そのには、姫がいた


  ―中編―



  錆びついた森―。
  そこは一見すると緑豊かな木々や花に心地良い涼風がそよぐ、人々にとっての憩いの森。
  しかし、その正体は「若い男を次々と廃人に変える」恐怖と謎に満ちた森でした。
  町を抜け、あっという間に森の中に足を踏み入れた涼一王子と光一郎は、自らの愛馬の背からどこまでも続いているかに見える森の中を見回しました。
「 なるほど、民衆が恐れるのも無理はない。昼間だってのに進む程に濃くなるこの妖気はどうだ。光一郎、お前にも分かるだろう?」
「 そうですね。確かに、先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりも獣の気配もすっかり消えてしまっています。何よりこの薄暗さが不気味です」
「 何だ光一郎。お前、もしかして怖いのか?」
  王子がからかうように言うと、光一郎はあっさりとそれを肯定しました。
「 無論です。このような不可解な森に王子をお連れして、もし王子の身に何かあったら」
「 フン、そんな事か。俺は大丈夫だよ。剣の国に生まれた以上、この聖剣の名に懸けても俺は誰に遅れを取ったりもしないさ」
「 ………」
「 ところであの犬ころはどうした」
  王子が訊くと光一郎はすぐに答えました。
「 信の置ける友人に預けてきました。城に置いておくと目立ちますので」
「 あいつ、お前と一緒に行きたいって顔をしてたのに、よく置いてきたな」
「 何が起きるか予測し難いような危険な場所に連れて行けるわけがないでしょう」
「 ……俺はいいのか」
「 王子が行きたいと仰られたのです」
「 ああ、分かったよ! もうお前と話していると疲れるっ」
  王子はひらひらと片手を振って光一郎を黙らせました。何故だか珍しく光一郎がムキになっているような気がしたのです。こういう時の光一郎にちょっかいを出してもロクな事がないという事を王子はよく知っていました。
「 ん……?」
  その時、ふと開けた場所に出て、王子は馬を止めました。
「 これは…」
  目の前に現れたのは、周辺の木々全てを見下ろせるだろう程の高い石塔―。
  その傍には同じく石造りの正方形な家(サイコロの目のような丸い窓もあります)が建てられていましたが、しかし何よりも2人の目を引いたのはやはりどっしりとその場にそびえ立つ荘厳な雰囲気を持った塔の方でした。
「 まるでちょっとしたミニ要塞だな…」
  王子がそう呟くと光一郎も頷きました。
「 しかし妙ですね。これほどの高さを誇るものならば森の外からもその姿が見えるはず…。やはり魔法でしょうか」
「 だろうな…。そういう気配はあんまり感じないけど……あ」


「 すみません…」


  塔の上から声が降ってくるのと王子が声をあげたのは、ほぼ同時でした。
「 すみません…。騎士さま…?」
「 誰だあれ…」
  王子の見上げた先には、塔の窓から身を乗り出すようにしてこちらを見ている1人の青年の姿がありました。遠くでその姿ははっきり見えないはずです。けれど王子にはその青年の容貌がまるで間近にあるように見えました。黒い髪と瞳を有したその青年は、先刻発した声もそうでしたが、何故か王子の心にぴりりと微かな電流を走らせました。
「 あの…騎士さま、ですか…?」
  呼びかけても答えない2人に青年は不安そうな声を発します。
  これに答えたのは光一郎でした。茫然として動けない王子の代わりに馬を一歩歩ませて声をあげます。
「 我らは剣王国の人間だ。君は? この塔は一体何だ?」
「 あの、すみません…。でも早く逃げて下さい…!」
「 何?」
  光一郎が眉をひそめると青年は余計に切羽詰った顔をしました。
「 騎士さまのような若いお方がこの塔に近づいてはいけません…っ。幸い母さんは後方の鉱山へ行っていて留守ですから…今のうちに早く…!」
「 母さん…。この塔に住む魔法使いか? 君のお母上か」
「 はい…。あの、すみません。ご迷惑をお掛けして…っ」
  青年はぐったりと項垂れるようになりながら尚も口を開き言いました。
「 騎士さまたちがいらした理由は分かっています…。貴族さまや村の若い人たちをここにお泊めしたのが悪かったのですよね。で、でも…これだけは信じてください。母さんはそんなに悪い人ではないんです…。ただ、すごく寂しがり屋だから…!」
「 ……寂しがり屋だから、つい男を食い物にしていたというわけか」
「 !! そ、そんな…!!」
「 違うというのか」
「 ち…違い…ません。すみません…」
  光一郎に鋭く責められ、青年はもう後を継げずに唇を噛み締め黙り込みました。その瞳にはただいいようもない悲しさが満ちています。
  すると今まで黙っていた王子が初めて口を開きました。
「 おい」
「 え……?」
  その凛とした声に青年は促されるように顔を上げました。
  王子はそんな青年を見上げたまま言いました。
「 お前、名は何という?」
「 お…私、ですか…。私は雪也と申します…」
「 雪也……」
「 王子?」
  何やら様子のおかしい王子に今度は光一郎が不審の声をあげました。しかし王子はそんな側近には目もくれません。ただ黙って雪也と名乗った青年を見上げるのみです。
  そして言いました。
「 雪也…雪…。何て清楚で美しい名前だ…」
「 え?」
「 王子、まさか…」
「 雪、ここへ下りて来い。お前の顔をもっと近くで見たい」
「 だ、駄目です私など…っ」
  王子の言いように雪也は途端焦って首を横に振りました。余計に泣きそうな声になり、雪也は塔の窓からその姿さえ隠してしまいました。
  これに焦ったのは王子です。
「 ど、どうした雪!? 何で隠れる…!? 俺はお前の姿が見たいというのに…!」
「 駄目です…! 私は人前に姿を現せるような人間ではありません…っ。母さんにもいつも言われます…。お前は醜くて忌まわしい呪われた息子だと…!」
「 な…」
「 だから私はこの塔から外へ出た事は1度としてないのです。ただ私に出来るのは…母さんから解放された方たちをそっと森の外までお送りする事だけ…」
「 ……魔法でか」
  光一郎が尋ねると間もなく肯定の答えが返ってきました。
「 はい…。いつもあの人たちの事が気がかりです。町では、本来の生活を取り戻せているのでしょうか…。無事なのかと…」
「 ……立ち直るのに相当時間が掛かっているようだぞ」
「 そ、そんな…」
  雪也が絶望的な声で呻くのを光一郎はどこか憐れみのこもった顔で聞き入っていました。そうしてちらと王子を見てから尚も続けます。
「 雪也…と言ったね。君は多少なりとも魔法が使えるらしい。それでは知っているだろうか、仔犬の姿をした黒髪の少年のことを」
「 と、友之…ッ!? 友之は無事だったのですね!?」
  塔に隠れていた雪也は、光一郎のその言葉でがばりと立ち上がると再びその姿を見せました。すると涼一王子はぱっと顔を輝かせてまた雪也の事を嬉々として眺めます。
  光一郎はそんな王子の様子にため息をついた後、再度尋ねました。
「 友之…それがあの少年の名前か。友之は何故獣の姿をしていた?」
「 あの、友之も何処かの町の子どもだと思います。数日前この森に迷いこんできたのを私が見つけて…友之みたいに可愛い子は母さんに見つかったら大変だから、とりあえず私の魔法で仔犬の姿に変えて…。あっ、私の魔力は弱いので直魔法も解けると思ったし…。そ、それで母さんが注意を払っていない隙に森の外へ逃がしたんです。…本当は家まで送り届けたかったのですが…」
「 なるほど」
「 そんな事より雪!」
  2人の会話など全く興味がないような様子の涼一王子は、じりじりとした面持ちで再度声を荒げました。
「 あの犬のことなんかどうでもいい! とにかく俺はお前の事をもっと近くで見たい! なあ下りて来いよ。その塔から。ここへ来い!」
「 ………っ」
「 王子。完全に怯えられていますが」
  光一郎が実に冷静な横槍を入れると王子は一瞬詰まったようになりました。
  それでも負けじと雪也に向かって頑とした声を発します。
「 ゆ、雪、いいか、俺は別にお前を責め立てようって言うんじゃない。村人を廃人にしたのだってお前の母親なんだろう!? お前に責はない。だから―」
「 いいえっ」
  王子の言葉に雪也はゆっくりと首を振りました。
「 多くの方たちを苦しめたこと、母を止められなかった私にも責任はあります。い、いくら同意の上とはいえ…幾ら何でも三日三晩は…」
  真っ赤になって口篭る雪也に王子はきょとんとして光一郎を見やりました。
「 ……何だ。おい、合意の上だってよ」
「 そのようですね」
「 なら、そんな事件でもないんじゃないか?」
「 しかしその後三日三晩強制されたとなると…どうなんでしょうか」
「 けどさ、よく考えてもみろ、相手は雪也の母親だろ? きっとすごい美人の女魔術師なんだよ。だったら、まあいいんじゃないの?」
「 ……王子。雪也を気に入ったからこの事件をなかった事にしようとしてませんか」
「 悪いか!」
「 ………開き直らないで下さい」
「 とにかく!」
  光一郎の声を掻き消すようにして涼一王子は再度雪也を見下ろしました。
「 雪也! お前が来ないというのなら俺の方から行くぞ! そんな塔、すぐに上ってやる。待っていろ」
「 こ、来ないで下さい…っ」
「 何でだよ!?」
「 き、騎士さまこそ何故ですか…!? 私とは今ここで少しばかり言葉を交わしただけ…!  私のような者と関わっても災いが起きるだけです。私のことなど、どうか放っておいて下さい!」
「 お前、俺に命令するか!?」
「 ……!」
  雪也の言葉に今度は王子が逆ギレしました。光一郎は傍でため息をつくばかりです。
  そんな側近には構わず王子はもう馬から下りて塔に近づき言いました。
「 お前がどういう者だろうが俺の知った事かっ。俺の直感がお前を気に入ったと言っているんだ! だから俺はもっと近くでお前を見たい。お前と話したい。この俺がそうしたいと思っているんだから、お前にそれを断る権利なんかない!」
「 ……騎士さま」
「 騎士じゃない! 俺の名前は涼一だ!」


『 剣大国の直国王となられる涼一王子ですね』


  その時、不意に光一郎たちの背後から風のような声がザッと辺りに響き渡りました。
「 誰だ!」
「 母さん…!?」
「 気配が…」
  光一郎も馬から下り、腰に差していた剣の柄に手をかけました。
  すると姿なき声は木々のざわめきと共に芯から凍えるような笑声を放ち言いました。
『 ふふふふ…今日は何と大漁の日かしら…。粋の良い若いのが2匹も罠に掛かったよ…。さすがは我が息子…。誉めてあげる…』
「 母さん、やめて下さい! この方たちは…!」
『 煩いよ、雪也。アンタ、アタシに逆らう気かい』
「 …………」
『 それにしても我が国の王子さまにアッチのご趣味があったとはねえ? 確かにアタシの息子はそんじょそこらの貴族の娘よりも器量良しさ。その上、ほれこの通り、性格も控え目で情に深い。アタシの若い頃そっくりだしね』
「 ……おいお前! 何処にいるんだか知らないけどな!」
「 ん…?」
  スラリと剣を抜いた涼一王子に「声」は面白そうなものを見ていると言わんばかりの声を返してきました。
  王子はそんな姿なき声に向かい、怒りに満ちた顔で凄みます。
「 お前は雪也をこんな所に閉じ込めて、こんな風に自信のない人間に育てて何とも思わないのか!? 出て来い、この俺がお前に―!」
『 ……アタシにも、雪也にも、あんたは指1本触れる事などできない』
「 何!?」
「 王子、下がって下さい!」
  何か不穏な空気を感じ、光一郎が咄嗟に王子を庇うように前へ出ました。
「 光一郎…ッ!?」
『 分かった口をきくでないよ…。たかが王子風情がアタシの息子を欲しいだって?』
「 く…!」
  瞬間。
  物凄い突風が王子と光一郎、2人共をあっという間に包み込んだかと思うと、傍にいた馬ともども森を突き抜けた遥か上空へ高く高く運び去っていったのです!
「 うっわ…!?」
「 騎士さま!!」
「 雪…!」
  王子が最後に聞いたのは、心が引き裂かれん程に悲しい雪也の絶叫。
  そして。
『 うふふふ…あはははは! いいかい、王子さま。もしも本当にアンタがアタシの息子を欲しいというのなら…その想い、確かめさせてもらおうじゃない…!』
  甲高い笑い声、そして不可解なその魔女の言葉。
「 雪ー!!」
  あとはただ、轟々と激しく吹き荒ぶ風の音が聞こえてくるのみでした。



【つづく】