藤堂に無理やり引っ張られ同級会に参加する事が決定してしまった涼一は、その後再び雪也の携帯に電話をした。そうして、なるべく早くに帰るから今日の約束をなかった事にはしないでくれと頼んだのだった。幸い、一足先に部屋に帰ろうとしていた涼一は、すれ違いの時の為に自宅マンションの合鍵を雪也に渡していた。 雪也は何度も「そんなに気を遣わなくても」と遠慮がちな言葉を出したのだが、涼一にしてみればそれは気を遣っているのでも何でもなかった。 涼一はただ、雪也と一緒にいたかったのだ。 (10) 「どんどんひどい降りになってくな」 電車内で一時は引きかけた服の湿っぽさも、部屋に帰る頃にはまたすっかりぐしょ濡れになっていた。その感触の気持ち悪さに涼一は顔を歪めた。 「風邪引くからさ。剣、風呂入ってきなよ」 「え。でも…じゃあ、雪も」 「え?」 「あ、だからっ」 思わず自然に出た言葉を聞き返され、涼一は急に柄にもなく顔が熱くなるのを感じた。当たり前だが、別に一緒に入ろうとかそういう意味で言った台詞ではない。無論、雪也もそんな事は分かっているだろう。が、その言葉を出した後に咄嗟にそんな風に思ってしまった自分に、そしてその想像に、何故だか急に涼一は恥ずかしくなったのだ。 「剣?」 「ああ、いや。雪も濡れちゃっただろ? お前、先でいいよ。行ってこいよ」 「俺は平気だよ。剣の方が濡れているから」 言って雪也は、実に自然な所作で肩にかけてやっていたタオルを取り、それで涼一の濡れた前髪をそっと拭いた。 思わずどきりと胸が鳴ったが、努めて顔に出さず涼一は笑った。 「じゃ、じゃあ俺先に入るわ。雪も後で…」 「……うん。じゃあ」 雪也は戸惑っていたようだが、涼一の必死な言いようをありがたく思ったのか、素直に頷いた。 涼一は逃げるようにしてバスルームへ飛び込んだ。 そうして、自分が熱いシャワーを浴びている時も、着替えて雪也と入れ替わりでリビングのソファに座った時も。 涼一は落ち着かなかった。 「おかしいんじゃねえ…? 雪は男だってのに…」 よく考えると、いや、よく考えずともそんな事はもうとうに認識している事だった。雪也は一緒にいると楽で、ほっとして。色々苦労してきたようなのに、それでもあんなに優しくて、おまけに気がきく、料理も上手い。 けれど男なのだ。そんな事は分かっている。 「だから…別にこんなの、気にする必要ないわけだよな」 ザーザーとシャワーの浴びる音を聞きながら、涼一は自身に言い聞かせるようにもう一度独りごちた。ソファの前のテーブルには、待っている間に作ってくれたのだろう、雪也の手料理が整然と並べられていた。後で雪也を送っていかなければと、ジュースを飲みつつそれを何となく眺めていた涼一だが、それでも神経は完全に聴覚に持っていかれていた。 自分が雪也に異常に肩入れしている事は、もう自分で分かっている。 それが多分親友などという感情ではない事も。 それでも涼一は、最後の最後でイマイチ「それ」を認めてしまう事は、それは違うような気もしていた。 何故なら雪也は男だから。 「そうだよ…。たとえば、あいつのハダカとか見たら…一気に冷めるかもな」 ああ、何だ。やっぱり男か。 そんな風に思って、このバカみたいに上がっている熱も少しは下がるかもしれない。何だ、やっぱり男か。そうか、そうだよな。そんな風に感じて、落ち着くかもしれない。 「……別に…構わないよな?」 傍で誰かが見ていたら、明らかに挙動不審者だろう。いつの間にか涼一はウロウロと部屋と洗面所との間を行き来しつつ、そんな事をぶつぶつと口にしたりして逡巡していた。 石鹸切れてないか?とか。 シャンプーあったっけ?とか。 新しいタオル置いておく、とか。 とにかく何でもいいからネタを用意して、さり気なく開けてしまえばいい。見てしまえばいい。そうして雪はやっぱり男なんだと、これだけ気にする必要はないのだと、そう思えばいい。 「よ、よし…!」 いつもは自信満々の涼一はみっともなくどもりながら、決意の台詞を口にした。 浴室へのドアをそっと開くと、洗面所も兼ねたその空間には乾燥機付き洗濯機と、その上に脱衣用のカゴがすぐ見えた。いつもの見慣れた空間であるはずなのに、何だかいつもと違う風に感じた。 相変わらずザーザーとシャワーから溢れ出るお湯の音が辺りを満たしていた。そうして、ガラス窓の向こうを経て、当たり前だが全裸になっているだろう雪也の影も見えた。 「……剣?」 ドアが開く音か、それとも人影に素早く気づいたのか、雪也がこちらを向いてそう言ってきたのが水音をかき分けて聞こえてきた。涼一は思わず上ずった声をあげてしまった。 「あ、のさ…ッ! あの…」 「え…?」 曇りガラスでも、雪也がシャワーの蛇口を少し捻ったのが分かった。流れ出す湯の音が小さくなった。涼一はますます焦った。しかし思い切って動かなければ、確かめてみたいというこの気持ちを満足させる事はできないと知っていたから。 「せ、石鹸切れてただろ!?」 ガラリ、と。 殆どそんな言葉はかき消されているだろうというような、ほぼ同時のタイミングで涼一はバスルームのガラス戸を思い切りよく開いた。 「…………」 リズム良く流れ落ちるシャワーの湯のせいか、辺りはもくもくと白い湯気が立ち昇っていた。 それでも、自分の目の前に立ってそれを浴びている雪也の事はよく見えた。 雪也は突然の事にぎょっとしたようだったが、驚きのあまり却って声は出せなかったのか、そのままの状態で茫然と涼一の事を見やっていた。 「………」 「……石鹸、あるよ?」 そうして黙りこくる涼一に雪也はようやくそう言った。 それからガツンとシャワーを手にし、ごまかすように背中を向けた。 それきり何も言わず、ただ湯を浴びて俯いているような雪也に、涼一はそこでようやく我に返った。 「あ…! そ、そう、か…」 悪い、と。 後はそれだけを言って、涼一はぴしゃりとガラス戸を閉め、そしてだだだと逃げるように浴室を出た。 というより、完全に逃げ出していた。 「……何だよ…ッ!」 そのままリビングのソファにダイブするように飛び込んで、うつ伏せのまま倒れこんだ。そこにあったクッションにぎゅっと顔を押し付け、ドキドキする鼓動を何とか沈めようと目をつむった。 離れない。 目に焼きついた映像が頭から離れなくて、涼一は思わず片手でソファの背をガツンと殴りつけた。 「痴漢かよ、俺は…!」 まさにそんな気分だった。 後ろめたい気持ちになっていた。覗いても大した事ないだろ、という風に思えなかったから。 涼一はじくりと熱くなる自らの下半身をただ必死に抑えていた。 |
To be continued… |
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