その森には、姫がいた |
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―後編― その日剣王国の王宮内は、涼一王子のお妃さまを選ぶ舞踏会の準備で大わらわでした。 「 はあ…」 ただ1人、当の王子だけが浮かない顔です。 「 王子」 そんな涼一王子に騎士の光一郎はただため息をつくばかりでした。光一郎は王子から「側女たちが煩いから匿え」と言われ、王宮内の自室に押しかけられたわけなのですが、いつまでも王子をこのままにしておくわけにはいきません。だって今日の舞踏会の主役はここにいる涼一王子その人なのですから。 「 いい加減に戻られませんと、周りの者たちも仕事がはかどらず困るでしょう」 「 知るかよ…」 「 ……そうしてずっと窓の外だけ眺めているおつもりですか」 「 俺とてこんな所にはいたくない。できる事なら城から出て、もう一度…」 「 王子」 王子の言わんとしている事を制するようにして光一郎が言いました。 「 あの森へ行かれたとしても……結果は同じだと思います」 「 何故そう言い切れる!」 途端むっとする王子に、光一郎はしかし動じません。相変わらず感情の見えない顔で淡々と事実だけを述べます。 「 あの雪也なる青年の母親…魔術師に森の外へ弾き飛ばされた後、すぐに再びあの森へ入っても、あの塔は見つけられなかったではありませんか。あれ程の高さを誇る建物を見つけられなかったのですよ。魔法で姿を眩ませられれば、もう我らに手出しはできません」 「 雪を諦めろというのか…」 「 王子」 「 お前はいいよな! あの犬ころと仲良くやれてんだから!」 「 王子、友之は犬ではありません」 「 フン、どうだか。あんなの……」 「 コウ!」 しかし王子が更にそう口を開きかけた瞬間です。噂の当人・友之が嬉々とした顔で勢いよく部屋の中に飛び込んできました。 「 コウ、あのね…! ……あ」 けれど友之は王子の姿を見た途端、一気に身体を硬くして黙り込みました。 「 ………」 子犬の姿の時から光一郎には懐きまくっていた友之でしたが、どうやら元のご主人さまである王子には苦手意識があるようなのです。 友之はしゅんとしながら慌ててぺこりと頭を下げました。 「 す、すみません、僕…。ノックもしないで…」 「 まったくだぜ。王宮を出入りしている者のくせに礼儀を知らないな」 「 ………」 「 友之、構わない。どうした?」 冷たい王子に完全に萎縮してしまった友之を光一郎は優しい言葉で庇います。「おい、構わなくないだろ!」と横槍を入れている王子の事も完全無視。どうにも光一郎は友之の事になるとなりふり構わなくなるようでした。 「 友之、それは?」 「 あ、あの…。これ…」 王子の事を気にしながらも、友之は光一郎に促され、手にしてきた物をゆっくりとした動作で差し出しました。 「 これは…?」 それは一通の白い書簡でした。 「 け、今朝、僕宛に来たんです、手紙…っ。雪也お兄さんからの、手紙…!」 「 何…」 「 雪也だって!?」 これには王子も驚いて大声を上げました。仰天して更に固まる友之を無視して書簡を取り上げると、人の物だという事も忘れてそれに目を落とします。 そこには友之が無事に森を抜け出られて良かったという事と、もう1つ。 「 ゆ、雪が今夜の舞踏会に来る…?」 「 ……本当ですか」 涼一の呟きに今度は光一郎が驚いたように目を見開きました。 これには友之が代わりに答えます。 「 あの、雪也お兄さん、お母さんに舞踏会に行きなさいって言われたから来るんだって…。たくさんのお姫さまの中からお妃さまに選ばれたらタマノコシ…?だから、そしたら塔から出て暮らしてもいいって」 「 ………あの魔法使い。何を企んでいるのか…」 「 雪……」 ぽつりと独りごちる光一郎の声を、しかし涼一王子は最早聞いてはいませんでした。友之からの書簡を握り締めたまま、フルフルと高揚したようになって佇んでいます。 そして。 「 俺が雪以外の奴を選ぶわけがないだろう! あの女魔法使い、結局俺のような権力者に雪をやりたかったってわけだ!」 「 そうでしょうか、私にはもっと他に理由が…」 「 こうなったら今夜の舞踏会も楽しみになってきた。おい光一郎、俺はもう行く! 急いで今夜の準備をしないとな!」 「 王子…」 光一郎の声を無視して涼一王子はさっさと部屋を出て行ってしまいました。 「 ………」 後に残された光一郎と友之は、ただ黙って王子の去って行った方向を見やるのみでした。 そして、舞踏会。 煌びやかに飾り付けられた王宮内は、近隣諸国から集まった名のある美しい姫君を前に尚一層華やかなものになっています。皆、我こそが剣大国の涼一王子に見初められようと精一杯のおめかしをしてきていました。 しかし、王子の心は既にもう決まっています。どんなに美しい姫君よりも、王子はあの塔の上にいた悲しい瞳の青年にすっかり魅せられてしまっていたのですから。 「 雪…。一体何処にいるんだ…」 広い城内では、多くの人が皆涼一王子に注目しています。そして声を掛けてきます。その人々の相手を適当にかわしつつ周囲を見回しても、王子はなかなかお目当ての雪也を見つける事ができません。 「 一体何処に…!」 けれど王子が焦れたようにそう呟いた時です。 不意にざわりと辺りが騒然とし、その群集の中から一際目を引く真っ黒なドレスを身に纏った黒髪の人物が現れたのです。 「 ゆ、雪…!」 その姿を認めた時、王子は思わず声を上げてその者に近づきました。 「 ………」 そこには、女性の格好ではありましたが紛れもなくあの塔で出会った雪也青年の姿がありました。身体のラインにあわせた細身の黒いドレスはひどく艶やかな雰囲気を漂わせ、見る者全てを魅了してしまうかのようでした。 「 雪…。お前、お前なんだろう…?」 「 ………」 王子の問いに相手は何故か返事をしません。けれども薄い笑みを浮かべ、ただ目だけでそれを肯定します。口元に浮かんだ笑みには真っ赤な口紅が鮮やかに光っていました。 「 雪…凄いな…。化けたなお前…」 感嘆したように王子は言い、おもむろにドレス姿の雪也の手を取りました。相手は静かです。ただ王子の所作にされるがままの格好で、ただ謎めいた神秘的な微笑を湛えています。 周囲は一気に色めきました。それはそうでしょう、王子が真っ先に声を掛けた人物を知る者は誰1人としていなかったのですから。 「 ここは騒がしいな。外に出よう?」 王子は何も発しない雪也を気遣うように言い、手を取ったまま群集から離れて王宮の庭へと向かいました。その際、傍に立っていた光一郎が眉間に皺を寄せ何やら言いた気な顔をしていたのが気になりましたが、敢えて見ないフリをしました。 「 やっと話せるな、雪」 王子は周囲から抜け出して目の前の雪也にそう言いました。改めて見やると、雪也はやはり綺麗だと思いました。 「 お前の方から来てくれて嬉しい。あの後どんなに探してもあの森には行けなかった。お前の母親だというあの魔女が邪魔しているんだろうとは思ったが、俺はどうしてもお前ときちんと話がしたいと思っていた」 「 ………」 「 ……? 雪?」 「 ………」 「 どうした? 何故何も言ってくれない?」 いつまで経ってもあの声を聞かせてくれない雪也に、王子はいよいよ焦れたようになって聞きました。 そして、尚促すように声を出そうとした、その時ー。 「 王子は……」 「 あ……」 間違いない、あの声です。王子は嬉しさで胸がズキンと高鳴るのを感じました。 雪也は静かな目をしたまま言いました。 「 王子は、私の事を生涯愛して下さいますか」 「 え…? あ、ああ、それは勿論ー」 「 何故。私とはあの時あの塔で少しの間お会いしただけ…。それでも愛して下さると仰る」 「 接した時の長さなど関係ない。俺が気に入ったのだからお前は俺を信じていればいい。だから来てくれたんじゃないのか?」 「 ならば王子」 雪也はすっと細い腕を差し出し王子に向かって言いました。 「 神懸けて誓って下さいますか? 私だけを愛して下さると。私だけを見て下さると。もし今この場で誓って下さるのならば、私は生涯王子だけの物となりましょう。……けれどもし誓えないのならば」 雪也はいっそ神々しいまでの美しさを放ちながら言いました。 「 ……もし誓えないのであれば、私は二度と王子の前に姿を見せる事はありません」 「 ………」 「 私は永遠の愛が欲しいのです。永遠の愛をお約束して下さらないのなら、私は王子の物にはなれません」 「 ………」 「 さあどうするのです、王子」 「 ………」 どうしたことでしょう。王子の胸がこの時ざわりと蠢きました。 目の前にいるこの美しい雪也は、あの時一目で気に入り、それからずっと恋焦がれてきた相手です。その相手が今永遠の愛を誓いさえすれば自分の物になると言ってくれているのです。 それなのに、何故か王子の心はひどく冷えてしまっていました。 「 ……お前」 「 どうしたのです、王子?」 急かすように言う雪也に王子は厳しい目を向けて言いました。 「 お前、本当に雪か?」 思わずそう発した言葉は王子自身すら驚くものでした。 けれど、口に出してしまうとなるほどそう思うのが至極当然のようにも思えてきます。だってこの目の前の雪也はあまりに堂々としていて、そして。 あまりに残酷な雰囲気を併せ持っていたから。 「 ……王子」 すると相手は一拍の沈黙の後に、相変わらずの平坦な声で返しました。 「 王子、何故そのような事を? 王子は私の顔をお忘れですか」 「 いや…。しかし、あの時とは大分感じが違うと思ってな…」 「 ほほ…。雰囲気など。あのほんの短い間だけでその者の発する空気など分かろうはずもありません。それでは王子はもう私の事はお忘れになると? 想っていた通りの者ではないから、もう必要ないと仰りますか?」 「 ………」 「 王子」 その時、王子がいる場所とは少し離れた所から光一郎が声を発してきました。2人の間を流れる微妙な空気を正確に読み取ったかのようなタイミングです。光一郎は王子が自分に視線を向けてきたのを確認してから、目の前に立つ少年の背をぽんと押しました。 「 ……っ」 背中を押された少年ー友之は、戸惑った風になりながらも光一郎に促されるまま、そろそろと王子たちの傍へ近づいていきます。 「 ………友之」 光一郎の意図を汲んだのでしょう、王子は自分の傍に来た友之の肩を引き寄せると、そのまま雪也の前に友之の事を押し出しました。 「 ……何ですか?」 すると雪也は不思議そうな顔で自分の前にやってきた友之の事を訝し気に見やりました。 「 友之だ。雪」 「 ……? この坊やが何だと言うのです」 「 ………」 これで王子は確信を持ちました。深く息を吐き出し、王子は目の前の「誰か」に言いました。 「 俺はお前に永遠の愛など誓わない。俺が誓うのは、ホンモノの雪也だけだ」 「 ………何を」 「 お前は雪じゃない! 何者だ! 雪は何処だ!? 俺が好きなのはあの塔にいたあの眼あの声をした雪だけだ! 雪を出せ!」 「 ………ほほ」 「 !?」 すると不意に周りに一陣の風がごうっと吹き荒れました。 「 ほほほほほ! バレてしまったんじゃあしょうがないわねえ!!」 「 う…っ!?」 その轟音吹き荒ぶ風の中、突然雪也のドレスが真っ黒な法衣になったかと思うと、雪也の姿だったモノは宙に浮き、まるで違う姿に形を変えて王子の前に現れました。 「 あははははは! 残念無念、息子の姿に成り代わってあたしがこの国のお妃なってしまおうと思ったのに! やっぱりあのトロイ息子のフリをするのは難儀だわ!」 「 お、お前みたいなのが雪の母親なのか…ッ」 そのあまりの想像を絶する姿に王子は思わず後ずさりました。世にも恐ろしい化け物とはこの魔女のことを言うのではないかと思ったのです。 その魔女は事もなげにこう言いました。 「 でもねえ、息子に言ってやった事は本当だよ。もしアンタがこの広い王宮内でちゃんとあの子を見つけて永遠の愛を誓うなら…。誓えるなら、あれはあげるよ。アタシもあのトロ息子には、いい加減親離れしてもらわなきゃと思ってたんでねえ」 「 な、何が親離れだ…!」 「 けれどね」 しかし怒り心頭の王子に魔女はさっとその勢いを遮ると言いました。 「 息子は0時になったら連れて帰るよ。人ごみが苦手な子だから、あんまり長い間こんな所にはいられないってね。だから、せいぜいそれまでに見つけるんだね…! アタシが魔法でちょいと姿を変えてあげてるからねえ、無事見つかるといいけれど」 「 何…ッ!?」 「 あっはははは! せいぜい、とっ捕まえるこったね! それじゃあね!」 「 ま、待て…!」 しかし王子の制止など聞く風もなく、魔女は吹き荒れる風と共に去って行ってしまいました。 「 雪がこの中の何処かに…!」 「 王子」 すると一部始終を見ていた光一郎が割って入ってきて言いました。 「 あの魔女の口ぶりですと、雪也は人間の姿でいるとも限りません。どうやって探し出すおつもりですか」 「 ……どうやっても何もあるか。何としても見つけ出す」 「 ………」 「 おい友之!」 「 は、はい…!」 「 お前も手伝え。お前、元は犬だろーが。雪の匂いとか分からないか?」 「 そ、そんな…。こんなにたくさんいると…」 「 どこらへんかってだけでもいいんだよ! そしたら後は俺が見つけ出す」 「 は、はい…っ」 涼一王子に鬼のような形相で脅され、友之はオドオドとしながらも必死になって鼻をくんくんと動かしました。暫く犬でいたせいなのでしょうか、それとも元々そういう才に長けていたのでしょうか、友之はやがてある王宮の一角を指し示すと、「あの辺りに雪也お兄さんの気配を感じます…」と、舞踏会の会場からは少し離れている外庭に視線をやりました。 「 あの辺りか…!」 何という事でしょう。気づくともう0時まであと僅かです。あたりをつけて探るのも限界がありそうでした。 王子は慎重に、友之が言った場所に近づいていきます。 王子が探した場所とは…? 一、水鳥がいる泉に近づく 一、外庭で寛いでいる人間に話しかける 一、蛙の鳴く茂みの中を探る |
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【つづく】 |