初めての


  ―2―



  部屋でヨシノが用意してくれた紅茶とケーキを友之は何故か「一生懸命」という言葉が似合う様子でほうばっていた。
「 誰も取ったりしないよ。何でそんな急いで食べるのさ」
「 そん…な、つもりはないけど…」
「 ?」
  よくよく聞くと、友之は紅茶の入ったカップ、それとケーキがのっている皿があまりに高価な物に思えて、それを傷つけてはいけないと神経が張っていたようなのだった。数馬は多少呆れたような顔をしたが、反面、コイツでもそんな事が気になるのかと新たな発見をした思いだった。
「 確かにそういう物にも気を遣ってはいるみたいだけど、全部峰子さんと和衛さんのつまらないただの見栄だよ」
  絨毯の上に直接座っている友之とは違い、数馬は依然としてベッドに腰を下ろしたままだ。そこから手を伸ばして紅茶のカップを掴むと、数馬はそれに口をつけた後、続けた。
「 一流の人間はね、使っている物も一流でなくちゃいけないんだって」
「 一流?」
「 そう。彼女たちは一流の人間なんだって。確かに虚栄心というものに関しては、あの人たちは一流なのかもしれない」
「 虚栄心?」
「 そう」
  いちいち説明するのが面倒で数馬は詳しい事は言わなかった。ただ、手にしたフォークの動きを止めたまま、こちらを不思議そうに見つめる友之を自分もじっと見返す。
  数馬は再び口を開いた。
「 うちはね、6人家族なんだ。両親でしょ、上から大学1年の和樹兄さん、ボク、中学2年の妹の和衛さん」
「 ……5人?」
「 あ、そうだった。あと、離れに御祖父さんがいるよ。昂馬さんって言うの」
「 コウマさん」
「 そう。すっごくヘンな人だよ。ありゃ頭おかしいね。仕事引退してからずっとそこの離れに引きこもってさ、めったに出てこないよ。ボクたちの事が嫌いなんじゃない」
「 ………」
「 ……ちょっと。そこで何でキミがそんな悲しそうな顔をするのさ」
「 嫌いじゃないよ」
「 何で」
「 家族だから」
「 はっ!」
  珍しく即答する友之に数馬は思わず噴き出した。
「 ははっ。それはキミが光一郎さんなんていう優しいお兄さんと一緒に暮らしてるからこそ出る言葉だよ。家族だからって何でも分かり合えたり、好きだって思うわけじゃないだろ。所詮は血が繋がってるだけの、自分以外の他人だよ」
「 ………」
「 な〜んて言ったら、キミがどんな顔するのか見たかったから言っただけ」
  数馬は意地悪くそう言った後、けど半分以上本気だけどと内心で呟いた。
「 数馬のお父さんってどんな人」
「 え? へ〜そんな事に興味あるの?」
「 うん…」
  困ったように俯く友之を見つめながら、数馬はそういえばこの人の父親はこの人を捨てたんだったかと、冷めた気持ちでちらとだけ思った。あまり詳しくは知らないが、母親を亡くし学校へ行かなくなった友之を彼の父親はひどく疎んじ、そんな息子を遠ざけるようにすぐに新しい女性と再婚したと聞いていた。その頃既に姉の夕実という人は家を飛び出て行方不明で、光一郎もそんな家族を避けるように大学近くのアパートで1人暮らしをしていたらしい。もっとも結局は、友之の状況を見かねたらしい光一郎が自分の所へ呼んだというが、どうしてどうして、なかなかに友之の家族というのもバラバラだなあと数馬はしみじみ思った。
  その点、うちは傍目から見ればこれほど素晴らしい家はないだろうという程に模範的な家庭だ。生活にも困る事はないし、友之が羨むのも無理はない。贅沢を言っては罰が当たるというものだった。
「 数馬…?」
  黙りこむ数馬に友之が途惑ったように呼びかけてきた。数馬ははっとしてからすぐにいつもの笑みを向けた。
「 あーごめんごめん。お父さんのこと、ね」
  数馬は言った後、ようやく自分もベッドを下りて友之の隣に座ると身体を寄せてから言った。
「 うちのお父さんはね、ウチではこれでもかってほどのマニュアル君だよ。まあ殆ど仕事で家にはいないけど、いる時は他所のお父さんと同じかそれ以上にマイホームパパを演じるの」
「 演じ、る…?」
「 そう。本当はそんな事やりたくないくせにさ」
「 何で?」
「 知らないよ。ヘンなところで不器用なんだよ、きっと」
  そういえば自分の父親の事などあまり考えた事はなかった。友之に不思議そうな顔をされ、数馬はそれから逃げるようにふいと視線を逸らした。
  その時、部屋をどんどんと叩く音がして、すぐさま妹の和衛が入ってきた。
「 ちょっといい?」
「 いいって言う前に入らないでくれる?」
「 何よ、気持ち悪い。男2人、そんな風にくっついて座って」
「 だってトモ君、ホラ、こんなに可愛いじゃない?」
  和衛の嫌味っぽい言い方を逆手に取って数馬がわざと友之のことをぎゅっと抱きしめると、これで案外初心な妹はカッと赤面して怒鳴り声をあげた。
「 ば、ばっかじゃないの! 男同士で何してんのよ!」
「 それで、何の用なの?」
「 か、数馬、苦し…!」
「 ちょっと離しなさいよ、その人窒息死しそうじゃない!!」
「 つまんないの」
  数馬がおとなしく友之を放すと、2人が同時にほっと息を吐いた。それが妙に、それこそ2人が兄妹のようで数馬は思わず笑ってしまった。思えばこの和衛という妹もカワイソウな子かもしれない。自分はこんなだし、和樹や母親の峰子も一見優しいようでいてあれでマイペース型だ。誰に頼る事もできずに背伸びをし続けるのはさぞかし疲れる事だろう。
「 ……あのね、私はこれから勉強するから、隣のここで騒がれると迷惑だから」
「 ああ何だそんな事? 大丈夫、この人あんまり喋らないから」
「 ……? 喋らなかったら、どうやって話すのよ」
「 んーテレパシー?」
「 またそうやって私のことををバカにするのね、お兄ちゃんは」
「 違うよ」
「 もういいわ!」
  和衛は吐き捨てるようにそう言った後、友之をきっと睨みつけて言った。
「 友之さんって言ったわよね! 一体どうしてこんなお兄ちゃんの友達なんかやってるの? 疲れない!? 私なんて、この人の妹ってだけですっごくどうしようもなく疲れるわよ?」
「 ひどい言い草だなあ」
「 事実よ」
「 あの…」
  2人が喧嘩をしてはマズイと思ったのだろうか、友之はすぐに口を開くとぽつと言った。
「 数馬は凄く話しやすいから」
「 え?」
「 ………」
  またこのバカは。
  数馬が呆れた顔をしている一方で和衛も一瞬呆気に取られていたようだが、すぐに立ち直るとフンと鼻を鳴らして声を上げた。
「 どっこが! きっとそれって貴方が鈍いからよ! 何言っても素直に取られないのに、こんな人のどこが話しやすいんだか!」
「 ちょっと、どうでもいいけど和衛さん、いつ出てってくれるの?」
「 行くわよ! 行けばいいんでしょ!」
「 数馬、いいか?」
  その時、叫ぶ和衛の背後から今度は兄の和樹がやってきた。数馬は思い切り辟易したようになってさすがに声を荒げた。
「 今度は何?」
「 怒るなよ。内線が入ったぞ」
「 えぇ?」
「 嘘……」
  和樹の発言に数馬と和衛は一瞬のうちに口を閉じてしまった。友之が怪訝な顔でそんな2人を交互に見ていると、和樹が苦笑したようになってそんな友之を見つめてきた。
「 お前が珍しい事するから、あの人も気紛れを起こしたんだろ」
「 兄さんのせいだよ。庭で友之を遊ばせたりするから、あの人の目に入ったんじゃないか」
「 悪いな」
  悪びれもせずに和樹はそう言い、友之に向かって申し訳なさそうな顔をした。
「 友之君、数馬と一緒に行ってくれるかい? キミに会いたいって人がいてさ」
「 え…?」
「 何なのよ、もう!」
  和衛のイライラしたような声を無視して和樹は言った。
「 うちの変わり者。昂馬さんって言うんだけど」
「 あ〜めんどくさ」
  数馬の声を聞きながら友之は何だろうと首をかしげた。





  数馬たちの住む所謂「豪邸」の周辺はぐるりと世話の行き届いた植木や池、それに数馬の母親が管理しているという温室がある。
  そして更にその温室の反対側にある敷地には数年前に数馬の祖父・昂馬が建てさせた坪50程の「離れ」があり、そこに祖父の昂馬は1人で閉じこもっているのだという。
「 3時のお茶にはいつもこのフレッシュオレンジジュースとお楽しみのおやつがつくんです」
「 ヨシノさんも毎日大変だねえ」
  トレイに乗せられたその「お届け物」を受け取りながら、数馬は従順な使用人に労いの言葉を掛けた。彼女はそれで大分恐縮していたが、こんな家のお手伝いなどしなくとも賢明なも彼女になら他に幾らでもマシな働き口があるだろうにと思ってしまう。
「 はい、トモ君持って」
  そんな数馬はヨシノと別れて友之と2人庭に出ると、すぐに持っていたトレイを寄越した。それで友之が「え」という顔をするのを白々しい顔で眺める。
「 あのね、あの人は別にボクに会いたいってわけじゃないんだよね。キミに会いたいの、分かる?」
「 どうして?」
「 自分と同じくらい偏屈な孫がたまに全くカラーの違う友達連れてきたから珍しいんでしょ」
「 ……それ、結局数馬の事が気になるって事…だね…?」
「 はあ?」
  友之の台詞に数馬は眉をひそめた。
  友之は構わず続けた。
「 皆…数馬のことが気になるから…数馬が連れてきた俺のことが、き、気になる…」
「 生意気な事言うじゃない」
  そんな事は自分にはどうでもいいことだ。
  数馬は内心でむかっ腹を立てながら友之の前を歩いた。こんな子どもじみた感情はとうに捨てたと思っていたのに。
「 数馬、怒ってる…?」
「 んーん、イラついただけ」
「 ………怒ってる」
「 だって友之がらしくない発言するから」
「 そう…かな…」
「 ……そうだよ。はい、ここ」
  数馬は言いながら目の前に現れた、どことなく暗いオーラを発している木造家屋を指し示した。一見、東京の下町にでもありそうな長屋風の建物。引き戸の入り口脇には、その雰囲気でも出したいのか、盆栽や植木がちょこちょこと並んでいる。
「 はい、呼び鈴鳴らして」
  引き戸の横にある古い丸ボタン式のチャイムを指し示して数馬は言った。友之は素直にそれに近づき、ボタンを押した。
  扉は音もなくスッと横に開いた。
「 ……ッ!」
「 あ、驚いた? これ、さり気なく操作式の開閉扉なの。開いたって事は入っていいって合図ね」
「 ……入っちゃいけない時は?」
「 チャイム鳴らした後にここにある植木のどっかから水が放出される」
「 え?」
「 だから頭おかしいって言ってるでしょ」
「 ………」
「 昂馬さーん、入りますよ!」
  途惑う友之に構わず、数馬が先に敷居をまたいだ。おやつを置いてすぐに帰れる事は分かっているが、またぞろ騒々しく友之のことを探られるのは勘弁して欲しい。
「 数馬か」
  奥から祖父の声が聞こえた。相変わらず張りのある若々しい声をしている。数馬は「そうですよ」と言いながら土足で玄関を上がり、友之を振り返った。
「 靴脱がなくていいからね」
「 え、でも…」
「 怪我するよ。ヘンなもん、いっぱい落っこってるんだから」
「 ………」
  外から見た概観と大分違い、中はまた随分と異国情緒溢れている。鬱蒼と茂る観葉植物が所狭しと並んでいるかと思えば、玄関脇には意味不明な槍を持った甲冑戦士の置物、そうかと思えば何が入っているのか不明な高さ50センチ〜1メートルほどの壷や小さなガラス瓶がズラリと並べてあったりもする。色とりどりの刺繍が施された壁掛けや絵画もある。友之は目をチカチカさせながらそれらをじっと見つめていた。
「 どっから運ばせてきてるのか、気づくと増えてるんだよね」
  数馬は呆れた風に言いながら真っ直ぐにそこを通り抜け、幾つかの扉を無視して一番奥に見えたドアをノックもせずに開いた。
「 昂馬さん、いつも自分の都合で突然呼び出すのやめて下さいって言ってるでしょ」
「 すまんな」
  全く悪いと思う風もない声がすぐに返ってきた。
  数馬は振り返って後から来た友之に自分の祖父を紹介した。
「 この人がボクの御祖父さん。昂馬さん、こっちが友之」
「 あの…はじめまして…」
「 ……おう」
  大きなロッキングチェアーがくるりと回ってそこに座っている人物が扉の前に立つ友之を見据えた。
  白髪ながらも背筋をしゃんと伸ばした矍鑠たる表情が面と向かってくる。
  そういえばこの人は何歳だっただろうかと数馬は2人の間に立つようにしてぼんやりとそんな事を思った。



【つづく】