(5) 人の良い藤堂が気を遣って付き合っていたから、自分も時々話してやっていただけだ。 「桐野ってアヤしくねえ?」 「………何が?」 だから学食で偶々顔を合わせた時、高校の頃からの知り合い・相野の言葉には最初から嫌なものを感じた。自分の功績でも何でもない、家が金持ちである事を鼻にかけ、バカな女たちと寝た事を平気で周囲にひけらかす最低な男。こちらが好意を抱いていない事にも気づいていないのか、いつもぺらぺらとよく喋ってくる。 涼一は不快な態度を露にして自分の目の前に座った相野を見やった。一度は問い返したものの、やはりその後の言葉が出ずにただ視線だけを向けた。 「何だよそれは?」 だからそんな涼一のフォローをするように口を開いたのは隣に座っていた藤堂だった。彼は涼一が不機嫌になった事を逸早く察し、なるべく相手に気づかせようと自身でも面倒臭そうな顔を向け警告のような言葉も補足した。 「悪口とかならやめろよ。俺ら、桐野のこと別に悪く思ってねえし」 「いや、そんなんじゃないよ」 人の良い藤堂の台詞だからこそだろう、相野は慌ててかぶりを振り苦笑した。 「だけどさ、俺前から思ってたんだよ。あいつってあっちのケがあるんじゃないかってさ」 「はあ?」 相野の突然の小声に藤堂は益々怪訝な顔をした。涼一も食事の為に動かしていた手を止め、相野をまじまじと見据えた。 「あっちのケってのは何だよ」 「だからーホモだよ、ホモ!」 相野は藤堂に笑いながらそう言い、テーブルに置いていたペットボトルのお茶をぐいと飲んだ。それから涼一を覗き込むようにして続ける。 「 あいつって俺らの中にいてもあんまり喋らないだろ? 元々暗い奴って思ってたけど、特に女とは一切自分から喋らないし近づこうともしないじゃん。けど、涼一だけとはいつも一緒でさ。っていうか、 あいつお前にべったりだよなあ?」 「別にそんな事もないだろ」 相野の涼一に向けられた台詞をそう言って否定したのは、またしても藤堂だった。そうしてさすがに不愉快な顔を隠せず、相野に向かって口を尖らせながら言った。 「こいつらの気が合ってるってだけだろ。そんなの別に珍しい事でも何でもないだろうが。お前、やめろよ。そういう事、他の奴らにも言ったのか?」 「別に俺が言わなくても周りの奴らだってそう思ってるって。俺の周りの女とかも皆言ってるしさ。涼一はカッコいいから、目ェつけられてんじゃないってさ」 「藤堂、俺行くわ」 「ん…あ、俺も行く」 がたりと椅子を蹴って立ち上がった涼一に相野が「え」と声を漏らす。涼一はもうこの男の顔も見たくなかったから視線をずらしたまま、ただ藤堂だけにそう言った。言われた藤堂の方も、相野と2人にされるのはさすがに勘弁して欲しいと思ったのか、1拍置いてから自分も立ち上がった。相野はそんな2人に最初こそポカンとしていたが、やがて焦ったようになって口を開いた。 「おいおい、何だよ。別に涼一、お前がホモだって言ってるわけじゃないだろ?」 「バカか、お前。ダチのこと陰口叩かれてるの知ってムカつかないわけないだろ」 やはり代わりにそう答えたのは、藤堂。 「何だよ、俺はお前に気をつけろって言いたかっただけだって。なあ、涼一って!」 「…………死ねよ」 ぽつりとそうつぶやいた涼一の言葉は、隣にいた藤堂だけに届いたようだった。普段は周囲に合わせて愛想笑いの一つや二つ軽くこなせる友人が、今は本気で怒っている。その様子に藤堂はひどく驚いた顔をしていた。涼一も藤堂のそんな面食らった様子に気づいてはいたが、止める事ができなかった。 何だ、こいつ。 雪也の事を。 ただ頭にきた。腹の底からぐらぐらと湧き立つものを感じながら、けれど涼一は相野とこれ以上一緒にいるのが耐えられず、相手に自分の怒りを満足に向ける事もせずに学食を出た。背後から「待てよ」という藤堂の声が聞こえたが、足を止めるのは嫌だと思った。 「おい、涼一! お前、自分の皿くらい自分で片付けろよなー」 キャンパスの一角でようやく追いついた藤堂が、巨体を揺らしながらぜいぜいと息をついでそう言った。涼一は講堂の入口から少し外れた先まで歩き、ようやくくるりと振り返ると自分の後をついてきた藤堂にぎっとした目を向けた。 「あいつ、ホント一体何なんだ!?」 「怒るなよ。まあ、気持ちは分かるけどな」 「前からそうだよな! 何か自分が気に入らない奴の事、ごちゃごちゃ言ってヘンな噂流したり、マジたち悪ィよ! 何であんなのといつまでもつるんでなきゃなんねーんだよ!」 「しょーがねえだろー…。美弥の彼氏なんだからよ。あんま悪く言うなって」 「雪也があんな風に言われたんだぞ!」 思い切り怒鳴ると、歩いていた何人かの学生がぎょっとして涼一たちを見つめた。けれど殺気立った涼一に関わる事を恐れたのか、皆一度は足を止めるものの、そのままそこを去って行く。 藤堂はふうとため息をついてから両肩を軽くあげた。 「もし俺らの中で相野の言葉を真に受けている奴がいたら俺が抑えておくよ。実際、桐野も人付き合い上手いとは言えないだろ? だから――」 「だから雪也が悪いってのかよ!」 「ちげーよ、聞けよ、人の話。……ったく、俺が一番分かってるよ。相野のバカはさ、桐野がお前につきまとってるみたいなこと言っていたけど、見てれば分かるだろ。ついて回ってるの、お前の方だって」 「……そうだよ」 涼一がぼそりと言うと、藤堂はハッと鼻で笑った。 「だから、周りの奴ら妬いてんだろ。お前が誰かにこんな執着する事って今までなかったから」 「は……?」 怪訝な顔を向けると藤堂は「無自覚かよ?」と苦笑いをしながら大袈裟にかぶりを振った。 「お前ってさー、付き合いはいいけど何か広く浅くって感じじゃん、人間関係。なのに、桐野に対しては何か違うじゃんか。気に入ってんだろ?」 「そりゃ……雪也は、一緒にいて楽だし…」 自分で言いながら、涼一は「あぁ、そうだったのか」などと心の中で思った。普段は人との間の沈黙が嫌で一方的に喋ったり、無理をしていたところもあった。 けれど、雪也にはそれをしなくても良いような気がしていた。それをしなくとも、雪也は微笑してくれる。そんな、あのいつでも静かな雪也の雰囲気が涼一には新鮮だった。 だからか。 「はーあ。ったく、マジギレの勢いだったから、さっきはこっちが焦ったぜ」 黙り込む涼一に藤堂が言った。 「どっちがアヤしいってんだよ。なあ?」 けれどそう言ってからかおうとした藤堂に対し、涼一はまともな返答をする事ができなかった。 その後、藤堂と別れて午後の講義に出ると、そこにはもう雪也がいた。大教室の後ろ、窓際の席に座り、ぼんやりと外の景色を眺めている雪也。 涼一は教室の入口に立ち尽くし、しばしそんな雪也の横顔を見つめた。自分の胸が何故か急激に早まるのを感じた。 「………雪也」 「あ……」 傍に寄って声を掛けると雪也は視線を教室に戻し、涼一の姿を認めるとふっと微笑した。それから自分の隣に座る涼一を黙って見やる。 涼一はそんな雪也を意識しながら、こんな風にまた2人だけで一緒にいたら雪也は周りの奴らにヘンな風に見られるのだろうかとちらとだけ思った。 「今日、昼までに来るって言ってなかった?」 それでも努めて平静を保ち、涼一は訊ねた。雪也に余計な心配を掛けたくなかった。 「うん…。今日、母親が午後出勤でさ。昼飯作らされてた」 「え?」 「あの人、我がままなんだ。……特に朝方帰った日はね」 「………ふうん」 何事かありそうな雪也の事を涼一はじっと見つめたが、すぐに明るい声で言った。 「今日、この後空いてるか? どっか行こうぜ」 「また?」 害もなく雪也が苦笑して言うと、涼一はそれだけで何だか幸せな気持ちになった。 そう、何処かへ行きたい。 雪也となら、何処でも楽しい。 「うん、また。な、いいだろ?」 「うん」 あっさり頷き笑ってくれた雪也に、涼一は自らもニッと笑い返した。 そうして、今度相野の奴が雪也に害のある事を言ったら、次は奴を思い切り殴りつけてやろうと決めた。 |
To be continued… |
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