(16)



  友之がベッドをやめて床に蒲団を敷いて眠るようになってから、ただでさえ窮屈な2人部屋は更に足の踏み場がなくなっていた。それでも沢海は別段その空間の狭さを何とも思っていないようで、寮に帰り着くや否やすぐにてきぱきと隅に重ねて畳んでいた蒲団を敷くと、ドアの前でいつまでも立ち尽くしているだけの友之に振り返って言った。
「 何ぼさっとしているんだ? 早く制服脱げよ」
「 …………」
「 寝間着に着替えて。今体温計出すから」
  1人でどんどん話を先に進める沢海。ぴりぴりしている沢海。友之はイラだったようなそんな沢海の顔を恐る恐る眺めながら、しかしすっかり諦めたようになって従順に身体を動かした。蒲団と一緒に畳んでおいた、今朝脱いだばかりの寝間着をじっと見つめてから手に取る。その布地に触れた途端、友之はふっと身体の中の熱が上昇するのを感じた。何だかんだと言って学校を出て来た事は正解だったようだ。心身の緊張が解け、抑えていたものがどっと出てきたような気がした。
「 ……熱いな」
  傍に来た沢海がぼうっとしている友之の額に触れてからそう言った。
「 無理ばっかりするからだ」
  やはり怒っている。友之は火照った身体をより一層熱くさせながら、沢海のそんな声を聞いてぐっと俯いた。けれど沢海の方はそんな友之の所作に余計かっとしたようで、手にした体温計を半ば投げるように友之の胸元に押し付けた。
「 早く着替えろよ。そしたらそれで熱計れ」
「 …………」
「 ……それとも。俺がいるから着替えられないとか?」
「 え……」
  驚いて顔を上げると沢海の自嘲したような顔が見えた。ぎくりとして声を失っていると沢海の方はふっと視線を逸らし、立ち上がるとくるりと友之から背を向けてぽつりと言った。
「 別に…病人の友之をどうこうしようなんて思っていないよ」
「 ひろ……」
「 そこまで怯えられて…手なんか出せるか。俺は…ただ…本当に友之の事が心配なだけだよ」
「 拡…ッ…」
  自分はそんな事を思ったりしていない。
  そう言いたかったのに、自分から背中を向けたままの沢海がひどく遠くに感じられて、避けられているように思われて、友之は名前を呼んだきりやはり黙してしまった。
「 …………」
  それでもこれ以上誤解されたくなくて、友之は渡された体温計を一旦床に置くと、のろのろとした動作ながらも制服のシャツに手をかけ、ボタンを外し始めた。熱と陰鬱な気持ちが邪魔をしてうまく指が動かなかったが、何度かもつれさせながらも全部外してやっとの思いでシャツを脱いだ。途端、急に冷たい温度が肌に突き刺さってきたような感じがして、友之はぶるりと身体を震わせた。やはり熱があるのかもしれない。いつから自分はこんな弱い身体になってしまったのだろうかと思う。
「 友之」
  その時、ふと前方から声がかけられて友之がはっとすると、沢海がこちらを向いているのが見えた。その顔はやはり怒っているようだった。
  呼んできた時の声はどことなく怯えているようだったけれど。

「 ……そんな風に……」
「 え……?」
「 そんな風に考え事しながら着替えるな」
「 あ……」
  焦れったかったのかもしれない。
  沢海はさっと傍に寄ったかと思うと、友之が自分で脱いで手にしていたシャツを横に放り投げ、傍にあった着替えを友之に着せた。
「 あ…っ」
「 自分でやるって? 俺の方が早い」
  友之の言わんとしている事を先読みし、沢海は馬鹿にしたようにそう言い捨てた。手際良くボタンも掛けてやり、それが終わると今度は問答無用でズボンのベルトに手を掛けてきた。
「 そ…!」
「 そこまでされたくないって? でも俺の方が早いよ」
「 や…い、いい…!」
  さすがに友之は声を上げ、ベルトを外して制服のズボンを脱がしにかかっている沢海から逃れようと足をばたつかせ、沢海の手を掴んだ。寮まで鞄を持って送ってもらった上、更に着替えまで手伝われてしまうなんて、一体自分は何なのだ。いくら何でもそこまで言うなりになれるわけがない。
  それでも抵抗の言葉は出かけただけで消えてしまう。それの繰り返しだ。
「 じ、自分で…」
「 自分でやるって? そんなの待っていたら日が暮れるよ」
  また沢海に先を越される。押さえつけていた手も払われてベルトの次はズボンのホックを外された。友之が必死で身体を逃がそうとしても沢海は上に圧し掛かるようにしてその動きを全て封じ込んでしまった。
「 い、やだ…!」
  やっと拒絶の言葉を吐いたが、失笑されただけで行為は進んだ。
「 拡…っ。やだ…や…だ…!」
  もう一度言ってめちゃくちゃに足を動かし、押し返すように沢海の胸を突いたが、それでも相手はびくともしなかった。それどころかこちらに向いてくる力はより一層強くなったような気がした。
「 ……い、やだ…!」
  それでも声は出した。こんなのは嫌だから。それだけははっきりしているから。
「 何が?」
  けれど沢海から漏れたその言葉はただただ冷め切っていた。
  友之の身体はより一層熱くなった。
「 い…い…嫌だ!」
「 聞こえないよ」
  嘲笑するような声。頬にかーっと熱が集まるのを感じた。何かがざわりと身体の中を駆け巡った。
「 …や…」
  声が掠れた。瞬間、たたみ掛けるような沢海の冷たい声が投げかけられてきた。
「 口がないのか? もっとはっきり言ってみろ!」
「 い……ッ」
  もう呼吸をするのも苦しくなっていた。沢海の冷たい声、乱暴な所作。
  頭の中がぐるぐると回った。座っているのに目眩がして目を閉じた。
「 う……」
  けれどずるりとズボンを引きずり下ろされた時。 
  ざわざわとした気持ちがだっと外へ飛び出したような気がした。
「 嫌だっ!!」
  そして思わず、手が伸びていた。バチン、と大きな音がした。すぐ傍にあった意地の悪い沢海の顔。真っ直ぐにこちらを向いていて馬鹿にしたような軽蔑したような顔が。目の前にあって、離れたくて、逆らいたくて、気づいた時にはもう手が出ていた。
  叩いた自分の手の平こそひりひりと痛んでいたけれど。
「 あ…あ……」
  ぶるぶると震えてすぐにその手を引っ込めようとしたが、瞬間その手首を沢海に掴まれた。
「 はっ…!」
「 …………」
  はたかれたと言っても怯えながら出されたその平手は大した痛みもなかったのだろう。沢海はびくともしない様子で友之を見つめたまま、自分を叩いたその手をしっかと掴んだ。そうして怯えきった友之を見つめたまま、更に顔を近づけた。
「 あ、あ……あ……」
  わなわなと震えて最早声が出なくなってしまっている友之。それでも沢海から目を逸らす事もできなくて、友之は手首を掴まれたままただ硬直していた。
  けれどそんな友之に沢海は静かな声で言った。
「 声……出るじゃないか」
  そしてそのまま更に接近して、沢海は続けた。
「 そんな風に…言えるんじゃないか」
「 え……?」
「 ねえ…友之……」
「 ひ……」
  呼ばれて自分も呼び返そうとした。
「 あ…んぅ…っ!」
  けれど瞬間、沢海の唇に口を塞がれて友之は出そうとしていた声を飲み込まされた。顎を捕まれて手首も掴まれたままで。友之はただ目をつむり、沢海からの口付けを受け入れた。何度となく重ねられて、やがて舌をも捉えられた。
「 ふ…ぅ…ん…んぅ…」
  喉の奥で声を漏らしたが沢海がそれを気にしている風な様子はなかった。中を探られ舌を絡め取られ、上がっていた熱が更に上昇した友之はそのまま意識を飛ばしそうになった。
「 ………友之」
  それでも目を開けられたのは、そう呼ばれた時の声が多分とても優しいと感じられたからだった。
「 嫌だったら嫌って言えばいい」 
  友之が薄っすらと目を開いて沢海の事を見ると、そこにはひどく落ち着いた表情があった。
「 俺が嫌いならそう言えばいいよ。近づくなって。殴ればいい」
「 拡……」
「 友之が何にも言ってくれないから、何も教えてくれないから、俺は今まで自分が良いだろうって思う事を友之に勝手にしてきた。だって俺は友之が好きなんだ。だから何でもしてやりたいし、何かしたくて仕方なかった。でもそれが友之にとって迷惑な事だったんなら…言えば良かったんだ。何で言えないんだよ」
「 ……………」
「 はっきり言ってくれなきゃ分からない。遠慮しているだけなのかもしれないとか…余計な事いっぱい考えちゃうんだよ。相手に言葉がないと、言葉が足りないと……人なんて通じ合えない事いっぱいあるんだからさ」
「 …………通じあう?」
「 そうだよ」
  言われた言葉の意味を友之がじっと考えていると、沢海はまた違う方に取ってしまったのか、翳った表情をした。そして伺い見るような視線を向け、ぽつりと言った。
「 ……めんどくさい? 他人と関わるの」
「 え……」
「 それとも俺と関わるのが面倒臭い? だから言わなかった? 喋らなかった?」
「 そん…! そ、そんなんじゃ…」
「 ない? そんなんじゃないのか? ……嘘だよ。そうなんだよ。きっと。友之はさ…」
「 ひ、拡……?」
「 ………でもちょっと安心した。友之がちゃんと俺のこと殴れたこと」
「 ご、ごめ……」
  友之が咄嗟に謝ろうとした瞬間、しかし再び唇を塞がれた。それは軽いキスだったけれど、友之はそれで再度面食らって声を失った。
「 ……何で謝るんだよ。それじゃ今までと同じだろ」
「 拡………」
「 俺こそ…ごめん。友之、1人で帰れるって言ったのに…あの時はちゃんと言ったのに…俺、無視してさ……」
「 あ……」
「 だって俺…友之の事送りたかったんだ。心配だったんだ」
  沢海は寂しそうに笑って俯いた。そしてすぐに思い直したようになって首を横に振った。
「 いや、違うな…。友之が心配とかそんなんじゃない…。俺の、俺だけの問題だ。俺が勝手に…友之と一緒にいたかっただけなんだ……」
「 ひろ……」
「 俺はいつだって自分のしたいように……」
「 拡」
  友之は何だか泣き出しそうな気持ちになって、何だか無性にどうしようもなくなって、思わず沢海の手を掴んでいた。ぎゅっと力をこめると沢海は驚いて弾かれたように顔を上げた。
「 ひろ、拡…」
「 え…?」
「 あ……」
  沢海の顔を見る事はできなかったけれど、友之はぐっと息を飲み込んだ後、ようやっとこれだけを言った。
「 あ、ありが…とう…」
「 友之……?」
「 あの…怒ってくれたこと……」
「 …………」
  返答はなかった。
  けれど耐え切れなくなったように沢海は突然友之の身体をぎゅっと抱きしめた。友之はそれで一瞬息を詰まらせたが、とくとくと波打つ沢海の心臓の鼓動を聞いているのは決して嫌な事ではなかった。
「 拡……」
  胸に顔を押し付けたまま友之がそっと呼ぶと、沢海の拘束はふっと緩まった。いつもの優しい沢海だ、と友之は思った。



 
To be continued…



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