(17)



  光一郎が友之に「そろそろまたお母さんの墓参りに行くか」と言った時、その場には偶然裕子もいた。彼女は2人とは違い定期的に彼らの母・涼子に花を手向けに行っていたが、光一郎がするように友之をその墓参りに誘う事は1度もなかった。夕実が同行する時は当然としても、一人で行く時すら友之を連れて行こうとしない。それが何故なのか友之には分からなかったが、いつも過剰なお節介を焼くくせに肝心なところでは臆病な裕子である。彼女なりに友之の心情を推し量って不必要に遠慮しているところがあったのかもしれなかった。
  そんな「姉」から託されたシオンの花。
「 本当は私も一緒に行きたかったんだけど、急用が入っちゃったから。それ、涼子おばさんが好きな花だから」
  トモ君が持っていったらおばさんきっと喜ぶよ、と。
  裕子は光一郎たちを見送りながらそう言って笑っていた。
「 あいつの方が俺たちより断然お母さんに近かったな」
  郊外の緑園墓地の敷地をゆっくりとした歩調で行く光一郎は、友之を振り返る事なくそう言った。それは友之が裕子から渡された花束と先を行く光一郎の背中とを交互に見やっていた時の事だ。
「 お母さんが好きだった食べ物とか音楽とか、それにその花とかさ…。あいつ、何でも知ってるだろ。夕実と一緒にいたからっていうのもあるけど、よっぽど本物の子どもらしい」
「 うん…」
「 ……って。落ち込むなよ?」
「 あ…うん」
  ぼそぼそとした声で返す友之に苦笑しながら、光一郎はまたすぐに前を向いて歩き出した。ただ、友之にはそう言いつつも、光一郎自身裕子のその「出来た娘っぷり」には感心しつつ面白くないものも感じていたようだ。一瞬見せたどことなく皮肉めいた笑みが友之にはひどく印象的だった。
「 ………」
  友之はどんどん遠ざかって行くそんな光一郎の姿をぼうと追いながら、視界に映っている石畳にふっと眩暈を感じた。母の墓石へと続くその細い一本の道。両脇には同じような墓石が並び、更によくよく観察してみると、その墓前にはやはり同じような花や果物、そして線香が手向けられていた。
  自分もこの中にあるひとつの石の前にこの花を置いてくるのだなと、友之は何となく思った。
  裕子がくれた薄紫の可愛らしい小さな花。自分が選んだのではない、ましてや母が好きだった花だなどと初めて聞いた。渡されるままに受け取ったそれを、ただ無機的に指定の場所に捧げに行く。
  もう母はいないのに。
  この場所には、いないのに。
「 トモ?」
  前方で光一郎の呼ぶ声が聞こえた。はっとして顔を上げた友之は、知らぬ間にその場に立ち止まってしまった自分に気づき慌てた。何を考えても仕方がない、今はとにかく光一郎の元へ急がなければ、そう思って一歩を踏み出した時――。

  ゆらりと、抱いていた花びらが視界の隅で揺れたように見えた。

「 ……ッ!」
「 友之、どうした? 友之…ッ!?」
  その直後、焦ったようにこちらに駆け寄ってくる切羽詰まったような光一郎の姿。けれどその時の友之はもうそんな光一郎をはっきりと視覚に留める事はできなかった。
「 …あ……」
  ただ何か得体の知れない眩い光の中へ吸い込まれて行く。同時に友之はその光に全身の力を奪われて、あとはただ無音の空間へと落ち込んで行った。
  親不孝の罰だと、消える意識の間際で思った。





「 ………」
  ゆるゆると目を開くと、部屋の中はまだ薄暗かった。あまり深い眠りに入る事ができなかった友之だが、自分が「この世界」へ来る直前の風景がぼんやりと頭に過ぎっていた感覚は残っていた。それは夢のようで夢ではなく、現実のようで現実ではない。頼りない浮遊感がふわふわと全身を覆っていたが、それでも友之はじっと黙ったまま昨夜から今に至るまでの自らを振り返り、それからそっと首を横に動かした。
  隣で眠っていたはずの母の姿がなかった。さらりと手を動かして布団に触れると、まだ温もりが残っている。ゆっくりと身体を起こして隣の部屋へ目をやると、そちらからガラリとベランダへ繋がる窓が開かれる音が聞こえた。瞬間、こちらにまで外の冷たい風が吹き込んできたような気がしたが、友之はぶるりと身体を震わせながらも、すぐに立ち上がって隣室にいるだろう母の姿を追った。
「 おはよう」
  友之が起き上がった気配を感じていたのだろう。窓を開けていた母は未だ自分もカーディガンを羽織った状態の寝巻き姿だったが、薄っすらと靄に包まれた外の景色を眺めながら割舌の良い口調で友之に声を掛けた。
「 おはよ…」
  対照的に友之は未だ覚醒しきれていない掠れた声で返した。すると母は更に清々とした明るい声で言った。
「 今日はあんまり天気良くないみたい。そろそろ日の入りの時間なのに。雲に隠れてる」
「 雨降る…?」
「 どうかなあ。昨日の天気予報ではそんな事言ってなかったけど」
「 ………」
  いつもの日常のようでいて、自分には異質なもの。
  友之は窓から吹き荒んでくる風に身体を打たれながら、それでもその寒さを感じる間もなく母の背中をじっと見やった。こちらを向かない母の後ろ姿は、生前友之が記憶していたものと大差ない。声色や態度が明るくても、それはいつもどこか寂しげで儚い。細い身体。それはいつでも友之には後ろめたくて目を逸らしたくなるものだったけれど、今はこうして目に焼き付けていたいと思った。母という存在が苦しい程に恋しかったから。
「 ねえ」
  そんな風に思っている友之の前で、その母は相変わらず外を見たままだった。友之の方は振り返らない。
「 お母さん、そんなつもりじゃなかったのよ」
  母は言った。
「 本当に。ただほんのちょっとの間だけ……一緒にいたかったの。友之を苦しめるつもりなんかなかった」
「 え…?」
  友之が不審な声を上げても母はまだ振り返らなかった。
「 友之が謝ることなんか何もないんだよ。後悔もして欲しくない。お母さんは、貴方が元気で幸せなら、それでいいんだから」
「 お母…さん…?」
「 そりゃ、お母さんだっていつも良い人ぶってなんかいられないよ。うん、たとえば…友之が学校のことや友達やガールフレンドや…将来の夢にばっかり夢中になってお母さんの事なんかちっとも見向きもしてくれないとしたらね。そりゃあやっぱりちょっとは寂しくてムカツクんだろうけど。何よ親不孝者!って思っちゃうのかもしれないけど」
「 お……」
「 そんな事、お母さんは全然思ってない。思う必要ないの」
  やっと母が振り返った。
「 …――!」
  友之ははっとして思わず目を見開いた。そして目を凝らす。目の前の、ほんのすぐ傍にいる母の顔をじっと見つめた。
  母の優しげな慈愛に満ちたその表情がぼやけて見える。否、正確に言うと友之の視界は「ブレて」いた。一体どうしたというのだろうか、目前にいる母の顔が全身が、違う誰かのものと重なって二重になっているのだ。少なくともその場にいる友之にはそう見えた。
「 おか…」
  けれど口を開きかけて友之ははっとした。違う。「違う誰か」の顔と重なって見えるのではない、「この人」も自分の母・涼子だ。
「 友之」
  友之の混乱を見透かしたような顔を、母はしていた。けれどその事には何も触れず、母はあの、友之が過去よく見ていた寂しげな目をして別の事を言った。
「 友之が心の中でお母さんを呼んでくれているの、お母さんにはちゃんと聞こえてるよ。聞こえてたよ。だから…いつもどうしてそんな風に自分を苛めるんだろうって思ってた。気になってたの。そういうの、もう止めなさい」
「 ………」
「 まあ…そういうところ、きっと母さんに似ちゃったのね」
「 ………」
  ふふ、と母は口元から笑みを零した。茫然としている友之を可笑しそうに見つめながら。
  そして母は言った。
「 でも、もう必要ないでしょう」
「 お母さん…」
「 もう……」
「 あ…!」
  はっとして声を上げたけれど、消え行くのはあっという間だった。
  友之が一歩を踏み出した時にはもう、母の顔に重なっていたもう一人の母の姿はすうっと外から吹く風に攫われるようにして消え入ってしまった。流れるその風を追うように友之は空へと視線をやった。白い霞がかったそこに映るものは何もない。けれど友之はただ身動きの取れないままに、暫くじっとその白い空を見上げていた。
  その時はほんの少しの間でしかなかったのだけれど。
「 ……あれ?」
  不意に傍に立っていた母がぱちぱちと何度か瞬きし、声を出した。
「 トモちゃん? あら…? お…はよ…?」
「 ………」
  母はきょとんとした後、突如背中を襲っている冷気に気づき、ぶるりと震えて開け広げていた窓を慌てて閉めた。カーディガンをぎゅっと抱きしめるようにして「寒い寒い」と身体を縮こませる。
「 いやね、何だって窓なんか開けたんだろ。まだ時間も早いのに。……そういえば何だか凄く急かされるような夢を見たような気もするけど…ううん、何だったかな」
「 ………」
  何も言わない友之に母はいつもの明るい声で続けた。
「 それにしてもトモちゃんも今日は早いね。珍しいね、いつもは起こされないと起きないくせに」
  ころころと笑う母に友之はつられたようになって少しだけ唇を動かした。混乱している心を誤魔化すように試しに声も出してみる。
「 いつも…」
「 ん?」
「 ………」
  思ったよりもうまくいった。友之は何度か口をぱくぱくさせた後、先を継いだ。
「 僕ってそんなに寝坊する…?」
「 ええ? あ、ははっ、何をとぼけてるのよー。いっつも起こされない限り布団にくるまっているくせに。寒いの苦手だもんねえ?」
「 そうなんだ」
「 はあ?」
  からかうつもりで言ったのにまるで乗ってこない友之に不審なものを感じ、母はがくりと体勢を崩してまじまじと目の前の息子を見やった。友之は友之で、今更のように不思議そうな顔をして首をかしげた。
「 こっちの僕って…どういう僕?」
「 何?」
「 全然違うようで、本当は同じって感じもしてるけど…」
「 ちょっ…トモ、ちゃん…?」
「 こっちの僕もあっちの世界に行ってるのかな…?」
「 ………ねえ。ちょっと、本当に大丈夫?」
  さすがの母もぶつぶつと独り言のように言葉を出す友之に動揺してたじろいだ様子を見せた。友之はそんな母をちらと見た後、「何でもない」と言って首を振った。
  それからは「いつもの」ような時間を送った。
  母は朝食の支度を済ませると精力的に洗濯を始め、同時に出勤の支度を始めていた。友之ものろのろとトーストをかじった後は部屋に入って制服を着た。今日は月曜日だ。学校へ行くつもりはなかったからカバンの中には教科書も何も入れなかったが、机の上に置いてあるノートや辞書を見つめていたら、ほんの微かだけれどこちらの世界の友之がここに向かって勉強をしている光景が見えたような気がした。そしてその瞬間、ああ自分はこの部屋を本当はずっと前からよく知っていた、この光景を以前にも見た事があるような気がすると思った。
  昨日河原で光一郎が言ったように。
  自分もこちらの世界を体験した事があったかもしれない…不確かなそんな思いがちらと脳裏を過ぎっていった。
「 あ、ねえトモちゃん。学校にこれ持っていかない?」
  先に出るねと友之が部屋を出て玄関に向かうと、母が思い出したように声を上げ駆け寄ってきた。
「 え…?」
  靴を履いてから振り返った先、友之の目の前には薄紫の花があった。
「 これ…?」
「 この間ポスターでも見たでしょ。シオンのお花。うっかりベランダに置きっぱなしにしてたけど、全然元気。ね。昨日帰りに貰ったんだ」
「 誰に…?」
「 ん? んんー。親しいお友達」
  母は曖昧に答えて笑った後、鉢植えにされているその花をすっと友之に差し出した。スーパーのビニール袋の中にすっぽりと収まっていたが、ぴょこんと顔を出しているその花弁はあの日あの墓地で見たものと全く同じに見える。あの時は花束になっていたけれど。
「 何? 持って行くの面倒?」
「 あ…ううん…」
  言われて思わずそれを受け取り、友之は改めてその花を見つめた。不思議だ。何もかも分かったような顔をして向こうも友之を見つめ返しているような。そんな気持ちに囚われた。
「 人の心って花の中に残るんだって」
  母が言った。友之が弾かれたように顔を上げると、母はにこにことして続けた。
「 可愛がってあげた分だけ花は人に応える生き物だからね。そういう風に言われるのも分かるな。特にそれはね、人の想いを受け留めてる花。だから好きなの」
「 ……ふうん」
「 こういうの信じる?」
「 …たぶん」
「 そ」
  友之の曖昧な返答にも何故か満足したようになり、母はくるりと踵を返した。それからまたバタバタと忙しそうに動き始める。友之はそんな母の姿を暫く見やった後、何も言わずに外へ出た。「行ってきます」くらいは言うべきかなと思ったけれど、喉の奥がごわごわしていて、うまく声が出せなかったから諦めた。





  朝の喧騒とした風景に紛れながら駅に着くと、既にそこには光一郎がいた。
「 おはよう」
「 あ…おは…」
「 行こうか」
  友之がきちんと挨拶をする前に光一郎は先を歩き始めた。バスの停留所へ向かうらしい。駅と隣接しているそこは、電車同様人の入りが激しい。友之は既に幾つか列になっているバス乗り場を尻目に、黙々と先を行く光一郎の後を慌てて追った。月曜日だから光一郎とて大学があるだろう。けれどそれらしい物―たとえば講義本など―を光一郎が持っている様子はどこにもなかった。昨日は思わず自分も墓地に行きたいなどと言って光一郎に連れて行って欲しいとせがんだ友之だったが、よくよく考えればあの場所を全く知らないわけでもない、自分一人でだって決して行けない場所ではないのだ。今更ながら友之は自分の身勝手さに気づき赤面した。もしかするとどことなく不機嫌に前を歩いている光一郎は、そんな自分に呆れて怒っているのかもしれないと思った。
「 あ、あの…っ」
「 あのバスだ。もうすぐ発車だから急げよ。別に座らなくてもいいだろ、そんなに遠くもないんだし」
  しかし光一郎はそんな友之の焦燥感にはまるで気づいていないのか、ぶっきらぼうな言い方をしてどんどん先に行ってしまった。2人の歩幅は互いの身長からいってどうしても大きな差が生じてしまう為、友之がどんなに急いでも距離が開いてしまう。おまけに朝は皆急いでいる上、今日は週始めの月曜日だ。どことなくぴりぴりとしたウンザリしたような空気の中、友之はサラリーマンや先を急ぐ学生たちにあちこちぶつかられてはいちいちよろめいて1人あわあわとしていた。
「 友之」
「 あ…っ」
  すると、もうとっくに先へ行っていたと思っていたその手がにゅっと伸びてきて。
「 何してるんだ。こんな所で迷子になるなよ」
「 あ、コウに…」
「 振り返ったらお前がいないから…ったく。ほら、早くしないとバスが出る」
「 …っ」
  何とか頷くも、そんな友之を光一郎は既にもう見ていない。またさっと前を向くと、再び今にも発車するバスに向かって早足で歩き始めた。
  ただし、今度は友之の手をぎゅっと掴んでいたが。
「 ……っ」
  どことなく乱暴なその所作に途惑いながら、それでも友之は光一郎がくれたその手がやはり嬉しかった。見失いそうになると必ずやってくるその温もりが嬉しい。嬉しいのだ。たとえそれが自分の知る本当の光一郎ではないにしろ。
  ドアが閉まる寸前、2人は緑園墓地行きのバスに乗り込んだ。
「 すみません」
  前に立ちはだかる人を遠慮がちにすり抜けながら、光一郎は確保したスペースに友之をさり気なく押しやった。2人分の料金をさっさと払ってしまった光一郎に焦ってあたふたとしていた友之は案の定その場でモタモタしていたのだが、光一郎は有無を言わせず「いいからそこに掴まれ」と言って後は隣で知らん顔していた。
「 ………」
  友之たちが乗り込んだ後、バスはその乗客たちの重みでゴウンと一回呻いたようになった後、ゆっくりと走り始めた。大きな駅へ向かうバス乗り場よりは人の少ない便だったが、それでも車内は満員だ。全て埋まった座席の前で吊り革に掴まる人々がズラリと並ぶ。墓地へ向かうその便は終点が市民病院だったが、その途中にも大学前や団地通り、それに商店街の大通りなどに停まる為、車内には実に様々な人がいた。
  友之は曲がる度に大きく揺れるバスに翻弄されて、始めはその場に留まる事で精一杯になっていた。もともとバスにはあまり乗らないし、一昨日修司と乗った時はガラガラに空いていて後部座席を独占しているような状態だった。こんな風に見知らぬ人々に囲まれて乗るバスはやはり息苦しくて辛い。ちらと助けを求めるように横に立つ光一郎を見上げたが、相手はそんな友之には見向きもしないで流れる外の景色に目をやっていた。
「 ……コウ」
  心細くなり、蚊の鳴くようなものながら友之が思わず声を零すと、光一郎の肩先がぴくりと揺れた。
  直後、光一郎は友之に視線を落としてきた。
「 何」
「 あ…」
  冷たい声が気になった。友之が表情を翳らすと、光一郎は途端眉をひそめてまたふいと視線を逸らしてしまった。それで友之はますますぎゅっと胸が締め付けられるような思いがしたわけだが。
「 あの…ごめんな、さい…」
  それでも謝る事だけはしたくて友之が俯きながらそう言うと、光一郎は再び表情を変えてそんな友之のことを見下ろしてきた。
  そしてすかさず。
「 何で謝るんだ?」
  強い口調で返してきた。
「 その、こんなついてきて、もらって…」
「 ………」
  聞き取りにくいだろう小声に集中しているかのような光一郎の視線が痛かったが、友之は身体を縮こませながら尚も必死に続けた。
「 場所だけ教えてもらえれば一人でも来られたのに…ごめんなさい」
「 別にいいよ」
「 でも…大学…」
「 別にいい」
「 ……でも」
「 何」
  すかさず訊いてくる光一郎に友之はまた泣きそうになった。怖い光一郎。おかしい、こちらの世界の光一郎は友之とは他人だから、表面的にはあの優しい穏やかな口調で接してくれていたはずだ。表面的な優しさが良いだなんて決して思わないけれど、それでもこの態度は明らかにおかしいと思った。少なくとも昨日のそれとはまるで違う。すると光一郎はそんな「誰にでも優しい態度」すら出せない程に怒っているという事なのか。我がままで勝手な友之の言動にいい加減「キレて」いるのだ。だからこんな風に乱暴でキツイ態度を取ってくるのか。
「 ごめんなさ…」
「 だから謝るのやめろ」
「 ………」
  謝る事しかできないからそうしているわけだが、しかしその態度は傍の光一郎の機嫌をますます悪くしているようだった。友之はもう出す言葉すら見つけられず、潤んだ目を隠すように横を向いた。
  ごとごとと走るバスは停留所に着いては人々を降ろし、また乗せては走り出す。何度かその人の波に押し流されそうになりながら、それでもそれはこの時の友之にとって何となく気の紛れる一瞬ではあった。
「 友之」
  けれどそれに流されるままに光一郎から離れて更に後ろの席へ向かっていきそうになった友之を。
「 しっかり掴まってろ」
「 あ…」
  光一郎はぐいと友之のその小さな身体をごと自分の懐に引き寄せた。まるで抱き寄せられるかのようなその格好に友之は慌てて持っている物を全部足元に落としそうになったが、当の光一郎はただ憮然としていた。
「 ……降りる所、逃しそうだろ。離れてたら」
  そして光一郎はそう言った。光一郎に抱かれた肩越しに友之がそっとその顔を見上げると、相手は困ったように何事か言い淀んだようになっていた。
「 ……ごめん」
  そしてその一拍後、今度は光一郎が謝った。友之が「え」と小さく呟くと、光一郎は友之の肩口を掴む手に力を込めた後自棄になったような声で言った。
「 八つ当たりだ…。昨日から無性にイライラしちまって…。お前が…」
「 え……」
「 ……何処へ行こうって言うんだ?」
「 コウ…?」
「 ………」
  問い返しても光一郎は応えなかった。ただ揺れるバスの中、しっかりと友之を抱いて支えていた。
「 僕は……」
  友之は言いかけてその口を閉じた。自分とてどうなるかなど分からない。ただ何となくそこへ行けば「帰れる」ような気がしているから。ただ何となく。だから自分が何処へ行くかなど分からない。
  ただ分かっているのは、自分はこの世界の住人ではないという事だけ。
  本当は怖いのだ。
「 ………」
  不意に堪らなくなって友之はぎゅっと光一郎にしがみついた。それによって光一郎の身体が微かに動いたけれど、友之はそれに気づかないフリをして黙って顔を寄せた。気持ち悪がられて離れられるのが嫌だったから、何も知らないフリをして身体を預けた。
  その時片方の手に持っていたシオンの鉢植えが一緒に揺らぎ、ビニール袋の刷れる音がガサリと聞こえた。



To be continued…



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