性少年の恋


  ―2―




「光次君、これ見て…。不思議…」
「あー、ホントだあ」
  日曜日なだけあって、無料の子ども科学館内には思った以上の人がいた。親子連れは勿論、光次たちのような「兄弟」らしき2人組や仲間数人のグループ。それに暇潰しか、或いはやはり星が目当てなのか大学生らしきカップルの姿などもちらほらと散見できた。
  冬の星空をテーマにしたプラネタリウムの上映時間までにはまだ間があり、2人は幾つかの展示室を何ともなしにぐるぐると回って、あれはどうのこれはどうだと面白おかしく話し続けた。子どもの為の施設なだけあり、ロボットルームや宇宙工房といった名の如何にも科学館らしいブロックの他に、トリックアートや化石展示など様々な催しも月毎に行われているらしい。無料にしては随分と充実した遊び場である。光次はここの存在を学校の一行事である社会科見学で知った。その時は現在化石展示がされているブロックで恐竜展を開催していて、CGで作り上げられた巨大恐竜たちが3D眼鏡で実際にその場にいるように見られたりしてなかなか面白かった。
「でもね、俺その時プラネタリウムも絶対見たくて、先生の目を盗んで一人で勝手に見に行っちゃったの」
「え…? 一人で?」
「そうそう」
  宇宙工房にあるコンピュータールーム周辺を巡りながら光次がその時の話をすると、友之は熱心に覗きこんでいたPCの画面から視線を外し、驚いたような顔を見せた。
「叱られなかった?」
「ああ、怒られた怒られた。『光次ッ!! テメエは一体全体どこに行ってやがったんだあー!!』って。それ言ったの、女の先生だよ? もうホント乱暴者でさぁ」
「心配…してたんじゃない…?」
「うん、まあそうだろうけどね。でもさ、その後も他の先生までミナ先…あ、その俺の担任なんだけど。またミナ先生泣かせたのかーって。話がどんどんおっきくなってて、学校帰った後なんて校長先生にまで呼び出し喰らってさ」
「……凄いね」
「ね、大袈裟だよね」
「ううん…」
  友之は緩く首を振ると小さく笑った。
「凄いのは、光次君」
「え? 俺?」
  何でと不思議そうな顔をする光次に友之はまた控え目な笑みを向けた。たったそれだけで光次がどれほど胸を高鳴らせてしまうかも知らずに。
「光次君はみんなに好かれてるんだよ。先生たち…光次君のことが大好きだから、そうやって言ってきてくれるんだと思う…」
「え、ええ…? そうかなあ…」
「うん。きっと俺がいなくなっても、先生はそんな探さないと思うから」
「え…」
「あ、あと」
  その何気ない一言に光次がぴたりと動きを止めた事には気づかず、友之はむしろどこか楽しそうな顔になってたどたどしく後を続けた。
「それに…一人でどんどん先に行ける所も、凄いなって思う」
「……先って?」
「俺だったら…そんな、一人で何処か、とか。行けないと思うから。ただ列について歩いてるだけで、きっと終わっちゃう」
「………」
「遠足とか…。小学校の時、少し楽しみに思ってた事もあったけど、中学の時とかは嫌だった」
「嫌……」
「うん。あんまり…行きたくないなって」
「………」
「あっ…」
  そこまで話した友之は光次の表情の変化にようやく気づき口を閉ざした。自分がつまらない話をしてしまったせいで光次が黙ってしまったのだと思い至ったらしい。
「ご、ごめん…。光次君…?」
「え…っ」
  けれど光次もそんな友之にすかさずハッと我に返った。すぐに明るい笑顔に戻して「何?」とわざとらしく聞き返した後、無理に空気を変えるように再び友之の手を握る。別に周りの目は気にならなかった。
「あのさ、星! そろそろ始まるから行こうか? きっと面白いと思うよ?」
「あ、う、うん……」
「行こ行こ!」
  何事か言いた気な相手を無視し、光次はぐいぐいと友之を引っ張って前を歩いた。

  何でこんな話!

  光次は頭の中にぱっと浮かんだその台詞を反芻し唇を噛んだ。
  友之が中学時代に学校へ行けなかった時期があった事は自分とてもうよく知っていたはずだ。また、その時の学校の教師達は友之に対し何もしてくれなかったこと、一部の友人を除いてクラスメイトも友之には冷たかったこと。
  独り自宅の暗い部屋に何日も閉じこもっていたことも。
  そんな相手に、自分の楽しい中学生活の話をするなんて無神経にも程がある。
  バカだ。
「……ごめん」
  友之の方は振り返らずに光次は小さく謝った。背後からのリアクションはない。聞こえなかったのかもしれないし、どう答えて良いか分からなかったのかもしれない。光次はそんな友之に物足りなさと一方で安堵を覚えながら、手を繋ぐ自分たちを奇異の目で見やる周りの視線を感じつつも、ただ黙々と目的の場所へ向かった。





  光次は中学3年のはじめ、2年まで同じクラスだった同級生から「好き」と告白されて一時期その彼女と付き合っていた事がある。
  サッカー部のエースで器量良し、明るく屈託のない性格とくればモテる要素揃い踏みだが、光次にとって女の子から告白されたのはそれが初めてであった。得てしてアイドル的な存在は彼氏候補としては敬遠されるものである。また光次自身、色恋沙汰に対する関心が薄く、さり気ないアピールを繰り返す女子生徒たちの眼差しに鈍感過ぎたという事も原因の一つであるかもしれない。
  それに何より光次にとっての一番はサッカーだったし、彼女などいなくとも彼の毎日は楽し過ぎた。たった1人の女の子にだけ意識を向けているには、その時の彼の世界は広過ぎたのである。
  だからその成り行きで付き合った同級生とも長くは続かなかった。
  交際を始めて僅か一ヶ月経ったところで、光次は相手の子から泣きながら「別れて」と言われてしまった。大切にしたつもりだったし、部活がない日などは優先して一緒に遊びに行ったりもしていたのに何故急にと、光次にしてみればまさに寝耳に水であった。
  しかし……。
「付き合って一ヶ月も経つのにキスしかしてこないなんて…。しかも私の方から誘ってやっとじゃ、どう考えても光次は私の事が好きじゃないのよ!」
  ぽかんとして何も言えない光次にそうまくしたてた彼女は、「これでも私はあんたに負けないくらいにモテるんだからね!」と、今までに見た事がないくらいのヒステリーを起こしたのだ。
  このちょっとした「事件」は光次の中で女子全般に対する不信感を生み、後々まで引きずる結果を呼んだ。

  俺は俺なりにお前を好きだったぞ。何だそりゃ!?

  父親の影響もあったかもしれないが、光次は恋愛に対して昨今の「彼女が出来たら即セックス」な同級生たちの考え方には今イチついていけないところがあった。仲間たちに自分の彼女とシた事を大っぴらに「自慢」する輩や、あいつは思ったより胸が小さかったとか喘ぎ声がエロかったとか、よくそんな話が出来るものだと遠巻きながら呆れていた程だ。そんな事を影で彼氏から言われているなんて女の子が可哀想だと思った。
  ところが自分の彼女も実はそんな連中と似たようなものだったわけで。
  付き合って一月も経つのにまだ手を出さないから「私のこと好きじゃないんでしょう」とは、こいつは一体どんな「はしたない女」なんだ!…光次はそう思わずにいられなかった。キレたいのはこっちだ。お前こそ、俺の事を一体何だと思っていたのだ?と。
  光次は彼女とは一緒に遊園地や映画に行ったり、好きなサッカーの話をしたり…時には一緒に遊ぶでもいい。ただそういうお付き合いがしたかった。それが「中学生らしいまっとうなお付き合い」だと信じていた。
  ハッキリ言って光次は彼女と「ヤリたい」とは思っていなかった。
  ……そういう意味では、確かに彼女をそれほど好きではなかったのかもしれないが……しかし当時の光次にその自覚はなかった。好きだからイコールヤりたいという考え方がその時の光次には存在していなかったのである。誰かを好きになるという事それ自体が、彼の中ではまだよく分かっていなかったのかもしれない。
  ただ、今は少しだけ…いや、かなり違う。あの頃とは。
  好きという感情についてはまだ謎な部分が多い気もするが、少なくとも今の光次はあの時の彼女に対して抱けなかった欲求を確実に持っている。
  今この瞬間、自分の傍にいる友之に触れたくて仕方がないという欲求を。





『このように、冬の澄んだ空に見える美しいプレアデス星団は、すばるやはごいた星など多数の和名があり……』
  真っ暗な館内に流れる女性のしっとりとしたアナウンスを何となく耳に入れながら、光次はじっと隣に座る友之の横顔を盗み見ていた。
  こういう所へ来た事はないと言っていただけに、友之は今とても熱心に人工の夜空を眺めている。物珍しそうなその目線は科学館の展示物を見ている時と何ら変わりない。その無垢な瞳はやはり自分より随分と年下のように思えて、けれど子どもにはない艶っぽさも感じられて、そのギャップが光次の頬を抑えようもなく熱くしていた。
  前の彼女とはこうして手を繋いでいてもこんなに動揺しなかったし、胸がときめいたりもしなかった。友之には何という事もない風を装っているが、その手に自分のものを重ね合わせているだけで、普段は鉄の心臓もぐらぐらと沸き立って今にも破裂してしまいそうになるのだ。
  友之の気持ちは定かでないが、良い年をした男子学生同士がこうやって手を繋いでいるなどどう考えてもおかしい。それを逆らわないという事は友之とて満更でもないのではないか?そう思わずにはいられない。手のひらに滲む汗を知られないように何度か握り直したりしてその度ぎゅっとやったりしているのに、友之はそれに無意識なのか意図的なのか自分もぎゅっと返したりする。

  そうだ、絶対友之君だって悪い風には思っていない。
  第一、俺の事が嫌いだったらこうして一緒に出掛けたりだってしないはずだ。

「あ、あのさ…友之君…」
「ん…?」
  女性の解説に聞き入っていた友之だが、光次のくぐもった声はすぐに届いたようだ。夜空から目を離して不思議そうに視線をやる。光次は一番背後の席にいる自分たちに誰も注目していない事を今さらもう一度確認すると、恐る恐る言った。
「あの…えっと……」
「…どうしたの?」
「いや…あ、星、綺麗だね」
「うん」
  ……何を言いたいのか分からなくなってしまった。
  星なんてちっとも見ていないくせに光次は誤魔化すようにそう言ってから、けれどどうしてもまだ話をしていたくて慌てて口を継いだ。
「えっと。友之君って流れ星見た事ある?」
「あ…さっきの綺麗だったよね」
「さっきの?」
「さっき…流星あったよね…? こいぬ座の…あのあたり」
「ああ…あ。そうだね」
  そんなもの全く見ていない。
  冷や汗をかきながら適当にあわせた後、光次は上映中にも関わらず尚声を潜め話し続けた。
「友之君って本当に素直だよね。何でも一生懸命で」
「え……」
「そう思う。だから皆、友之君のこと好きなんだと思うし」
「………」
「あ、さっきさ…。友之君、いなくなっても誰も探さないなんて言ったけど、絶対そんな事ないよ。光一郎さんは勿論として、他の人たちも皆きっと焦りまくって探すよね」

  勿論それは俺もだけど。

  けれどその最後の肝心な台詞は、急いでまくしたてた為に息が詰まって言いそびれた。しかも慌ててそれを付け足そうとしたところを友之が急にふっと沈んだような顔になって俯いたものだから、途端光次はぎょっと目を剥いてしまった。
「と、友之君…? どうかした…?」
「……さっきの…やっぱり、気にしてたんだね」
「え?」
「ごめんね…」
「いやっ! そんなっ!」
「しーっ!!」
「はっ!!」
  前席の小さな子どもがぎっと振り返って口先に指を当て、思わず大声を上げ腰を浮かしかけた光次に静かにしろと訴えてきた。光次はそれにひたすら恐縮して頭を下げ、大人しくすとんと椅子に座り直すとはっと息を吐いた。
  それでも友之を見つめ、声を出す事は止められなかった。努めてひそひそ声にする為友之の耳元へ口を近づける。
「あ、あのね…。友之君、さっきの事は気にしてるとかじゃなくて、むしろ俺が……。それに今の話は単なる流れで…っ」
「うん…。あの、もう静かにしよう…?」
「……はい」
  友之は注意してきた子どもや周囲の様子が気になるのか、必死の光次にも申し訳なさそうにそう言った。そうなると光次の方としてもしゅんとして押し黙るしかなかったのだが、最後に付け加えようと思っていた「勿論、俺だって友之君を探すよ」という台詞が言えなかった事は心残りで仕方がなかった。
  何故こんなにも気になるようになったのだろう。はじめは関わる気などなかったのに。
  けれど光次は初めて会った時に見た友之の切な気な不安そうな瞳がずっと胸の中に残ってなかなか消す事が出来なかった。ただの同情にしてはそれはあまりに長く記憶の表面にこびりついていたし、不意に現れた兄弟だからというそれだけにしては、会えば会う程光次は友之に対して「もっと近づきたい」、そして「触りたい」という願望を強くしていた。
  明らかに今までに覚えた事のない、それは不可解な感情だったのだ。
「………」
  ややひんやりとする館内で光次は握った友之の手を改めて見やった。
  友之の手はとても温かい。それに柔らかい。自分より背の低い友之の手はやっぱり自分のそれよりは一回り小さくて、それに触れているだけでこんなにも幸せな気持ちになる。
  そして幸せだと思うと同時に、何だかひどくもどかしい。
「………」
「……光次君?」
  光次の様子がおかしい事に友之も気づいたようだ。自分の手を持ち上げてまじまじと見やる光次は、やはり星になど何ら注意を向けていない。また、どうしたのかと問い質す友之の視線にすら頓着していないように見える。
「光次君…何…?」
「………」
  友之のその声は、光次にはとても遠くにあるような気がした。
  ただ、今近いのはこの白い小さな手だけ。
  白くて綺麗で……この手を探さない人間などいるわけがない、そう思った。
  ずっと触っていたい。
「え…?」
  友之の驚きの声にも光次は暫く自分がした事の意味が分かっていなかった。
  何となくだ。
  口を近づけ、ちゅっと友之の手の甲に唇を押し当てた。驚く相手にも全く気づかず、光次はそれを一度やるとまるで何かに吸い寄せられたかのようにその後も二度、三度と友之の指先にキスをしかけた。
「こ、光次君…?」
  友之が呼んでいる。どうしたのだろうとは思ったが、丁度その時丸天井を彩る人工の夜空では星同士が衝突する様子を映し出しており、眩い光と共に観客を釘付けにする大音響が辺りにドドンと響き渡った。それはまるで光次の中で何かが爆発したのとリンクしたかのような絶好のタイミングだった。
「友之君…っ」
  光次はその爆発の勢いに任せ、ほぼ反射的にガバリと体勢を翻した。躊躇う友之に覆いかぶさるような格好となり、お互いの顔がすぐ間近な状態となる。
「こ…光次く……」
「何か…何か俺さ…友之君…。その、聞いて欲しいんだけど」
「うん…?」
「その前に、キスしていい?」
「え……んっ」
  許可を貰う前にもう唇を押し当てていた。友之の肩口を力強く抑えつけ、強引に不器用に唇を押し当てる。お互いの唇をくっつけただけの粗末なそれは口づけというにはあまりに唐突で光次自身も何だか分からないままにやってしまったものだったが、それでも何度も何度も繰り返し重ねていくうちに光次も友之の唇の形を覚え、それを巧い具合に摘んだり舐めたりして相手の反応をびくんと得る事に成功した。
「はぁっ…光次く……」
「友之君……可愛い……」
「や……んぅっ」
  友之は明らかに面喰らい、嫌がっている。それが分かった。それでも止められなくて光次は息つぎの為に口を開いた友之に舌まで差し込んだ。たどたどしいそれが自分の舌を押し返そうと必死になっているのを無理に捉え、顔を逸らされないように顎先を押さえた。
  そうして片方の手は友之の上着の中へと滑り込ませる。
「あ…っ…」
  素肌を辿って胸の突起にまで指先を到達させると友之が感じたように声をあげた。ゾクゾクとして光次は自分のものが急激に高まり硬くなるのを感じた。やばいやばい、これ以上はまずい。そう思っているのに止められない。キスも友之の口から流れる唾液すら愛しくて、夢中になって貪った。胸の突起にも執拗な愛撫を繰り返した。
  触っていたい。こうしてずっと触って、そして自分も触ってもらいたい。
  友之としたい。
「光次君…や…」
「友之君…っ」
  けれど暴走する中学生を一瞬で正気に戻したのは、不意にパッと明るくなった館内の三色ライトだった。
「はっ!?」
『只今を持ちまして、本上映を終了致します。お忘れ物などありませんよう――』
「………」
  途端ざわざわと騒々しくなる辺りに光次が自席でボー然とする。
  咄嗟に自分の席に座り直したものの、やはりやらかした事はとんでもなく大胆で無警戒なものだったようだ。隣に座っていた2人連れの若い青年客などは光次の暴走に余裕で気付いていて、そのうちの一人からは「少年、サカる場所考えろよな?」とニヤリとされながら肩を叩かれてしまった。
「……っ」
  猛烈に恥ずかしくなり、さっと友之を見ると、案の定友之もどうして良いか分からない顔をして俯いていた。真っ赤になったその顔は、めくれあがった上着を元に戻す余裕もないのか、ただ俯いて泣きそうになっている。

  終わった。

  館内の明りとは逆に目の前が真っ暗になり、光次は眩暈を感じながら、それでも必死に言葉を出した。
「と、友之君……その……ごめん……」
「………」
「お、俺っ。訳が分からなくなっててっ。た、ただ、何か急に友之君に触り…」
  触りたくなってという言葉を出しかけて光次は口を噤んだ。何を言っても何の言い訳にもならない。がっくりとしながら、自分の方こそが泣きそうになってしまう。
「でも…俺だって…友之君がいなくなったら探すって言いたくて……」
  そう。ただそれだけを言う予定だったのに。
  何がどう間違ってあんな展開になってしまったのだろう。殆ど条件反射で身体が動いていたとしか言いようがない。本能だけで行動したというか。
「お、俺……」
  けれどたとえ終わってもこれだけは言わなくては。それも今さらだけどと思いながら、光次は何とか口を開いた。
「友之君にヤな事ばっか言って…でも手を離したくなくて…ずっと話、していたくて」
「………」
「だって…だって、好きだから…」
  友之は何も応えない。それでも光次はやっと顔を上げる気になって、友之を真っ直ぐに見つめた。
「友之君のこと、好きなんだ」
  そう、それだけが光次の真実。
  ただ順序が逆だった。告げる前に手を出してどうする。
  自分の中でそんなツッコミが入りながら、光次は尚もう一度「好きだ」と繰り返した。
「光次君…怒ってないから」
「……え?」
  すると、どれくらい経ってからだろう。
  友之がようやっとそう返してきた。驚いて目を見開くと、友之は未だ真っ赤になったまま俯いていたが、必死になって口を開こうとしていた。
「あの…本当だよ? 大丈夫…。俺も光次君のこと、好きだよ…?」
「ほ、本当に…?」
「あの、だからね……」
「う、うんっ? 何っ!?」
  夢じゃないだろうか。友之も好きだと言ってくれた!
  嬉しくて嬉しくてまた今にもここで押し倒してしまいそうな光次に、しかし友之は依然真っ赤になったまま言った。
「あの…でも、ここは駄目だから……。それ……」
「え?」
  友之がちらと目配せした方を光次も見て、その瞬間光次はフリーズした。
「トイレ……行った方が……」
「うわっ」
  光次はその瞬間、焦って飛び上がった。
  暴走した中学3年生は友之に欲情して襲い掛かった時にだろうか、既に自分のズボンの窓を開け、衣ごしにではあるがその昂ぶりを思い切り主張してしまっていたのだ。
  ちなみに、今現在次の上映目当てに新しい客がすぐそこまで押し寄せてきている。
「ご、ご、ごめんっ。俺先に行くねっ」
「う、うん…。あ、光次君、チャック…」
「おわっ。そうだそうだ、い、いてて…!」
  慌ててチャックを閉めようとするが焦っているせいでなかなかうまくいかない。
  光次はそんな愚か者な自分に代わりその作業を請け負ってくれた友之に赤面しながら、とりあえず体裁を整えると急いで館内のトイレへ猛ダッシュした。それはいつでも自分の一番と自負するサッカーの試合時よりも素早い瞬発力だった。
「俺、バカだろ…!」
  恥ずかし過ぎる。
  自分を激しく罵倒しつつ、光次は無我夢中でトイレへ走った。折角友之が好きだと言ってくれたのにその喜びに浸っている暇もない。突然目覚めて暴走した己の性に翻弄されて、光次はただただ身体中を熱くさせてしまった。


  だからそんな純情少年が「光一郎さんにはいつ許しを貰おう」とか「他の先輩方に牽制しとかなくちゃ」とか、そんな具体的な幸せ計画を練るのは、もっとずっと後になってからだった。



Fin…




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光次はリク権を獲得した4名様のうち2名様が第一希望にして下さいました。
(被ったのでお一人様には第二希望のものに変更してもらいましたが…)
思わぬ支持にびっくりでしたが、本編であまり登場させられなかったので書いてて楽しかったです!