めはしなかった。
  学内の誰もが「涼一と桐野は大親友」と思っていた。積極的ですぐ外へ向かう人気者の涼一と、多少控えめで従順な雪也。互いにないものを補い合って釣りあいが取れている、気も合うはずだと周囲は言った。

  そうして、あれはいつの事だっただろうか。夏休みが始まるほんの少し前。
  その日も共に遊ぶ約束をしていた2人は涼一の部屋で映画を観ていて。
  その合間に、涼一は実に何気ない口調で言ったのだ。


「 俺、雪の事好きみたいなんだけど」
「 好きって?」
  訊き返すと、涼一は憮然とした顔をしてからめげる事もなく再度繰り返した。
「 そのままの意味だよ。好きは好き。ああ、それとも、『アイシテル』の方が分かりやすい?」
「 ………」
「 雪のこと親友だと思っていたけど、親友とセックスしてみたいとは思わないだろ?」
「 ………」
「 あれ、声も出ない?」
「 してみたいの?」
「 何?」
「 だから……」
「 あ、セックス? そう、雪としてみたい。前から何かそういう風に思ってた。あ、言っておくけどな、俺、男とはないよ、そういう事。雪が最初。雪だからそういう風に思うんだと思う」
「 ………どうして」
「 だからーっ。好きだからだろ、そんなの。いつもの事ながら雪は反応が鈍くて何考えてんのか分からないな」
「 ……………」
「 いいだろ? 雪? だって俺、雪が好きなんだから」
  どういう理屈なのか分からない、けれどそうして当然だという風に涼一は言った。
  雪也は自分に抱かれて当たり前。自分を好いて当たり前。
  何故か涼一は頑なにそう思っているようだった。

  そうして雪也は、その日流されるままに涼一と一夜を共にしてしまった。

「 な、雪。雪はもう俺の恋人な」
  そして散々自分の好いように雪也を抱いた後、涼一は嬉しそうにそう言った。雪也が自分の発言を否定するなど微塵も思っていない様子だった。
「 雪だって俺しかいないだろ?」
  それも当たり前のように吐かれた台詞だった。どこからそんな自信が沸いてくるのか。雪也は涼一にぎゅっと痛いくらいに抱きしめられたまま、相手の浮かれた声をぼんやりと聞いていた。それから、涼一ってこんなに力が強かったのか、と何となく思った。涼一よりも身体が小さいのだと意識したのも、その日が初めてだった。
  2人の「恋人」としての付き合いは、それから冬が終わるまで続いた。



『 だから言っているだろう。お前とはさ、もうこれっきり』


  だからだろうか。
  付き合いも突然だったから、こうやって別れの時が突然きても、雪也自身にはそれほど衝撃やショックといったものがなかった。呆けていたせいで涼一の台詞を何となく聞き返しはしたが、それでもその言葉の意味はすんなりと頭に入っていった。

『 お前って本当にバカだよな』
 
  あの、いつも人を卑下したような目で言うそんな悪口も。もう慣れっこだった。

『 俺はさ、お前のそういう鈍いところにもいい加減イライラしていたンだよ。そういう事、お前気づいていたか?』
 
  多分、気づいていた。だから咄嗟に謝った。それも当人の神経を大層逆撫でしたような感じではあったが。
 
  お前とは、これっきり。

  そもそも今まで一緒にいた事自体、そもそも涼一が最初に自分に話しかけてきた事自体、雪也には理解できない事だった。不自然な事だった。だからこれが自然の事。これでいい。1年間、少し妙な経験もしてしまったが、2年が始まるこれからが、これからこそが自分の「まっとうな」大学生活なのではないか。これから始められるのではないか、何もかもを。
  雪也は涼一に別れを宣告された後、ごく自然にそう考える事ができた。
  剣涼一。
「 本当、変な奴……」
  雪也はそれだけをつぶやくと、呼び出されて冷えた身体を庇うように、ぎゅっと両腕を組んで息を吐いた。

  ちょうどその時―。

「 あ……?」
  暗い夜道の中、白い影がゆらりと揺れた。
「 誰……?」
  思わず口元だけでそう言うと、本当に人の影かもはっきりとは認知できなかったそれはふっとその姿を現し、雪也の方にその視線を送ってきた。
  女の子。
「 ……!」
  真っ白なワンピースを着た、栗色の長い髪を二つに結ったその少女は、くるくるとした丸い目を雪也に向けていた。こんな夜中に、こんな寒空に、何故こんな子が歩いているのだろう。そうは思ったが、雪也が声をかける前にその少女はたっと駆け去ると、そのまま通りの向こうに消えてしまった。
「 ………どうしたんだろう」
  何か悲しい事でもあったのだろうか。
 
  その少女は、どことなく泣いているようだった。



To be continued…



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