(8) 以前から涼一は雪也の交際歴を異常に気にした。 「 なあ、雪。俺と付き合う前。誰かと付き合っていたりしたのか?」 「 ……またその話?」 いやと言うほど繰り返されるその質問にさすがの雪也も辟易する事が多かった。ただ、あからさまに面倒臭がると涼一はそれで余計に気分を悪くして「言えない何かがあったのか」と妙に勘ぐってくるので、極力素直に同じ答えをするよう気を遣ってはいた。 もっとも相手のそれも度が過ぎると、つい一言「またか」と言ってしまいたくなるのだが。 「 いいから答えろよ」 ぴしゃりと厳しく言ってくる涼一に、雪也はいつもと同じ台詞を吐く。 「 付き合っていた人なんていないよ。俺、剣が初めてだから」 「 セックスも?」 「 ………」 これもいつもと同じ質問だった。雪也は心の中だけで嘆息した。 「 もうその事だって知っているだろ」 「 もう一度言えよ」 「 ……初めてじゃないよ」 「 ………」 もう何度も聞かせた事なのに、これを言う度に涼一は不機嫌になるから、雪也はそれが嫌で仕方なかった。 そして涼一はその後決まって同じ事を言うのだ。 「 お前、訳分かんねェ。何で恋人作った事ないのに、ヤッた事はあんだよ!」 「 ……別に珍しくないだろ」 「 世の中の流れはそうだとしても、雪にはそうあって欲しくない」 これもいつもと同じ涼一の感想だった。そしてこの話を振ったのは自分のくせに、この会話の後は大抵ぶすっとなって、駄々をこねる子供のように雪也の事を痛いほどに抱きしめてくるのだった。 そしてその後はいつも……。 |
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「 痛い…ッ」 何週間かぶりのセックスは、ひどく乱暴なものだった。 涼一はリビングの硬い床に雪也を無理やり押し倒した後、その上に馬乗りになる形で相手の動きを完全に封じた。それから雪也の上着を無理やり引き裂くようにして脱がした後、続けざまジーンズのジッパーにも手をかけた。 「 ………っ!」 鬼気とした形相の涼一に、それでも雪也は何とか逃げ出そうとめちゃくちゃに身体を動かしてそれに抗おうとした…が、その瞬間、雪也の頬には重くて硬い拳が思い切り強烈に降りかかってきた。 「 いっ……!」 「 …暴れんなよ」 「 ………」 声が出なかった。 殴られた痛みでショックを受け、声が出ないというのとは違った。雪也は目を見開いて自分に覆い被さってくる涼一を茫然と見つめた。 こんな風に殴る奴ではなかったと思う。あの時も平手打ちをくらい、背後から蹴飛ばされて車から押し出されたけれど。そしてゾッとするような冷たい眼と意地の悪い顔を向けられたけれど。 涼一は元々こんな事をする人間ではないのだ。それは自分が1番良く分かっていると雪也は思う。だから今また力任せに殴られても、雪也は涼一の所作を未だ信じる事ができなかった。 あり得ないその事実に胸が痛かった。それで声が出なかった。 「 …ひ、ぁッ…!」 涼一は雪也のジーンズを下着ごとずり下げて相手のものを剥き出しにした後、大して馴らしもせずに無理やり事を進め始めた。雪也の両足を自らの肩にかけ、赤ん坊のような格好をさせて、強引に挿入を試みる。未だ涼一を受け入れるだけの十分な準備がされていなかった雪也は、その部分に怒張した性器を押し付けられただけでびくびくと身体が痙攣してしまった。 「 んん…ッ……やぁ…ッ!」 それでも涼一は無理に自分のものを雪也の中へ押し込もうとする。その相手の動きに、雪也は声にならない悲鳴をあげた。 「 ……ぃ…ッ!」 「 変に動くな。俺も痛いだろうが…ッ」 「 や…ぁ…あッ…剣ッ…。い、いた…ぁ…ッ…んん!」 「 ……ばっ、いって…髪、つかむな!」 涼一が責めるような声を出したが、雪也にはそれを聞いている余裕はなかった。徐々に埋められていく感触に、その痛みに、気が遠くなっていく。それでも必死に涼一の首に両腕を回して身体を密着させる事でその激痛から耐えようともがいた。いつもは挿れられただけではそれほど痛いとも思わないのに、今日は初めてと言っても良いほどの苦しさだった。 涙がこぼれた。 「 ……泣いてんじゃねえよ」 涼一が戒めるようにそう言うのが聞こえた。雪也がそれに呼応するようにうっすらと目を開くと、自分を抱きしめたままの相手の双眸が厳しい光を発していた。 「 いつもやっていた事だろ」 それは勝手に泣き出した雪也を叱るような口調だった。 「 痛…いよ、剣……」 それでも何とかそう言って助けを求める声を出したのだが。 「 ………」 涼一はそんな雪也を見つめたまま、けれど何も言ってはくれなかった。 やがて。 「 動くからな」 「 やっ、あ…ああぁ―ッ!!」 雪也の泣く声には構わず、涼一は激しく自らのものを突き立ててきた。 まるで気遣う風もなく、何度も何度も腰をついてくる。その度に襲ってくる身体への衝撃で、雪也は自然声をあげてしまっていた。 「 ん…んっ…ひ、ぁッ…!」 「 ………ッ」 泣く度、喘ぐ度に、涼一の攻めはどんどん激しくなっていくような気がした。それでも雪也は声を出さずにはいられなかった。いつもの、こちらを思いやりながら動いてくれる涼一は、ここにはいなかったから。 「 うぁ…あ…やぁ…ッ!」 「 ……雪…ッ」 涼一の呼ぶ声が聞こえた。それと同時に、雪也は涼一が自分の中で欲望を放ったのを感じた。 「 ………ッ!!」 泣くなと言われたけれど、自然に涙が落ちてしまった。ぼうっとする頭で、それでも何とか涼一を見ようと目を開いた。 「 ………」 涼一はもう当にこちらを見つめていた。目があったと思うと、その静かな瞳はゆっくりと自分のもとに降りてきて、そのまま唇を貪ってきた。それはひどくしつこくて、何度も何度も吸い付かれては舌をも絡めとられ、息もできない程だった。どちらのものとも分からぬ唾液が雪也の口許からはこぼれた。 「 ん、ん……」 「 雪……」 ようやく唇が解放された時、そのすぐ近くで涼一の囁く声が聞こえた。 「 雪……」 それはとても甘い声だった。付き合っていた時と同じ、とても優しい声だった。 「 雪……」 「 剣……?」 「 まだ…だからな」 けれど涼一はそう言った後、再び雪也の中に入ったまま腰を突き始めた。それはやはり突然で、まるで何かに取り憑かれたかのようで。 「 あ…あ、あ…。待って、待……んッ!」 「 雪…雪、雪、雪……ッ」 「 ………ッ!」 何かに押し潰されて崩れてしまいそうだった。涼一のしきりに自分を呼ぶ声には、雪也はもう答える事はできなかった。雪也はただもう涼一の言うなりになるまま、身体を揺さぶられ続けた。そして最後の方はいつものセックスと同様、喘ぐ声すら出せなくなっていた。 『 人形みたい 』 今日も涼一は自分の事をそう思ってしまっただろうか、と雪也はぼんやりと思った。 付き合っていた頃は、何度も何度もしつこく求められる事もあれば、何か思うところでもあるのか、一度きりで終わらせる事もあった。また、「愛している」という台詞も、耳に痛いくらいに連呼する事もあれば、何も言わずにただ身体だけという日もあった。 涼一は実に気まぐれな恋人だったのだ。 そんな相手に、雪也はいつも馬鹿みたいに従った。恐らく口で「嫌だ」という事があっても、本心から逆らった事は一度もなかっただろう。 けれどそれと同時に…雪也は自分から涼一を求めた事も一度もなかった。一年間、付き合ってきて、それは一度もなかったのだ。 |
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目覚めた時、最初は暗くて何も見えなかった。 「 ………」 ぼんやりとしたまましばらくじっとしていると、徐々に見慣れた部屋の天井が視界に映し出されてきた。涼一の寝室だと分かった。自分が横になっているのは、その涼一のベッドだった。 「 ……ッ」 少しだけ身体を動かすと背中と腰に鈍い痛みが走った。顔を歪ませながらそれでも身じろぐと、今度は立てた片膝から足首にかけて針で刺されたような痛みが起きた。そういえばまだ足は痛かったのだと雪也は苦々しい気持ちで再び折った片足をばたんとベッドの布団へとだらしなく倒れこませた。 辺りはとても静かだった。首を横にずらし、隣のリビングへと視線を送る。そこから細い光がこちらに向かって伸びているのを確認し、雪也はじっと耳をすませた。そこに涼一はいるだろうかと気配を探る。テレビの音がほんの少量だが聞こえた。確かではないが、涼一は恐らくリビングにいるだろう。そうして、自分はいつここに運ばれたのだろうかと、何ともなしに考えた。 そろりと上体を起こしてハアと息をつく。どのあたりで気を飛ばしてしまったのか、雪也はまるで覚えていなかった。涼一はあの冷たい床で、明るい電灯がつくリビングで、何度も何度も雪也の事を抱いた。最後の方はもうめちゃくちゃになって攻めてくる涼一に訳が分からなくなり、雪也も何も感じなくなっていたはずなのだが、しかし意識が飛んだところを見るとやはり苦しかったのだろうと思う。 そんな他人事のような感想を1人心の中でつぶやいてから、雪也はゆっくりと辺りを見回し、自分の着替えを探した。上に薄いタオルケットがかけられているとはいえ、いつまでも裸のままではいたくなかった。本当は服を着る前にこの精液にまみれた身体を洗い流したいとも思うのだが、涼一にそれを言うのも憚られた。 「 ………」 傍に自分の服は見当たらなかった。リビングで無理やり脱がされてしまったから、まだそこにあるのだろう。重苦しい気持ちになりながら、けれど意を決して雪也は声を出した。 「 剣……」 か細い声だった。テレビをつけている相手に果たして聞こえたかどうか、もう一度呼ぼうと思った時、不意に隣室からこちらに来る足音が聞こえた。 「 起きたのか」 「 ………」 部屋の入口で涼一がドアを半分開いた格好で立ち尽くしてこちらを見やっていた。会った時とは違う無地のTシャツを着ているのが見える。着替えたのだろう。 「 随分寝まくっていたな」 涼一の言葉に軽く頷いてから、掠れた声で訊いた。異様に喉が渇いていた。 「 今…何時?」 「 もう2時過ぎたぜ」 「 ………」 今日バイトがない事を心底ありがたく思いながら、雪也はタオルケットをぎゅっとつかんで恐る恐る口を開いた。 「 俺の服…どこ?」 「 ………」 涼一はすぐに答えてくれなかった。 「 俺の…」 けれどもう一度口にしかけると、今度はその声をかき消すようにして涼一は言ってきた。 「 知らねえよ」 「 え……」 言われた意味が分からなくて怪訝な顔をすると、涼一は雪也のその反応にイライラしたような顔を見せ、ぶっきらぼうな口調で言い捨てた。 「 勝手に探せよ。どっかにあるだろ」 「 でも……」 「 歩けないわけじゃないだろ」 「 ………」 涼一の突き刺さるような視線が痛かった。少しでも見られていると思うともう堪らなかった。より一層強くタオルケットを握りしめてそれを身体にかけると、そこで涼一はそんな雪也の所作を嘲笑うように鼻を鳴らした。 「 何を今さら。そんな女みたいに隠す事ないだろ。散々晒しまくっていたくせに」 「 ………ッ」 剣が無理やり抱いたんじゃないか。 そう言いたかったけれど、やはり言葉は出なかった。ズキリとする胸を無理に奥の方へと抑えこんで、雪也はそろりとベッドから片足を下ろした。 「 ………」 涼一は微動だにしなかった。ただ雪也の事をじっと見据えているだけで。暗闇の中で涼一の眼光だけがいやに眩しく雪也に向かっていた。雪也は極力それを見ないようにして両足をベッドにつけ、痛みを押して立ち上がった。足元がふらりとしたけれど、何とか身体を支える事ができた。 その時、涼一が素っ気無く言った。 「 ンなもん取れよ」 「 え……」 「 いらないだろうって言っているんだよ」 涼一は顎でしゃくるようにして、雪也が掴んでいるタオルケットを指し示した。 「 だって…」 いくら何でも裸のまま涼一の横を通り過ぎ、明るいリビングへ行くのは嫌だった。けれど涼一はそれをも許してくれそうになかった。つかつかとやってくると、雪也の手からタオルケットを奪い、それをベッドへ投げた。 「 あ………」 「 死にそうな面しやがって……」 涼一は恐ろしく低い声で言った後、どんと雪也の事を突き飛ばした。 「 ………!」 ただでさえ安定していないところを強く押され、雪也はあっ気なくベッドに背中をつけてしまった。危うく壁に後頭部をぶつけそうになったが、それは何とか免れた。 「 服着て何処行こうってンだよ」 その時、涼一がすぐに倒れこんでいる雪也の上に覆い被さるようにしてベッドに身体を乗せてきた。 「 こんな時間に。そんなフラついて歩いて帰るのか?」 「 ………」 「 こんなべとべとしたもんくっつけて。無理やり服着て帰るのかよ?」 涼一はそう言って雪也の太腿にこびりついた精液を片手でさらりと撫でてきた。雪也はそれでゾクリと背中を震わせ、眉間に皺を寄せた。セックスの後の涼一はいつも驚くほど優しかったから、今の涼一が最早あの頃の涼一ではないと頭では分かっていても、やはり辛かった。 「 それとも俺に家まで送れって? お前って前からそういうとこ結構強引だったよな。どうしても帰りたい日なんか、どんだけヤッても意地でも帰っていたもんな。俺にわざわざ送らせてさ」 「 ………」 「 今日もそれで送ってくれって? お前さ、帰って何があるっていうの? 誰か他の男でも待ってんのかよ?」 「 何…言って…?」 突然突拍子もない事を言ってくる涼一に、雪也は唖然として思わず聞き返した。 「 男がいるのかって言ってるんだよ」 「 ………いるわけな―」 「 やっぱり『護君』がいいのか? まだそいつの事が好きなのか?」 「 剣……?」 どうして今更そんな名前を出すのだろうか。 雪也は何が何だか分からなくなってただ目の前の元恋人を見つめた。 涼一は怒っているような眼はしていたけれど、それでもどこか冷静な風にも見えた。真面目に訊いているのだと思った。 涼一に自分が初めての相手かと訊かれた時。 雪也は違うと言った。涼一が初めてではないと答えた。 その時それを聞いた涼一はひどく憤慨して、悔しそうに顔を歪めて、どんな奴と寝たのかと雪也にしつこく問い質してきた。自分の過去のセックス歴など本当は話したくなどなかったけれど、あまりにも食い下がる涼一に雪也も根負けして遂に口を開いてしまった。 中学生の頃、幼馴染の…当時向こうは高校生だった「護君」と、一度だけ寝てしまった事。 「 俺、女とはセックスできないみたい」 そして雪也は自分の性癖も正直に涼一に話した。涼一は初めて雪也に迫った時、自分は男と寝るのはお前が初めてで、きっとお前以外の男とは寝られないと言ってくれた。雪也はそれが素直に嬉しかった。相手からそんな風に言ってもらえるなんて、自分の価値を認めてもらえたような気がして、本当に嬉しかったのだ。 いつもいつも、雪也は自分に自信がなかったから。 あの幼馴染と別れてしまってからは、特に。 「 同情で一回だけ、してもらったんだ」 「護君」が自分を好きではない事は、雪也には分かっていた。当時彼には同じ高校に通う美人の彼女がいたし、自分の事はせいぜい体のいい弟くらいにしか思っていない事も、長い間ずっと一緒にいて分かりすぎるほどに分かっていた。 それでも、あの時は彼しか見えなくて。 「 でも引越ししてしまってからは、もう会っていないよ。それっきりなんだ、本当に」 今どうしているかも、知らない。 雪也はその事も涼一に正直に話していた。確かに時々思い出す事はあるけれど、でももう会わない。会えない。 それは確かな事なのだ。 それなのに、今になって。 「 答えろよ」 「 剣……」 「 そいつのこと、好きなんだろ?」 涼一のぎらついた眼が、何だかとても怖かった。 |
To be continued… |