(29)



  朝起きてすぐに掛けた電話にも母は出なかった。
「 毎日電話しろなんて言って…」
  実際に母が目の前にいないからだろう、雪也は簡単に不平の言葉を吐くことができた。けれどその後はやはりただため息が漏れてしまった。同じ部屋で寝ていた涼一やうさぎを起こしてしまっては悪いからと外の廊下で電話を掛けたが、それも必要のない事だったなと思う。

「 悪いけどさ。俺はお前と付き合っているなんて思ってなかったから。そういう事言われても困る」

「 ……?」
  その時、静かだったはずの客間から不意にどことなくぶっきらぼうな涼一の声が漏れ聞こえてきて、雪也は首をかしげた。
「 は? だからどうだっていいだろうが、俺が何処にいようと! あ? …ああ、そうだよ。そうだよ、お前だって同じだろ、そんなの」
「 ………」
  このまま障子を開いて中に戻ってもいいものだろうか。そう思いながら雪也が躊躇していると、不意にがらりと戸の開く音がして中からうさぎが飛び出してきた。
「 あ…っ」
  意表をつかれて雪也が一歩後退すると、大きめのTシャツにスウェット・パンツをはいたうさぎは、じろりと大きな瞳を一瞬だけ向け、あとはだっと居間の方へと駆けて行ってしまった。
  うさぎの背中を追った後、雪也がはっと息をついて視線を前に戻すと、そこにはこちらを真っ直ぐに見やりながら耳に携帯を当てている涼一がいた。もろに目があった。しかし涼一は表情を変えずに電話の相手に対して口を開いた。
「 ……分かった、分かった。ああ。ああ、うん。だからそういうわけだから。え? だからそういうわけだから! …じゃあな」
  そうして涼一はどことなく投げやりな態度で相手にそう言いきると、そのまま乱暴な所作で携帯の電源を切った。それから壁に寄りかかったままの体勢で改めて雪也を見つめてきた。片足だけを伸ばして座ったままの涼一はまだ半分目が覚めていないのか、やや眠そうな顔をしていた。
「 おはよ」
  それでもそう言ってきた涼一の声に、たった今電話の主に話していたような不快なものはなかった。
「 おはよう…」
「 何処行ってた?」
「 すぐそこ…家に電話…」
「 ………」
  素直に答えた雪也の言葉に涼一は最初何の反応も示さずにいたが、座ったままでも十分外を見られる大きなガラス窓の方へふいと視線をやると、素っ気無く言葉を継いだ。
「 何だって、お袋さん」
「 いなかったんだ」
「 昨日は?」
「 昨日も」
「 ふうん…」
  淡々とした受け答えが続き、それから涼一はいきなりハアとため息をついた。それから雪也の方は見ずにぎゅっと黙りこくった。
  外は実に良い天気で、2人のいる客間には明るい日差しが眩しいくらいに注ぎこんできていた。
「 涼一は……」
「 え?」
  だからだろうか。雪也は温かい日差しの中に身を置きながら、自分から距離を取っている涼一に声を掛けていた。
「 今の電話、何」
「 何って?」
「 あ…誰と話していたの?」
「 ………気になるのか?」
  涼一は意外だと言わんばかりの顔で雪也を見てから、手にしていた携帯をごろんと傍に投げ捨て素っ気無く言った。
「 知らない」
「 え……」
「 名前」
「 名…前?」
  雪也が意を理解し得ないという風に眉をひそめると、そう答えた方の涼一も何やら不快な顔をして言った。
「 俺、病気みたい。名前、すぐ忘れるんだよ。結構一緒にいたはずなのにさ…。顔も知ってる。なのに、名前が出てこない」
「 ………」
「 どうでもいいんだ。向こうは何かごちゃごちゃ言ってたけどさ…。俺は好きじゃないんだよ、あんな女……」
「 涼一……」
「 俺、前はこんな奴じゃなかったのに」
  そうして涼一はどことなく自嘲気味に口の端をあげると、それから身体を揺らして再び窓の外へと視線をやった。そこからすぐの景色は昨夜創が言っていたように裏山となっていたから、見えるものと言えば鬱蒼と茂る木々の色だけだったのだが、涼一はそれを物珍しそうにただじっと見やっていた。
  雪也はそんな涼一を黙って見つめた。
  涼一に電話を掛けてきた人物の予想はついた。大体涼一は、雪也とは距離を取ってその電話の主…ユカリと付き合ってみると言っていたのだ。現に大学ではよく一緒に行動しているところを見たし、こうして旅行には誘ったものの、本来ならこの連休を涼一と過ごすのは彼女だったとしてもおかしくはなかった。仮にそれがなかったとしても、本来の涼一ならば藤堂らサークル仲間と時を過ごしても良かったはずだ。涼一は雪也などと違って元々人当たりが良く、周囲の人気者だったし、涼一も「外との付き合い方」というのを実によく心得ている人間だった。だからその「本来」の涼一なら、たとえそれほど好きではない相手に対してでも、今の電話のような冷たい態度を取ったりはしないはずだった。
  つまるところ、涼一が自身で言った「前はこんな奴じゃなかった」というのは、そういう事なのだ。涼一をこんな風にしてしまっているのは自分のせいなのだと、雪也は自分なりに理解しているつもりだった。だからこそ、後の言葉を続ける事が雪也にはできなかった。そしてただ一つの事だけが頭の中をぐるぐると巡り回っていた。
  どうして自分は涼一をこの旅行に誘ってしまったのだろうか。
「 でもさ」
  雪也が思案していると、不意に当の涼一が口を切った。
「 本当は…これが本当の俺なんだよな。勝手でさ…自分にとってどうでもいい人間の事は本当に…本当にどうでもいいんだ」
「 そんな…」
「 藤堂あたりは知っているよ。ほら俺、時々アイツに当たるだろ。俺の黒いところっていうか。本音っていうか。あいつは知っている。それに…」
  言いかけて涼一は一旦言葉を切り、しかしそれでも雪也の事を改めてじっと見つめると言った。
「 雪も」
「 え」
「 俺がこういう奴だってこと、お前は知っているよな」
「 ………」
「 お前が知りたくなくても俺が見せちゃうからさ」
  そして涼一ははははと1人で笑ってから立ち上がり、「あーあ、眠いな」とつぶやいてから雪也の横を通り過ぎ、1人居間の方へと向かって行った。
  その背中を雪也はしばらくの間じっと眺めていた。


*


  朝食の後、創は「この町唯一の観光名所に案内する」と言って雪也たちを外へ連れ出した。叔母夫婦は朝から町内の寄合に参加して不在、祖父は徹夜明けで朝食を食べた後はすぐに寝室へ閉じこもってしまったから、共に外に出たのは創以下、雪也と涼一、それにうさぎの旅行メンバーだけだった。
「 なあ、結局那智さんどうした? 大丈夫か?」
  玄関に鍵を閉める創の背中に涼一が訊いた。雪也が訊きたくても我慢していた事を涼一はズバリと発したのだった。
  那智は朝食の席にも現れなかったし、創たちの口からも話題にのぼる事がなかった。昨夜、突然家を飛び出てしまった那智がその数時間後に叔父の運転する車で創と共に帰ってきた事を雪也は知っていたが、玄関先に顔を出す事はしなかった。
  して良いか分からなかったから。

「 昨日は随分遅くに帰ってきたじゃん」
「 知ってたんだ」
  創が心の内で密かに驚く雪也を代弁するように言って、物珍しそうに涼一を見た。涼一は周囲でばたばたと走り回るうさぎを鬱陶しそうに眺めながら頷いた。
「 そりゃ気になるだろ。普通」
「 案外優しいんだね」
「 はあ? お前…本当ヤな奴だな」
  創の台詞に嫌なものを感じたのか、涼一は腹立たしそうな顔をしたが、創は涼しい顔をして「ごめんごめん」と言った後、先を歩き始めてからくすりと笑った。


  人気のない田舎道は陽気な日和の中、真っ直ぐに伸びていた。近くの海岸から聞こえる波音や潮の香りも昨日と全く同じ、優しく穏やかなものだ。雪也たちは創の歩くペースにあわせてそんな長閑な風景を眺めつつ、ただどこともしれぬ場所を目指して歩を進めた。涼一はやはりどこか眠そうにとろとろとした足取りで1番後ろを歩いていたが、うさぎは畦道やぽつぽつと見受けられる藁葺き屋根の家が珍しいのか、きょろきょろとしきりに辺りを見回しながら、創の前や横を忙しなく行ったり来たりしつつ歩いていた。
「 ああ着いた。あれだよ桐野君」
  そうして家を出てから20分ほど経った頃、創が数十メートル先に見える石の門を指差して言った。それは昨夜叔母が「那智が行けばいいのに」と言った、戦前からあるという小さなお寺だった。
「 うっわ、ボロイ」
  入口の石門は遠目では分からなかったが、近くで見るとそこに刻まれているはずの寺の名まで苔で覆われはっきりとは見えないというような、みすぼらしい様相を呈していた。そこから更に本堂まで歩く道は鬱蒼とした竹林と橡に覆われた砂利道で、昼間だというのに何処となく薄暗かった。
「 すげえ何か出そうじゃん。あるの? 客引き用の怖い話とか」
「 剣君、君、かなり失礼な事言っているけどね。ここは曹洞宗の…」
「 俺、寺になんか興味ないもん。暇だから来ただけだし。あ、すげえ、猫がたくさんいる! 何こいつら、全然逃げない!」
「 ……剣君ってあまり人の話を聞かないよな」
  創は雪也にぼそりと言ってから諦めたように先を歩き出した。しかしその途中、寺の管理をしているという年配の小柄な婦人が創の姿を見つけて嬉しそうに声をかけてきたので、雪也と涼一は彼を置いて先へ行く事にした。
「 あー鐘。封鎖しているよ、何でかね。あれじゃ鳴らせないじゃん」
  涼一はつまらなそうに言ってから、大きな錠前付きの柵で囲まれた巨大な鐘を見上げた。
  寺自体の規模はそれほどではなかったが、2人がたどり着いた敷地はその金属製の鐘を含め、本堂をぐるりと取り巻くように立ち並んでいる巨木が実に印象的な場所だった。寺に付随してあるはずの別舎は雪也たちがいる所からは見えず、木々に囲まれ静寂に包まれたそこは、一種独特の雰囲気を有していた。また、木造のお堂の頭貫き辺りに施されている色鮮やかな彫り物にも2人は目を奪われた。

「 ……表はボロイけど、中は確かに観光名所って言うだけあるな」
  涼一はその彫り物に目を凝らしながら感心したように言った。そうして雪也に振り返ると、「これ、孝行絵図ってやつだろ」と言ってそこに表された絵柄を指差した。
「 何?」
  雪也が分からずに首をかしげると、涼一は自分たちの頭上にある一つの絵を指して言った。
「 あの牙を剥き出しにしている木彫りのトラの左横。子供が両手を出して立ちはだかっているだろ。で、そんな子供の後ろに女が座っているよな。あれはあの子供の母親。自分のお袋がトラに喰われそうになったもんだから、子供が親を食うなら自分を喰ってくれってトラの前に飛び出したわけだよ。そういう昔話、読んだことない?」
「 知らない…」
  雪也が言うと涼一は「あ、そう」と別段何ともないように言ってから再びトラの絵を見上げて言った。
「 で、そんな子供を見てあのトラは『こんな親孝行な子供は食えない』って言って帰って行っちゃうわけだよ。めでたしめでたしだな」
「 ………」
  涼一の声を耳に入れながら、雪也はぼんやりと頭上の彫り物を見上げた。
  母親をかばって獣の前に立ちはだかる子供。
  雪也にはトラと対面している人間の絵が目に入っただけだったが、なるほどそう言われるとそんな話なのかというのが分かってくる。子供の顔は恐ろしい獣を前にしても毅然としているように感じるし、恐ろしいはずの獣はそんな子供にどことなく威圧されているような風貌に見えてくる。
  それでは母親は。
「 あの母親…庇われているって感じがしねえなあ…。何か当然って顔してないか?」
  涼一が雪也の思いを代弁したように言った。ちくりと胸が痛んだ。
「 しかし剣君。よく知っていたね」
  声に驚いて振り返ると、いつの間にか遅れてやってきた創が2人の背後に立っていた。創は眼鏡をくいと指で上げてから自分もその彫り物を見上げると、続いて建物の右側面の方を指差して言った。
「 この寺にはそういった昔話が他にも何話かあってね。それがこの建物の柱や屋根の辺り一面一面に細かく彫られているのさ。向こうの建物にも別の話があるよ。でもこのトラの話は、まあ1番有名なやつかな」
「 だよな。俺、どっかの本で読んだ事あったからさ」
「 君、本なんか読むんだ」
「 ……悪かったな」
  涼一はむすっとしてふいと視線を逸らし、それからふと気づいたようになって「うさぎは?」と言った。
「 ああ、那智姉さんと井戸を見に行ったよ」
「 え? あの人も来ているのか?」
  涼一が驚いたように訊くと創は頷き、巨木の間をぬってひっそりと続いている小道を指差した。
「 ここの寺、領地の殆どが林でね。地蔵様でさえ木の上にいるんだよ。…ってまあ、地蔵様の事はいいとして…色々と面白い古い言い伝えが残っていてさ。あの林の奥にある古井戸もその一つで、そこへ行くと自分の未来が見えるんだよ」
「 は?」
  涼一がぽかんとした顔で問い直すと、創は何でもない事のようにもう一度自分の言った言葉を繰り返した。
「 姿見の井戸って言われていて、自分の未来の姿が見えるんだよ」
  そして創は訊いている涼一に答えているはずであるのに、何故か雪也の方を見て言った。雪也はそんな創の視線に戸惑いながら、その井戸があるという小道に目をやった。
「 行ってみる? もっとも、効果は夜の0時じゃないとないけどね」
「 ん、どういう事、それ」
「 未来の姿が見たかったら、この鬱蒼と茂る林の中を夜の0時にやってきて井戸の前に立ち、それから閉まっている木の蓋を開けて身体を乗り出して…中を覗かないといけないのさ。その際、絶対必要なのは懐中電灯と月の光だよな。満月じゃないとちょっと暗いかも」
「 なーんだよ、条件厳しいなあ」
  毒づく涼一に創は柔らかく笑んだ。
「 でも神秘の井戸だから。もしかすると光なんかなくても見えるかもね」
「 くだらねえ。じゃあ今行っても意味ないじゃん。那智さん、何でわざわざこんな昼間にそんな井戸に行くわけ?」
「 見られないから、行けるんだろ」
  その台詞に雪也はどきんとして咄嗟にそう言った創を見やった。創は相変わらず涼しい顔をしていたが、ふと思い出したようになると付け足しのように言葉を継いだ。
「 でも必ずしも、先ばかりが見えるわけじゃあないらしいんだ。人によっては見たくない過去とかが見えたり…ね」
  創はそう言ってからすっと先を歩き始め、後は何も言わずに自分が指差した小道に向かい出した。その後を「くだらない」と言いつつも涼一が続いた…が、振り返って雪也がついて来ていない事に気づくと、途端に不審の声をあげた。
「 どうした雪? 行かないのか?」
「 え………」
  雪也は茫然としていた意識をはっと戻して涼一を見たが、それでもすぐにそちらへ行こうという気持ちがしなかった。
  井戸を見るのは怖いと思った。
「 雪…? あ、雪ってこういの嫌いだっけ? そういや映画は好きなくせに、前俺が『リング』観ようって言ったら嫌がったよなあ」
  半ばからかうようにそう言った涼一だったが、とことん反応の鈍い雪也にいよいよおかしいものを感じたのか、ふっと口をつぐんで黙りこくった。
  創は2人を待つ事なく先へ行ってしまったので、その場には涼一と雪也だけが残された。

「 ……雪が行きたくないなら俺も行かないけど?」
  何も言わない雪也に仕方なく涼一がまたも先に声を出した。雪也は自分でも何にこだわっているのか分からないが、どうしても動かない足を不審に思いながらただ下を向いていた。
  自分の未来が見える井戸。そして。
  自分の過去が見える井戸。
  そんなものがこの世に本当にあるわけはないと頭では分かっているし、仮にもしそれが本当にあったとしても、夜の0時にならなければ効力を発揮しないというのだから、とりあえずはその曰くつきの姿だけでも見ておいた方が得というものだった。
  それでも雪也は那智やうさぎのようにそこへ行こう、行きたいとは思わなかった。

  コワイ。

「 雪……」
「 あ…」
  いよいよ様子のおかしい雪也に涼一がすぐ傍にまで近づいてその顔色を伺ってきた。雪也は涼一が間近に来るまでその事に気づかなかったから、顔を上げて思わずぎょっとしてしまった。すぐに視線を逸らし、ごまかすように口を開いた。
「 な、何でもないから…。涼一は行っていいよ」
「 行かねえよ」
  きっぱりと即答する涼一にドキンとして、雪也は無意識のうちに後退した。すぐに涼一が接近して間を詰めたから、2人の距離は広がらなかったのであるが。
「 雪、行かないんだろ?」
「 お、俺は別に見たくないから…」
「 じゃ、俺も」
「 りょ、涼一は…見たいだろ?」
「 何を? 自分の未来? 過去? 別に」
  涼一はまたすぐに答えてから、どもり出した雪也をじっと見つめた。それで雪也はますますうろたえて動揺してしまった。今の自分を見られているのがどうしようもなく窮屈で仕方なかった。
「 過去なんか」
  すると涼一は言った。
「 別に見たいと思わないし。どうでもいい。どうせ俺が見ちゃう昔なんて、雪のいない、つまらない時代の、どうでもいい適当な自分しかいないし」
「 りょ……」
「 未来だって」
  不意に涼一は雪也の手首をぐいと掴むと、ふっと顔を近づけて囁くように言った。
「 もしそれが雪のいない風景だったら…そんなもん怖くて見てらんねェ…」
「 涼一……」
「 なあ、俺は……」
  そして涼一は何かを言おうとして、しかしぐっと堪えるような顔をしてから黙りこくった。そうしてじっと挑むような視線をぶつけてから、雪也の唇にそっと触れるだけのキスをした。
「 涼…」
「 雪」
  雪也に言わせないで涼一は言った。

「 あの時…一緒に暮らそうって…一緒にいようって言った…言ったよな。俺は本気だった」
  雪也がはっと目を見開くと、そこにはとても悲しそうな涼一の顔があった。
  あの日あれから3日間、2人はずっと一緒にいた。けれど荷物を取りに一旦家に帰した雪也を涼一が迎えに来る事はなかった。護との事や母から言われた事、それによって蘇った過去の記憶とに心が支配されていたから、身動きが取れなかったから、雪也はその間に自分から離れて行った涼一に心を配る事ができなかった。だから「一緒に暮らそう」と言った涼一が久しぶりに顔を合わせた時に「ユカリと付き合う」と言い出した事も、恐らくは自分の相手をするのが疲れたからだろうと勝手に思い込むだけで、雪也はその理由を訊く事をしなかった。できなかった。
  訊いて良いか分からなかったから。
  けれど、それなら、何故。
「 涼一、俺……」
  何故自分は、何故涼一をこの旅行に誘ってしまったのだろうか。
「 雪」
  涼一の声が雪也の耳に響いた。
「 今だって俺は…お前さえ言ってくれれば…」
「 ………涼一」
  けれど雪也が涼一に口を開こうとした、その時。

  プルルルル……。

  粗雑な機械音が2人の間で鳴り響いた。雪也のズボンの尻ポケットに収まっていた携帯が鳴ったのだ。意表をつかれ白けたムードが一瞬のうちに舞い降りてきて、雪也はその空気をごまかすように慌ててそれを取って開いた。そしてすぐさま飛び込んできた着信番号に目を奪われた。
「 ………」

  そこに映っていた数字は、母の携帯番号だった。


To be continued…



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