君を中心に世界は回る2(前編)



「いやだ」
「なんで」
「一緒がいやだから」
「そうか。食事は18時からだから、それまでに片付けろよ」
「だからッ! 人の話を聞けって!」

  ついつい怒鳴り散らしてしまうが、俺とちぃ兄ちゃんとの会話は大体いつもこんな感じだ。だから慣れっこと言えばそうなんだけど、相変わらずひどい。ちぃ兄ちゃんも小学生くらいまではもっと普通だった気がするのに、一体いつから俺に対してここまで過干渉になったんだろう。

「ちぃ兄、俺も言いたいことあんだけどッ」
「何」
「何で俺とチサが同室でないばかりか、俺だけ、あんなすみ〜っこの、寒そうな1人部屋なの!?」
「お前は仕事で寮の門限を守れないだろ。同室者に迷惑がかかるんだから、当然の措置だ」
「チサならいいじゃん! チサは俺を迷惑なんて思わないもん、ねッ!?」

  俺の腕をゆさゆさ揺さぶる智将は、昔っからこんな感じ。狭い寮部屋で、いつ帰るとも分からぬ智将に合わせる生活なんて迷惑に決まっているのに、こいつにはそういうことが今イチ分からないらしい。
  だからって、ちぃ兄ちゃんと一緒の部屋はもっといやだけど。
  ちぃ兄ちゃんは、鬱陶しい。
  しかしそこまで露骨な本音をぶつけては、後でどんなイジメが待っているか、考えるだに恐ろしい。成長してでかくなった智将は多少逆らうようになってきたけど、我が家において、昔っから、ちぃ兄ちゃんの権力は絶対なのだ。
「でもさ。何で寮長のちぃ兄ちゃんが、俺と相部屋になる必要があんの? 兄ちゃんこそ、折角個室の権利があるんだから、個室でいいじゃん」
  それでも俺は極力「これはちぃ兄ちゃんの為の申し出だ」と言わんばかりの方向で一応の抵抗を続けてみた。…さっきすでに「一緒がいやだ」なんて言っているから、全然全く説得力がないのは自分でも分かっているけど。
「ちぃ兄もさぁ、いい加減、自分がチサに嫌われているってことに気づいた方がいいよ? そのブラコン、ホント病的だから!」
  あ、バカバカ。智将が援護射撃にもなっていない余計なコメントを添えてきた。そもそも、「お前も人のこと言えないから」っていうのが、俺の偽らざる本音だ。でかい図体で、さっきからずっと俺の腕に絡みついているけど、智将のこういうところにも俺はほとほと困ってる。昔から近所では、「本当に磁石みたいねえ」とか、「いつもくっついてて、仲良し双子よねえ」なんて微笑ましく見られてきたけど、こんなんが高校生になってもまだ続いているとか、絶対おかしい。
  しかも智将は、時々凄く真面目な顔で、「生まれた時に2人になって出てきたのが間違いの始まりだった」なんて馬鹿なことを言い、よくは分からないが、漫画の読み過ぎか何かで、「俺たちは魂の半身」とか、「チサと一緒にいないと死んじゃう」とか、いろいろやばい台詞を公言してはばからない。そういう意味で、「病的なブラコン」という言葉は、智将にもそっくりそのまま当てはまる。
  とにかく、俺の兄弟は変なのだ。
「お前たち、いつまでそこに突っ立っている気だ? さっさと片付けろよ」
  ――ところで、この「人の話を全然聞かない」ちぃ兄ちゃんは、寮の自室で机に向かいながら、その横でぎゃーぎゃー言う俺たちに全く構う風がなかった。智将の挑発にもガン無視だ。相変わらずその横顔は、何を考えているのかさっぱり読めない。
  ちぃ兄ちゃんは俺に対して過干渉だけど、智将みたいに無駄にくっつくというのはあまりなくて、むしろ普段は大して関心がないみたいな態度でいるし、どちらかというと厳しい。それなのに、やっていることは「こんな感じ」だから戸惑う。そう、だから、疲れる。だから高校だって別々が良かったし、智将とも離れて、今度こそまともな学校生活を送りたかったのに。
  それが今や、同じ学校どころか、狭い寮部屋で同室にさせられるとは。はあ。

「お、おい……」

  その時、不意に入口の方からおずおずと声をかける奴がいた。俺たち兄弟が一斉にそちらを見ると、ドアの前に妙な野次馬がちらほらいる中、いかにも思い切って声を掛けましたというような、今日初めて知り合ったクラスメイトが背筋を伸ばして立っていた。
「あ、えーっと…名前…」
  そう言えば、同じクラスで隣の席になったのに名前を聞いていなかった。HRの前に長話だってしたのに。俺の中でこいつの名前は「妄想君」で統一されていたし、それどころじゃなかったからというのもあるけど。
  希望に燃える高校生活の1日目、俺はいきなり現れたこの妄想君が、ちぃ兄ちゃんと智将の2人に「復讐するためやってきた」ことを聞かされたばかりか、その復讐の理由が完全なる妄想―…囚われの美少女を助けるため…―という話を聞かされ、思い切りドン引きする羽目になった。
  何故って、この妄想君が想っているその美少女は、誰あろう、俺のことだったから。
  妄想君はその事実にまだ気づいていないけど。
  どこをどう間違えてそうなったのか、妄想君は、自室の2階でピアノを弾いていた俺に一目惚れをしたそうで、しかもその「美少女」がここにいる2人に「監禁されている」という壮大な妄想を抱いていた。俺の家に女のきょうだいがいないからという、ただそれだけの前情報でそこまで話を膨らませる想像力は素晴らしい…と言っていいが、そもそも全く女っぽくない俺を女と間違えることがおかしいし、何を置いても失礼だ。もちろん、俺に対して。この2人が勝手に恨まれるのは、まぁどうでもいいんだけど。
  それはそうと、その妄想君は俺の言いかけた言葉に当然の如くむっとして、ぼそぼそと答えた。
「未来だ。火野未来(ひのみらい)」
  うわ、似合わない名前…。
  思わずそんな失礼なことを思って笑いそうになったが、横にいた智将は容赦なく、「似合わねー!」と言ってけらけら笑った。全く人の名前を笑うなんて、我が弟ながら最低な奴だ。確かに俺も笑いそうになったけどさ。
「んだこの…!」
  失礼な智将に当然、未来君はむかっとして一歩前へ踏みだしたのだが、ちぃ兄ちゃんによる謎の結界を感知したのか、ドアは開いているのに、中へ入ってこようとまではしなかった。多分、未来君はケンカ慣れしているので、「獰猛な巣」の中に無防備に入るような危険は冒さない能力に長けているのだろう。
  実際、椅子に座っていたちぃ兄ちゃんは未来君をとうに牽制していたようだ。くるりと椅子を回して扉の方へ身体を向けると、氷のように冷たい眼を向けた。…ちぃ兄ちゃんは、未来君の妄想を知っているので、彼のことは俺につく「悪い虫」として、かなり警戒しているようだ。
「何の用」
「う…。そ、そのっ。そいつのっ。氷上千里の、荷物がっ。俺ん部屋に置いてあんだけど!」
「え?」
「何でー?」
  俺と智将が不思議そうな反応を示すと、未来君も「俺が知るかよっ」と不機嫌そうに言い返した。
「俺は相部屋になる奴がいないと聞いていたからラッキーだと思っていたのに、そいつの荷物が置いてあるからっ。こっちだって迷惑してんだよ!」
「……あ」
  未来君の話を聞いて、俺は咄嗟にちぃ兄ちゃんを見た。もしかしなくても、そういうわけか。俺はきっと、この未来君と同部屋になる予定だったのだ。
  元々、寮長とは言え、ちぃ兄ちゃんが新入生の部屋決めに介入する権利などあるわけがない。智将のような特例はともかくとして、学校側がランダムに決めた組み合わせは、当初俺と未来君が相部屋というものだったに違いない。きっとそれをちぃ兄ちゃんが勝手に変更したんだ。
「それは悪かった、何かの手違いだな。荷物は引き取りに行くから、少し待っていてくれ」
「そ、そいつ…。あんたの…この部屋になるのか?」
「あんた? ……まぁいいけど。だから?」
  未来君の質問にちぃ兄ちゃんは至って静かだ。むしろ問いかけた未来君の方が異常にびびっている。まぁ、この「何もしていない、無害な人間」でも、即取って喰いそうなオーラを発している人を相手に、よく分からない復讐心だけでは対抗できないだろう。
  そもそも、このちぃ兄ちゃんに話しかけただけでも相当スゴイと思うくらいだし。
  でも、この未来君には少し期待もしていた。俺への妄想は迷惑だけど、「高校へ入ったら友だちを作る」という俺の目標を叶えてくれそうなのは、この未来君な気がしていたので。
  その未来君は、勇気を振り絞るかのような思い切った様子で問いかけてきた。
「何で新入生のそいつが、上級生のあんたと同じ部屋になるんだよ?」
「兄弟だから?」
「ぎ、疑問形って何だよ!? だ、だったら、そっちの智将と同じ部屋になればいいだろっ。どっちも有名人同士なんだし…!」
「はぁ!? 冗談じゃないし、何で俺がちぃ兄と同じ部屋になんなきゃいけないの!? お前、余計なこと言わないでくれる!?」
「うっ…。け、けど、そいつ…! 嫌がっているみたいだしよ…!」
「えっ」
  俺はびっくりして思わず声を上げた。一度は怒鳴り散らした智将も、未来君の言葉に驚いて口を閉ざす。ちなみにちぃ兄ちゃんは、やはり何を考えているのか分からない能面。
  それにしても、未来君は俺たちとのやりとりを聞いていて、それでそんな風に言ってくれたのか。俺がちぃ兄ちゃんと同じ部屋になるのを嫌がっていると知って、助け船を出してくれようとしたのか?
  だとしたら凄く……かなり、嬉しい。もしかしなくても、未来君って、やっぱり良い奴なんじゃないか。

「嫌がってはいない」

  しかし無表情のちぃ兄ちゃんはばっさりとそう言った後、すっくと立ち上がってすたすたとドアの前まで歩み寄った。そうして、たったそれだけのアクションで「うわっ」と後退する未来君の眼前で、恐らくだけど、相当良い笑顔でさらりと言ってのけた。
「うちの千里は照れ屋なんだ。もう高校生だから、【お兄ちゃん大好き】が周りにバレるのは恥ずかしいらしいよ。だから…火野君? 弟のことは心配しなくていいから。むしろ構わないでくれる? 千里は君のような不良タイプが苦手だから」
「ちょっ…」
「ちょっとちぃ兄! チサ、そんなこと微塵も言ってないじゃないっ!」
「しかも不良苦手とか、どの口が言うか!?」
「あれ。千里、お前、不良は嫌いなんじゃないの」
「嫌いだよ、嫌いだけどなっ!」
  俺自身がつい先月まで不良のレッテルを貼られていたわけだが、それ以上の大不良だったちぃ兄ちゃんに、そんなしれっと言われると妙に腹立つ。
  それはともかく、今のちぃ兄ちゃんの台詞のせいで、未来君だけでなく、そこらへんにいた寮生にも、もれなくおかしな誤解が知れ渡ったのは間違いない。…つまり、俺が【お兄ちゃん大好き】属性のブラコンという…とんでもない言いがかりが。
「…………はあ」
  しかしこれ以上何を言っても無駄なのは分かっている。俺は火に油を注ぐ行為をやめ、何かもう何もかもがめんどうくさくなったので、「もういいよ…」と折れてしまった。何事も諦めが肝心だ。ちぃ兄ちゃんと何か言い合っても建設的なことにはならない。智将の奴だけは「良くないっ」と暫くギャーギャー言っていたけど、間もなくマネージャーさんに急かされて仕事先へ連行されて行った。
「千里。早く片付けろよ」
「はーい……」
  ちぃ兄ちゃんがこういうことを手伝ってくれないのは分かっている。俺はちぃ兄ちゃんと離れるどころか、同じ部屋で高校ライフをスタートさせることになってしまった。




後編へ…



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