数馬君ちへ度めのお泊り!


  ―4―



  数馬たちの父・数成が帰宅してきたのは、使用人たちが夕食の準備でバタバタと家の中と外とを行き来し始めた頃だった。
「 何だか随分と慌しいな」
「 あ、お父さん!」
「 まあ貴方…。いつ帰ってらしたの」
「 たった今さ」
  和衛と峰子が交互に驚いた声を出すのを数成はあっさりとした風に答え、その後すぐに自分の家族とソファに座っていた友之を見やった。
「 やあ友之君。いらっしゃい」
「 こ、こんにちは」
「 こんにちは」
  友之のどこか萎縮したような返事に数成はすうと目を細め、どことなく嬉しそうな声を出した。そうして腕に掛けていた上着を背後に従っていたヨシノに渡すと、ネクタイを緩めながら迷わず友之の傍へと屈み込み、その手元を覗きこんだ。
「 ほう。美味しそうだな」
  友之の手にあったのは皿にのった丸型のショートケーキだった。ちびちびと食べているのか、まだ殆どその原型を残している。中央の苺も健在だ。
「 昂馬さんの奢りなのよ、全部!」
「 ふうん…?」
  勢いこんでそう叫ぶ和衛の傍にも別の種類のケーキがある。
  見ればその場にいる家族全員がそれぞれ違う種類のケーキを食べていた。数成は心の中で自らの父の行為を思い皮肉な笑みを浮かべたが、勿論顔には出さずに「私にもあるかな」とただそれだけを言った。
「 ありますよ。貴方には抹茶ケーキを残しておきました」
「 今みんなで勝負しているから、なくならないようにそれだけは最初に退けておいたの!」
「 勝負…?」
「 あれ。お父さん、帰ってきてたんですか」
  その時、数成のスーツを持って出て行ったヨシノとほぼ入れ違いで、和樹がリビングに入ってきた。手には陶器の紅茶ポッドが握られていて、どことなく疲弊したようにも見て取れた。
  数成はそれですぐさま現在の事態を察し、友之の隣に腰を下ろしながら目の前の女性陣2人を呆れたように見つめた。
「 勝負って、まさかここにある全部をお前たちだけで食べ尽くす気か」
「 和樹さんが後先考えずにお店の物を全部買ってきてしまいましたからね」
「 そうそう、ケーキの賞味期限て短いから! でもここのお店のは美味しいから幾らでもいけるわ!」
  テーブルの上にずらりと並べられた様々なケーキは、それでも既にその半分は食した後のようだった。数成用に残しておいたという抹茶ケーキの他にもまだ幾つかの箱には何個かのケーキが残っていたが、それと同じくらい中身のない空になった箱もそこにはあったから。
「 和樹…」
  父が非難するような顔を向けると、息子である和樹は軽く肩を竦めただけで何も言わなかった。ただ運んできた紅茶ポッドを傾け、母や妹の空になったティーカップに湯を注ぐ。
  兄のその給仕を当然のように眺めながら和衛が得意気に言った。
「 和樹兄さんはたったの1個でダウンよ。友之さんは2個目! でもペースが遅いからてんで相手にならないわ!」
「 そうね。これは私と和衛さんとの勝負になりそうね」
「 今のとこ私が1個リードだからね!」
「 ………呆れたな」
  数成は苦い笑いを浮かべたまま、隣の友之に視線をやった。さっきから手が止まりっ放しだ。目の前の女性二人の食べっぷりがあまりに豪快なのが面白いのだろうか、それとも驚きで動けないのだろうか。友之はじっと和衛たちを観察していて、数成の視線にも全く気づかないようだった。
「 シェフが心配してましたよ。みんな夕飯を食べられるのかって」
  双方の間に立つようにして和樹が言った。
「 今日は外で、という事らしいですけど。お父さんの提案で?」
「 ん…ああ。まあ、たまにはな」
  和樹の質問に数成は曖昧に答えた後、また笑顔に戻って友之に声を掛けた。
「 まったく友之君、行儀作法のなっていない家族ですまないね。無理に付き合わされて疲れたりしていないかい?」
「 だ…大丈夫です…」
  友之は慌てて頷き、まるで急かされたように手の中におさまっていたケーキの皿を持ち替え、また新たに一口スポンジの欠片を放りこんだ。じわりと甘い味が口いっぱいに広がってとても幸せな気持ちになれる。元々甘い物は大好きだけれど、このケーキはまた格別に美味しいと感じた。
( きっとみんなで食べているからだ…)
  思えば家族でこんな風にケーキを食べたりした事はなかった。小学生だった頃、母はよく夕実や自分におやつをこしらえてくれたけれど、夕実は父や光一郎と共にお茶の時間を過ごすといった事は極端に嫌った。いつも友之は夕実の部屋に連れ込まれ、2人でもそもそと母が出してくれたおやつを食べた。それが必ずしも不味いと感じていたわけではないけれど、やはりどこかで寂しかったのだと、今なら思う事ができる。
「 どうかしたかい?」
「 あ……」
  思わず考えに耽っていた友之に数成が声を掛けた。友之は焦った風になり、急いで首を横に振ったが、何故だか恥ずかしくなってすぐに俯いた。自分の暗い気持ちが見透かされてしまったような、そんな気がしたのだ。何にしろ、香坂家の人間は皆人の心を読むのが達者なようだから。
「 あ!」
  その時、不意に和衛が何かを思い出したという風になって立ち上がった。手にはカステラを突き刺したままのフォークが握られている。
  峰子が「行儀が悪い」と呟いたが、和衛は構わずに父に向き直り声を上げた。
「 お父さんっ。お父さんも帰ってきたし、早速あれ見ましょう! あれあれ!」
「 ん……」
「 あら。そういえばそうだったわね。そういう予定だったわね?」
「 あれ…?」
  友之が首をかしげると、数成は「そうだな」と口元で呟いてから、何気ない様子で横に立つ長兄の和樹を見上げた。
「 数馬は何時頃に帰る?」
「 早くて18時でしょう」
「 早いかな」
「 早いでしょうね。和衛が結構刺激していたようなので」
「 な、何? 私が何なの…っ?」
  2人の会話に和衛がすかさず眉間に皺を寄せ、途惑ったような声を出す。それには母の峰子がもくもくと口にケーキを運びながら済ました調子で答えた。
「 貴方が今朝方さんざん数馬さんに何かある風な態度を取ったから、きっと早く帰ってくるでしょうって事」
「 なっ…。何よ、私のせい!?」
  峰子に責められた風に感じたのか、和衛は顔を真っ赤にしてうろたえた。
  友之は訳が分からず4人の顔を交互に見やっていたが、それに逸早く気づいた和樹が「何でもないよ」と優しく笑んできた。
「 友之君だって数馬には早く帰ってきて欲しいだろうし。……それより友之君、それを食べ終わったら少し庭に出ない? シリューが友之君が出てこないかとさっきからじりじりしているし、君が外に出てきてくれたら外で働いているみんなももっと張り切るし」
「 おいおい、私は今帰ってきたばかりなのに友之君と話もさせてもらえないのか」
  和樹の提案に数成が冗談交じりに不満の声をあげると、和樹は涼しい顔をして両肩を軽くあげた。
「 お父さん、着替えくらいしてきて下さい。それに和衛が言う例のあれ、準備しておかなくて良いんですか」
「 む……」
「 今回のこと、お父さんが言い出した事なんですから」
「 そうよ」
「 そうね」
「 ……やれやれ。分かった」
  3人の家族に一斉に言われ、数成は名残惜しそうに友之を見ながらも苦笑と共に部屋を出て行った。その後ろ姿に和樹と峰子などは何やらにやにやしていたが、友之は依然として訳が分からず、ただきょとんとするのみだった。


×××××


  香坂家の庭は使用人たちが行ったり来たりの大賑わいで実に大変な事になっていた。
「 わ…」
「 今日はね、外でバーベキューだからね」
  表門がある所とは正反対の庭は昂馬の離れの他によく手入れの行き届いた植木や池、それに峰子の温室や花壇が実に秩序立って配されている。また一方ではちょっとした小パーティが開けそうな開けたスペースも確保されていて、使用人たちはそこに大きなテーブルを幾つか並べ、またその場でする料理もあるのだろうか、肉や野菜を焼く為の鉄板なども設置していた。
「 わんっ!」
  和樹の愛犬であるシリューはいつもと違うその雰囲気に動じるでもなく行儀よくその場に座って彼らの様子を眺めていたが、友之が主人である和樹と一緒に中から出てくると途端にはしゃいだようになってだっと飛びついてきた。
「 こらシリュー!」
「 ……っ」
  唐突なそれに友之は思い切りよろけて倒れそうになったが、素早く背後に回った和樹がその身体ごと抱きとめてくれたので何とか踏ん張る事ができた。シリューは和樹に叱られた事ですぐに離れたが、如何せん生粋のシェパードで身体が大きいので友之は暫しじんじんと飛びつかれた箇所を痛める事になってしまった。
「 ご、ごめん。大丈夫、友之君?」
「 あ、全然…っ」
「 あー!!!!!」
  「平気」だという事を告げようとした瞬間、しかしそれよりも先に前方から飛んできたその大声に友之はその先の言葉を飲み込んでしまった。
「 ちょちょちょちょっと〜!!!」
  叫んできたのは和衛だった。
  友之たちが外に出て行く時まだケーキをほうばっていた彼女は、今も食べかけのそれを持っていた。しかし友之たちの姿を認めるとそれを傍にいた使用人の一人に押し付け、彼女はだっとの勢いで近づき顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげた。
「 ちょっと! 何してるのよ和樹兄さん!」
「 何って」
「 どうして友之さんのこと抱きしめてるのっ!!?」
「 ……どこをどう見たらそんな風に見えるんだよ?」
  和衛の非難に和樹は困ったような声を出したが、実際友之を支える両手を未だ放そうとはしなかった。
「 あ…」
  友之の方は和衛に指摘されてようやく自分できちんと足場を確保しようとよろめいていた体勢を立て直したのだが、それでも和樹の手は暫く離れる事はなかった。
  それは友之にとってとても安心できる支えだったのだけれど。
「 ……何かアヤシイ」
  しかし和衛は納得いかないと言う風に腕組をして口を尖らせた。
「 和樹兄さん、絶対おかしい。前はこんな事なかった」
「 前って」
「 和樹兄さん、確かに数馬お兄ちゃんよりは良い人だけど…。でも、だからって友之さんには優しくし過ぎ。うん、絶対違う! 感じが!」
「 感じがって…。お前なあ…」
「 大体、お父さんだって変よね。昂馬さんだってお母さんだって。あと……」
  和衛は背後で忙しなく動いている使用人、特に鉄板の傍で嬉々として材料をさばいている老シェフを睨みつけた。
「 あと、あいつとか!!」
「 和衛」
「 何なの? 何で友之さんのこと、みんなこんな気にするの? この人なんか、ただの冴えないおとなしい自己主張ないフツーのコなのに!!」
「 和衛」
「 い、言っておくけど、私はそんな皆の態度が不思議だから、友之さんに注目しているだけよっ? 私が友之さんの謎を解き明かしてみせるわ!」
「 謎…」
  これには友之自身が思わず声を出したのだが、和衛はそれが意外だったのか殊更びくりとして焦った風な顔をした。
「 そ、そうよ? 友之さん、貴方、自分がモテモテだからって変な勘違いはしない事よ? みんながみんな貴方みたいなのがいいってわけじゃないんですからね!」
「 ………」
「 和衛、お前はいい加減に―」
「 あの…和衛ちゃん…」
「 は!?」
「 あ…っ。和衛さん…」
「 ……何」
  慌てて言い直した友之に和衛は冷めた目を返したが、相手の先の言葉が気になるのだろう、すぐに静かになった。
「 ……」
  友之はそんな和衛の様子を確認した後、そっと言った。
「 和衛さんて…数馬に似てるね」
「 ……………何?」
「 数馬に、似てる」
「 …………」
「 友之君。それって…」
「 それは新しい発見だ」
  ほとんどボー然な感じの2人の子どもに割って入ってきてそう言ったのは父親の数成だった。ボロシャツを着てすっかりラフな格好になった数成は先ほどの貫禄ある姿から一転、どことなく年若いマイホームパパになったように見えた。着ている物が違うだけで人はこれほど雰囲気が変わるのか、或いは意図的にそうしているだけなのかもしれないが、ともかくも今目の前に現れた数成は随分と「軽い」空気を発していた。
「 友之君。和衛のどんなところが数馬に似ているんだい?」
「 え…あの、思ったところ、はっきり言うところとか」
「 なるほど。……だけど、数馬が口にした事が本当にあいつが思っている事だと何故言い切れるんだい?」
「 え?」
  数成の言葉の意味が分からずに友之が怪訝な顔をすると、そう言った数馬の父はふっと口元だけで笑い、「君が何故そう感じるのかが知りたいんだが」と付け足した。
「 ……数馬君、嘘はつかないと思います」
「 そうかい?」
「 あ、あの人は…存在自体が嘘よ…!」
  未だ完全に立ち直っていないような和衛が、それでも我に返ったようになって小さく言った。和樹は無表情のまま黙りこんでいた。
「 数馬君…。真っ直ぐだから、僕、一緒にいて楽、です…」
  自分から一切視線を外そうとしない数成を友之もまたしっかりと見つめて言った。
「 僕…人と話すの、得意じゃないですけど…」
「 そうか…。友之君は真っ直ぐな人が好きなのか」
「 それじゃあ、確かにうちでは和衛が1番候補かしらね?」
  すると今度はいつから話を聞いていたのだろう、いつの間にかスカートからパンツルックになった峰子がやってきてパタパタと扇子を扇ぎながらにこりとして言った。
「 数馬に対する友之さんの評価は嬉しいですけどね。うちで一番分かりやすいのは、やっぱり和衛ですからね」
「 分かりやすいのと真っ直ぐというのは同じかな?」
  数成がそう発するのを峰子は片方の眉だけ上げてふっと笑んだ。
「 あら、違います? まあどのみち、その両者共私たち大人は持ちあわせていないと思いますから」
「 ………僕も?」
  ここで初めて声を出した和樹に両親は一斉に顔を見合わせ、そして沈黙した。
「 ………?」
  奇妙な沈黙が生まれた。
  それも、ほんの一瞬だったのだけれど。


「 ………何してんですか」


「 あ…!」
  不意に耳に入り込んできたその声に一番に反応したのは友之だった。
  くるりと背後を振り返り、やっとやっと帰ってきてくれたその人物に思わず破顔する。香坂家の面々はみんな優しく大好きだけれど、やっぱり気の知れた「彼」がいてくれないと。
「 数馬…っ」
  まるで先ほどのシリューのように、友之は今にも飛びつかん勢いで、庭先に佇んでいた数馬に駆け寄った。


  数馬が完全に不機嫌な様子になっている事など、全く気づかず。



【つづく】