いせつ


  ―1―



「三者面談? へえ〜学期末にようやくねえ。相変わらずやる事トロイ学校だね」
 友之が恒例の中原野球チームでの日曜練習を終え、数馬らとバッティングセンター「アラキ」へ寄った夕暮れ時。
 いつの間にか話は友之の学校で行われる保護者と担任を交えた三者面談の話になっていた。数馬がバカにしたように友之の期末テストでの出来を聞いていた事で、いつの間にかそんな話になったのだ。
「そういえばトモ君の学校、進路希望調査も年明けに初めてやってたよね。まあ、スローペースな君にはぴったりのトコかもしれないけど」
「数馬。お前はホント、いちいち言う事に険があるよなあ」
「なになに、何の話?」
 数馬と友之が話していた席はいつものカウンター席で、この時2人の会話を黙って聞いていたのはグラスを磨いているマスター1人だけだった。しかし別のテーブル席にいた他のチームメイトたちも友之たちの話には相当な興味があったようだ、マスターが苦笑交じりに割って入ったのを見計らい、傍の席にいた椎名がすかさず3人の間に入ってきた。チームのムードメーカー的な存在・椎名は、見た目や普段の言動からは到底想像できないもうすぐ三十路の独身サラリーマンだが、至って普通人に見えるその外見や社会的立場とは裏腹に、例によって「可愛い友之にぞっこん」な中原的「困った奴」の1人だった。
「トモ君の学校でね。今度三者面談があるんだって」
 そんな椎名に数馬が慣れたような目を向けながら答えた。
 椎名は友之の背後に立ったまま、そう答えた数馬にやや苦い笑いを向けながら「へえ」と言った。
「三者面談か。懐かしいなあ、俺も高校生の頃やったっけな」
「そんなもん修司が高校の頃やったかなぁ。覚えてないな」
 椎名の言葉に対しマスターの方はどうにもピンとこないらしい、不思議そうに首をかしげた。するとテーブル席からすかさず「サボり常習の修司は何回も親呼び出しくらってただろ」などという冷やかしの声が掛けられた。結局みんなカウンター席での友之たちの会話に耳を済ませているのだ。
「失礼な。そんなにサボってないよ、正人じゃあるまいし」
「俺が何だって?」
 マスターの苦笑混じりの発言にそう言ってカウンター席に近づいてきたのは名前の上った当人、中原だ。今日の練習で「不完全燃焼だった」という中原は何度目かの打ち込みを追え、ボックス席から戻ってきたところだった。友之の左隣を陣取ろうとする椎名を片手でのかしながら、中原は「どけ」と乱暴に言い放って当然のように自分がその「みんなが狙っていた場所」に腰を下ろした。
「マスター、ビール」
「はいよ」
「それで? 何だよ、その何とか面談ってのは」
 ちらと視線を向けてきた中原に友之が答えようとすると、身を乗り出すようにして数馬が先に口を開いた。
「先輩、三者面談知らないんですか? 担任の先生と保護者とコドモの3人でお話するやつですよ。放課後の教室でくら〜くじめっと」
「何だそりゃ」
「正人、マジで知らないの?」
 椎名は自分が友之の隣に座れない事に不満そうにしつつも、仕方なく中原の左隣に座って先を続けた。
「テストの成績がどうの、これならどこの大学あたりがどうのって話すあれだよ。あとは『澄人君はご家庭ではどうですか〜?』とかさ。色々聞かれて、親は親でうちではあーだこーだって色々まくしたてて。子どもが一番居た堪れない瞬間っていうかね」
「椎名さん、何か嫌な思い出でもあるの」
 数馬が皮肉っぽい口調で聞いたが、椎名は割とすんなり頷いた。
「まあな。俺は親も行ってた学校もすっげー束縛キツイとこだったから」
「ふうん」
「くだらねえ」
 中原はあまり興味がないのか、フンと鼻を鳴らしてマスターが出してくれたビールを煽った。学校生活にも家庭にもあまり良い思い出がない中原としては、その両者に囲まれるような行事の話など聞きたくもないというところなのだろう。
「それでトモ君。誰に頼むの、それ?」
「ん…」
「え…」
「あ…」
 けれど数馬のその一言に、その場にいた中原、椎名、マスター、それに背後にいた大人たちが一斉にしんと黙りこくった。
「………」
 友之も周りの人間が話しているのをただ静かに聞いていたものの、数馬の質問には自分でも先刻から悩んでいた事もあったのか、途端困ったような顔をして俯いた。
 保護者。
 勿論、友之にも親はいる。親はいるけれど。
「トモ君のお父さん、こういうのは呼べばちゃんと来てくれんの?」
「数馬!」
「何ですか」
「……黙れ」
 中原のぴりぴりとした声に数馬は露骨に嫌そうな顔をした。とりあえずは口を閉じたが。
「あ、あー…。何なら俺が行こうか、トモ?」
「え……」
 マスターが柔和な笑みを浮かべてそう言った。少なからず友之の家庭の事情を知っているマスターは、だからこそいつものお節介癖がより発動されてそう言わずにはおれなかったのかもしれない。
 しかし、その一言を皮切りにそれならと椎名までもが手を挙げた。
「なっ、なら俺も! 俺も行ってやろうか、トモ!?」
「何でそうなる!」
 これには中原が呆れてすぐに声を荒げたが、椎名は負けじと偉そうに言った。
「だって俺だってトモの将来は心配だし。別にあんなの本当の保護者じゃなくたっていいんじゃないか。第一、俺はもう妻も子も養える立派な社会人だから! 見た目もどうよ? 普通にトモの親代わりっぽくねえ? ま、勿論理想としては《ちょっと年の離れたオニイサン》って設定がいいんだけど」
「どっちも全っ然見えねえ。微塵も見えねーよ、バーカ!」
「うっ…正人、お前なあ…」

「なら俺が行こうか!」
「いやいや、それならこの私が!」
「俺が!」
「私が!」

「なっ…!?」
 椎名が中原のキツイ言葉に「とほほ」とため息をついた直後だった。
 ぎょっとして振り返った椎名と中原2人の視界には、次々と「それなら自分が友之の保護者代理として出席しよう」と名乗りを挙げるヘンな大人たちの群れが……。みんな、普段は中原のガードの固さや友之の人見知りの激しさ故になかなか触れ合いの機会を持てていないが、実は「可愛い友之君」とは少しでもお近づきになりたいと思っていたのだ。三者面談と言えば大人の出番、彼らはここぞとばかりに普段見せない積極性を露にし始めた。
 これに面食らったのは勿論友之の「兄」を自負する中原である。
「お、お前らどさくさに紛れて何言い出してんだ…っ! マスターが言うならともかく、お前らみたいなエロオヤジどもの出る幕はねーんだよっ! 散れっ、このバカ共っ!!!」
「いやあ…トモ凄いなあ、モテモテ」
「そんなトモ〜。俺が最初に名乗りをあげたんだから、俺を選べよ〜」
「こら澄人。最初に言ったのはこの俺だよ?」
「……あーあ。バカらし」
 中原とテーブル席にいる大人たちの揉めっぷり、カウンター席でのマスターvs椎名との柔らかい攻防に、数馬がはーっと大袈裟なため息をつく。一方の友之は驚いたようにぽかんとしてその光景を眺めているだけだったのだが、両の手を頭の後ろに組んで「トモ君」と呼んできた数馬にはすぐに反応を返す事ができた。
「え?」
「え、じゃないよ。どうなの、この状況」
「ど、どうって…」
「鈍い人だな。キミのせいでこうなってるんでしょ、今」
「………」
「だから」
 困ったように黙り込む友之に数馬は素っ気無く言った。
「早いとここの人たちに教えてあげなよ。保護者役は光一郎さんに決まってるって」
「………まだ」
 光一郎には頼んでいないのだけれど。
 もごもごと口元でそんな事を呟く友之に気づいているのは、この場には数馬しかいなかった。





 友之が通う高校は期末テストを返却する時期には既に殆ど学校の授業はない。部活や委員で登校する生徒は多いが、数馬が通う進学校とは違って特別模試やら補講やらが入る事もないし、比較的自由な時間を与えられているのである。
 それでも友之は気分が重かった。期末テストの成績がそれほど振るわなかったというのもあるが、担任から「三者面談のお知らせ」という紙を貰ってから、ずっとどうしようと思っていたのだ。
 進路希望調査の紙を配られた時もひどく憂鬱だったけれど。

『やだなあ、うちなんかさあ、土曜日を希望して両親で来るとか言ってんだよ!』
『うちも! うちも土曜日希望だって! そんで父親が来るとか言ってんの。ホント勘弁して欲しいよ!』

 教室でそんな話を聞いていたから余計に気持ちが暗かった。普段あまり「親」というものを意識しないようにしている友之だが、こんな時はどうしたってあの厳しいだけだった父親の姿が脳裏にちらつく。蔑まれ、いつも失望の眼を向けられていたあの冷たい表情。
 そんな顔も本当は直視できなくて、今ではもうぼんやりとした曖昧なものしか残っていないのだけれど。
「………」
 「アラキ」で皆と別れ、家路へと向かう河川敷を独りのろのろと歩きながら、友之はぼんやりと先ほどの喧騒を思い出していた。皆が自分の親代わりになって学校へ行ってくれると言った。マスターや普段頻繁に話しかけてくるようになった椎名だけでなく、自分の臆病さ故に滅多に口をきく事もない他のチームメイトの大人たちまでが手を挙げて「自分が行ってもいいよ」などと言ってくれたのだ。とても驚いたけれど、とても嬉しかった。素直にそう思えた。中原は1人でカリカリして「そんなもんは光一郎が行けばいいんだっ」などと言って大人たちを一蹴していたが。
「…迷惑…掛けたくないのにな…」
 光一郎に余計な負担を掛けたくない。けれど何かというと色々な事で手の掛かる自分はやっぱりまだ子どもなのだと痛感する。そして、それならば自分の将来をしっかり定めてその為の勉強を頑張るなり何なりすれば良いものを、友之はその一歩を踏み出す事がまだ出来ないでいる。
 はあと大きくため息をつき、友之は背中を赤く染める夕闇の中をただ無機的に歩き続けた。





「三者面談?」
 夕食後、どうしようかと友之がさんざ迷った挙句テーブルに出したプリントに光一郎は軽く目を通してからまず一言そう言った。
「うん…」
「そうか」
 そうして光一郎は別段何の感慨もなく、素早くペンを走らせながら続けた。
「少し遅れるかもしれないから、先生に最後にしてもらえるように頼めるか?」
「えっ…」
「この日程なら9日がいいな。バイトもないし」
「コウ…?」
「何だ?」
「………」
 呼びはしたものの返答しきれずにいると、光一郎は怪訝な顔をした後、「お前…」と友之に言うでもない小さな声を発した。
「まさかまたくだらない事考えてなかっただろうな…」
「え…?」
「……何でもない」
「あっ」
 瞬間、引き寄せられてキスをされた。身体を引っ張られた事に驚いている合間、それは不意にされた口づけだった。
「こ…」
 しかもその後慌てて声を出そうとしたところをもう一度された。何も言うなと言われているようで困ったように唇を閉じると、今度はそれを戒めるかのような3度目、4度目のキスがおりてきた。
「……っ」
 どうして良いか分からない。
 全身で途惑いを露にすると、掴まれていた片腕に力が込められた。痛い、と思った直後、今度はぎゅっと背中ごと抱きしめられた。
「………」
 完全に言葉を奪われた。友之は光一郎の懐に抱きすくめられると、もう何も考えられなくなる。何もかもどうでもよくなって安心して、ただその胸にずっと自らの鼻先を、顔全部を押し付けていたいと思ってしまうのだ。
 このままずっと、じっとしていたい。
 そんな時が一体どのくらい続いたのか。
「……凄いな」
「え…?」
 光一郎がどこか感嘆するような声でふっと呟いた。友之が不思議に思ってここでようやく顔をあげると、視線の絡み合った先、光一郎はそんな友之の頭を優しく撫でながら何でもない事のように答えた。
「息できないくらい強く抱きしめてんのに。いつまで経っても暴れないから、お前」
「えっ…」
「全然動かないから心配になっただろう。大人しいのもいい加減にしろよ」
「そんっ…」
「とにかく。これ明日提出しろ。希望日書いておいたから」
「コ……。………」
 言いかけた言葉は飲み込んでしまった。
 プリントをつき返した後、いつもの如く台所の片付けに立った光一郎の背中を友之は黙って見送った。急に離れてしまった温かい熱が何だかひどく惜しく感じた。
「………」
 渡された白い紙には希望日時と共に綺麗な文字で父親の参加が不可能な旨などを記した簡単な一筆が添えられていた。こんな光一郎が保護者代わりならば担任も何も言わないだろう。まだ学生とはいえ、そこらの大人よりも余程大人だ。
 そして結局光一郎というのは「そういう」人間だった。
 友之の兄になどなりたくない、お前の保護者役なんてごめんだと口にはするくせに、いつだって光一郎は友之の一番近くにいる身内なのだ。その役を自ら捨て切れていない。自ら率先してそうしてしまっている節もある。
 それは勿論、友之とてそうなのだが。光一郎を一番頼りにしている兄としていつでも絶えず縋ってしまう。
「………」
 友之はその夜、光一郎から返されたその白い用紙を何べんも何べんも見つめ続けた。



【つづく】