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「はあ〜、まったく。トモ君があんなにハマると思わなかったなあ。最後なんかわざとボクに向かってぶつかってきたでしょ?」 「うん」 「うんって…。言うねー」 数馬はわざと困ったような顔で深くため息をつき、大袈裟に降参のポーズを取ったりしていたが、友之の嬉々とした様子には影でそっと笑っていた。こんな風にはしゃぐ友之を一体どれだけの人間がまともに見る事ができるかと考えると、やはり多少なりとも優越感らしきものが胸を過ぎったのだろう。 また友之は友之で、未知の体験をしたという事は勿論、「よくもまあバカの1つ覚えみたいに」と毒を吐きつつ、そんな自分にいちいち付き合ってくれる数馬のことがやはり嬉しくて仕方なかった。また、散々回ったコースについて数馬とああだこうだと話せた事自体が楽しかったし新鮮だった。そんな風に誰かと遊びの話をするという経験が、友之にはあまりなかったから。 だから。 「ねえトモ君お腹空いたね。何か食べようか」 「え?」 だから暫く何ともなしに歩いた先で数馬がふとそう言った時、手首にはめた腕時計の針がもう正午を回っているだなんて、友之には全く思いもよらなかった。やや呆然と驚いた顔をしていると、数馬は1人訳知り顔でニッと笑うと、「デートってそういうもんだよ」などと言った。 レストランや軽食の摂れる喫茶店の類は入口付近に多く点在しているようだったが、そこから正反対の方向へ歩いて来てしまった友之たちは今さらそこへ戻るのも億劫だという事で、傍にあった「フランクフルト」という看板をつけたワゴン型の屋台で昼を買う事にした。 路肩に停まっていたその店の脇は、丁度弁当を広げられそうな緑の芝生が広がっていた。更にその周辺は各々が自由な遊びを楽しめるフリーグラウンドにもなっている。縄跳びやらバドミントンやらをしている家族連れやカップルの姿が多く見られた。 「ここ座ろうか」 数馬がそう言って促した先には、その開けた賑やかな広場を観察できる木造りのベンチがあった。友之は先刻買ったホットドッグとコーラを抱え、素直にそこに腰を下ろした。 「あれ、トモ君マスタードつけなかったの?」 「うん」 「ふうん」 2人で並んで座った後、数馬は友之が手にしたホットドッグを見てそんな事を訊いてきたが、友之がそれに怪訝な顔を向けてくるといつもの嫌味な顔で言った。 「トモ君って見た目のまんま。味覚もお子様なんだね」 「………」 「カレーとかも甘めが好きなんでしょ。どうなの」 「そんな事ない」 「え〜嘘だあ。きっと光一郎さんさ、自分は辛いのが好きでもトモ君の為にわざとお子様用の甘いルー買ってきてそれ使ってるんだよ。小さい子どもを持つお母さんなんかは、大体そうしてるって」 「………」 「ふっ」 あからさまに不機嫌な顔をする友之に数馬はあっという間に破顔し、やがて「ごめんごめん」とぞんざいな言い方をして片手を振った。 「嘘だよ。冗談。辛いのだ甘いのだなんて、そんなの好みじゃん」 「……辛いのだって食べられる」 「だからどっちだっていいっていうのに」 「………」 けれど友之としては、そんな些細な事でも数馬に子ども扱いされたと思うとやはり面白くなかった。勿論数馬の「冗談」に友之が思う程の悪気はないし、結局数馬は友之のそんな予想通りの反応が見たいが為にやっているだけなのだが。 しかし当の友之にしてみれば、いつも出来る兄たちに囲まれて小さな弟をやっている分、同じ年の数馬とはいつでも対等でありたいと思うから、やはりこんな扱いは我慢ならなかった。 「数馬だって…同じ年のくせに」 不服めいた口調で言うと、数馬は平然と「そうだよ?」と応えた。 そうして手にしたコーラを一口やった後、すました様子で続ける。 「ボクはまだまだお子様の、世間知らずの高校1年生です。トモ君もそうだよね」 「………」 「未熟者だから時々失言しちゃう事だってあるよねー」 「………」 完全に返し手を封じ込められてしまった。友之がどうして良いか分からず沈黙すると、数馬はふと思い立ったような顔をして友之のホットドッグを指差した。 「ねえ。そっちの一口ちょうだい」 「えっ…。これ?」 「うん。そういえばマスタードなしのってあんまり食べてなかった。いい?」 「別にいいけど…」 「わーい」 別段嬉しそうでもない様子で数馬はそう言った後、顔を寄せて友之が手にしているホットドッグをそのまま一口かぶりついた。友之は黙ってそんな数馬の所作を眺めていたが、そうなると今度は自分もマスタード付きのを食べてみたくて自然数馬の手に視線を集中させてしまった。 勿論、そんな友之の思いに気づかない数馬ではない。自分のホットドッグを差し出すと、もぐもぐと口の中の物を噛みながら何でもない事のように言う。 「はい、あーん」 「………」 「あげるっての。一口」 「……うん」 早く食べろと言わんばかりの顔をされて、友之は数馬と同じように自分も顔を突き出すと数馬が持っているホットドッグを少しだけかじり取った。 「どう? 美味しい?」 「ん……」 もごもごと口を動かしてそれを飲み込んだ後、友之は小首をかしげて小さく応えた。 「ちょっと舌、ひりひりするかも…」 「そう? じゃボクの味覚がヘンなのかな。ボクはマスタードアリでもナシでもあんまり差を感じなかった。ま、どっちも美味しい、かな」 「うん」 「それにしてもトモ君、口ちっちゃいなあ」 友之がかじった部分が自分のそれとあまりにも違うのを感じたのか、数馬は半ば呆れたようにそう言った後、再び自分の分のホットドッグにかぶりついた。 それで友之もそれを真似て自分の物を片付け始める。 「ここってさ」 そんな時が暫く続いた後、数馬が口を開いた。 「大昔幼稚園かなんかの遠足で来たんだよね」 「遠足?」 「そう。あ、もしかしたら小学校かもしれないけど。細かいことは忘れた」 「……ふうん」 「とにかくすっごい大勢で来たわけ」 「………」 数馬の話に友之は思わず黙り込んだ。 友之には学校時代の思い出が殆どと言って良い程ない。小学校時代は夕実や光一郎がいたから中学の頃よりは休まずに行っていたように思うが、元々風邪を引きやすい体質な上、何か大事な行事などがあると精神が昂ぶる故かすぐに熱を出して結局休んでしまう事が多かった。だから遠足もせいぜい1、2度の経験しかないし、キャンプだの修学旅行だのと言った外泊行事の思い出に至っては一切なかった。そうすると自然友人関係も希薄なものとなり、友之にとって学校という場所は本当にただの「勉強をする所」でしかなかった。 ……もっとも友之が友人に恵まれなかったのは姉の夕実に拠るところが大きいのかもしれないが。 「ボクさ、学校ってあんまり楽しいって思った事ないんだよね」 「え……」 その時、ふと数馬がそんな事を言った。視線は目の前の草地で夢中になってフリスビーをしている女子中学生らしい2人組に注がれている。色とりどりの丸い円盤を交互に器用に投げ合っている様はなかなかに見応えがあった。 数馬は言った。 「家はもっと退屈だったから外には出たけどさ。遠足とか運動会とか、何か大きい行事とかあるじゃない? ホントめんどくさいんだよね。皆で一緒に楽しみましょう!ってやつ」 「………」 「何黙ってるの」 「意外…だなと、思って」 「だろうね」 数馬はやや自嘲したような笑みを浮かべ、それから肩を竦めてみせた。 「あのね、ボクって基本的に良い性格なんだよね。心の中では嫌だな面倒くさいなって思う事でも、それなりに始めちゃうと割と楽しみを見つけてこなしちゃう人なわけ。だからたとえばかったるくて行きたくないなって遠足でも、そこに楽しい物あるとオッて思ってそれをやる。そしたら、その強要された時間も結構無駄なく使えちゃって、それで良かったなって思えるの」 「よく……分からない」 「キミってホントにバカだね」 数馬は心底バカにするように友之のことを「バカ」と言った。友之はこの時はそれに反論しなかった。確かに、きっとこれは自分がバカなんだろうと思ったから。 「あんまり卑屈になるとひっぱたくよ」 けれどそんな友之の心根を読み取ったようになって数馬が言った。 「でさ、不思議な事にそれなりに楽しめちゃうと、学校単位ではもう二度とゴメンだって場所も、個人でだったらまた来てもいいかなって。思うの」 「……それがここ?」 「まあね」 そういえば数馬はどことなく懐かしい目をして遠くを見ている。友之はちらと数馬が見ている女の子たちの方を見やってから再び視線を戻した。 「ここではどんな事して遊んだの?」 「んー。サイクリングとかフリスビーとか」 「フリスビー?」 「あれ」 数馬は女の子たちが夢中になって投げている丸い円盤を指しながら「上手いなあ」と珍しく感心したような声を出した。周囲には他にもそれに興じている大人や子どもの姿がちらほらあったが、ふわふわと気の抜けたように飛ばしているグループがある中で、その子たちは確かに格段レベルが違うようだった。眺めているだけでも、ビュンビュンと疾風のように飛び交うそれに目が回りそうになる。 「ただ投げるだけじゃんって思うんだよね、興味ない人は。でも色々な人がやってるの見てると分かるでしょ? 投げ方にもコツがあって、それによって飛び方も全然変わってくる。勿論力の強弱でスピードも変わるし、投げる相手によって定めるポイントもまちまちだから、相当の技術がいるんだよ」 「へえ…」 「とはいえ、運動オンチなキミでも十分楽しめる遊びだけど」 「え?」 「ねえー!」 途惑う友之には構わず、数馬は食べ終わったホットドッグの包みと紙コップを傍のくずかごに捨て、突然大声を出して駆けて行った。そうして先刻からずっと観察していた女の子たちに気さくに話し始める。彼女たちは最初こそ驚いていたようだが、数馬の一言二言の喋りでもうすっかり打ち解けたようになって笑い、何事か返したり頷いたりしていた。 そして。 「借りてきちゃった」 数馬は未だ背後から自分の事を見つめている女の子たちにもう一度にこりと笑って見せた後、ベンチでぼーっと座ったままの友之に対し、手にしたフリスビーを掲げて見せた。それは黄緑色の何の変哲もない無地の円盤だったけれど、数馬が手にしていると気のせいかどことなくキラキラと光り輝いて見えた。 「やろ、ボクたちも」 「フリスビー…?」 「そうだよ。普段キャッチボールやってるんだからこれだって出来るでしょ」 「形、違う」 「ばっかだなあ。当たり前でしょ、フリスビーなんだから。でも、そこがまた面白いんじゃない」 早くやろうよ。 数馬はそう言いながら友之の腕を引っ張るとぐいぐいとその草地の中央に連れて行った。 「キミはそこに立っててね」 そうして友之をそこで「待て」した後、自分はそこから数十メートル離れた位置にまで行って軽く手を挙げた。 「いっくよー?」 数馬の声が大きく青い空の下で響き渡る。それはとても心地良い声だった。 「……っ」 身構える友之の目の前で、フリスビーは風を切ってやってきた。 ふと見上げると眩暈を感じてしまいそうな底抜けに青い空から、一段と色鮮やかなそれがさーっと水を斬る魚のように鋭く飛んでくる。友之は必死にそれを目で追いながら、胸元におりてきたそれを両手でしっかりとキャッチした。 「うまーい!」 数馬が子どもを誉めるようにそう声をあげた。 「………」 友之は未だ両手の中で力を残したフリスビーをじんとした痛みの中で捉えながら、それをうまく受け取れた喜びで暫し沈黙した。ドキドキと胸が高鳴っている。顔には出ていなかったかもしれないが、こんな風にうまく止められると思っていなかった分、その感激は一入だった。 「おーい、早く投げ返して〜!」 数馬が叫ぶ。 「……うんっ」 友之は慌てて顔を上げると数馬に応え、手にしたフリスビーが正確に届くように、狙いをじっと定めてからさっと腕を振った。 「あー! 大はずれー!」 「あっ」 しかしそれは全くの見当違いなところへ飛んで行き、数馬がぶうぶう言いながらそれを取りに走っていた。友之はしまったという顔をしながら、けれど未だどきどきとした気持ちを抑える事ができず、定位置に戻ってきた数馬に大きな声を出した。 「ごめん! でも次は大丈夫…!」 「……へ? あ、うん」 数馬は友之のその態度に驚いたようだった。目を丸くして、今か今かとそれを投げられるのを待っている友之を凝視する。 けれどその顔はやがてゆっくりと笑みに変わっていって。 「よーし、いっくよー!」 「うんっ」 2人は晴れた昼下がり、暫くの間無心にフリスビーをただ投げ合った。 |
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