(4)



  兼ねてよりの希望だった一人暮らしが実現した時は、いかな藤堂といえども早々部屋に入れるのはやめようと涼一は思っていた。

  自分だけの居場所。
  誰とでも気さくに話せる、大勢といる事も別段苦ではない。けれど涼一は、だからこそこの新しい部屋に人を入れたくないと思った。そういう空間が自分にあっても良いだろうと思ったのだ。
  けれど雪也はすぐに招いてしまった。その、1人だけの部屋に。
「すごい…」
  そもそも涼一が自分の車を所有しているという事実にも雪也は驚嘆して暫し声が出なかったくらいだから、このマンションへ入れた時の反応はまたかなりのものがあった。
「別にこんなの珍しくないだろ。車持っている学生も、1人暮らしの学生も」
「そうかもしれないけど…ここって月幾ら…?」
  納得しかねるように雪也は言い、広いリビングを見渡した後、隣接しているキッチンにまで足を伸ばした。こんな風に周りに興味を持つ雪也は珍しい、と涼一は涼一で妙なところで感心した。
「剣…この流し……ひどいな」
「え? ……あぁそれか」
  雪也が振り返って渋面を作った理由がすぐに分かって涼一は自らも嫌そうな顔をした。雪也が指摘したのは、流しに放置されていたカップやグラス、それに鍋の事だった。何かを作ろうとしたのか、その鍋やら三角コーナーには食材のカスらしきものがこびりついていて見るからに汚らしかった。
「始めは折角だから何か料理しようと思ったけどさー、俺ってそういうのやった事ないから。それにすぐ飽きちゃった。才能ないらしい」
「だとしても…これ、このままにしてたらそのうち臭うよ?」
「んー…ま、そうなったらそうなったで…って、え? 雪也?」
  何でもない事のように答えようとして、けれど涼一ははっとして自分に背を向け流しの水を出し始めた雪也をぎょっとして見やった。軽くシャツの袖口をまくると、雪也は手際良くそこにあった洗い物を一つ一つ片付け始めたのだった。
「お前…いいよ、そんな事しなくて」
「ごめん。俺、こういうの気になる」
「………綺麗好きなんだ」
  自分のだらしなさを棚に上げ、涼一はいきなり人の家に来て洗い物を始める雪也に少々呆れた。
  後で話を聞いたところによると、雪也の家は母1人子1人の母子家庭という事だった。そして外で仕事を持つ母親の代わりに、家の事はずっと雪也がやってきたのだと知った。
「美味い! 雪也、お前すっごい料理美味いじゃん!」
「そう…?」
  キッチンの流しやコンロまでピカピカに磨いた雪也は、その後涼一の為に夕飯の支度までしてくれた。リビングのガラステーブルに並べられたそれに涼一は素直に感嘆の声を漏らした。
「真面目に美味いって。スゴイな、お前! 大学行くより、こういう方面進んだ方が良かったんじゃないか? 本気で思う、俺!」
「………」
「…? 雪也?」
  けれど絶賛する涼一に対して雪也の反応はかなりもって乏しいものだった。雪也の感情の見えない態度はいつもの事ではあるが、それにしても今の雪也は涼一の賛辞に対し、無感情というよりはむしろ途惑っている風に見えた。
「雪也、俺何か悪いこと言ったか?」 
  恐る恐る訊くと雪也はハッとなり、それから慌てて首を横に振った。
「あ…違うんだ。ごめん」
「どうかした?」
「……初めてだから」
「え?」
  雪也のぽつりと言った台詞の意味が分からず、涼一は怪訝な顔をした。
  そんな涼一の様子に気づいたのだろう、雪也は再度口を開いた。
「初めてなんだ。その…そうやって誉めてもらうの」
「え……?」
  眉をひそめると雪也は少しだけ笑って見せた。
  涼一はその雪也の表情に何故かドキンと胸を鳴らした。
  以前にも感じた、あの時の不思議な感情。雪也に触ってみたいと、ふと思ってしまった感情が。
「うちの母親、俺が何してもそんな風に大袈裟に喜んでくれないしさ。まあ…養ってもらってるんだもん、料理なんてして当たり前だけど」
「そ…そんな事ないだろ」
「………」
  雪也のどことなく寂しそうな顔に涼一は慌てた。
「美味いもんは美味いんだしさ…。作るの当たり前とかそういうのナシで…美味かったら美味いって言うもんだろ? お袋さん、忙しくてそういうこと言う余裕ないのかな」
「そういう人だから」
  物憂げに俯く雪也を見て、涼一は再度出そうとしていた口を閉じた。
  思わず見とれてしまった。
  そして。
「……剣?」
「あ……」
  また、触ってしまった。俯いている雪也の前髪に触れてそれをかきあげると、そこから途惑ったような瞳がこちらを見た。
  何だ、こんな綺麗だったのか。
「剣…どうし……」
「あ…いや…。いや、どうしたはお前だろ?」
「え……」
「そんなさ、暗い顔すんなって。な、また作ってくれよな?」
「剣が…そうして欲しいなら」
「絶対そうして欲しい!」
  涼一が力強くそう言うと、雪也はふっと笑んだ。

  こいつはここに入れてもいい。

  その瞬間、涼一は1人暮らしをする前に決めた自分の思いをもうかき消してしまった。



To be continued…



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