(12) 行くあてはなくとも、遠くに行きたいという気持ちだけは漠然と存在していたのかもしれない。気づくと友之は駅前通りにまで来ていた。昼時という事もあって、周辺のファーストフード店や喫茶店等は休憩中のOLやサラリーマンなどを中心に多くの人で賑わっていた。友之はそのごった返したような人込みを避けるように見ないように、道の端を歩きながら何となく駅の改札へと近づいて行った。 「 キタガワ君」 その時、不意に肩をぐいと掴まれ驚いて振り返ると、そこには制服姿の暁がじっとこちらを見下ろしていた。 「 何してんの」 「…………」 友之が困ったようになって何も言えずにいると、暁は感情の読み取れない顔をしばらく向けてから、ふいと視線を逸らした。 それから何という事もない風に、一言。 「 君、色ないよ」 「 え…?」 何を言われているのかよく分からずに友之が怪訝な顔をすると、暁はそれきりもう何も言わずに先を歩き始めた。友之は訳が分からないままに、それでもとりあえずそんな暁の後を追った。 暁は友之を寮からは反対方向の、駅から歩いて10分ほどの丘陵に位置する自然公園へ連れて行った。それから暁はその公園の奥にそびえ立つ大木の根元に座り込むと、来る途中に寄って買ったコンビニの弁当を友之に差し出した。 「 あげる」 「 ………」 「 それ期間限定のやつ。今しか食べられないやつ。だから食いな」 「 あ…ありがとう…」 「 うん」 かろうじて礼を言った友之に頷いてから、暁は自分の分の弁当を開くと後は黙々とそれを口にし始めた。友之もそれに倣った。 公園にはこの近辺の住人なのだろう、数組の若い母親と幼い子供たちの姿がちらほら見受けられた。母親たちは2人とはまた別の方向にあるきちんとした休憩場所のベンチで世間話に花を咲かせており、子供たちはその傍の砂場で泥だんごや砂の城などを一生懸命作って遊んでいた。 2人はその光景を見るでもなく、ただひたすら弁当に向けて口と手を動かしていたのだが、先に食べ終わった暁が先にぽつりとつぶやいた。 「 ここ、狸出るよ」 「 え?」 唐突にそんな事を言う暁に友之は箸を動かしていた手を休めて、思わず訊き返した。暁はそんな友之の方を見ていなかったが、自分の発した言葉を再び繰り返した。 「 タヌキ」 「 狸…?」 「 ここから更に坂を登って行くといる。あー…この位置からも見えるでしょ、あそこのハゲ山。シャベルでガリガリ削ってるから情けない格好になってるけど。同じく、それでガリガリになった狸も顔出してくる」 「 見たの?」 「 見たよ」 「 坂上がって?」 「 それほど奥行かなくてもいたけど。その時はたまたまかな」 暁は言いながら、地面に置いていたペットボトルに入ったスポーツドリンクを手にして一口やった。それからそれを友之に黙って渡し、再び遠くを見やった。 「 キタガワ君は動物好き?」 「 え……」 「 好き?」 「 ……別に」 「 そう。俺は好きだよ」 「 動物が?」 「 うん」 ぶっきらぼうな態度と口調とは裏腹に暁青年はこくりと素直に頷いてから、ちらとだけ友之を見やった。 「 だから俺、キタガワ君に親切でしょう」 「 ………」 「 言われた事ない?」 「 ……何を」 「 小動物みたいだって」 悪びれもせず暁はそう言い、それからふいと空を見上げて再び黙りこくった。夏にはまだ早いが、気温はそれに近い程暑いものだった。それでも時折吹く風に金色の髪を揺らし、暁は実に涼しそうな顔をして、ただ平然としていた。 友之はそんな暁をじっと見やってから、ようやく少しだけ嫌そうな顔をした。それでも何と言って反撃して良いのか分からず、やはり声を出す事はできなかった。 2人はしばらくの間その場にじっと座ったまま、何をするでもなく日中の暑い時を過ごした。喋らなくても近くで遊ぶ子供たちや主婦らの声で完全な沈黙にはならない。その人々の姿を遠めに眺めるだけでも、何処となく友之は静かな気持ちでいられた。 そうこうしているうちにふと友之が気づくと、暁は大木に寄りかかったまますうすうと軽い寝息をたてて眠りに入ってしまっていた。 「 あ……」 友之は困惑して所在なげにきょろきょろと辺りを見回したが、だからと言ってどうなるわけでもなく、改めてもう一度すっかり寝入っている暁をじっと見つめた。そうして、何処へ行くつもりもなかった事だし、自分もしばらくはここに座って時を過ごそうと思うのだった。 暁といる事は苦痛ではなかった。 友之に起こされるでもなく暁が目を覚ましたのは、そろそろ陽が暮れるだろう頃になってからの事だった。暁は最初こそぼんやりとうつろな目をしていたが、傍にいる友之の存在に気がつくとすっと腕を伸ばし、すっかり生温くなったペットボトルのドリンクを欲した。友之は素直にそれを渡した。 「 貸した本」 それに口をつけて喉を潤してから、暁は不意に言葉を切った。 「 まだ読んでない?」 「 あ…うん……」 借りていた事すら忘れてしまっていた友之は焦ったようになりながら、それでも何とか頷いて見せた。暁はそんな友之の方を見ていなかったが、読んだ読まないは別段何とも思っていないのか、やはり顔色を変えないままに続けた。 「 俺はね、どうしてか無性にヒトを殴るのが好きなんだ」 友之の返事など期待していないのか、暁は淡々と口を継いだ。 「 棒きれとかバットとか。そういうのを使う事もあるけど、どちらかといえば拳で殴る方が性に合っているみたいだ。時々殴った自分も痛かったりするけど、それで相手がバカみたいに転げまわるのを見ると笑えたんだ」 「 ……おかしくないよ」 「 うん。そう思う日もあった」 暁はあっさりと友之の反論に賛同してから、それでもぎゅっと握り拳を作り、冷めた目をしてさらりと言った。 「 でも、俺はどこか頭のネジが飛んでいるから。『そう思わない日』の方が多かった。だから殆ど毎日ヒト殴ってた。…でも」 「 でも…?」 暁はすぐに応えなかった。けれど、じっと自分の言葉を待っているかのような友之に気づくと、静かな口調で言った。 「 でもジムの先生がくれたあの本を持っていると、ちょっとだけ我慢できた。あの街を出たら更にもうちょっと我慢できるようになった。君にあれを貸してしまったけど、それでもまだ我慢できてる。今みたいに昼寝とかすると、案外もうすっきりしてる。我慢できる」 「 殴るのを?」 「 そう」 「 殴りたいの?」 「 ……さあ」 暁はそう応えてから、ようやく友之の顔をまじまじと見やった。 「 キタガワ君こそ、殴りたいと思った事ないの」 「 誰を」 「 誰だっていいよ」 「 ………」 「 じゃあ、たとえばあの優等生」 「 !」 ぎょっとして暁を見やると、向こうはやはり平然とした冷たい眼をしたままだった。 「 小動物はそんな事思わないか」 「 ………」 「 でもキミは何だか死にそうだ」 暁は言って、不意に友之の頬につっと指で触れてきた。その所作に友之が驚いて仰け反ると、暁は「生気がない」とつぶやいた。 「 あのヒトは優しいヒトらしいけど」 そうして暁はふっと顔を上げ、それから公園入口の所に立ち尽くしている人物を見やりながら友之に言った。 「 キミにとってそれは『優しい時間』になり得ているの」 「 あ……」 暁の声を耳に入れながら、友之は自分も視線を同じ方向にやって声を失った。 そこには沢海が息を切らせながら驚いたような顔をしてこちらを見やっていた。 |
To be continued… |