続・素敵なご学友〜賭けの結果は?〜 |
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―2― 「…ほう。ここが光一郎の住むアパートか」 「ああ、確かここの2階なはず。あ、あの端の部屋じゃない? うん、絶対そうだ」 「ふ、ふふ2人とも、本当に行くのか?」 午後の講義をすっぱりとサボり、大学を飛び出てから約2時間後。 「住所はばっちり!」などと言う方向音痴のユズルがふらふらとあっちだそっちだと迷うものだから多少の時間は掛かったが、それでも3人は何とか目的の場所に着く事ができた。 そう、学友である北川光一郎の住むアパートへ。 そしてその光一郎の弟がいるであろうアパートへ。 「今更何言ってんだよ、ハカセ!」 その場所を前にして未だ心配そうな声を出すハカセにユズルがくるりと振り返り檄を飛ばした。 「お前だって見てみたいだろ? 光一っちゃんの弟! だから何だかだ言いながらここまで来たわけだしさ。そんでもって今まさに! 目の前にそのコがいるんだぞ、怖気づいてどうするよ!」 「ぼぼ、僕はどちらかと言うと2人の暴走が心配だからきき来ただけだ」 「ふん」 ハカセの言葉に今度はハルナが鼻を鳴らした。 「ハカセ、その言葉は聞き捨てならないぞ。私は至って冷静だし、別に何かしらやらかそうと思ってるわけでもない。私はただ光一郎が忘れた大切なノートを親切心から届けに来てやっただけだ。何を心配する事がある?」 「そうだよ、ハカセ! 心配するなって!」 「ま、ユズルは既に暴走気味だがな」 「むっ! 何だよそれは!」 「それだ、そのテンション」 ハルナがびしっと指摘し、心底迷惑だというように「お前はさっきから煩過ぎるんだ」としかめっ面をする。確かにユズルは電車に乗っている時から既に少々興奮気味で、光一郎の弟はどんな子だろう、あんなタイプかなこんなタイプかなと、1人でやたらと喋くりまくっていた。 「言っておくが顔を眺めて帰るだけだ。ユズル、分かっているだろうな」 「え、何で!!」 「何でじゃない。光一郎が今日遅刻した理由を忘れたわけじゃあるまい?」 「え…あ…」 ハルナの言葉にユズルの動きがぴたりと止まった。 ハカセが付け足すように言う。 「そそ、そうだぞ。北川の弟は具合が悪いと言っていたじゃないか。しししかも、人見知りもするそうだから…。ぼぼ僕たち3人が、こここんな風にとと突然現れたりしししたら、きっと驚いてしまう」 「……まあ。そうだけど……」 「そういうわけだ。私たちはあくまでもノートを届けに来ただけだ。そこのところを忘れるな。大体、私は顔が見られればそれでいい。それで目的は果たせるのだからな」 「えー…でも、さ。ちょっとくらい話とかしてみたくない?」 「玄関前で2,3交わせばそれで十分だろ」 「ちぇ。分かったよ」 渋々と言う風にユズルは頷いた。もっとも、ハルナが多少協力的になったところで所詮はここまでだろう事はユズルも薄々承知していた。仕方がない、ハルナは高校生男子になど興味はない。ただ「北川光一郎の弟」というその点にのみ関心があるのだ。だから「その顔を拝めればそれで満足」なのも当然と言えた。またハカセとしても、光一郎の気持ちを汲んで「あまり深入りしたくない」というのが本音だろう、そのスタンスを崩す様子はなかった。 「……じゃ、行くか」 ユズルは多少失望した気持ちでそう言いながら彼らの先頭に立ち、階段を上った。そして「こいつらに比べ何故自分はこんなにも光一郎の弟に会いたいと思っているのだろう」という事に考えを巡らせた。自分にとって光一郎はハルナたち以外で初めて心を許せた友人である。その弟に純粋な興味があるといえば、それはそれで間違いのない事だった。光一郎は本当に気持ちの良い奴だし、これからもずっと良い友人でいたいと思う。けれどその光一郎が家族の事や自分の事をあまり話してくれない事が寂しかった。水臭いと感じた。 だから少しでも少しずつでも光一郎に関する事なら「知りたい」とユズルは思ったのだ。 「………」 けれど、ユズルには自分の中にそれ以外のまだ「何か」があるような気がしていた。己の中でまだ見ぬ「弟クン」にこだわる理由が。エプロンと礼状を貰った時に感じた、何とも言えない高揚感。 素敵な予感。 「いるかな…」 「インターホンを鳴らせば分かる」 「分かってるよ! けど…う〜ん、緊張するなあ」 冷めた態度のハルナにユズルは膨れ、それでもふっと改めて自分の背後についていたそのハルナとハカセ2人を見やった。 そういえば幼い頃に思ったものだ。昔から家同士の繋がりで付き合いのあった2人だけれど、ユズルは物心ついた時に感じたのだ。「この2人とはこの先もずっと一緒にいるのだ」と。 ユズルは昔からそういった予感にひどく優れた人間だった。 「おいユズル。押すのか押さないのか、早くしろ」 その時、いい加減焦れたようにハルナが言った。 「押さないなら私がやるぞ」 「あ、駄目! 俺がやる!」 「ならさっさとしないか!」 「ま、待てって。こういう事は気持ちを落ち着けてから…」 「片想いの女に会いにきたわけでもあるまいに、おかしいぞお前」 「あ、片想いか…。うーん、なるほど」 「……何を感心してるんだ」 「……ふ2人とも」 「「は?」」 そんな無益な言い合いをしている2人の間をぬって、不意にハカセが声をあげた。ユズルがぽかんとしていると、ハカセが平然と言った。 「ぼぼ、僕が押したよ」 「……へ」 「よし、でかしたハカセ」 「は、はああ〜!? 何でっ。俺が押したかったのにっ」 「だ誰が押しても、おお同じさ」 「ハカセ〜!!」 「しっ。来るぞ」 「………っ」 ハルナの声にユズルがはっとしてドアに向き直る。残り2人も真っ直ぐに前を向き、ようやく会えるであろうその人物が現れるのを待った。 「………」 「………」 「………」 しかし、どんなに待ってもドアは開かれなかった。 「いない…のかな?」 「おかしいな。確かに人の気配がしたんだが。こちらに来たような感じもした」 「も、もう一度押してみようか」 ハカセが言い、同時に再びインターホンを押す。先ほどはハルナと言い合いをしていて聞き逃したユズルにも、部屋の中へと来訪者を告げるベルが高らかに鳴り響くのを聞いた。 それでも誰も応答しない。 「えー…折角ここまで来たのにぃ」 「しし、仕方がないだろ。いないんだから」 「ふ…む。さっきのは気のせいだったのか…。確かに誰かいると思ったんだが」 「そそそれで、ノートはどうする? こここのまま持ち帰るのは、よよ良くないぞ」 「ポストにでも入れて行くか?」 「えーっ。それじゃもうここに来る機会なくなっちゃうじゃん!」 割とあっさりと言うハカセとハルナにユズルが思わず大声を上げた。 しかし元々ユズルほど光一郎の弟にこだわっていなかった2人は至ってドライだ。 ハカセが言った。 「ユズル。き北川のこのノートは、週初めにある、ああいつの講義で必須のものだ。元々ハルナが盗っ…」 「いいじゃないかユズル。光一郎は感謝するよ。わざわざノートを届けてやった私たちに恩を感じて、そのうち自分から会わせてやると言ってくる日が来るさ」 「……う〜…」 けれど2人に説得されているユズルが渋々「分かったよ」と頷こうとした、その時だった。 ガチャリ、と。 「あ…!」 「む……」 「ん…?」 恐る恐るという風に、まるで重い鉄格子を開けるかのような鈍い動作で、そのドアノブがゆっくりと回された。 「あ…あの…」 そしてそのドアの隙間から小さな細い声が漏れてきた。 3人は一斉にそちらへ視線をやった。 ドアが更に開かれる。中にいた相手の半身が見えた。 「………」 「あ…」 最初に小さく声を漏らしたのはハカセだった。一番ドアの近くにいたから中の人物がよく見える位置にいたのだ。ハカセのその微かに漏れた声に続いてユズルとハルナも飛び掛らん程の勢いでハカセの肩口に飛びついた。 「……君が」 「光一郎の、弟か?」 後を続けたのはハルナだ。ユズルはドアの隙間からちょこりと顔を覗かせた相手の事を見てシンと口をつぐんでしまったから。 「………」 3人のその異様な好奇の目に晒された事で、中にいた人物…光一郎の弟である友之は思い切りびくついたようになって絶句していた。 それでもハルナの言葉はきちんと聞こえていたようで、こくりと頷き、ふるふると唇を動かした。 何か話そうとしているらしい。しかし言葉は出てこなかった。 「あ…あのっ。えっと、友之君、だよね?」 ふと我に返ったユズルがはっとして声をあげた。友之が驚いて自分に視線を向けてくるとにこりと笑って早口でまくしたてる。 「お、俺! 伊集院譲です。君のお兄さんの友達の!」 「……え」 「私はハルナだ。で、こっちはハカセ」 「よよ、よろしく……」 「……っ」 ユズルの後にたて続けに自己紹介を済ませてきたハルナたちにも友之は代わる代わる視線を向け、それから慌てたようにぺこりと頭を下げた。 少ししか開いていなかったドアがまたゆらりと開かれた。 ハルナがその様子を見ながら手にしていたノートを差し出した。 「君のお兄さんが忘れ物をしたんだ。これはあいつにとってもとても大切なノートだから、休み前に届けておこうと思ってね」 「そ、そうなんだ! だから渡しておいてくれる?」 「あ……」 殆ど反射的にそのノートを受け取った友之は、愛想の良い笑いを浮かべるハルナとユズルを見てから、もう一度最後にハカセを見つめた。 「……っ!」 ハカセはそんな友之と目を合わせて急にオロオロと挙動不審になって身体を揺らした。元々人と接するのが苦手な方なのに友之の無害な眼差しは余計に痛かったのかもしれない。 「う…」 おまけに、ノートを届けるなどというのは完全な名目で、自分たちは友之をただ「見物」しに来たのだ。しかも友之が「自分たちにとって可愛いか可愛くないか」などという全く失礼極まりない予想までして。 「かか、帰ろう、2人とも…!」 怯えたような弱々しい友之の視線にハカセは一番敏感だった。 全く悪い事をした。光一郎が「弟は人見知りだから」と言っていたではないか。知らない誰かと対面する苦痛を自分たちこそがよく知っているはずなのに、何てバカな事をしているのだろうと、ハカセは慌てて踵を返すと一人先にドアを離れた。 「お、おいハカセ!」 ユズルが慌てたように声を掛ける。けれどハカセは振り返らなかった。 「あ、あの…っ」 「……え」 けれど背中にふと掛けられたその声には、ハカセは思わず反応してしまった。 振り返ると、既にドアを大きく開き、サンダル1つつっかけた格好で外へ出て来た友之の姿がはっきりと見えた。やはり具合が悪かったのだろうか、上着を羽織ってはいるがパジャマ姿だ。 その友之は黙って去ろうとするハカセを見つめたまま実に一生懸命という風に声を上げた。 「あの、ノート…。あ、ありがとうございました…」 「………」 ハカセが固まっていると、次に友之はユズルに視線を向けて言った。 「ユ…ユズルさん…?」 「え……」 「あ、あの…美味しいケーキ…いつも、ありがとうございます…」 「あっ。いや! い、いいんだよそんなっ。ホントっ、うん!!」 ユズルがぶんぶんと両手を振りながら何故か後ずさりした。 友之はそんなユズルをじっと見つめた後、その先の言葉が見つからないのか沈黙していたが、やがて黙って小さく笑んだ。 「……っ」 「……おい」 「………」 「おい。ユズル」 「………」 「……駄目だコイツ。おいハカセ」 ハルナは放心しているようなユズルに呆れたようになり、今度はハカセを見やった。右に同じ。ハカセも同じような状態に陥っている。2人は友之のどこからともなく漂う「何だか眺めずにはいられない」不思議オーラに完全に惹き付けられているようだった。 「ったく。こいつら何なんだ。急に」 ハルナははーっとため息をついた後、改めて友之の顔をまじまじと見やった。 確かに可愛らしい顔かもしれないと思う。黒々とした瞳に同じく艶やかな髪の毛。繊細だが品の良さそうな顔立ち。またパジャマ姿というのが良くない。何だか頼りなげなその空気に、確かに魅せられるものがなくもない。 しかしハルナは思った。「だから何だ」と。 「友之君、だったな?」 ぴんと張りのある声でハルナは言った。友之がぴくんと驚いたように反応して視線を寄越すと、ハルナはわざと冷たい口調で言ってみた。 「1回目のインターホンで気づいていただろう? どうしてすぐに出なかったんだ? 居留守でも使おうとしていたのか?」 「ハ、ハルナ!!?」 「なな何てここ事をい言うんだハルナ!?」 「2人は黙っていろ」 ハルナはぴしゃりと2人を黙らせ、尚も友之を見つめた。 「光一郎から聞いているよ。人見知りの弟だとな」 「え…?」 「だから私たちとは会わせられないと言っていたが。まさか来訪者の応対も満足にできないのかい。それじゃあ誰も呼べないわけだね。で、私たちのような光一郎の友人ですらも、君の方が来て欲しくないからと遠ざけていたとか? コイツからはさんざ物を貰っておいて」 「おいっ。よせってハルナ!」 「おおお前は何てしし失礼な事を言うんだ!?」 「どうなんだい、友之君」 「………」 ハルナの言葉に友之は当然の事ながら萎縮しまくっていたが、意外にもすぐに首だけは振ってきた。ハルナは目を細め、にやりと笑うと後を続けた。 「違うのかい? それなら君の兄上が勝手に気を回して私たちから遠ざけていただけかな? それならそれで君には迷惑な話だな。過保護な兄上にはさぞ辟易しているだろう?」 「違います…」 「……ほう。何が違う?」 「コ……兄は…僕の事、とても心配してくれてます…」 「………」 「あの…出るのが遅くなってしまって…ごめんなさい…」 「………」 「い、いいんだよっ! そんなの!!」 ハルナを押し退けるようにしてユズルが唾を飛ばした。 「だって友之クン、具合悪かったんだろっ!? ごめんね、何か! 寝てたのに邪魔して! 本当ごめんねっ」 「ぼぼ僕たちはこれで失礼するから、ゆゆゆっくり休んでいいよ。こここのハルナが失礼を言った事はぼぼ僕たちが謝る」 「そうだよっ。こんなアホなロリコンバカの言う事は気にしないでいいからねっ」 「アホなロリコンバカとは何だ」 「煩いっ」 「煩いぞハルナ!」 「……ハカセ。お前がそんなムキになるの初めて見たぞ」 「あの…っ」 しかし、3人のその後ぎゃーぎゃーと暫く続く言い争いに、不意に友之の切羽詰った声が掛かった。 「「「え?」」」 3人がそれで一斉に黙りこくると、その視線を一斉に浴びた友之は焦った風になりながらもこくりと唾を飲み込み、言った。 「あ…あがって…下さい…。お、お茶、淹れます…」 |
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【つづく】 |