(4)



  レンタルビデオショップ「淦」の引き戸を開けると、店の中から映画「風の谷のナウシカ」のイメージソングが軽やかに流れてきた。
「 ……何だ?」
  戸を開けた背後にいた涼一は、その何とも時代外れな、そしてやはりその場に不釣合いな音楽に眉をひそめた。
「 何なんだよ、この店?」
  自分にそんな事を言われても困ると思いながらも、敢えて不満たらたらの涼一には取り合わず、雪也は1人さっさと店の中へ足を踏み入れた。
  まだ午後の講義が残っていたというのに、涼一は「ヨーロッパ史」の授業が終わるや否や、雪也を強引に自分のマンションへと引っ張って行った。そうしてそこの駐車場に停めて置いた自分の車に雪也を押し込むと、涼一は「その客に合ったビデオを貸す」というこの店まで黙って車を走らせたのだ。
  雪也はそんな涼一に、ただ従ってしまった。
「 こんな所に建っていて儲かるのかよ」
  涼一がぶすっとした声でつぶやいた。雪也はそんな涼一を再び無視して、真っ直ぐにレジのあるカウンターへと向かった。
  しかしそこに、昨夜いた創の姿はなかった。
「 いらっしゃい」
  創がいない事で肩透かしをくらったような顔をした雪也に、そう言って気さくに声をかけてきたのは、年は二十代後半かと思われる女性だった。黒く長い髪を後ろに一つで結わえ、昨夜の創と同じ黒縁眼鏡をかけている。とりたてて目立たったところのない、地味な顔立ちをした女性だった。
  しかし彼女は客商売の何たるかを心がけているのかにこりと笑い、座っていたパイプ椅子から立ち上がると丁寧に頭を下げた。

  もっとも顔を上げた先にあった笑顔は、どことなく無理をして作っているような感じだったのだが。
「 何かお探しですか」
「 あ…あの……」
  雪也が言葉を出そうとすると、 しかし背後にいた涼一がさっとやってきて先に口を出した。
「 ここのビデオ屋って、客の顔見てその人に合った映画を出してくれるんですか」
「 え?」
  女性は涼一のその台詞に、思い切り面食らったような顔をした。雪也が焦って涼一を振り返ると、訊いた当人は至極平然とした様子で続けた。
「 コイツがそれで昨日タダでビデオ借りられたって」
「 剣…っ」
  ぶっきらぼうな言い方を責めるように雪也は声をあげたが、涼一の方はやはりけろりとしていた。
「 だってホントだろ?」
「 あ…また創が勝手に…!」
  涼一と雪也の言い合いを聞いて、女性は独り言のように創の名をつぶやくと、苦虫を噛み潰したような顔をした。それからすぐに困惑したような笑みを2人に向け、申し訳なさそうに頭を下げた。
「 すみません、それをやっているのは創…昨日の子だけなのです」
「 あ…あの人、アルバイトなんですか」
  雪也が柔らかい口調で訊ねると、女性は再び小さく笑って頷いた。
「 うちの親戚筋なのでお手伝いみたいなものなのですけど…。バイトはバイトですね。この近くに住んでいるものですから、いつも空いた時間に入ってもらっているのです」
「 そうなんですか」
「 …あ、あの…あなた桐野さんですよね」
「 え…?」
「 何で知っているんですか」
  涼一が雪也の前に割って入ってきて女性に訊いた。雪也は自分の身体を押しやられるようにして出て来た涼一に再び顔を歪ませたが、幸い相手にはその顔を見られる事はなかった。
  そんな雪也には構わず、女性は涼一に向かって丁寧に答えた。
「 ご近所ですから。私、桐野さんの家近くなども犬の散歩でよく通るのですけど、よくお掃除しているのを見ます。それに桐野さんってこの辺りでも評判なの、知っていました?  いつもゴミ置き場の当番なんかの時も、お母さんじゃなくて息子さんがやっているって」
「 そ…そうなんですか…」
  知らなかった。
  元々近所付き合いなどないに等しかったから、周囲の視線など気にした事はなかった。家の周りで井戸端をする主婦たちも、自分の家とは無関係の事を話しているのだとばかり思っていたし。しかしやはり狭い社会ではそういう事はどこででもあるものなのだなと雪也はぼんやりと思った。
「 だっせえ。お前そんな事していたのかよ?」
  その時、涼一が呆れたように言う声が雪也の耳に飛び込んできた。
「 さすが真面目な雪君だよな。律儀に町内の掃き掃除なんて」
「 う、うるさいな…」
  さすがにウンザリして雪也が抵抗の言葉を吐くと、しかし涼一はそれで益々調子に乗ったようになって皮肉な笑みを浮かべた。
「 ま。お前にはそういうの似合っているよ。料理も洗濯も掃除も大好きだもんな? 所帯じみていて、いい嫁さんになるんじゃないの」
「 剣…!」
  自分に対する絡み方といい、「嫁さん」うんぬんの発言といい、もしこの目の前の女性に妙な事を思われたらどうしてくれる、と雪也は気が気ではなかった。それなのに涼一はそんな雪也の心配を知っていて、敢えて面白そうに挑発している節があった。
  しかし幸い、目の前の女性は涼一や雪也に対して不審の目を向けてくる事も、からかいの表情をする事もなかった。 女性は2人が目的としてきた事を叶えてやれない事をただ申し訳なく思っているようだった。
「 あの…創は多分、今日も深夜頃に来ると思うのですけど。 昼間は大学に行っているので、今の時間なんかには殆どいないのです。私が選べれば良いのですけど、私、映画って実は良く知らなくて」
「 あ、いや別にいいです」
  雪也が恐縮して言うと、涼一がむっとしたようになって再びがなりたててきた。
「 良くないよ。俺、自分に合った映画選んでもらおうと思ってすごい遠くからわざわざ来たんだから。それに、初めての客にはタダなんでしょ?」
  一体涼一は何なのだ。
  雪也はハラハラした気持ちで不機嫌そうな顔をしている涼一を見やった。
  いつもの涼一なら、こんな態度は取らない。ましてや相手は女性だ。それなのに妙に突っかかる言い方をする。涼一がイライラしているのが手に取るように分かった。
  だからといって今の雪也に何ができるかと言われれば、それは何もないのだけれど。
「 あの…すみません。そういうサービスも、あの子が時々勝手にやっているだけなのです」
  女性はそんな涼一にも恐縮しきりで、しきりにぺこぺこと頭を下げた。卑屈すぎるその態度は、余計涼一をイラつかせる事になっているのに、どうやらその事に、この女性店員は気づいていないようだった。
「 ごめんなさい。あの、でも今会員証は無料で作りますから」
「 いらないよ」
  涼一はきっぱりと言い捨ててから、くるりと踵を返すとさっさと店を出て行ってしまった。
「 剣!」
  呼び止めたが、涼一は振り返りもしなかった。
「 あいつ……」
  雪也は焦りながら涼一が出て行った出口の方を見たが、すぐに視線を女性に戻して頭を下げた。
「 あの、すみません。アイツ、何か勝手な事ばっかり言って」
「 あ、いいえいいえそんな!」
  雪也の謝罪に女性はより一層慌てたようになり、大袈裟にぶんぶんと首を横に振った。それからまた初めて見せた時のような無理やりの笑顔を見せてぽつりと言った。
「 私…どうも相手の方を不愉快にさせるのがうまいようです」
  女性はそう言って別段乱れてもいない頭髪を神経質な手つきでなでつけた。
「 創にもよく言われるのです。だから何処へ行っても、誰と何をしてもうまくいかないって」
「 ………」
「 あっ…。ご、ごめんなさい、こんな話をして…。桐野さんには関係ないですよね」
「 あ…いえ、そんな……」
  雪也が首を振ると、しかし女性は益々仰々しく頭を下げた。
「 すみません…ッ。でも…どうも初めて会った気がしなかったものですから。創からも貴方の事は聞いていましたし」
「 え?」
「 あ、昨夜の事を、です」
  遠慮がちにそう言う彼女は、しかしどことなく楽しそうな顔をしていた。
「 身内の事をこんな風に言うのも何ですが、 創は少し難しいところがある子なものですから、普段からあまり話をする方ではないのです。でも…桐野さんの事は面白そうに話していました」
「 俺…別にそんなに話していたわけでは……」
「 でも、どうでしたか? 創が勧めた映画、面白かったですか?」
「 え? え、ええ…すごく面白かったです」
  雪也が正直にそう応えると、女性は嬉しそうに笑った。初めての笑顔のような気が、雪也にはした。
「 私もよくやってもらうのです。いい薬ですよね」
「 え?」
  言われた意味が分からずに雪也が聞き返すと、いきなり出口の方で引き戸を叩く音がした。
  涼一が無言で雪也に早く来いと呼んでいるのだった。
「 あ、ごめんなさい! 何だか長々とお引止めして!!」
  それに逸早く気づいた女性が、慌てて入り口の方に目をやった。雪也は無神経な涼一に腹が立ちながらも、しかし結局は挨拶もそこそこに出口へと足を向けた。雪也にとって涼一に逆らう事は実に厄介な事だった。
  そんな雪也の去り際の背中に、女性店員はやや緊張したような声を投げかけた。
「 私、服部那智(なち)と言います。桐野さん、また来て下さいね」



  店を出ると、既に車をUターンさせていた涼一がドアの前、腕組をした格好で偉そうに雪也を睨みつけていた。
「 何をノロノロしていたんだよ」
「 ……別に」
  逆らえないながらも、いい加減涼一の勝手な振る舞いに頭にきていた雪也が怒りを抑えず乱暴に言うと、涼一は益々むかっとしたような顔をして声を荒げた。
「 お前、ああいう年増が好みなのかよ…ッ」
「 はぁ…っ? 何バカな事言ってるんだよ!」
  ふざけるのも大概にしろと思い、やはり自然に乱暴な口調が飛び出ていた。涼一がどうしてこんなに不機嫌なのか、どうしてこんな風に自分の神経を逆撫でするような事を言うのか、どうしても理解できなかった。
  けれども、相手も止まる事はなかった。
「 だってそうだろう。ビデオ借りられないし、その店員だっていなかったんだから、もうここには用ないじゃないか。なのにあんな陰気な店員と何か喋くってさ」
「 大して話してないだろ。大体ここに来たいと言ったのは剣じゃないか!」
「 ああ、そうだよ。その、お前にだけサービスする店員って奴がどんなバカなのか見てみたかったんだよ!」
「 何なんだ、剣。何か言いたい事があるならはっきり言えよ!」
「 別にねえよ、お前に言いたい事なんか。あるわけないだろ!」
  子供の喧嘩だった。
  雪也は頭の中で自分たちが如何に実のない言い合いをしているかという事をどこかで感じていたのだが、それでもどうしてか止められなかった。
  勝手な涼一。我がままな涼一。いつだって、自分の都合の良いように人を動かそうとする涼一。
  そんな涼一を好きだと思う事もあったけれど、嫌いだと思う事も多かった。
  そして今は。
  大嫌いだと思っていた。
「 ……くそ、ばかばかしい……」
  その時、先に涼一が雪也の思いを口にした。ふんと鼻を鳴らし、それから運転席のドアを開いた。そうして近くに立ち尽くしたまま、未だ興奮して肩で息をしているような雪也に冷たい眼を向ける。
「 ……何してんだよ、乗れよ」
「 は…ッ?」
  雪也が眉をひそめつつ反射的にそう問い返すと、涼一はようやっと静かな表情になってけろりとして言った。
「 乗れって行ってんだよ。もうここには用ないだろ」
「 ……俺、ここから歩いて帰るから」
「 何で」
「 何…何で? だってここにはもう用ないだろ」
「 だからお前は俺を置いて一人でさっさと帰るって言うのかよ」
  涼一が責めるような口調で言った。訳が分からないという顔を雪也がしていると、涼一は当然だろうという顔を向けてきた。
「 こんな遠くまで来て、何の収穫もなく俺一人帰す気かよ。途中まで送れよ。適当な駅で降ろしてやるから」
「 ………」
 何を言っても無駄だという思いがあったという事もあるが、何よりもう呆れて声が出なかった。
  雪也は言われるまま大人しく車の助手席に乗った。



  行きはお互いロクに喋らずに来た道だったが、5分と走らないうちに涼一が言った。
「 雪。何か喋ろよ」
「 え?」
「 え、じゃないよ。まさかまた行きみたいな沈黙になるのかよ。俺、そういうの苦手なの知っているだろ。沈黙嫌いなんだ。だから何か話せって言っている」
「 ……ラジオでもつければ」
  涼一が前方を見て運転しているので、雪也も思う存分迷惑そうな顔をする事ができた。…もっとも相手には十分その雰囲気を悟られているのだが。
「 ……はた迷惑そうな面してんじゃねえよ。ラジオなんて所詮この車が出す走行音と同じ雑音だろ。そんなのじゃ紛れない。お前が話せ」
「 何話せばいいんだよ」
  仕方なく合わせた。これでは付き合っている時と同じではないかと雪也は思う。
  違うのは。
  あんなに優しかった涼一の笑顔が消えているという事くらいで。
「 あのな。話の内容くらい自分で考えろよ。お前は俺がお題を出してやらないと話の一つも満足にできないのかよ」
「 ……何でそんなにつっかかるんだよ」
「 あ?」
「 何でそんなに…むかついて…っ」
「 ………」
  雪也の問いに、涼一は答えなかった。 
  しばらく車内は重苦しい沈黙だけが辺りを支配していた。
「 ………剣、道違う」
  その時、ふと雪也は車窓を流れる景色がいつもと違う事に気がついた。いつも往復していた道だ。道が変わればその変化には容易に気づく。不審の声を上げて顔ごと視線を向けると、涼一は無表情のまま言った。
「 このまま帰るのもつまらないだろ。ちょっと道草だよ」
「 道草…?」
「 まだ明るいし。それに…」
「 何?」
「 ………」
「 何なんだよ、剣。何処行くんだよ!」
「 煩ェなあ……」
  自分の勝手さは棚に上げ、涼一はかったるそうな視線をちらとだけ雪也に見せた。そしてぐしゃりと前髪をかきあげて、はあとため息をついた。
  涼一の大きなため息など初めてだと雪也は思った。
「 ……雪」
  その時、涼一が呼んだ。
「 ……何」
  だから応えた。すると涼一はすぐに声を返してきた。
「 何か話」
「 またそれ?」
「 またじゃない。さっきの話は済んでないだろ。何か話せよ。退屈だよ」
  言い出したらきかない。雪也は諦めて観念したように言った。
「 ……じゃあ、昨日観た映画の話でいい?」
  創が貸してくれた映画は確かに面白かった。けれどそれはそれだけではなかった。
  うまくは言えないが、あの女性店員・那智の言葉を借りるなら、それは確かにあの日の雪也にとっての「薬」となり得ていたのだ。
  だからその話ならできると思った。
「 嫌だ」
  しかし涼一はその雪也の提案を実に簡単に却下した。
「 そんな話聞きたくない」
「 ……っ。何でだよ! 『何か』って言っただろ。実際俺の話なんて何でもいいだろ」
「 前言っただろ。俺、映画なんか興味ないんだよ。好きじゃないんだ。そんな話聞いても面白くない」
「 本とかは好きじゃないか。話を聞くのだって好きだろ」
「 でもそれは雪のことじゃないだろ」
  ぴしゃりと。
  涼一はそう言い放ち、それから突然車を車道の脇に停めた。
「 ……? 剣…?」
  いきなり車を走らせるのを止めた涼一に、雪也は驚いて声を上げた。その横を次々に幾台もの車が通り過ぎて行く。横目でそれをちらと見たものの、しかし雪也はどことなく思いつめたような涼一に目が離せなくなってしまった。
「 どうしたんだよ…?」
「 ………」
「 剣、どうし―」
「 何で言う事きかない」
「 え?」
「 お前なんか…」
  そうして涼一はいきなり身体を雪也の方に向けたかと思うと、その勢いのまま覆い被さるように迫ってきた。
「 剣……ッ」
「 イラつくんだよ、お前…」
  そうして、涼一は雪也の肩をぐっと力強く抑えつけると、そのまま強引な口付けをしてきた。
「 ……ッ!」
  一瞬、息が止まった。けれどその後すぐに、肩にじんじんとした痛みを感じた。涼一が痛いくらいに自分を拘束しているのが分かった。
「 ………雪」
  その時少しだけ唇を離し、涼一がつぶやいた。
  それは、どことなく。
  甘えるような、泣き出しそうな声だった。
「 ………雪」
  涼一が再び呼んだ。

  雪也はそんな涼一に逆らう事ができなかった。



To be continued…



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