(7)



  珍しい組み合わせが並んで帰宅してきた時、いつも気に掛けている少年の制服が妙に汚れているのが気になって、柴田は思わず大声を上げてしまった。
「 北川君! どうかしたの、何かあった!?」
  そう言いながらも相手がすぐに応えない事を知っていた柴田は、同時に隣の「問題児」暁の方をつい凝視してしまった…が、賢い問題寮生はその視線の意味を正確に把握したようで、実に迷惑そうな顔をしてみせた。
「 柴田さんは俺がキタガワ君をいじめたと思っている」
「 えっ! い、いや、そうじゃないんだけどね!」
「 焦ってる」
  暁は平然とそう切り返してからちらと友之の方を見やり、すぐに自室へ向かう階段に足をかけた。
「 ちょ、ちょっと暁君!」
「 …理由くらい、本人に聞きなよ」
  暁は寮母の柴田に悪い感情を抱いていないのだろう。一応は返答をし、けれどあとはそのままだるそうな足取りで去って行ってしまった。
  柴田はそんな暁に未だ焦ったようになりながらも、埃っぽい友之の襟元に再び目線を戻し、遠慮がちに口を開いた。
「 北川君、本当にどうしたの? それに暁君と話した事なんてあったの? どうして一緒だったの?」
「 ……………」
  友之が矢継ぎ早に質問しては余計に話せなくなる少年だという事は、柴田も重々承知していた。それでも訊かずにはおれなかった。そわそわとしながらも柴田が友之の返答を辛抱強く待っていると、相手も応えないと上がらせてもらえないと感じたのだろう、ゆっくりとだが口を開いてぽつりと言ってきた。
「 転んだん…です」
「 え?」
「 ………すぐそこで」
「 そ、そうなの?」
  問い返したが、しかしもうこの無口な少年から柴田はそれ以上の声を聞き出す事はできなかった。黙ってこくりと頷く友之に、柴田もそれで納得するしかなかった。怪我はないかと訊いても、また静かに首を縦に振るだけ。柴田は困惑しながら、後はただ自室へと向かう友之を見送るだけだった。


  暁は友之に絡んだ男子学生たち全員をたった一人で簡単にのした。またそれに要した時間も多く見積もってせいぜい5分といったところだった。
  友之は唖然として、ただその場にいる事しかできなかった。
「 うぅ……」
  微かにうめきつつよろよろと前傾姿勢を取りながら逃げ去る者、恐ろしさの余り仲間を気遣う風もなく転げるようにしていなくなる者など、その逃げ方は個々それぞれだったが、とにもかくにも先刻まで散々強気だった彼らは、自分たちの形勢不利を感じ取り、あっという間にその場から退散していった。
  そうしてその場には友之と物足りなそうに拳をぷらぷらと振る暁だけが残った。
「 ……あんな感じの人たちって、東京にもいたんだ」
  暁は友之の方を見ずに、ただ自分の拳だけに視線をやっていた。
「 地元だけかと思ってた。でも実は…多いんだな」
「 え………」
  思わず聞き返すと、ここで初めて暁は友之に視線を向けた。不敵な揺るぎのない真っ直ぐな瞳だった。
  けれど暁は友之に対しては別段何も話しかけてはこなかった。
  そしてすぐに踵を返すとそのまま校門の外へと向かって行ってしまい、ちらとも振り返る事はなかった。それで友之は慌てて地面に放置された鞄と財布を拾うと、そんな暁の後を必死に追った。


  腕っぷしの強い人間なら友之は他にも知っていた。兄の幼馴染の1人で、名前を正人と言った。
  彼は気が短くて乱暴で、ちょっと気に食わない事があると何よりもまず手が出てしまうようなところがあった。中学、高校と喧嘩が絶えず、同じような仲間たちとバイクを走らせて補導されたり、相手に大怪我を負わせて鑑別所一歩手前まで行ったり。学校や家庭で何度も問題を起こしては、正人はその度に兄の所に逃げこんで来て、愚痴を言いにきたりしていた。
  友之の兄はそんな正人とは正反対の真面目な人間だったが、何故か2人はとても気が合い、互いが「親友」と認め合うような間柄だった。正人もそんな親友の弟という事で、友之には厳しいながらもよく気を回してくれていた。地元ではそんな正人のお陰で、友之は悪い連中に付け狙われる事がなかったと言っても良いくらいだった。北川友之には、喧嘩では誰にも負けない「あの」中原正人先輩がついていて、アイツに何かすると正人先輩が出てくる、だから北川にはちょっかいを出さない方がいい、というのが友之の中学校で立っていた噂だった。
  それが高校に上がって寮に入って。
  当たり前だがそんな「コネ」は勿論なくなり、これからは何もかも自分1人の力で立ち上がらなければならなくなっていた…わけなのだが。

  今回また友之は助けられた。
  暁という、まともに会話をした事もない同じ年の人間に。
「 ……何か用?」
  突然、部屋のドアをノックをしてきた友之に暁は冷めた目を向けた。
  友之は柴田の追及を逃れた後、何故かすぐに暁の部屋に向かった。自分の部屋に行って鞄を置く事すらせず、とにかく暁の後を追ったのだ。
「 入る?」
  暁も今部屋に入ったばかりだから制服は着たままだった。だからドアを開いて友之を入れた後は、暁は相手に構わずさっさと着替えを始めた。脱ぎ捨てられた学ランとワイシャツをぼうと眺めていた友之は、しかしふと暁の半身に目を向けてはっとした。
「 ……………」
  その均整の取れた鍛えられた背中には、思い切り長い切り傷の痕がすっと一本通っていた。
  もっともそれが見えたのも一瞬で、暁はすぐにベッドにかけてあったTシャツを着ると、ちらと友之を見てから再び静かな口調で言った。
「 入ったらドア閉めて」
「 !」
  慌てて言う事を聞き、友之は部屋のドアをきっちりと閉めて、そのままおずおずと部屋の中央にまで足を踏み入れた。暁は友之には構わずすぐに部屋の窓を開けると、そこから吹く風にうっすらと目を細めた。さらりとした暁の金の髪は心地良さそうに揺れていた。
  友之はそんな暁をじっと見てから、そっと声をかけた。
「 あの…」
「 …………」
  暁は窓の外に目をやったまま、友之の方は一切見なかった。それでも友之は声を出した。
「 さっき………ありがとう……」
  聞こえただろうかというほどの小さい声でそれだけ言った。
「 …………へえ」
  すると暁はようやく視線を友之にやってから、すとんとその場に座り、言った。
「 声、初めて聞いた感じ」
「 …………」
「 座りなよ」
  そうして暁は友之に対して微かに笑んで見せた。



  沢海が部活を終えて帰宅した時、玄関口には寮母の柴田と演劇青年・坊野が実に奇妙な顔をして立ち話をしていた。
「 ただいま……どうしたんですか? 2人して?」
  さすがに妙なシーンだと思って沢海が笑いながら問い質すと、柴田と坊野は沢海を見るや否や、もの凄い勢いで迫るように身体を乗り出し一斉に喋り始めた。
「 もう聞いて、沢海君! なな何だかびっくりなのよ!」
「 ホントだよ! 俺なんか気まずくてめっちゃ部屋入れないって感じなんだけど!」
「 大体どういう…っ。一体何があってあんな組み合わせが成立しちゃったのかしら? 不自然極まりないわよね、失礼な話」
「 でも仲が良いかとかそういうのは実は不明なんだよ。だって別段楽しそうに話しているわけでもないし!」
「 そうなのよね。でも一緒にいるんでしょ?」
「 いるんだよー」
「 あの……」
  何が何やら分からずに沢海が苦笑すると、柴田が真面目な顔をして沢海にぽつりと言った。
「 北川君が暁君の部屋にいるのよ」
「 え……?」
  一瞬、何を言われているのか沢海には分からなかった。
「 どういうわけか、今日は帰りも一緒でね。その後、夕飯も一緒にいたし、今も部屋で2人してお話しているみたい」
  柴田の言葉の後を、更に坊野もつけ足した。
「 話っていうか。うーん、まあ2人共無口だから何話しているのかは実際分からないんだけどね」
「 お前らの部屋で?」
  沢海が訊くと、坊野は腕を組みながらうんうんと頷いた。
「 そう。俺が部活から戻ってきたらもう北川いたよ。暁ってああいう奴だから俺と柴田さんくらいだったよね、話す人間」
「 そうよー。北川君だって沢海君とあたしにくらいしかお話しなかったでしょ」
「 友之が……?」
「 気が合ったのかしらねえ…」
「 ……………」
  柴田の最後のつぶやきは、もう沢海の耳には届かなかった。





To be continued…



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