(18) 写真展の後、友之たちはビル群の隙間にひっそりと残されているような公園に入り、そこで昼食を摂る事にした。平日はこの近くで働くサラリーマンやOLも利用するのだろう、周囲をぐるりと見渡せる花壇の傍には、友之たちが腰掛けているのと同じようなベンチが幾つもあった。ただその他は中央に慰み程度の噴水がある以外、取り立てて何があるというわけでもなく、せいぜい雑踏を避けて小休止するには丁度良い場所だというくらいのものだった。 「 疲れた? 友之」 しかし友之にはそれこそがありがたい事だった。沢海が気を遣うようにそう訊いてきた時も「平気」という言葉を出せなかった。写真を見ている間は気づきもしなかったが、久しぶりに都心に出てきたという事、そして多くの見知らぬ人間たちに囲まれて歩いたという事、それらの事が友之自身でさえ信じられないほどに心身を消耗させていたのだ。 「 特に何がいいか訊かなかったから適当に買ってきちゃったんだけどさ」 そう言いながら沢海は先にベンチに座っていた友之に紙袋をぽんと差し出した。近くのファストフード店で買った、チーズバーガーにフライドポテト、それにコーラという一般的な組み合わせだった。 「 てりやきとか魚系の方が良かった?」 「 ううん」 友之は紙袋の中に入っているそれらから目を離し、慌てて首を横に振った。それからようやく自分の横に腰を下ろして落ち着く沢海を見て口を開いた。 「 お金…。あと、さっきの写真展のも…」 「 え? いいって」 沢海は何を言っているのかというような目を一瞬見せた後、あとはもうそう言った友之のことなどまるで構わないという風になって自分の分のバーガーを取り出した。 友之はそんな沢海をまじまじと見やりながら、困惑したように口を開いたり閉じたりした。 「 でも……」 でも、言う事は言わなければ。 友之は沢海から渡された昼食の入った紙袋を掴む手に力を込めてから、声を大にして言った。 「 でも、払う」 「 それもやっぱりさ、良くないって思うから? 嫌なんだ?」 すると沢海は友之の言葉を先取りしてそう訊いてきた。 友之の方は見ていなかったけれど。 「 ……まぁ。友之がどうしてもどうしても気分悪くてさ、俺に奢られるのが我慢ならないってならしょうがないけど」 「 そ、んな事……」 「 それは違うならいいじゃないか。さっきは俺が折れたんだから今度は友之の番」 「 ………」 「 ああ、それか」 沢海はふと口に運んでいた食事の手を止め、急に思い出したようになって声を上げた。 「 それならこうしよう。今度2人でどこか遊びに行く時は友之が俺に何か奢ってよ。だからさ、今日は俺」 「 え……」 「 駄目? そういうの」 そう訊いてきた沢海はここで初めて友之の顔を見やってきた。友之とは違い、別段困った風でも怒った風でもない、いつもの沢海拡の姿。 「 ………」 「 友之」 「 あ…っ」 「 どうなんだ? それじゃ駄目か?」 「 あ…だ、駄目じゃ、ない…」 思わずどもりながら友之は再び首を横に振った。何となく誤魔化されたような気がしないでもなかったけれど、確かに今度一緒に何処か行く時には、沢海は自分に払ってもらうと言っているのだから。それならば対等かな、と友之はやや動揺している思考の中でぼんやりとそれだけを思った。 対等。 「 こういう所で食べるのもいいよな」 晴れ晴れとした空気の中、吹く風に柔らかい髪の毛ををなびかせつつ、沢海は涼し気に目を細め笑った。友之はこちらを見ていない沢海に黙って頷き同意してから、ようやっと自分も渡されたハンバーガーの包みをガサガサと開いた。ああ、何だかお腹が空いてきたと思った。 当初沢海は、写真展の後は駅近くの美味しいラーメン屋へ行こうと言っていた。寮の食事は大体が和食か洋食で、ラーメンなどが出る事はなかった。他の学生たちは昼食の時に学食でそれを食べたり、コンビニエンスストアでカップ麺を買ったりという事をしていたが、友之は人の多い学食を利用する事など殆どなかったし、カップ麺を買いに外へ行く事もなかった。 それでも友之がそういう物が好きだという事を沢海は知っていた。友之自身は覚えていないが、きっと以前に好きな食べ物は何かと訊かれた時にでも答えていたのだろう。だから沢海は出掛ける時そんな事を言ったのだと思う。 しかし実際は公園でこういう事になっている。ただ、そうなった原因が自分にある事を友之は知っていた。写真展を出てから急に襲った疲れには本当に翻弄されていたし、足もじんじんと痛んでいた。それなのにこのまま駅まで戻り、埃っぽい人込みをかき分けて混雑しているだろうラーメン屋に入るのは気が重かった。 何も言わずとも、沢海はきっとそんな自分の気持ちを分かってくれたのだろうと友之は思うのだ。 「 ……?」 その時、ふと何かを感じて、友之は一口だけかじったハンバーガーから視線を隣へと移した。 「 ………」 そこには自分の食事の手を止めて友之をじっと見やる沢海の視線があった。 「 拡…?」 「 え? あっ…」 呼ばれて沢海ははっとなったようになり、慌てて視線を外へずらした。それから誤魔化すようにコーラに口をつけ、その後何故だか焦ったように「うまいか?」などと訊いてきた。 「 うん」 友之が頷くと沢海はちらと視線を戻し、「良かった」と言ってほっと安心したような目を見せた。それで友之もつられて目だけで少し笑った。 すると沢海はまた不意に出していた笑顔を引っ込めて黙りこくった。 「 拡?」 「 ………うん」 友之が首を捻りながら問い掛けたが、様子のおかしい沢海は曖昧に応えたまま何も言おうとしなかった。ただ手にしたバーガーを口に運び、つい先刻まで見せていた気持ち良さそうな顔もどことなく色褪せて、沢海は何かを考えこむようになって沈黙し続けた。 「 ………」 途端に友之はどうして良いか分からなくなり、沢海とは違って食事の手も止めて隣の友人をじっと見守った。沢海が何か言いたそうにしているのだけは確かだと思ったから、こういう場合は「どうしたのか」と訊くべきなのか、それとも相手が何か言うまで待つべきなのかと、逡巡したのだった。 「 ……拡」 それでも友之にはそのどちらも選択する事ができなかった。ただ力なく相手の名前を呼び、この窮屈な沈黙を破るよう催促するだけで。 それをずるいと思うのにどうしようもなかった。 「 あ、ごめんな友之」 案の定沢海はすぐに立ち直ったようになって困惑している友之に助け舟を出してきた。そうして心底申し訳ないという風になって謝り、何でもないと言ってにこりと笑った。 「 ちょっとぼうっとしちゃったんだ。悪い、いきなり黙りこんで」 「 ううん」 「 えーっと、友之は、さ。やっぱり俺が無口になると変に思うか?」 「 え?」 「 ああ、ほら。今友之すごく困った顔してたし。俺、いっつも煩く話す方だもんな。だからいきなり黙ると落ち着かないかって思って」 「 そんな事はないけど…」 「 けど?」 「 え…何か…いつもと違うから…」 「 やっぱりいつもと違うと調子狂うよな?」 「 あ……」 どう答えて良いか分からず友之は口を閉ざした。無口なのが落ち着かないなどといったら自分などはどうなるのか。いつもいつも言葉が見つからずだんまりばかりで、沢海を困らせてきたのはまさしく自分の方ではないか。 しかしそんな友之の途惑いを察したのだろう、沢海はすぐに可笑しそうに笑って首を振った。 「 なあ友之。俺はさ、友之とこうやって一緒にいて、でも何も話さなくっても全然平気。友之は慌てちゃうかもしれないけどさ。むしろ…俺はそういうのが好きかな」 沢海は照れたように視線を外し、そして続けた。 「 勿論、友之に色々話しかけるのだって好きだけど。言葉なんかなくたってさ…別に…」 「 ………」 「 はは、友之は窮屈かもしれないけどな!」 何か、気まずいもんな。 沢海はそう言って冗談めかして笑ったが、友之が焦ったようにそれを否定しようとするのはすかさず止めた。そうして途端に真剣な顔になって、前方を見据える。友之はそんな沢海の横顔を黙って見つめた。 「 いつまでだって待つから…。俺、友之が俺といても、何をしてても安心だって、居心地良いって思えるようになってくれるまで…待つからさ」 「 拡…?」 「 ………駄目? 友之?」 「 え……」 「 俺、友之を好きでいてもいいだろ?」 「 ………」 真っ直ぐな視線で射抜かれてやはり声がすぐに出なかった。 告白などもう既に何度もされたのだ。身体だって求められた。だから今更そう言われて驚く事などないはずだ。 「 拡……」 それでも再度改まって言われて、ここ最近の穏やかな沢海を思い返すにつれ、友之はやはり途惑って先の言葉を見つけられずにいた。 ただこんな風に優しく言ってくれる沢海に対してはっきりしている事が何なのかだけは分かっているつもりだった。だからそれだけは伝えようと思った。 「 拡のこと…嫌いじゃない…」 あの夜、いきなりあんな事をされて、がむしゃらに抱きしめられて恐ろしかった。沢海をまともに見られないと思った。思考が混乱して訳が分からず、相手にどうして言って良いか何もかもが分からなかった。 それでも今まで沢海が自分にしてくれた事や、先日の本気になって怒ってくれた事、きちんと話して欲しいと言ってくれた事が友之は嬉しかったのだ。 決して嫌ではない、と。 むしろー。 「 あの…でも」 けれど友之はもう一つの事も言わなければと思った。だから答えた。 「 でも、分からないんだ…。そういうの…」 「 そういうの?」 「 好き、とか…。……そういうの」 ひたすらに視線を寄越す沢海を直視できず、友之はかっと赤面したまま俯き言った。 そう思う事も事実だったから。 分からない、と言う事。 好きという感情。 「 ……うん、分かってる」 地面に目を落としていると沢海が言った。 「 友之が困るの分かるよ。当然だよ。だから…俺、待つから。友之が俺の事嫌じゃないって分かっただけでも、俺嬉しいから」 「 ………本当に」 「 うん」 「 ……っ」 ほっとして息を吐くと沢海は可笑しそうに笑った。 「 どうして友之が緊張するんだよ。俺の方がどきどきしてたってのにさ」 「 …だって……」 「 ……なあ。友之」 「 え……あ……」 その時、不意に。 唇が、寄せられた。 「 ひ…」 呼びかけた時にはもう塞がれていた。優しく肩を抱かれ引き寄せられながら、同時に迫ってきた沢海の唇。 「 ……っ」 軽く触れられ、それから徐々に何度も重ねられる。びくんと身体を震わせると、大丈夫だと言わんばかりに肩先から降りてきた掌で背中を優しく撫でられた。 「 ん…」 喉の奥で声が漏れた。恥ずかしくて顔が熱くなった。 それでも沢海のキスはしばらく続いた。友之はどうして良いか分からず、固く目を閉じた。 「 ……いきなりで」 すると、キスを終えた沢海がすぐ間近、互いの息が触れ合う位置から囁いた。 「 ごめん」 「 ひろ……」 「 でも、好きだから」 「 ひろ …んっ」 そしてもう一度、名前を呼ぶ前にキスをされた。ただ良いように触れられて、それでも友之は完全に逆らいきる事ができず、無意識にそんな沢海の腕をただ掴んだ。目をつむると余計に沢海の熱が感じられるような気がした。 強引に、唐突にされているはずなのに。 何だか優しく感じた。 帰宅すると、寮の門前でちょうど寮母の柴田と鉢合わせした。彼女は背中を向けたまま外に出てきた所で、先を歩いていた沢海ともろにぶつかりそうになった。沢海が咄嗟に両手でそんな柴田を支えた為、衝突、とまではいかなかったのだが。 「 どうしたんですか」 「 だから今日は駄目だって言ってるでしょう!」 しかし沢海の驚いたような問いかけに柴田は応えなかった。自分が沢海にぶつかってしまった事も、そして声を掛けられた事にも柴田は気づいていないようだった。自分の後から寮を出てきた人物にしきりに何事か言っている。 その人物が玄関から出てくると、近くにいた他の寮生たちが一斉にさっと身を引いた。坊野だけは柴田と一緒に何事か言っているようだったが。 「 暁君!」 柴田が再度その出てきた人物に言った。 「 ちょっと待ちなさい。何処へ行こうって言うの。まだ話は終わってないでしょう?」 「 そうだよ、氷野。お前、今日は大人しくしていた方がいいって。外行っても良い事ないだろ」 しかし柴田と同室の坊野の声など暁にはまるで届いていないようだった。すたすたと外へ出て坊野だけでなく柴田をも押しのけると、暁はすっと顔を上げ、そろそろ日が沈むだろう外の空気をすっと吸った。 「 ………」 そしてふと気づいたように、柴田の傍にいた沢海と友之に無機的な視線を送ってきた。 「 ……っ」 友之はその暁の視線に思わず息を飲んだ。 怒っている。何故だかそう感じ取れた。 「 ………」 しかし氷野はそんな友之たちには興味がないのか、さっと背中を向けるとそのまま寮を去って行こうとした。依然としてぎゃあぎゃあと声をあげる柴田にも構わずに。 ただ去り際、氷野は何かを思い出したようになって足を止め、ちらと振り返って友之を見た。 「 ……キタガワ君」 そうして。 「 今度俺とも遊ぼう」 友之はそう言った後そのまま去って行く暁に何も言う事ができなかった。 |
To be continued… |