「 トモ、こっちこっち。こっちおいで」
「 うん」
  細い木々が入り組んだ茂みの奥で修司が手招きしている。友之が嬉々として小走りになりながらそこへ向かうと、修司が待っていたその場所には小さな橙黄色の光沢ある果実が低木の枝にびっしりと連なっていた。
「 これな。イ・チ・ゴ」
「 いちご…? …凄く綺麗」
  小さな身体を屈めて感心したようにまじまじとそれに魅入る友之に修司はにっこり笑って先を続けた。
「 紅葉苺っていうの。キイチゴって言った方がピンとくるか?」
「 あ…ケーキとかにのっているやつ…?」
「 あー、そうだな。使うかもな」
「 じゃあこれも食べられる?」
「 うん。ちょっと甘酸っぱい感じで美味いよ。食べる?」
「 うん…っ」
  元々友之は甘いお菓子や果物が大好きだ。それに加えて生来より食べ物に対する警戒心といったものに薄く、むしろ食した事がない物には積極的に手を出したいと考えるタイプだった。今まではそれが表に出ていなかっただけだ。
  けれど今は違う。友之は目をキラキラさせながら、いつになくはしゃいでいた。
  大好きな修司と一緒に、初めて来た場所で初めて見た可愛らしい果実に目を見張り、それに触れている。それが出来る。内から沸き起こる高揚した想いに友之は自身で翻弄されながらも、一方でその心地良さに興奮していた。
  楽しくて仕方なかった。
  けれどキイチゴを食べるかと訊いた修司の方は、友之のそんなわくわくしたような顔を見ると、突然ぴたりと動きを止めた。そうしてそんな自分の態度にふと気づき、不思議そうに首をかしげてきた友之を更にまじまじと見やる。
「 ……修兄? どうしたの」
「 うーっ!」
  そして。
「 わっ…」
「 もうホンット、可愛いなぁ! いっそお前の方を食いたい、俺は!」
  どうやら普段よりも気持ちが昂ぶっていたのは修司も同じだったらしい。
  いつにないテンションの高さで、修司はそんな「物騒」な事を口走りながら、出し抜け友之の身体をめいっぱいの力で抱きしめた。修司が友之に過剰なスキンシップを試みる事自体は別段珍しくもないのだが、そのあからさまな発言は確かにいつもの修司とは若干異なるものが混じっていた。
「 けほっ…」
  ぎゅうと両腕で縛り付けられたようになった友之は修司のその突然の所作に思わず咳き込み、目をちかちかとさせた。勿論、嫌なんかではないのだが。
「 修兄…苦しっ…」
「 うん、俺も苦しい。トモが可愛すぎて窒息しそう」
「 や…痛…」
「 う〜。こうやってぐりぐりしてるとトモの凄く美味しそうな髪の毛の匂いもダイレクト〜」
「 修に…っ」
  晴れ渡った比較的暑い気温が更に修司をヒートアップさせているのか。それとも意図的にやっている事なのか。
  いずれにしろ、友之がその一向弱まらない拘束にいよいよじたばたとしながら自由の利かない両手を宙に浮かせた時、だった。

「 修司」

  遠方から聞こえてきた、よく通る澄んだ声。
「 う……」
  それで修司はぴたりと友之に頬擦りをするのを止めた。
「 コウ…」
  友之が何とか首を動かし声の方へ目をやると、そこには少し離れた位置から心底呆れたような雰囲気を漂わせている光一郎の姿があった。2人が奥の林へ入ったきり戻って来ないので探しに来たようだった。
「 バカやってないでさっさと離れろ」
  そうして光一郎ははあと大きくため息をついた後、修司に有無を言わせぬ口調でそう言った。
「 ……ちぇ」
  友之にしか聞こえないくらいの声で修司は軽くぶすくれた声を出した。それでも光一郎に逆らう気はないのだろう、苦笑交じりの顔で修司はぱっと素直に友之の身体を離した。
「 はぁっ…」
  友之がそれでほっと肩から力を抜くと、それを見届けた光一郎はさっと背後を指差し、いつものしっかり屋よろしく2人に言った。
「 そろそろ腹減っただろ。飯にしよう」




『どこまでも、いつまでも 』(前編)



「 ピクニックしよう!」
  例の如くずっと行方をくらませていた修司がある日突然友之たちの前に顔を見せ、開口一番そう言った。
「 ピクニック?」
  その時北川兄弟はちょうど夕飯を終えたところだった。片付けの為台所に立っていた光一郎は修司の視界には入っておらず、友之自身も食べた皿を重ねてそちらへ運ぼうと立ち上がっていた。
  そんな中、遠慮も何もなく慣れた様子ですいすいと2人の住処に入ってきた修司はそのままどかりと腰をおろすとちょいちょいと片手を振った。
「 トモトモ、久しぶり。こっち来て座って」
「 え、うん…。でも…」
  ちらと台所を振り返ると、既に水道の蛇口を止めた光一郎がいつもの事とはいえ嫌そうな顔をしてその場に立ち尽くしているのが見えた。修司はそれに構う事なく、途惑う風の友之を無理やり引き寄せるとそのまま背後から抱きしめてよしよしと頭を撫でてきた。
「 しゅ…修兄…」
  すっぽりと修司の膝に納まる形になった友之は、その恥ずかしさに薄っすらと頬を赤らめた。
「 あ〜…。トモ、会いたかった!」
「 う、うん…」
「 トモも? トモも俺に会いたかったかぁ?」
「 うん」
「 ふ…。あー、やっぱり可愛いなあ、トモは。癒される」
「 お前、家には帰ったのかよ」
  友之の身体をクッション代わりのようにして寛ぐ親友をため息混じりに見やっていた光一郎は、それでも冷蔵庫からビールを出してやると、訊きながらそれをさっと放った。
「 さんきゅ」
  片手で友之を抱きしめたまま、修司はもう片方でそれを器用に受け取り、にっと笑った。
  そうして済ました顔で言う。
「 まだ帰ってないよ。1番にここ寄ったから」
「 帰れよな」
「 わーかってるって。何、またオヤジ殿とか裕子ちゃんが何か言った? な、トモ?」
  光一郎の責めるような視線をするりと交わし、修司は誤魔化すように友之に目をやった。戯れに冷えたビール缶を友之の頬に当てたりして、友之が慌てて身体を竦ませるのを楽しそうに見やる。
「 ゆっ、裕子さんは…っ」
  そのビール缶の感触に思い切りたじろぎながら、それでも友之は片手で修司の攻撃を回避しようとしつつ、律儀に振られた会話に答えた。
「 この間、大学の友達がやる…合コン?に、行くって言ってた。いっぱい行くって…」
「 へえ?」
「 修兄より格好良い人を探すんだって…」
「 コウ君より…の、間違いじゃないの」
「 修司」
  光一郎が眉をひそめ不快な表情をちらと見せたが、修司は知らぬフリをしてただ友之の髪の毛をいじり始めた。
「 ………」
  いつもの事ではあるが、こんな時友之はそれでいつも嬉しくもくすぐったい気持ちになった。修司は久しぶりに現れると決まって友之の身体のどこかに触れてきては「可愛い」という言葉を紡いだ。そして優しい手を差し伸べてくれた。そのお菓子よりも甘い声や感触に友之はいつも「勘違いしそうになる」自分を感じた。自分は決して可愛くなんかない。それは違う。けれども、修司にそう言ってもらえると子どものままの自分でもまだ許されるような気がして……。
「 それで」
  そんな友之の途惑いに気づいているのかいないのか、やがて修司は話を再開した。
「 トモは何て答えたの。裕子お姉さまにさ」
「 う、うん」
「 合コンなんてトモは知らなくてもいい単語発しちゃって。あの人も、あれで色々悪い女だね」
「 そんな事ない」
  裕子の悪口にすかさず反論する友之が可笑しくて修司は目を細めた。
「 そう? んで、何て答えたのトモ」
「 ………」
「 ……? どうした?」
  ところが再度そう訊ねられて、友之は途端気まずそうになり、黙りこんだ。修司はそれに不審の目を向けて友之の顔を覗き込んだが、その思いあぐねるような「可愛い弟」の様子につい「らしくもなく」追及の言葉を出しそびれてしまった。
  結局修司も皆と同じ。いつだって友之には弱いのだ。
「……修司」
  すると同様にそんな友之の表情を見ていた光一郎がわざと部屋の空気を変えるような口調で修司に向かった。
「 それよりお前、さっきの何だよ。ピクニックって? 誰が? 誰と?」
「 あ、そうそう」
  ふと思い出したような顔をして修司は嬉しそうにぱっと顔をあげた。そのどことなく得意気な子どもっぽい顔に、友之は物珍しさを感じて思わず俯いていた顔をさっと上げた。
「 勿論俺とトモ、それにコウ君が」
  その視線の先には、当然のようにそう言う修司の嬉しそうな表情があった。
「 明日は丁度日曜日だしさ。天気予報によりゃ梅雨の合間の晴天だなんて言ってたし。絶好の行楽日和ってわけだ。だからさ、弁当と菓子と持ってさ。な、行こう?」
「 何が日曜だよ。お前の頭はいつでも日曜だろ」
「 …ふっ!」
  光一郎の容赦ない厭味にも修司は動じない。むしろどことなくその台詞に喜んでいるようになって破顔した。
「 相変わらずコウ君はきっついなぁ。でも実感。帰ってきたなあって」
「 お前はフラフラし過ぎだ」
「 まあまあそんなイラつかないで。折角久しぶりなんだから。……あぁ、でももしかしてこれが気に食わない?」
「 ……っ!?」
「 修司!」
  言いながらふざけたように友之の身体を更にがんじがらめにした修司に、光一郎が今度こそはっきりと責めるような声をあげた。友之が面食らって声も出せずに縮こまったからだが、修司はそれでも1人飄々として平静としていた。
「 なあ。行こうぜ」
  そして修司は笑った。
「 ただの思いつきなんだけどね。けど、少なくともつまんない提案じゃないだろ?」
「 ……思いつき、な」
「 そう。それに」
  冷たい口調の光一郎に苦笑いをした後、修司は再度汗をかいているビール缶を友之の頬に押し当てた。その友之の反応をいちいち楽しんでいるところが光一郎の不評を買っているという事に気づいているくせに。性分なのか止められないようだ。
「 この顔見てみろ。すげー行きたいって顔してんだろ?」
「 ……トモ」
「 あ…」
  修司が指し示したすぐ間近の存在に、光一郎はここですっかり諦めたようにふっと息を吐いた。
「 お前、行きたいのか?」
  そして友之に確認を取るように言う。友之の顔を見ればその答えも一目瞭然だったが、素直に修司の言う事を聞くのも癪に障ったのだろう。
「 あ…う、うん…」
  そんなあまり気乗りしないような光一郎の態度に一瞬は「どうしよう」という素振りを見せた友之だったが、それでこの修司の話が流れてしまうのは嫌だった。
  友之はしっかと頷き、光一郎の事を見上げた。
「 そ、そういうの、あんまり…なかったし…。それに、3人で出掛けるなんて事も、なかったし」
「 ……そうか?」
「 そうだよ。コウ君はそういうとこ無頓着過ぎる」
「 煩せェな」
  修司の茶々に光一郎はむっとしたようになりつつ、すぐに気を取り直して友之に視線をやった。そして暫く考え込むように口を噤んだ後、ぽつりと誰に言うでもなく呟いた。
「 ピクニック、な…」
「 コウ兄…」
「 ふっ…光一郎、ほらほら! この期待に満ちたつぶらな瞳! 凄い、レベル上がってるし。お前、これで断ったら相当な悪者」
「 ……むかつく」
「 ふふ」
「 大体」
  そうして光一郎はもう1度大きくため息をついた後、吐き出すように悪態をついた。
「 ピクニックって言葉が妙に癇に障る」
  それでも、不意に現れた修司の出現で3人は予期せぬ外出をする事になったのである。




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