本当は分かっていた(前編)


―1―



 亨が「引っ越すことにした」と言った時は、何の冗談かと思った。
「……え?」
  だから翠は返事をするのが遅れたし、恐らく間の抜けた顔で口も半分開いたままだったと思う。何とか気を取り直し改めて顔を上げたが、亨は依然として平静な態度でスマホをいじっている。視線が交わらないのはありがたかったが、いつもとは明らかに違うそれに、翠はザワリと胸を騒がせた。
「一応訊くけどさ…。誰が引っ越すんだ?」
  翠がそう訊ねると、亨はぴたりと動かしていた指先を止めたが、すぐに「俺だよ」と答えた。やはり、その声には抑揚がある。いよいよ翠は驚いて、自室で座っている状態だというのに、その場で大仰に卒倒しそうになった。
「本当に? どうかした?」
「何が?」
「だってお前が…引っ越す、なんて」
「前から考えてた。あの部屋、家賃高いし。引っ越すなら、春休みの間がちょうどいいかなって」
「そりゃあ…。お前、ほとんどこの部屋に入り浸っているし。何も使っていないのに払う家賃にしたら、あれは高いよな」
  もしかしたら日当たりの良い亨の部屋は、翠の部屋より若干高いかもしれない。
  しかし、亨が押し掛けるように翠のいる東京の大学へ後追いしてきて、あまつさえ同じアパートの隣室に住むようになってから、そろそろ1年が経つ。郷里にいた時と変わらず、亨から追いかけ回され、くっつかれて、その度にごちゃごちゃと葛藤して。翠は心休まる時がなかったが、いい加減その生活にも慣れてきていた。だからもう、亨がこうして休みの日に翠の部屋に居付くことにもいちいち煩いことは言わなくなっていたし、半ば自棄の体で、翠自身、そんな生活でも「別にいいか」と思えるようになっていたのだ。
  その矢先に、亨はここから出ていくと言う。
「……へえ」
  まさかそれに「どうして」とか、ましてや「嫌だ」などと言えるわけはない。むしろこれは喜ぶべきことだ。亨が何を思ってそう決意したかは分からないが、少なくとも居住地が異なれば、必然的に顔を合わせる回数は減る。それは適度な距離かもしれない、それこそ翠が望んでいた。
  であれば、そのことを喜びこそすれ、戸惑ったり、ましてや疑問に思うことなどないではないか。
「いつ引っ越すんだ? 俺、何か手伝う?」
  だから努めて平静さを装いそう訊くと、亨は一瞬だけ嫌な顔をしたものの―そう、それは「何で何も訊かないんだ、止めないんだ」という責めの眼でもあった―、やがて「うん」と頷き、スマホをしまった。
「勿論、手伝って。一人で荷造りするの大変だし。今回、要らないもの結構捨てたり、実家送ったりしようと思うし、もし翠のおばさん達が欲しい物あったらあげてもいいし」
「そんなのある?」
「食器とか。もともと最初に買い過ぎたし」
「………」
  それは亨が「いつか翠と暮らす時のために」買い揃えた物のことだろう。最初の頃は亨がわざとそれらを部屋から持ってきて食事を作らされることもあったが、最近ではいちいち運ぶのも面倒となって、もっぱら翠の部屋にあるものを使っていた。……それくらい、亨は翠の部屋にある物ばかり使っているということだが、つまりはそのせいで、折角の「同棲用の食器」は無用の長物になっていた。
  しかしそれは翠のせいではない。亨が勝手にやったことだ。
「テレビも要らないかも。どうせ見ないし」
「えっ…でもお前、結構テレビ好きじゃないか」
「そうだけど。大学とバイトと、翠と遊ぶの考えたら、テレビってそれほど必要じゃない割に場所取るでしょ? だったら、そんな要らないかなって」
「俺と遊ぶって…バカ」
  けれど翠は亨のそのセリフにほっとした。亨は引っ越しても、自分と変わらず一緒にいるつもりらしい…咄嗟にそう思ったからだ。
  そう、そのことに、翠は確かに安堵した。本当は亨が自ら距離を取ると言っているのだから、もっと喜ばないといけないのに。
(でも……)
  ここ最近で、亨に特に変わった様子はなかった。というか、こっちへ来てから亨は何も変わっていない。常に翠、翠と犬のように後をつけ回し、好きだとその好意を臆面もなく口にして、翠が嫌がっても恐れても、迷うことなく追ってきて、一緒にいたいと繰り返して。
  そうして年が明けてテストも終わって。「春休み、実家帰る他に、どこか旅行もしない?」などと軽口を叩いていた男が、何故急に引っ越すなどと。
「ねえ翠。翠って!」
「え? あ、ああ、ごめん。何?」
  気づけばぼうとしていたらしい。亨の不服そうな顔に翠はハッとなって謝った。
「引っ越し、翠の空いている時がいいから、バイト休みの水曜でいい? 来週の」
「あ、ああ…別にいいよ」
「ありがと。じゃあ、そこは空けておいて」
「ていうか、もう部屋決めてあるのかよ」
「うん、即決」
  驚く翠に、これまた亨は何ほどもないようにあっさりと答えた。翠はまたしてもあんぐりと口を開けた状態で、何も言えずにそんな幼馴染を凝視してしまった。

  そうして亨の引っ越し当日。

「……お前。ふざけるなよ」
  翠が拳を震わせてそう呟くのは、無理からぬことだった。
「何が?」
  それでも亨は平然としている。前日までに荷造りした大きな家具類――要らないと言っていたテレビや箪笥、冷蔵庫、洗濯機等――は、大学2年から憧れの一人暮らしを始めるという弟の大吾の元へ、引っ越し業者のトラックが運んで行った。
  その後に残ったのは、僅かな着替えや本、身の回りの雑貨が入った数箱の段ボールだけ。
  それを亨は至極当たり前のような顔で、「翠の」部屋へ運んで行く。
  ボー然と立ち尽くす翠を後目に、ドアを開けっぱなしの状態にしながら。
「おい亨ッ! おまっ…お前、本当にふざけるなって!」
  翠が我に返って真っ赤な顔で怒鳴ったのは、それら段ボール箱が全て運び込まれた後だった。自分を置いてドアが早々に閉められてしまったので、翠は慌ててそれを開け、勢い、普段は決して出さない大声を上げた。こんなことは初めて…とは言わないが、かなり久しぶりのことだった。最近は亨を怒るということがあまりなかった。半同棲の生活に慣れ切ってしまっていたから。
  そうだ、それで油断してしまったのだ。それがまずかった。だからこんなことになったのだ。
「だってもう一緒に住んでいるも同じだったじゃん」
  案の定、亨はそう言って、段ボールの中身を取り出しつつ言った。
「それなら部屋二つも要らないでしょ。家賃、勿体ない。だから引っ越すって言ったの」
「ここだとは一言も言っていないだろ! 俺もいいって言ってない!」
「訊いたらいいって言ってくれたの?」
「言うわけない!」
  翠の即答に亨は眉を寄せたが、感情を高ぶらせたりはしなかった。
「でしょ。だから勝手に決めた。もう遅いよ、部屋の契約も解除しちゃったし。2年契約で部屋取ったのに、途中解約だから違約金取られたし。今追い出されたら、俺、行く所ない」
「汚いぞ、亨!」
「翠」
  ここで初めて亨はむっとした顔を翠に向けた。翠がそれで思わず黙りこむと、亨は一度大きく息を吸い込んでから続けた。
「俺が引っ越すって言ったのを聞いた時、喜んだでしょ?」
  翠が何も言わずにいると、亨は仄かに頬を上気させて、遂に形の良い目と眉を吊り上げた。
「間違いなく喜んでた、喜んでたよ。全く頭にくるよな…何をどう勘違いしたのか丸分かりだったしさ。けどさ、普通に考えてよ。俺が翠から離れるって本気で思ったの?  そんなことがあり得るって? ようやく煩いのから解放されるって? お生憎さま! それどころか、ますますしがみついて、くっついて、離れてやらないよ!」
「……お前な」
  最後の方は殆ど子どものような嫌がらせ発言に聞こえたので、翠も言い返す気力を奪われてしまった。
  力なく立ち尽くしていると、亨の方は未だ頬を紅潮させたまま再び段ボールに向かい合い、怒った感情を誤魔化すように、それらを押し入れにある翠の収納ボックスへと入れ始めた。
「おい…」
「3つも要らないでしょ。整理すればこっち側空くから。今日から俺が右の引き出し使う」
「勝手に決めるな」
「じゃあそこらへんに投げ置いておく」
「……はぁ」
  思わず、といった風に、翠は大きなため息を漏らした。亨はそれにびくんと露骨に身体を震わせ、それからじわりと目を潤ませると、今にも泣きそうな顔を見せた。
(出たよ、得意の泣き落とし…)
  翠はそれを半ば冷めた目で眺めていたが、もう心の中は受け入れていた。こうなってはもう仕方がないとも思っていた。
  そして、いつかはこうなるような気も、本当はしていた。
「俺が右側。こっち開けるのに慣れているから。亨は左側」
  だから翠はそうきっぱりと告げた後、亨の大きな身体を退けるようにして押し入れの前に座り、亨の着替えを寄越せという風に手を差し出した。
  亨はそんな翠に最初こそ驚いた顔を見せぽかんとしていたが、すぐにとびきりの笑顔で「うん、分かった!」とはしゃぎきった良い返事をした。



  夜は亨が「引っ越しそばが食べたい」というので、近場のスーパーで買った天ぷらの総菜と一緒に2人でズルズルとそばをすすった。
  亨は終始ご機嫌であり、翠がつゆの配分を失敗していつもより濃い味にしてしまっても「凄く美味しい」と大絶賛で、実際本当に美味しそうにどんぶりを空けた。片付けも率先して行い、その後、翠が勉強を始めても、背中越しにぴたりとくっついてはいたものの、基本邪魔せず、自分もおとなしく漫画雑誌を眺めたりしていた。
  そんな中、若干揉めたのは、狭いユニットバスに「一緒に入りたい」と言い出したことくらいか。
  ただそれも、無理やり決めた「正式な」同居生活の初日から揉めたくはないと思ったのか、翠が嫌だと言えば割とすぐに引き下がった。風呂上がりに洗った髪を「乾かして」と甘え出した時も、翠が「ふざけるな」と突っぱねれば、不貞腐れつつ自分でドライヤーをかけた。
  何にしろ、亨の聞き分けの良さは普段の2割増しだったし、諦めも早かった。
  だから翠も「また」油断した。亨の言うように、こうして2人で過ごすことも最早日常茶飯事だし、部屋の中の物が少し増えたこと以外は、通常と然程変わらない。1年前はこうなるなんて夢にも思っていなかった。折角意を決して亨から離れ東京の大学までやって来たのに。その「自由」な生活も僅か1年で、そこからはまた自分を追いかけてきた亨とこうして2人きり。地元よりは騒がれることもなくなったが、じわじわと周囲からも「亨の隣には翠がいる」との認識が広まりつつある。それにまたちりとした胸の痛みを感じる。けれど確実に、翠自身がその状況に慣れてきている。許容し始めている。
  だからだろうか。亨がこの夜、電気を消して就寝しようとしたまさにその時、不意に覆いかぶさってきたことを、翠は予想できるはずだったのに、できなかった。
「ちょっ…亨…!」
「翠」
  亨の呼ぶ声が切羽詰まっていて、翠は途端ぎくりとした。本気の時の声だ。これはまずいと思い、翠は慌てて寝返りを打ちながら背後から襲ってきた亨と向き合おうと身体を捻った。
  ただ、それは叶っても、抗おうとする腕は簡単にかわされ、逆に仰向けの態勢で手首を取られるとあっさり床に縫い付けられた。その上に大きな亨の体躯がもろに乗ってきて、いよいよ身動きが取れなくなり、翠は慌てた。
「亨、ふざけるなよ!」
「ふざけてない。翠としたい」
「冗談…!」
「真面目だって言ってる」
「とぉ…っ…」
  抵抗の意をキスで塞がれ、翠は一気に呼吸困難に陥った。亨のキスはいつでも性急で強引で、そしてしつこい。角度を変えながら幾度も唇を重ねてくるので、されている方の翠にしてみたらまさしく「食われている」錯覚に陥る。いつも何と粘着質だろうと思う、亨の口づけは。またそれと共に身体を擦り付けて、わざと自分の怒張したモノをアピールしてくる、それも本当に嫌だった。まるで毎度拒んでいるこちらが悪いと言わんばかりの責めるようなそれに、翠の身体はいつでも怒りだか何だか分からない熱に翻弄されてしまう。
「亨…やめろって…」
  何とかキスを避けて顔を横に向けた瞬間、囁く声で言ってみた。すでに寝間着をたくし上げられ、片手は素肌を撫でられている。それにゾクッとしておかしな声が出そうになったが、翠は必死にそれを堪え、亨の身体を押しのけようとした。
「無駄だよ」
  亨はぴくりともしなかった。翠の手首を何度も捉え直し、その度また身体を押し付けるように密着させる。そうして、翠を押さえつけていない方の手を頬に添え、亨は何度目かの強引な口づけを強行した。
「ん…ッ…」
「……翠を幸せにできるのは俺だけでしょう」
  キスの後、亨が言った。しかもそんな真面目なことを言った後に、同じく、至極真剣な様子で翠の寝間着のズボンをずり下げ、その性器に触れてきた。翠はぎょっとして息をのんだ。人質を取られたようなものだ。声を失っていると、亨がまた神妙な声で言った。
「俺を幸せにできるのも翠だけ。だからもう一緒にいるしかない。離れられるわけないよ」
「………人のもの掴んだまま、何を偉そうに言ってんだ」
「うん。……翠も俺の触って」
「ちょっ…」
  勿論、望むような触り方はしなかったが、手の平をぐいと股間に持っていかされ、夜目にも分かる亨の張りつめたそれに、翠はドキリとして黙りこんだ。
  実際亨の声は密やかだが酷い熱を持っていた。
「もう駄目だから。駄目だ。翠。1年待ったよ。逃げられたのに勝手に追いかけて。そのことを翠が許してくれるまで待った。でももう、嫌だ」
「また……勝手なことばっかり……」
「翠が欲しい…!」
  叩きつけるように亨は言い、翠がそれで「隣に聞こえる」と窘めようとしても、翠のモノを掴む手に力を込めて黙らせてくる。そうして偉そうに告げるのだ。
「翠のことも気持ちよくするから」
「とぉっ…ひあぁッ!」
  すかさず屈んで自分の性器を咥える亨を見て、翠は思わず声を上げた。
  しかも亨は翠のモノを勢い込んで何度も口に入れては大仰に舌で舐め、口腔内へ激しい出し入れをしては強く擦ってくる。その堪らない刺激に翠は亨の髪の毛をまさぐる以外、何できなくなってしまった。
「やっ、あっ、あっ…」
  こんな声を出したくない。そう思っているのに翠にはそれができない。
  亨も溺れる翠に気を良くしてスピードを速め、さらに翠の性器を卑猥に頬張って見せたり、じっくりとその筋を辿るような舐め方をしたりする。しかもその舌をやがて性器から足の付け根へ移行する。同時に、両手で翠の尻を激しく揉みしだく。その手つきがあまりにもいやらしく、それがまた翠の頭に血を上らせるのだが、快感の方が勝ってしまって何もできない。屈辱である。
「ひっ…!?」
  しかも翠が亨の口内で放った直後――いつもならこれで終わってもおかしくはないのに――、突然亨は翠の後ろに指を差し入れ、そこに何かを塗り付けた。
  その言いようのない不快な感触に、翠は思わず目を見開いた。
「亨…!?」
「大丈夫。馴らしているだけ」
「おま…何…そんな…」
  亨は明らかに薬物かクリームのような不明物を翠に使った。間違いなく確信犯だ、もう寝る前から傍に置いていたに違いない。恐らくは「こういう時」に使う物なのだろうとは翠も理解できたが、だからこそ亨が本気なのだと実感もして、一気に恐怖した。
  いくら何でもこれはない。こんなことは許されない。
「亨…真面目にやめてくれ。頼むから」
「………」
  亨は応えなかった。けれど今、主導権は明らかに亨にあった。すでに一度激しい射精をさせられてしまった翠は身体に力が入らない。否、そもそも亨に押さえつけられているからどうしようもできない。亨が亨の意思でどかない限り、翠が「助かる」方法はないのだ。
  こんな、急に。
「亨」
  いや。急、ではないかもしれない。それこそ高校生の頃から、亨は翠と身体を繋げたいと言っていたし、そのアピールもしてきた。それを翠が知っていながら、避けて、無視して、時には拒絶してきたのだ。
  拒絶。何故。亨が嫌いだから?――そんなわけはない。
  ただ。ただ単純に。
「怖い…亨…怖い、から」
  翠は唇を震わせながらそう言った。そうだ、亨が怖くなるから。これまでの関係が確実に変わるから。それが嫌で。翠は暗闇の中、亨に手を差し伸べ助けを求めるような気持ちでそう言った。
「俺も怖い」
  けれど亨はそんな翠にキス一つしてそう言った。
「翠と離れたくない」
  意思のこもった強い声。翠は咄嗟にぶるりと震えた。亨は本気だ。もう退かない。でも自分は?
「一緒にいるだろ…それじゃ、駄目なのか?」
  どうしてこんなものにこだわる。別に要らないじゃないか。翠は必死にそう思った。必要ないだろう?分からない。どうして亨がセックスにこだわるのか。自分たちは男同士なのに、こんなことは本来不自然で不必要なもののはずなのに。どうでもいいことのはずなのに。
  けれど「どうでもいい」のなら、何故自分はここまで拒否する?亨が嫌いだから?―…否。
(それはもう…はっきりしている…)
  本当は分かっている。
「それじゃ駄目だ」
  だからだろう、亨が頑なに翠を押し切ろうとするのは。亨はすでに息を荒く吐いている。興奮しているのだ。どうして自分などにそうやって欲情するのかと翠は不思議な気持ちで目の前の幼馴染を見やった。
「翠の中に入りたい」
  すると亨が露骨な言葉で、挑むような眼で言った。
「一緒にイクだけじゃ駄目だ、翠と一つにならないと俺は安心できない。だからしたいんだ。前から言ってる、前から伝えてる。翠だってもう分かっている、そうでしょ?」
「亨……」
「翠だって嫌じゃないはずなんだ、俺のこと。違う? 俺が俺のものを翠の中に入れるのがそんなに嫌? 気持ち悪い?」
「……そんな顔で」
  そんなこと言うな、と続けたかった台詞は、亨の有無を言わせぬ口づけで遮断されてしまった。人に訊いておいて回答を求めていない。やっぱり勝手だ。
  そう思いながらも、翠は亨からのキスを甘んじて受け入れて目を閉じた。あまりに性急でそして泣きそうな顔がアップで目に入ってしまったから。いつもずるいと思いながら、翠は亨の切羽詰まった顔や泣き顔が本当に苦手だ。キスひとつで収まるのなら。セックスでおとなしくなるのなら。いいのかなという気になって来る。
「お前本当にずるいよ」
  唇を放された直後に翠はすぐさまそう返した。亨の方はそれで再びくしゃりと顔を歪めたのだが、意地を張るように再度唇を食むように重ね、翠の抗議を封殺した。



後編へ…