その森には、姫がいた |
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―前編― 昔々、とある大きな国にハンサムだけれどとても我がままな王子様がいました。 王子様の名前は涼一。今年で19歳になるその涼一王子は、国のしきたりでもうすぐ結婚する事になっていたのですが…。 「 おい、光一郎。光一郎はいないか!」 「 はい王子。此処に」 「 これは何だ?」 「 は…?」 ある日、何となく虫の居所が悪かった涼一王子は、自分の側近でもあり騎士の称号も持つ光一郎に王宮の庭を指差し激しく怒鳴り散らしました。 「 あそこにいるあの不細工なのは何だって言ってんだ!」 「 ……犬ですが」 国民に絶大なる人気を誇る聖騎士・光一郎はその剣技だけではなく、性格も涼一王子とは比べ物にならないくらいによく出来たお方でした。その心は海のように広く、強引で気紛れな涼一王子の相手をまともに出来るのはこのナイト・光一郎だけだと言われていました。 そんな光一郎は今日も例によって王さまの言いつけにより涼一王子のお守りをしていたわけなのですが、王子が自分に向け発してきたその問いにはさすがに首をかしげるしかありませんでした。 「 王子、あの犬がどうかしましたか」 光一郎が冷静に聞き返すと王子は腕を組んだままぷいとそっぽを向き、尚も声を荒げました。それは「そんな事わざわざ俺が言わなくても理解しろ」と言わんばかりの態度でした。 「 犬がいるのは分かってるんだよ! 俺が言っているのは、何であんなのが此処にいるのかという事だ! 一体誰の許しを得てあそこにいる!」 「 しかしあれは先日町へ下りた王子がご自分で買い求めた犬ですが」 「 飽きた」 「 は?」 「 もう飽きた。捨ててこい」 「 ………」 「 何だ何だ! 王子である俺の言う事がきけないのか!?」 「 いえ、そういうわけでは。……では、仰せのままに」 光一郎は表情ひとつ変えずにそう言うと、ひゅっと口笛を吹いて犬を呼びました。 成犬と言うにはまだまだ小さいその黒毛の仔犬は、光一郎が呼んでいると知ると喜び勇んで駆けてきました。自らの小さな尻尾を千切れんばかりに激しく振るその仔犬は、光一郎の事が本当に大好きだったのです。 「 ……くそっ」 その様子を見て涼一王子はつまらなそうに舌打ちをしました。実は王子が仔犬のことを可愛くないと思う理由がそれだったのです。買ってすぐに躾やら何やら面倒な事を光一郎に任せてしまったせいでしょうか、仔犬は主人である王子には懐かず、その家臣である光一郎ばかりを慕ったのです。 自分につき従う大人しい玩具が欲しくて買ったのに、これでは到底役に立ちません。 「 次はもっと従順なやつを手に入れてやる…。俺だけの言う事を聞き、俺だけに心を許すやつだ」 「 王子」 「 ん? 何だ光一郎、お前まだそこにいたのか!? さっさと捨ててこいと言ったろ!」 「 ……しかし、人間になってしまったのですが」 「 はあ? …はっ、たく、一体何を訳の分からない事―!?」 しかし王子は言いながら視線を向けた先、光一郎の背後にいる「それ」に思わずぎょっとして固まり、そのまま声を失いました。 「 な…何だ、そいつ…?」 「 ……ッ」 王子の鋭い眼光が恐ろしかったのでしょう、光一郎の背後に隠れるようにしてその腕にぎゅっとしがみついたのは見た事もない少年でした。 艶やかな黒髪、大きな目にうっすらと涙を浮かべたその少年はなかなか可愛らしい顔をしています。 しかし、一体どこから湧いて出てきたというのでしょうか。光一郎に縋った少年は何も身に着けていません。ただ素肌を晒し、怯えています。 「 おい光一郎。一体そいつは何なんだ。急に」 「 はい。状況から判断すると、この少年はあの仔犬であると思われます」 「 はッ? 仔犬? コイツが? ……そういえばあの犬の姿が見えないが…。だ、だがそんな事あるわけがないだろ! お前、俺をからかっているのか!?」 「 王子こそご覧になられてはいなかったのですか。私に抱きかかえられた仔犬がこの少年の姿にとって変わる瞬間を」 「 ……考え事してた」 「 私は王子に嘘はつきません。犬は私の目の前で人間に変わりました。獣の妖術か、もしくは元々この少年が何者かに術をかけられていたか」 「 ……? どういう事だ?」 光一郎の台詞に涼一王子は怪訝な顔をしました。 光一郎は言いました。 「 実は最近城下町の方でも大きな噂になっているのです。《錆びついた森》の奥深くに幻の塔が建っており、そこには恐ろしい魔法使いがいると」 「 魔法使い…? 確かにあの森は以前から迷いの森として畏れられているな。1度入ったが最後、二度と出てこられなくなると聞いたが」 「 いえ、帰っては来られるようです。……廃人となってですが」 「 何…!?」 物騒な言葉にさすがの王子も眉をひそめました。いつもは好き勝手やっている涼一王子ですが、自分の国のことはそれなりに愛しているのです。 聖騎士・光一郎はそんな王子に淡々と説明を始めました。 「 あの森は珍しい鉱石や薬草などが多く採れるという事で、以前は近くに住む村人だけでなく遠方からも多くの者たちがそこを訪れたそうです。…ですが、女子どもが入れば数時間としないうちに幻影を見せられ外へと追いやられ、逆に男、特に若い者が中へ入ると…」 「 ど、どうなるんだ?」 王子がごくりと喉を鳴らして訊くと光一郎は言いました。 「 その者は最低三日三晩は家へ帰らず、戻ってきた時も既に森での事は殆ど覚えていないそうです。心身共ボロボロになって」 「 ………」 「 近々城からも調査隊が出る予定です。私も赴きたかったのですが、王から王子のお目付け役を仰せつかっているので」 「 なっ…何だよそれは!」 「 もうすぐお妃選びの舞踏会があるでしょう。王子はきっと逃げようとするから、何処にも行かないようしっかりと見張れと」 「 く、くそ、あのクソ親父め!」 「 ……それでこの少年ですが」 「 はっ、忘れてた!」 「 ………」 未だ光一郎の背後でぶるぶると震えているその見知らぬ少年を涼一王子は改めてじっと見やりました。人間になっても自分に対する警戒心は変わらないらしい少年に、少しだけまた心が曇る王子です。自分に興味を抱かないモノなど、王子は犬だろうが人間だろうが大嫌いなのでした。 王子はふいと視線を逸らし、踵を返しました。 「 ……言っただろう。捨ててこい。魔法を掛けられてたんだか掛けてたんだか知らないが、どうでもいい。とにかくそいつは俺の持ち物で、もういらなくなった。だから捨ててこい」 「 ………」 「 ……何か言いたそうだな?」 普段ならば2つ返事で自分の命令に従う光一郎が何も言いません。王子は途端むっとして振り返りました。 「 あ……」 しかし不満故に黙っていたわけではなさそうです。 光一郎は自らの上着を脱いで少年にかけてやっていたのでした。そして少年は少年でそんな優しい光一郎にただ黙って縋るような目を向けています。 「 うぐ…」 2人の間を漂う何とも表現し難い空気に、涼一王子は一瞬ですが気まずい気持ちがしました。まるで自分が極悪非道の最低人間になったように思えたのです。 「 ……くそ!」 「 王子…?」 だから。 だから王子はびしりと光一郎を指差すとこう言いました。 「 いいか、光一郎! それじゃ、その犬はお前にくれてやる! お前にやったものだから、捨てようが拾おうがお前の勝手だ!」 「 ………」 「 その代わり!」 王子は光一郎の無言ながら迫力あるオーラにやや気圧されながらも、先刻決めたばかりの事をバンと大声で言いました。 「 俺はこれからその《錆びついた森》とやらに出掛ける! もし悪い魔法使いがそこにいるというのなら、尚のこと王子である俺がその事態を放っておくわけにはいかんだろうッ。俺自らの手でそいつを倒してきてやるぜ!」 「 ………」 「 うっ…。な、何だよその顔は…」 我ながらグッドアイディアじゃないかと思っている涼一王子に、けれども騎士・光一郎の視線はどことなく冷えています。 案の定、一拍後に光一郎は言いました。 「 まさか、本気ですか」 「 じょ、冗談言ってどうする!」 「 ですが…」 自分の提案に難色を示す光一郎を振り払うようにして王子は更に声を張り上げました。 「 まさかも何もない! いいか、もう決めた事だ! だ、大体もしその犬が本当に何かの呪いに掛かってるんなら、余計にその魔法使いを探した方がいいだろう!? お前だってそうしたいだろう!? お前は俺よりも数倍その犬を可愛がっていたからな!」 「 この少年があの森の怪と関わりがあるかは分かりません」 「 だからっ。それを調べに行くんだろーがっ。ったく、お前の言いたい事くらい分かっている! 舞踏会は3日後だろう!? それまでに戻ってくればいいわけだ。簡単な事だ!」 王子は父親である国王に心内を読まれている通り、実は今回の舞踏会にあまり乗り気ではありませんでした。周りばかりが騒ぎたて浮かれていますが、王子はまだまだ結婚などしたくなかったのです。 それに今回の舞踏会に参加する近隣諸国の姫君たちとは既に面識がありましたが、その中に王子のハートを射抜くような人は1人としていませんでした。 「 ……私を代わりに使わすのではいけませんか」 光一郎がまだ食い下がるように言いました。 王子は3日後の煩わしさに思いを馳せていた分、その光一郎の態度にはより強く拒絶の意を示しました。 「 フン、言うと思った。駄目だ駄目だ! 俺は! 自分が行きたいんだよ。自分の目で確かめたいんだ! ……ま、せいぜい百歩譲って、ついてくるくらいなら許してやるぞ?」 「 ………」 「 ……言っとくけど、この条件飲まなかったらそいつ捨てるからな。更に町中に犬人間の噂をばら撒いてソイツひどい目に遭わせてやる」 「 王子」 「 俺は自分の目的の為なら手段を選ばない!」 「 そのような事を自慢気に仰らないで下さい」 「 煩い煩い! さあどうするんだ!?」 「 ………」 王子がこういう事で冗談を言う人でない事は光一郎が一番よく知っていました。 「 ……分かりました」 光一郎は自分に縋りつく少年を優しく抱きとめてやりながら、しかし一方でそっとため息をつきました。 王子と関わり続ける限りいつかは…といつでも覚悟はしていましたが、光一郎は自分がこんなにも早く騎士の称号を捨てなければならない日が来るとは、さすがに思っていませんでした。 それでも、光一郎は今目の前にいるこの少年を救いたいと思っていました。騎士として? いいえ、ただの光一郎として。 「 コウ…」 その時、初めて黒髪の少年がそう声を発しました。か細いながらも透き通った綺麗な声です。 光一郎はそんな少年に思わず目を見張りました。 「 …お前は犬の姿の時、俺をそんな風に呼んでいたのか?」 「 うん…」 「 ………」 「 コウ、僕、どうなる…?」 「 ……安心しろ」 光一郎は少年の頭を優しく撫でてやると、「森へ出陣だ」とやたら血気盛んになっている王子の後ろ姿を眺めつつ言いました。 やや苦い笑いを浮かべて。 「 まだクビになったと決まったわけじゃない。要は王子を無事に城までご帰還あそばせれば良いわけだ。……王子の暴走が心配だが」 こうして我がままに「超」がつく王子・涼一と苦労人の聖騎士・光一郎は、ひょんな事から迷いの森―若い男は廃人にされるという《錆びついた森》を目指す事になったのです。 |
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【つづく】 |