数馬君ちへ2度めのお泊り! |
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「 お兄ちゃん。確認するんだけど、今日は帰りが遅いのよね」 「 そうだね」 「 今日はずーっとずーっとサボっていた全国模試の日だもんね。予備校の先生がサボり魔のお兄ちゃんの為に特例試験を設けてくれたんでしょ」 「 そうみたいだね」 「 だったら絶対に出席しないと駄目よね。これでまた気紛れ起こしてサボったりしたら人としてどうかと思うもの。そういうのはお父さんも絶対に許さないと思うわ」 「 ……和衛さん。何なの? 何か今日は僕に家にいて欲しくない事でもあるの?」 「 べっ、別に、そんな事は…!!」 「 数馬さん」 「 あ。峰子さん」 「 和衛さんとの会話はそのくらいにして、そろそろお行きなさいな。あまり先生をお待たせしても悪いでしょう」 「 ……分かってますよ」 「 行ってらっしゃい! せいぜい1位の座を守る為に必死になってきてね!」 「 ………」 厭味な調子で片手をひらひらと振る和衛を尻目にバタンと閉じられた重々しい扉。 暫しそれを見つめた数馬は、やがてひとつため息をついた。 今日は土曜日。しかし数馬は「休日を堪能する」と言う妹の和衛とは違い、本日は学校をサボって予備校へ行く事が前々から決まっていた。いつも気が向いた時にしか行かない場所だが、色々な義理だの義務だのが重なって今日ばかりは絶対に行かねばならない状態だったのだ。まったく優秀な高校生というのも楽ではないなと思う。 それにしても、と数馬は道すがら改めて首をかしげた。 どうにも「彼ら」の様子がおかしい。 特に妹の和衛は何がしか企んでいると必ず態度が不自然になるので、その「企み」自体が不鮮明でも、明らかに「何かある」というのは分かる。思えば昨夜からそわそわとし、幾度となく自分に「明日は帰りが遅いのか」と確認してきていた。 そして和衛以外の家族…たとえば母親の峰子や父親の数成までが「たまには試験を受けるべきだ」などと偉そうにのたまった。いつも大抵こういった成績に関しては無頓着というか、実際数馬には絶大な信頼を置いているというかであまり気にしてこない両親だが、何故か昨夜はもう行く事は決めているという数馬に執拗に「そうした方がいい」と言っていたような気がする。もっとも妹の和衛程には何を考えているのか分からない人たちなので、実際数馬の考え過ぎかもしれないが。 「 気持ち悪いなあ」 何となく呟き、数馬はおもむろに高い空をすうっと見上げた。今日は嫌に気持ちが良い晴天だ。それなのにこの胸を過ぎる何ともモヤモヤとした感触は何だろう。そういえば今日は祖父の昂馬が珍しく離れから出てきていて、兄の和樹と何やら話をしているのを見てしまった。その後和樹は愛犬と共に車を走らせ何処かへ出かけて行ったが、ああいうあまり見ないものを見てしまったのも、何かよくない事の前兆かもしれない。 「 らしくないなあ」 そう、こんな風に彼らの事など考える自分など本意ではないのに。 それでも数馬は目的地へ向かう道中で、本当にらしくもなく自分の家族である変わり者の人々を順繰りと思い浮かべて、またため息をついた。 ―1― 「 ねーねー北川君。あのこっち見てる人って知り合い?」 「 え…」 その日の昼下がり、友之は欠席がちで成績の振るわない英語と化学の補講の為登校していたのだが、ようやく解放されて校舎を出たところで部活中の橋本真貴と顔をあわせた。彼女は今まさにランニングの最中だったらしいのに友之の横をぴったりマークし、「校門の所まで送る」などと当然のように言った。そして、だからこそであろう、友之を見つめるその視線には真っ先に気づいてそう指摘してきた。 友之が促されるままにそちらへ目をやると、そこには随分と大きな黒の4WDが停まっていた。と、同時にその運転席からにこやかに手を振る青年の姿が認められて、友之は思わず目を見開いた。 「 友之君」 相手は友之の反応に嬉しそうに目を細めると、車を降りて歩み寄る2人の前に立った。こうしてみると彼は背が高い。弟である数馬の方が高いけれど、やはり雰囲気は高校生である自分たちよりも大人な感じがするなと友之は思った。 「 おつかれさま。補講だったんだってね。土曜日と言っても高校生はやっぱり色々と忙しいんだな」 「 北川君、北川君、誰だれっ?」 おずおずと頷いて答える友之の肘をつっつきながら橋本が興味津々と言う風に露骨に訊く。友之はそんな橋本に押され、小さな声ながらもすぐに答えた。 「 数馬のお兄さん…」 「 えーっ!? あいつの!? 香坂数馬のお兄さんーっ!?」 「 あれ。弟のこと知っているの?」 仰天したような橋本に数馬の兄―和樹は不思議そうな顔をして少しだけ笑んだ。慣れない相手に向ける人好きのする表情だったが、橋本はそれでまんまと気を許したようになってにへらと頬を緩ませた。優しげな和樹の声にとっつきやすいものを感じたのだろう。実際そういう人物だったのだが。 「 はい、弟さんはですねー。学校も違うのによくうちの教室に入ってきては北川君のことをナンパするんですよ! もう周りの事なんか全然気にしない風で! あれは止めた方がいいと思いますよ。スゴイ我が物顔ですよ、はっきり言って」 「 は、橋本さ…」 「 あはは! よく分かるなぁ、その時の光景が目に浮かぶ」 橋本の気安い口調に気分を害すでもなく和樹は軽く笑い、「弟が迷惑掛けてごめんね」と2人に向かって謝った。 「 あ、だけどね」 そうして和樹は改めて友之を見やった後、背後にある車をさり気なく指し示すようにして実に当然のように言った。 「 実は、今日は俺が友之君をナンパに来たんだ。シリューも連れて来てるんだけど、良かったらドライブでもしない?」 「 え…。あ…!」 「 わんっ」 友之が自分を認めたと分かった瞬間、先刻まで車内でおとなしく座っていたであろうその「もう1人」が元気良く一声吠えた。「彼」は初めて数馬の家に行った時に出会った和樹の愛犬で、シェパードのシリューといった。1度自宅で遊んだきりだというのに友之が分かるのだろうか、嬉しそうに尻尾を振って、開いた窓からも身体を乗り出し「 早く撫でて〜」と訴えている。 友之の驚きで固まっていた表情はそれによりすぐさま解された。 それで、結局。 「 北川君って、日に日にライバルが増えていくから参るんだよなぁ…」 走り去っていく車をボー然と眺め見送る橋本の嘆きをよそに、友之は突如やってきた和樹によって見事に攫われてしまったのだった。 ××××× 「 お兄さんには許可取ってあるから大丈夫だよ」 ハンドルを握り、前方を見つめたまま和樹は車内で開口一番そう言った。 「 あ、あの…?」 「 数馬に聞いた事あるから。友之君を誘うにはお兄さんの許可を事前に取らないといけないって」 「 ………」 「 何だかびっくりしちゃったよ。大学生って聞いていたし、実際俺とそんなに年も離れていないはずなのにね。妙に緊張したというか。まあでも、前日に父から話は聞いていたから、とことん途惑うという事もなかったけど」 「 お父さん…?」 何が何やら分からず混乱している友之に和樹はあっさりと頷いた。 「 ああ、うん。たぶん母も電話しているんじゃないかな? だって今日は泊まっていってもらう予定だから、やっぱりうちの保護者からも断りを入れておいた方がいいだろうと。あれ、お兄さんから何も聞いてない?」 友之が黙って頷くと、和樹はそれを横目でちらと見てから「変だなあ」と別段驚いた風もなく言った。 「 あの、泊まるって…?」 「 あ、勿論嫌なら無理にとは言わないんだけど。でも食事だけでもしていってくれないかな? みんな今日のこと凄く楽しみにしてて」 「 きょ、今日…?」 「 うん」 にっこりと答える和樹に友之はぽかんとして暫し声を失った。 つい先月、友之は初めて数馬の家へ遊びに行ったのだが、その時はこの和樹をはじめ、数馬の家族にはとても良くしてもらった。美味しい料理を振舞われ、楽しい話をしてもらい、また友之のたどたどしい話もにこやかに聞いてくれた。多少変わっていると思われるところもあったが、そんな事はお互いさまで、友之にとってあの「お泊り」は実に楽しい体験だったのだ。 そして彼らは去り際友之に「また是非遊びにおいで。また泊まりにおいで」と言ってくれたのだった。友之もその誘いには躊躇いなく頷いたのだが…。 それにしても急な話だ。今日、学校の校門前に和樹が来ていた事自体驚きであったし。 「 驚かせてごめんね」 そんな途惑いは真っ直ぐに和樹に届いたのだろう。多少苦い笑いを浮かべながら和樹が言った。 「 お兄さんから許可貰ったのも昨夜の事だし。たぶん今日のこと、お兄さんも友之君が了承済みの話だと思っていただろうから、何も言わなかったんじゃないかな。……まあ実際そうだよね、普通先に本人から許可取るよね、こういう事は」 「 ………」 「 でもこの事、君の口から数馬に知られたくなかったから」 「 ……え?」 「 だから友之君を誘うのがこんなにギリギリ…というか、当日になっちゃったんだけど」 「 ……?」 「 わんっ」 「 わ…っ」 「 こら、シリュー」 友之が和樹に問い質そうとした瞬間、シリューが背後の座席から乗り出すようにして友之の項をぺろりと舐めてきた。友之が思わず声を上げると、和樹は嗜めるように愛犬の名前を呼んだ。 「 ごめんね。普段は大人しく乗ってるんだけど。友之君がいるのが嬉しいんだな」 「 へ、平気です…っ」 舐められた首元を竦めながらも、友之は自分に顔を寄せてくるシリューに片手を差し出し優しく撫でた。その柔らかな毛並みにやっぱり癒される。友之は身体を半分捻って背後に向き直ると、自分に向かって「構って」オーラ全開のシリューの頭を何度も何度も撫でた。 そうこうしているうちにすっかり聞きそびれてしまった。 突然の招待。そしてそれを彼らが数馬に隠したい理由。 和樹は「うちの家族みんな、もう随分前から友之君とまた一緒に食事がしたいって言ってたんだよ」などと言っていたが、それでも数馬に隠す意味が分からない。どのみち香坂家に行けば数馬には会うであろうから、隠していたとしてもその時点でバレてしまうだろうに。 「 あ、でもうちに行く前にちょっと寄り道していかない? この先に犬の放し飼いもOKなピクニック広場があるんだ。シリューも友之君と遊びたいと思うから」 「 はい…っ」 しかし和樹の穏やかな口調とシリューの癒しに浸っている中で、友之のその疑問はあっという間に消え去ってしまった。 数馬の家族のことは友之も好きだし、シリューとも遊びたい。また、彼らが招待をしてくれるというのならこんなに嬉しい事はないではないか。正直、数馬がどんな反応を示すのかは気が気ではないが、それでも友之は既にもうわくわくとした気持ちを抑える事ができなかった。 「 あ…でも僕、何も荷物…」 「 ああ、大丈夫大丈夫。そのままでいいよ。着替えも何も、家でヨシノが用意しているから。嬉々として」 「 え?」 「 あ、それからね、帰りに美味しいケーキ屋さん寄って行こう? 凄く評判の良い店なんだけど、そこ昂馬さんのお気に入りなんだよ。友之君の好きなもの何でも選んでいいって言われてお小遣いも貰ってるから、遠慮なく好きなもの全部言ってね。それこそ―」 祖父とのその時の会話を思い出して可笑しくなったのだろうか、和樹はくっと喉の奥で笑いをかみ殺すと言った。 「 それこそ、ケースの端から端まで、全部選んでしまってもいいって。まったく、あの人のあんな様子初めて見たよ」 「 ……端から端」 自分に擦り寄るシリューを撫でながら友之はあの孤高な感じの、それでいてとても優しそうな数馬の祖父の顔を思い返した。そうして、あの時はあまり話が出来なかったけれど、今日は少しでも会話できたら良いなと考えていた。勿論、それはこの隣にいる和樹も含め、数馬の家族皆に言える事だったが。 そんな風に家族でない誰かと話したいと思えるなど、今までの友之にはなかった。ありえなかった。 「 そういえば友之君のお兄さんなんだけど」 相変わらず軽快に走り続ける車内で和樹が思い出したように言った。 「 色々想像してたんだけどね。さっきも言ったけど、本当にびっくりしたんだ。俺と同じ《兄貴》って立場だけど、友之君のお兄さんってどんな人だろうって思っていたから」 「 あ…みんな…全然似てないって言うから…」 「 ううん」 友之の発言に和樹はすぐに首を振ると笑った。 「 色々と想像していたからかもしれないけど。ホントにね、思っていた通りの人だったんだよ。うん、友之君のお兄さんって感じだ」 「 ???」 和樹の1人納得したような横顔を友之は不思議そうに眺めた。 とにもかくにも、楽しい休日となりそうな予感だった。 |
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【つづく】 |