・素敵なご学友〜賭けの結果は?〜


  ―1―



「う〜やっぱり我慢できないっ!」
「……何だお前は。急に」
「ユ、ユズル。人の邪魔をするのは、や、やめてくれ」
「お前らは気にならないのかっ!?」
 ぽかぽかと晴れたうららかな昼下がり。
 大学構内にある芝生の上で、「生まれた時からの腐れ縁」である幼馴染のユズル、ハルナ、そしてハカセは共に昼食を摂りつつもそれぞれがそれぞれ好きな事をして寛いでいた。
 ケーキ作りが趣味のユズルは自分が作ってきたお菓子の試食。
 ロリコン趣味のハルナはその手の雑誌で新作ゲームのチェック。
 そして勤勉家のハカセは分厚い法律書を熱心に熟読している最中だった。
「だからだなっ」
 その状況にべりリとメスを入れて急に騒ぎ出したのがユズルだった。
「お前らだって見てみたいだろ!? 光一っちゃんの弟クン!」
「何だ。お前、まだその話をしていたのか?」
 身を乗り出すようにして唾を飛ばすユズルにハルナは雑誌から目を離す事なく素っ気無い口調で返した。
 先日、彼らの学友である北川光一郎の弟へ手作りケーキをプレゼントしたユズルは、それ以来執拗に「光一っちゃんの弟クンが見たい!」発言を繰り返していた。
「光一郎が嫌だと逃げているのだから仕方ないだろう。私はもうどうでもいいがな」
「ぼぼ僕もハルナに同感だ。別段無理して、みみ見てみる事もないと、お思うけどな」
「ちぇ〜っ。野次馬根性のない奴らはこれだから! 面白くない!」
 ふいとそっぽを向き大袈裟に腕組をしたユズルだが、そんな駄々をこねたところでこの2人が何とも堪えないという事くらい承知していた。特に、この間こそ気紛れを起こして光一郎に「お前の弟が可愛いか否か賭けよう」などと言ったハルナだが、彼女が高校生のしかも男になどハナから興味がない事くらい分かっていた。またハカセにしても、自分の良きライバルである光一郎が渋っている事を無理矢理にこじ開けてまで覗き込むような類の人間ではない事を、ユズルは知り過ぎる程によく知っていた。
「あ〜!! でも俺は知りたいんだよっ。見たい〜。光一っちゃんの弟クン!!」
 けれど今日のユズルはしつこかった。だんだんと芝生を叩き、無理に2人の注意を引こうとする。
「煩い」
 ハルナが呆れたようになってようやく顔を上げた。
「だったら光一郎に頼めばいいだろうが。お前のその甘ったるい菓子攻撃を毎日食らえば、あいつもそのうち降参して弟に会わせると言うかもしれないぞ」
「あ、それはもうやってる」
「………」
「ちなみにこの新作もその弟クンの為に制作した新作ミルフィーユ。さくっとした食感がなかなか良いとは思うんだけど」
「ユユユズル…。どどどうしてそんなに、ま毎日北川の弟にケーキを作るんだ?」
「だって可愛いんだよ!」
 ハカセの当然の質問にユズルががばりと顔を上げて目を輝かせた。
「光一っちゃんの弟クンってさ。凄く律儀っていうか、丁寧なんだ。この間もケーキのお礼とか言ってこれ! 俺にって!」
「何だそれは?」
 ユズルが突然背後から出してきた物にハルナが眉をひそめた。
 それはいたってシンプルな無地の藍色エプロンだった。
「光一っちゃんが『弟がこの間のお礼だって』って言って持ってきてくれたんだよ。なあなあこんなのわざわざくれるなんて凄く良い子だと思わない? しかも一緒についてたカードに書いてあったお礼も凄く可愛いのっ。何かっ。字が!!」
「字が、な」
 冷めた目を向けるハルナに、しかしハカセがこれには同意するという風に頷き眼鏡のフレームを上げた。
「たた確かに、綺麗とは言い難いが、せ誠実そうな文字ではあったよ」
「だろ!? 多分俺が毎日プレゼント攻撃するから悪いと思ってくれたんだとは思うけどっ。でもでも何ていうの、このエプロンには他の人間にはない温かみを感じたっ」
「……人間、妄想を抱いている時が一番幸せだ」
「むっ。何だよそれはっ」
 ハルナの発言にユズルがぴたりと動きを止めて口を尖らせた。
 ハルナは鼻先で笑い、再び雑誌に目を落とした。
「そうやって会わないでいるうちが華だと言っているんだ。お前がそこまで夢を見てしまっているなら、もう北川の弟には会わない方がいい。確かに奴の弟なんだからそれなりに見目は良いかもしれないが、少なくともそんなダサいエプロンを選ぶような奴が私たちが思っているような『可愛さ』を持っているとは思えない」
「そそそうだな。ユズルは、ちょっとその子を良く想像し過ぎているだろう…? 優しくて気の利く、かか可愛い美少年みたいな」
「そ、そりゃあ、まあ…。ってか、このエプロン可愛いじゃん!!」
「何言ってんだ。そんな面白みのないもん、色気も何もありゃしないだろうが」
 元々の趣味が趣味だけに、ハルナは無地で暗い色のエプロンなどを選ぶ光一郎の弟のセンスが許せないようだ。
「とにかく、さっきの私の発言は冗談なんだからな。お前の菓子狂いは生まれつきだが、それを他人に毎日押し付けるなんてさすがにやり過ぎだぞ。私たちに矛先が向けられなくなった事はありがたいが、いい加減他人の弟に執着するのも程ほどにして、ちったあまともな生活に戻った方がいい。大体お前、ここ最近また菓子しか食べてないだろう」
「ふん、お前らが味見してくれないからだろっ」
「当たり前だ。私たちを殺す気か」
「ぼぼ僕も、この間胃もたれして2時間程勉強時間をロスした」
「たった2時間かよ!」
 細目を一層細くしてハカセにツッコミを入れた後、しかしユズルはもう2人が相手にならない事を悟ったのかすっくと立ち上がった。
「ったく、もういいよ。なら2人はそうやって部外者でいればいいさ。俺は行くぜ、この新作をラッピングして! 弟クンに会いに!」
「行くって…ユ、ユズル、どど、どこへ行くんだ?」
 ハカセの問いにユズルはフンと鼻を鳴らした。
「勿論、光一っちゃん家だよ。住所は年はじめに貰った年賀状でばっちり!」
「……光一郎には内緒か?」
「え? えーっと、それはあ…」
 途端もごもごと歯切れの悪くなるユズルに今度はハルナが畳み掛ける。
「どういう口実で訪ねる気だ? いつも菓子は光一郎経由で渡していたろう?」
「う、うん」
「あいつが嫌だと言っているものを無理強いして、後でどういうリアクション取られるかとかは考えてないのか?」
「………」
「ふー…。ったく、この考えなしは…」
「ユ、ユズルはおっとりしているようで、実は猪突猛進タイプだから」
「ただのバカなんだ」
 ぽつと言ったハルナの厭味に、さすがのユズルも気勢をあげた。
「な、何だよ! さっきから2人してさ! だって俺、すっげえ調子いいんだ! 光一っちゃんの弟クンの為に腕奮い出してから! だからさ、だから―」


「あ。ここにいたのか」


 その時ようやく見つけたというような声が掛かって、立ち上がって1人気を吐いているユズルとその場に座っているハルナとハカセの前に光一郎が現れた。3人が一斉にそちらへ視線をやると、芝生に上がってきた光一郎は手にしていたノートをハカセに差し出した。
「これ、サンキュ。助かった」
「あああまり休むと、どんどん遅れを取るぞ」
「分かってるよ」
 ハカセにもう何度目か分からない釘を刺され苦い笑いを浮かべた光一郎は、それでも別段堪えていないような顔でハルナの隣に腰を下ろした。ハルナはその光一郎の様子を眺めながらちろとその背後に視線を移した。全く何処にいても目立つ男だ。自分たちが異端な存在だからというのもあるが、光一郎が来るとより一層周囲の視線が熱いものになり、注目を浴びる。
 手にしていた雑誌を閉じてハルナは光一郎のその端整な顔をまじまじと見やった。
「今日は随分と遅い登校だったな。また弟が風邪でも引いたか」
「え? ああ、よく分かったな。ちょっと具合悪くしてさ。でももう大丈夫だ」
「えっ、ホントに大丈夫か?」
 ユズルが心配そうな声を掛けて傍に座り込むと、光一郎は優し気な目をして頷いた。
「ああ。それにお前が昨日くれたロールカステラ、な。あれ、ヒットだった。あいつあんまり食欲ないみたいだったし、朝はあれ食って凌いでたから」
「そ…そっか!! 良かった! あれ、マジ消化いいから! そんなに甘ったるいって事もないし、元気ない時にはオススメだよ!」
「それにしても毎日悪いから、お前いい加減もうくれなくていいからな」
「えっ」
 先制パンチを食らわされて固まるユズルにハルナが笑った。
「そこにある物体も弟用の物らしいぞ」
「ユズル…。頼むからよしてくれ。確かにあいつは喜んでるけど…」
「だ、だって…」
「きき北川。ユズルが弟を見たいと、しししきりに言うんだよ」
「え…」
「はっ、ハカセっ!!」
 ストレートに言うハカセにユズルが慌てたように口を開いた。その事をさんざ嫌だと拒絶する光一郎には頼むのを諦めこっそり会いに行こうと思っていた矢先だったわけだから、その真っ向勝負なハカセの発言には意表をつかれたのだろう。
「それは駄目」
 けれどその勝負はやはりあっさりと完敗してしまった。
 ただ多少悪いとは思ってきているのか、光一郎はユズルに控え目な笑みを向けると「悪いな」と小さく言った。
「うちの弟、ハンパなく人見知りなんだ。最近ようやく表に意識が向くようになったけど、まだちょっと…な。そんなわけだから。勘弁な」
「え……」
 そうして光一郎は腕時計をちらと見るとすぐに慌てたように立ち上がった。単位互換制度を利用して他大の講義も受講している光一郎は、3人よりもややハードな時間割を組んでいる。バイトがない時でもいつでも忙しそうだった。
「はーあ…」
 光一郎が去った後、力なく項垂れるユズルにハルナが言った。
「諦めるのか」
「だって…。しょーがないよ。ああきっぱり断られちゃさ」
「ああいう風に言われるのが分かっていたから、こっそり会いに行こうとしてたんだろ」
「そうだけど…。何か今、具合も悪いみたいだし」
「しかし」
 すると先刻まで「どうでもいいだろう」と言っていたハルナが不意にキラリと目を光らせて言った。
「人見知りの弟か…。これはなかなかにポイントが高い。……いいな」
「は?」
「ハ、ハルナ。なな何を企んでいるんだい」
「別に」
 探るような目を向けるハカセににやりと笑いかけ、ハルナはすっと手にしていた物を掲げた。
「そ、それ…? 光一っちゃんのノートか?」
「ハルナ。いい、いつの間に盗ったんだ?」
「ハカセ、お前人聞きの悪い事を言うな。あいつが忘れていったのを『拾って』やったんだよ」
 しれっと言うハルナはそのノートをひらひらと2人の前に見せ付けてから悪びれもせずに続けた。
「まあ、しかしこれで少なくともあいつの家に行く大義名分はできたな。明日から連休で授業がない。数日この講義のノートがないというのは…あいつにとってマイナスだと思わないか?」
「そ、そうかっ。ハルナっ。えらいっ!!」
 嬉しそうにぱっと明るい顔をするユズルに、ハルナは得意気な様子でくいと唇の端を上げた。
「ふふん。まあ、見てやろうじゃないか? 私の予想としては『病弱なくせに案外ごつい奴』ってな、ユズルには不本意なものなんだがな。何せあんなエプロンを選ぶ高校生男子だから」
「んな事ないって! ぜってー可愛いって!」
「……しし、心配だな」
 唯一まともな呟きをしたハカセの声だったが、この時の2人にはまるで届いていなかった。
 ぽかぽかと晴れたうららかな昼下がり。
 こうして3人はまだ見ぬ北川光一郎の弟を見物に、彼のアパートを訪ねる事になったのである。



【つづく】