友之が中原らの草野球チームに入ったのは、中学3年の秋から冬にかけて―学校へ行けず独り家に閉じこもっていた頃だった。修司以外の人間とはロクに口も利けず、暗い部屋の隅でうずくまっていたところを、見かねた光一郎と中原が「やってみないか」と言ったのだ。もしこの2人の兄がそうして話を持ちかけてくれなければ、幾ら好きでも友之は絶対に自分から野球がしたいなどとは言わなかっただろうし、そもそもそんな考え自体思い浮かばなかったに違いない。ただ物欲しそうにグラウンドを見つめ、黙って独り帰る日々を過ごしていただろう。自ら人の輪の中に入れる性格ではないのだ。

『 お前、そんなんじゃいつかホントに大事なもんを取り逃がしちまうぞ』

  兄の一人である中原は以前そう言って友之の頭を軽く小突いた。彼も修司同様光一郎の親友であり、また友之にとっても「一応」の幼馴染だったが、当たりはいつも相当にキツかった。お前は甘え過ぎている、思った事ははっきり言え。それが中原の口癖で、友之はそう言われる度いつもシュンとして項垂れた。しかし彼が自分の事を想ってそう言ってくれている事は友之にも痛い程分かっていたし、実際これではいけないという事は自身でもよく理解しているつもりだった。
  だからこのままではいけないと、いつももがいてきたつもりだったのだけれど。

『 トモはそういうとこも可愛いんだから、それでいいんじゃない』

  大好きな修司にそう言われる度。

『 ちっ…。たく、しょうがねえな…。ほら、来いよ』

  何だかんだと厳しい事を言ったそばから、当の中原が友之に手を差し伸べてくれる度。否、それだけではない、加入した野球チームで知り合った大人たちが優しく迎え入れてくれる度、裕子が何かと優しく構ってくれる度…。そして口の悪い数馬や、学校では沢海や橋本が近くにいて笑ってくれるその度に。
  友之は自分への戒めの気持ちを心のどこかに置き忘れていたかもしれなかった。
  友之はいつの時も決して独りではなかったから。



  (16)



  とぼとぼといつものように下を向いて歩いていた時にその声は掛けられた。
「 あ…」
  友之が驚いて顔を上げると、相手は薄っすらと笑って目を細めた。
「 友之君」
「 え…」
  その呼び方に友之が一瞬でさっと青褪めると、向こうはその様子に気づいているのかいないのか平然として続けた。
「 こんにちは。ここ通ると思ってたよ」
「 コウ…兄?」
「 ……どうしたの。そんな不思議そうな顔して」
  友之に怪訝な顔をされながら名前を呼ばれた光一郎は、自分こそが不思議そうな顔をして軽く首をかしげて見せた。
  河川敷グラウンドが続く道の外れ。
  足首にまで伸びる草地に泰然と立っている光一郎は、昨夜別れた時に見た感じとは明らかに違うと友之には感じられた。
「 コウ…」
  恐る恐る声を掛ける友之に光一郎が言った。
「 正人たちの試合観てきたの?」
「 ………」
  やはり違う。
  機械的に頷きはしたものの、友之にとって目の前で放たれたその台詞は「こちらの世界」に来て初めて「こちらの光一郎」と合間見えた時のショックとひどく似ていた。
「 ………」
  そろりと「その光一郎」の傍に歩み寄ったものの、友之はうまく言葉を出す事ができなかった。何から発して良いか分からなかった。
「 あ、の…」
  しかし、友之が思い余って声を掛けようと口を開いた時だった。
「 既視感って言うんだっけ? こういうの」
「 え?」
  聞き返すと光一郎は一旦川辺へとやっていた視線を再び友之に戻し、少しだけ口元を上げて見せた。思い切り途惑っているような、らしくない弱気な眼光が気になった。
「 ほら。今体験している出来事を、以前にも何処かで見た事があるような気がするってやつだよ。そういうのない?」
「 あ…」
  別段深い考えもなく促されるようにして頷くと、光一郎はそんな友之にはっと嘆息した後、視線を前方の河川敷へと移した。友之の要領を得ない態度に苛立たしさを感じたのかもしれないし、別段相手に特別な反応など求めていなかったのかもしれない。ただ当の友之にしてみればそんな光一郎の態度は何か見放されたもののような感じがして蒼白ものだった。
  だからといって気の利いた言葉などは、やはり見つからなかったのだけれど。
  友之がこうして家路へ向かう途中で光一郎と出会えたのは、日曜野球を終えた中原らと一緒に行動せずそのまま別れてきたせいだ。昨日と全く同じように、友之は一服がてらアラキで一騒ぎして行こうという中原たち、また共に試合を観ていた数馬や裕子にも「一緒に行こう」と誘われた。まだ夕飯には時間も早いし、少しくらい羽目を外しても罰は当たらない。だって今日は日曜日だから。そうして「お前も来いよ」と言われたのだ。
  けれど。
「 でも…帰り、ます」
  それでも友之はそんな彼らに対し首を縦に振れなかった。本当はそう声を掛けてもらえて嬉しかった。その空気は本来の友之がいつも身を置いていた、あの在るべき場所と同じで実に心地良いものだったから。こんな異世界に迷い込んでも、友之にはいつでも周りに誰かがいて、裕子が言うように決して独りになる事はない。親切にしてもらえる。また、それだけではない、この世界には亡くなったはずの母もいる。
「 帰、る…」
  それでも帰ろうと思ったのは、やはり『違う』と思ったからだ。

  そしてそんな友之の前に現れた光一郎は。

「 このシーン、前にも見た事があるような気がする」
  何事か考え込むような目をして、光一郎はそう言った。
「 ………」
  友之は黙ったままそんな光一郎の横顔を見つめた。そしてその瞬間、「ああ、そういえば自分にもこの光景は見覚えがある」と思った。
「 水源、地…」
「 え?」
  だから思わず呟くと、光一郎はそう発した友之に反応してさっと視線を寄越してきた。友之がそれに慌てて下を向くと、光一郎は途惑ったようになりながらただ一言「ごめん」と言った。何故謝られたのか友之にはよく分からなかったのだが。
  2人は黙ったまま暫くその場に立ち尽くした。
  夕暮れ時の河川敷沿いは未だ多くの人が行き交っていた。ざわざわとした風の音と共に自転車で走り去る子どもの姿や、犬の散歩をしている親子連れらしい姿も見える。
  友之は下を向いたまま、その人たちが楽しそうに喋る声や周囲の雑音を耳に入れながら、光一郎の雑草に隠れる足元だけを見つめていた。
「 なあ」
  すると光一郎が言った。
「 変な話なんだ。だから可笑しかったら笑っていいよ」
「 え…」
  顔を上げて光一郎を見やると、向こうは友之の事を見ていなかった。
  ただ遠くを見ながら精悍な口元がゆっくりと動く。友之はそれをじっと見守った。
「 夢なんだ、ただの。けど気味悪いくらい鮮明に頭の中に浮かんで、その光景が見えたんだよ。友之君と…ここを歩いているところ」
「 僕と…?」
「 そう」
  光一郎はそう言った後、友之を横目でちらと見た後、ちょっとだけ笑って見せた。自分で自分の言っている事に困惑しているという風だった。
「 しかも今よりずっと昔の事だよ。俺もまだ小学生くらいのガキで。だから友之君もそんな俺よりもっとチビだな。2人で歩いててさ…俺は妙にイライラしてるし、君はぐずぐず泣いてるんだ。はっ…おかしな話だろ? 俺たちが初めてまともに会ったのは親父たちの再婚話が出た後だ。だからそんなのは…。もしかすると家の関係で大昔に顔くらいはあわせた事があるのかもしれないけど、少なくともあんな光景…あるはずのないものだ」
「 ……ここを、歩いてた……?」
「 そうだよ」
「 ………」
「 それだけじゃない。ほら、この間も…。修司と3人でメシ食ってて、この光景見た事あるって言っただろ? あんなのも…気味悪いくらい次々出てくるしな。全く何なんだ」
  投げ遣りに言いつつ、光一郎はまたふいと視線を友之から外した。そして憂鬱な吐息を思いきり外へ向けてから肩を揺らした。
「 修司にも言われたけどな、『頭おかしくなってんの』って。ったく、あいつ…。けど、実際そうかもしれない。昨日も……はっ、何やってたんだ俺は…」
「 ……墓地に行ったって」
「 ……っ。修司が言った?」
「 ………」
  こくりと友之が頷くと、光一郎は「ごめん」ともう一度謝ってから暫し黙りこんだ。
  けれど、やがて思い切ったように。
「 バカらしいというか、確かに修司の言う通りなんだ。何かに取り憑かれたみたいにおかしな考えばっかり頭を過ぎってた。それでもそのバカな…色んな映像が一気に身体に入り込んですっと染み渡った感じだ…。その記憶の中では俺と君はもうずっと昔からの兄弟なんだよ。俺のアパートにも君は当然のように居座ってるしな」
  珍しく早口になり、まくしたてるように言う光一郎を奇異の目で眺めながら、友之は自身でも2人で暮らしている普段の生活をまざまざと思い出してしまい、思わずじわりと瞳が潤むのを感じた。確かにここにいる光一郎にとってはその光景はあるはずのないもので、ただの幻に違いない。けれど自分にとっては間違いなくあった風景で、それをこの光一郎が何の拍子かでも見たというのなら、それに縋りたい気持ちでいっぱいになった。自分もその景色が見たいと、友之はそう思った。見たい、と。
  すると友之がそう強く願った瞬間。


『 トモ、そこにある花――』


  友之の耳に、不意に光一郎のそう言う声がはっきりと聞こえた。
「 ……っ」
「 友之君? どうした?」
「 あ…」
  傍で光一郎が心配そうな声を上げた。友之が何でもないと声を返そうとした瞬間、ツキンとした痛みがこめかみから耳の奥にまで広がってそこから全神経にまでほとばしった。
「 ひっ…」
「 友…ッ」
  ぎょっとしたような光一郎の声を聞きながら、友之はそれでも耳の痛みを緩和させようと無意識に両耳を塞いだ。


『 友之、どうした? 友之…ッ!?』


  すると今度は切羽詰った光一郎の声が先刻よりも鮮明に響いた。
  そしてその光景も。
「 あ…ッ」
「 ちょっ…。友之君っ!?」
  傍で「違う光一郎」が更に友之の両肩を掴んで話しかける。友之はぐらりと揺れる身体を意識しつつ、聴覚は「向こうの光一郎」へと必死に向けた。
  そう言えば、あちらでの最後の記憶は今網膜に映った「あの場所」ではないだろうか。気づいた時にはこの世界に来ていて、あるはずのない母との住処で目が覚めたのだけれど。
「 お墓…」
「 え? 友之君、本当どうしたんだ? しっかりしろよっ」
「 コウ兄、は…」
  友之は抑えていた耳をゆっくりと外すと、自分を支えてくれている光一郎を見上げた。そして何かを手繰り寄せるように視線をうろうろさせながら呟いた。
「 コウ兄、お墓…」
「 え、何だ? どうした?」
「 お墓に行って……あった…?」
「 ……何だって?」
「 だから…お墓……」
「 友……」
「 お母さんの、お墓…」
「 あ…あるわけないだろ!?」
  友之が言うと、光一郎は途端に怒ったように声を張り上げた。友之がその声にびくりとすると、光一郎はすぐに「あ」と思い直したようになり、友之を掴んでいた手もぱっと離した。
「 ご、めん…。俺に…怒鳴る資格なんかない」
「 ………」
「 あるはずのないものを探しに行った、俺に…」
  何も言わない友之に焦れたように、一瞬は言い淀んだものの光一郎は続けた。
「 でも、どうしてなんだ? 君は何か知ってるよな。そうだよ、確かに俺は…君のお母さんの墓を探しに行った。生きている君のお母さんのだ。あるわけないだろ? 親父は死んだ人と再婚しようとしてるのか? 君も本当はこの世界の住人じゃないのか? そんなバカな事…あるわけないんだよ…っ」
「 コウ…」
  「死んだ人」という言葉がいやにリアルに友之の中で鳴り響いた。ドキンと胸が疼き、それからどくどくと心臓の鼓動が早まった。
  そう、そんな事はあるわけがない。生きている人間を死んでいるなどと認識するのはおかしいし、また逆に――。
  死んでいる人間を生きていると認識するのもおかしな事だ。
「 おい!」
  ぼうとしてそんな事を考えている友之に、光一郎が再び激しく揺さぶるようにして肩を揺らし、強い口調で呼んできた。
「 現にお前はここにいるだろ!」
「 あ……」
  促されるようにしてゆっくりと頷くと、光一郎はそんな友之の様子にほっとなって力を抜いた。
「 そうだよここに…俺の目の前に…。くそ、それなのに何なんだこれは…!」
「 うん…」
  動揺している光一郎を友之は虚ろな眼差しで見やりながら、自分も再度頷いた。
  そして半ば確信を抱きながらも訊いてみた。
「 昨日のこと…覚えてる?」
「 昨日?」
  友之の問いに光一郎は眉を寄せた。
「 僕の家に来たこと…」
「 ……何だって?」
「 ………」
  光一郎の不審そうなその返答に友之は驚かなかった。ただ、「やはりそうだったのだ」と思った。昨日の光一郎は友之が知っている「ホンモノの光一郎」だった。あの時の視線や仕草、それに言葉が今更のようにまざまざと思い返される。友之のことを確かに友之だと認識してくれていた、あの目。あの安心感はだからこそのものだったのだ。
「 友之君…俺が君の家へ行った?」
「 あ…ううん…」
  傍の「光一郎」に再度訊ねられ、友之は慌てて首を横に振った。ここにいる光一郎は知らないのだ。余計な混乱を招かせてはいけない。
  けれど当たり前だが、この世界の光一郎はそれで納得したりはしなかった。
「 今来たって言っただろ? ……頼むから何か知ってるなら言ってくれ。実はあの霊園へ行った時も、その後の事をよく覚えていないんだ。まったく…俺はこういう超常現象ってやつか? 信じない性質だったってのに」
「 僕は…好きだよ…」
「 え?」
「 怖い話、とか…」
「 ……いや、今はそんな話してるんじゃなくて」
「 ……っ」
「 ちょっ…。何笑ってるんだ?」
「 あっ…」
  何故か思わず笑みを零してしまった友之に光一郎が憮然として顔をしかめた。それで友之も慌てて口元を抑えたけれど、こんな状況だというのにどうしてか妙に気持ちがふわりと軽くなったのを感じた。
  光一郎が近くにいる、それが感じられたからかもしれない。
「 ったく…頭痛え。帰るかな…」
  反面、ここにいる光一郎は実際本当に気分が悪そうだった。ぐしゃりと髪の毛をかきむしった後、友之を改めて見下ろして「帰るか?」と訊いた。そのぞんざいな言い方が何だかまた妙に嬉しくて、友之はすぐに頷いた。別に同じところに帰るわけでもないのに。
「 コウ兄…」
「 ん?」 
  だからだろう、隣を歩き始めながら友之はオドオドした様子でなく、割にはっきりとした口調で言えた。
「 明日僕も行きたい」
「 は? 何処へ?」
「 コウ兄が行ったっていう墓地」
「 なっ…」
  友之が平然として発したその台詞に光一郎が驚いて足を止めた。そのせいで2歩ほど先を行く事になってしまった友之は数秒後に自分も立ち止まり、振り返った。視界の先に映った唖然とした光一郎のその表情は本当に珍しいものだった。
  その光一郎が茫然としながら口を開く。
「 何言ってんだ、だから…そんな所行っても意味ないって言っただろ…」
「 うん」
「 お前の母親、ちゃんと生きてるだろ?」
「 うん」
「 だから墓地なんて行ったって…」
「 でも、行きたい」
「 ………」
  尚もきっぱりと言うと光一郎は今度こそ沈黙した。友之は続けた。
「 コウ兄が幻を見るのと同じように僕も見てるから。ちゃんと現実が見たい」
「 ……何だよそれは。お前の母親が生きてるっていう現実?」
「 …うん」
  一瞬悩んだ後、友之は答えて頷いた。それから一歩、二歩と戻って光一郎の傍に戻る。遠慮がちにその手にちょこんと触れてみると、光一郎は驚きながらもその手を振り払ったりはしなかった。
  違うのだけれど、同じだ。
「 コウ兄…」
「 友、之…?」
  途惑いながら自分の名前を呼んでくれる光一郎の声を友之は嬉しく思った。この光一郎も同じだ。いつもの光一郎と同じで嬉しく温かい。本当は面倒事には極力関わりたくない、いつでも自由に好きなように生きていたいと願っている人なのに、こうして傍で困っている人間がいると絶対に放っておけないのだ。その手をいつでも差し伸べてくれる。
「 川に落ちた、時…」
「 え?」
  友之が不意に唇を開くと光一郎がぎくりとした顔を見せた。
  友之はそれを見ながら続けた。
「 助けてもらった時の事は…あんまり覚えてないけど…。あの後コウ兄が来てくれた時の事は…忘れない」
「 俺が…?」
「 一緒に…帰ってくれた」
「 ………」
「 ここを一緒に歩いた」
「 ………」
  光一郎は何を言われているのか分からないという顔をしながらも、何かを確かめるように、そして思い出すようにじっと友之の事を見下ろしていた。友之はそんな光一郎を自分も見つめ返しながら、ああ、ここにいる光一郎は自分との「あの思い出」を共有しているはずはないのに、どうしてこんな風に必死に見つめてくれるのだろうと、そう思った。
  ここにいる光一郎は「こちらの世界の」光一郎なのだ。昨日の光一郎とは、違うのに。
「 でも今…また、こうして帰れるから」
  こちらの世界の光一郎とも、あの時と同じようにこうしてこの道を歩き、家路へ向かっている。
  それが友之にはとても大切なもののように思えた。





  鍵の掛かっていないドアを開くと、玄関先にまで出て来たエプロン姿の母は帰って来た友之を笑顔で出迎えた。
「 お帰り。ゴハンできてるわよ」
「 うん」
「 試合面白かった? 手洗ってきて。うがいもね」
「 うん」
  こういうところは光一郎と同じだ。いや、きっと光一郎が母のそんな行動を真似て自分にも同じ事を言うのだろうと思う。
  家族だったのだ、間違いなく。
「 誰かに会えた? やっぱりお母さんが一緒に行かなくて良かったでしょう?」
  洗面所へ向かった友之に母は歌うような声で話しかける。くつくつと何かの煮える良い匂いがこちらにまで漂ってきた。友之はそれに鼻をくんと動かした後、何かを吹っ切るように蛇口を勢いよく捻った。
  友之は母ととりとめのない話を楽しみながら食事をし、その後は一緒に片付けをする為台所に立った。大して役にも立たなかったが、母は「珍しい」と言って喜んでくれたから、こちらの世界の友之は母と一緒に後片付けなどしないのかもしれないと何となく思った。その後テレビを見ながらまたどうでもいい話をした後、友之は風呂に入って歯を磨いた。それからパジャマに着替えていた時に何となく思い出し、何故この家にはアルバムがないのかと訊ねたが、そういえば何故なのかしらねと母は答えにもならない答えを返して笑っていた。
「 お母さん」
  そうして友之はその母に隣の部屋から布団を敷きながら何気なく言った。
「 今日は一緒に寝てもいい?」
「 ええ…?」
  母は突然そんな事を言う息子に目を丸くしたが、すぐに苦い顔をして笑った。
「 どうしたの。トモちゃんもう高校生だっていうのに…」
「 今日だけ」
「 今日だけって言ってもねえ…。お母さん、まだ仕事あるし」
「 じゃあ待ってる」
「 ………」
「 今日だけ一緒に寝たい」
「 ……変な子」
  母は暫くしてからまた少しだけ笑い、その後「分かった」と頷いた。



  そうしてその夜、友之は母と並んで布団の中で眠った。否、眠る事はできなかったが、目を瞑る母の横顔を眺めてから自分もゆっくりと目を瞑った。母と過ごす時間はこれで最後になるだろうと思った。明日のことなど予見できない。そんな力はないはずなのに、あの時夕暮れの河川敷で光一郎の声をはっきりと聞いたと思った時から、何故か友之には明日を最後に自分がここにいないだろう事が分かった。何となくだがそれを感じた。
  友之は母が眠った事を確認した後、そっと母の手を握った。
  母の手は温かく優しかった。その温もりを忘れずにいたいと思った。





To be continued…



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