(20) まだ眠い。 「 ………」 少しだけ身じろいで頭の奥の奥の奥の方で友之はぼんやりとそう思った。瞼も重くて開けない。それに身体もひどくだるくて動くのが億劫だった。まだ寝ていても良いだろうか、きっと平気だろう。目を閉じたままでも外がまだ暗いのは何となく分かるし、そもそも眠りに落ちたのはいつだっただろうか。きっとついさっきだ。そんな気がする。 「 眠い…」 だから誰に向けてでもなく、まるで言い訳のような口調で友之はうわ言のようにそう呟いた。その後シーツの上にへばりつかせていた指先だけをぴくりと動かす。これだけやるのも一苦労だ。やはりまだ寝ていて良いのだ。友之は一人で勝手にそう思い納得すると、もう一度「眠い」とぼやいた。 「 寝てろ」 するとすぐ横からくぐもったそんな声が掛かった。同時に身体に掛けられていた布団がぶわりと持ち上がり、外から冷たい空気が入り込んできて、友之は小さく驚きの息を漏らした。 「 あっ…」 自分には寝ていろと言ったのに、隣にいた声の主…光一郎が起き上がったのが分かった。 「 コウ…」 慌てて目を開きすぐに首を横へやると、薄暗い部屋の中で光一郎の背中だけがはっきりと見えた。広くてがっしりとした大好きなその背中は、自分の貧相な身体とはまるで違うと友之は思う。肩甲骨の綺麗に浮き出た、程よく筋肉のついた均整の取れた美しい身体。それがすぐ傍にある。 「 こ…」 けれど友之は呼びかけてぴたりと口を噤んだ。 後ろ姿とはいえ、光一郎の裸を見るのは珍しい事だった。友之自身はこういう時大抵裸で、実際今も何も身に着けてはいないのだけれど、光一郎は違う。いつも友之より後に寝て先に起き、気づいた時には常にきちんとした格好をしていてだらしないところが一切ない。それは共に身体を重ねた昨夜のような時でさえそうなのだ。光一郎はいつでも自分ばかりが先に明るい日常に戻り、平然としていた。 それが、今は。 「 ………」 徐々にはっきりとしてくる意識を奮い立たせ、友之は光一郎の背中を見つめながら自らも上体を起こそうと身体を動かした。 「 いっ…!」 「 トモ」 身体の痛みに友之が呻くと、光一郎がはっとしたようになって振り返ってきた。 「 ひ、ぅ…」 けれど友之はそんな光一郎の顔は見れず、がっくりと片肘をシーツにつけ項垂れた。こんなに動けなくなっているとは、友之は自身でもこの時まではっきりと自覚していなかった。 「 …無理するな。今日は寝てろ」 その友之を光一郎は囁くような声でたしなめると、強引に布団を被せ直し、分かったなというようにぽんぽんと軽く叩いた。それはいつもの兄…友之の保護者の仕草だったが、一方でひどく途惑った「らしくない表情」も見せていた。 「 コウ…」 「 寝てろ。まだ…早い」 ちらと背後の壁掛け時計に目をやり、光一郎はもう一度友之の上に掛けた布団を埃でも取るようにして叩いた。そうして自分からじっと視線を逸らさない友之に気づくと、実に気まずそうな顔をして「そんな見るな」と抗議の声を上げた。 けれど友之としては気が気ではない。無理やり布団の中に押し込められた片手を光一郎に差し出すと、甘えるように言った。 「 出掛けるの?」 「 出掛けない」 「 でも…」 一人だけ起き上がろうとしているじゃないかと言おうとして、けれど友之はすぐに出した手を掴まれながらその唇を塞がれてしまった。 それは昨夜、帰宅してからと全く変わらない強引さでいきなり行われた。 「 ん…! ん、んっ…」 鼻からしか呼吸が出来ず、顎を突き出すようにして「苦しい」と訴えるように眉をひそめたが、光一郎は角度を変え繰り返すその口付けをなかなかやめてくれなかった。友之の頬を撫で、そこから流れるような所作で髪の毛をかきまぜ、それに指を絡める。小さな友之の顔は頭のてっぺんから丸ごと光一郎によって捕らえられたようだった。先刻の気だるさとは全く別の意味で身動きが取れない。友之はただ光一郎からのキスを受け入れ、相手の気が済むまでじっと待たなければならなかった。 昨夜…と、いうよりも眠りに落ちるつい先刻までとて、こうしてずっと身体を縛られ続けていたというのに。 「 まっ…。んぅっ」 「 ………」 一瞬離されたその隙に友之が微かに言葉らしきものを零すと、光一郎はここでようやく動きを止めた。じっと伺い見るようなその双眸は薄闇の中淡く光って綺麗だったが、こういう時の光一郎は何を考えているのか今イチ分からないので友之にとっては少し怖かった。 それでもその眼を見つめながら友之はようやく戦慄く唇を動かした。 「 ま、また…」 「 ん……」 「 また、するの…?」 「 ………」 「 コウ兄…?」 「 あー……。最悪」 「 え…」 「 悪い…」 悲嘆するような声を漏らし、光一郎は不意に我に返ったようになって友之から距離を取った。そして再び友之に背中を見せ、改めてベッドの端に腰を下ろすとぐしゃりと髪の毛をかきむしる。 「 コウ…」 友之はそんな光一郎の様子が心配で自分は何か悪い事を言ってしまったのだろうか、もしや拒絶していると勘違いされたのだろうかと思い切り狼狽した。 「 トモ」 けれど振り返る事なく光一郎が言った。 「 お前は何も悪くない。……そういう顔するな」 「 え」 背中を向けているから友之の顔など見えないはずなのに、光一郎はそう言った。 そして。 「 どうかしてんな俺は…。猿かよ…」 ぽつりと呟いたその声がひどく毒の篭ったもので、友之は中途半端に身体を浮かした状態でびくりと震えた。その少しの震動で自分の身体、特に下半身は情けない悲鳴を上げたのだが、それはぐっと唇を噛んで耐えた。昨夜の激しいセックスのせいで身体がだるいなどと言ったら光一郎にまたいらぬ心配を掛けると思ったし、そもそも友之自身「その事」はとても嬉しかったのだから変に誤解されたくはなかった。 2人だけのアパートに戻ってきてすぐ、光一郎は一時も離さず友之の事を抱き続けた。 「 今日…一緒に…い、る…?」 「 ………」 沈黙が嫌だった。だから先刻も確かめたばかりなのに友之はこちらを見ない光一郎にもう一度訊いた。じくじくと疼く身体を必死に抑え、無理に両の手のひらをベッドにつけて起き上がり、友之は前傾姿勢のまま訴えるように続けた。 「 今日は…」 「 いるって言っただろ」 「 ……うん」 「 友之」 ハアと深く息を吐いてから、光一郎はようやく振り返った。何とも言えない複雑な表情が友之の視界に映った。しかしそれでさっと表情を翳らすと、光一郎はすぐにそんな友之の身体を引き寄せ自らの胸に掻き抱くと、すぐさまその額に唇を当ててきた。 「 あ…」 「 友之」 ぐっと抱きしめる腕に力を込め、光一郎は言った。 「 ごめんな…。キツイ言い方した」 「 う、ううん…っ」 「 自制利かない自分にムカついてお前に八つ当たりしてちゃ終わりだな。本当…悪い」 「 コウは悪っ…悪く、ないよ…」 「 ………」 「 悪くない…っ」 自らを卑下するように言う光一郎に慌てて、友之は激しくかぶりを振った。きつく抱きしめられ身体の自由は効かなかったが、それでも何とか顔を上げ訴えるような必死な目を向けた。 「 本当に…」 「 え?」 すると光一郎は大きく息を吐いた後、安堵するように呟いた。 「 お前は…友之だ。俺の…」 「 コウ…んっ」 光一郎は何か言いかけた友之をまたその唇で塞いだ。本気で反省しているのかいないのか、光一郎はまるで今までの抑圧していた自分を一気に噴出させてしまったかのように、その後も友之を抱きしめ深いキスをし続けた。 友之が「あちらの世界」で過ごした1週間という時間は、実際本来の「こちらの世界」では僅か半日程のものだったらしい。 母の墓石へ向かう途中で突然倒れた友之。その事に気づいた光一郎は「頭の中が一瞬真っ白になった」らしいのだが、実際当の友之はその後すぐに起き上がって「大丈夫だから」と答えたのだと言う。 「 ふらついてたけどな…。俺を見て、ただぼうっと『大丈夫』って言うだけだったんだ、お前は」 「 ………」 そんな事を言った記憶は友之には一切なかった。その後、傍を通りかかった近所の寺の住職が休息する場所を貸してくれた事も、そもそもそこまで歩いて行った記憶も、友之にはまるでなかった。住職が呼んでくれた老齢の医師から「ただの貧血だろう」とぞんざいな診断を受けた記憶も。 「 眠ったりふっと意識戻したりの繰り返しで…うつらうつらしてて…何処の世界行ってるんだって思ってた」 光一郎はそう言った後ひどく憔悴した様子で「あの時のお前は完全におかしかった」と言い、同時に「けど俺もお前と同じくらいおかしい状態だった」と随分と途惑った挙句そう付け加えた。そしてすぐに居た堪れなくなったように首を振ると、「行くか」と言って立ち上がった。 住職に礼を言って寺を出た後、友之と光一郎は再び墓地に戻って改めて母の墓を参った。 そこへ行くまでの間、友之も自身が倒れた石畳の道を確認するようゆっくり歩きながら、ぽつぽつと自分が見てきたものの話を光一郎にした。何をどう話して良いか分からなかったし、元々口下手な友之にうまい説明など出来ようはずもなかったが、ただ眠っていたのとは違う、たくさんのものを「見た」事だけはどうしても伝えたかった。 「 分かってる」 友之の話にひとしきり耳を傾けた後、光一郎はそう言った。 自分たちが今立つこの世界とは別の、もう1つの世界。その事を友之はうまく説明出来たとは思わなかった。それでも光一郎は「分かっている」と、そう言った。 そして。 「 俺も見た」 「 え…?」 「 俺もお母さんを見た。呆れる程元気な…夢みたいな」 「 コウ兄…」 「 ………」 ただ前を見つめ歩き続ける光一郎は、友之の物問いた気な視線には知らないフリを決め込んでいた。その代わり友之がその後たどたどしくも延々と紡ぐ「違う世界の光一郎」や「違う世界の修司」、それに「違う世界の友之」の話は辛抱強く聞いていた。そうして恐らくは大勢が言うだろうその「信じ難い体験」を否定も肯定もせず、最後にはただ「そうか」とだけ言った。 母の墓前に着くと、そこには落としたきりすっかり忘れていたシオンの花が捧げられていた。 「 どうして…?」 「 ……さあな」 友之の驚き掠れた声に光一郎は素っ気無く答えた。そして不快な気持ちを振り払うように大きく息を吐き出した後、「まったく酷い」と言った。 「 確かに満足に墓参りもしないで親不孝な息子だったよ。けど、こんな目に遭わせなくてもいいだろ?」 「 コウ…?」 珍しく愚痴めいたその口調に友之が驚いて目を見張ると、それでますます勢いがついたのか、光一郎は更に声を荒げ続けた。 「 確かに向こうの世界?ってやつで、お母さんから親父との再婚後悔してないみたいな話聞けて、そりゃあほっとしたさ。胸のつかえが取れたみたいだった。けどな…それとこれとは別だ。お前に『光一郎さん』なんて、他人みたいな反応されて…ッ」 「 え?」 「 そう言われた俺の気持ちも察しろ!」 「 ………」 ぽかんとして友之が固まっていると、母の墓石に向かっていた光一郎はそれで途端はっとなり、慌てて開いていた口を閉ざした。 そして決まり悪そうに言う。 「 お前だって…怖かっただろ」 「 うん…」 それはそうだ。友之は混乱し泣き出しそうになっていたあの時の自分を思い出し、素直に深く頷いた。 「 ……でも」 けれどそれと同時にすぐ胸を過ぎったもう1つの想いを、友之は迷う事なく口にした。すっと目をやった先、墓石の前に横たわっているシオンの花がその時ふわりと揺れたように見えた。 「 でも母さんに、会えたから」 「 ……そうか」 「 うん」 優しく自分の頭を撫でてくれる光一郎の手を心地良く感じながら、友之は少しだけ笑って見せた。そうしてその後もう1度墓石に向き直り、両手を合わせじっと目を瞑った。特には何も考えなかった。この石の前で語れる何かを友之は持っていなかった。 けれど母は言っていた。いつでも友之の声は聞こえていると。 「 お母さん…」 だから友之にはもう分かっていた。無理にここで何かを話そうとしなくとも、たとえ自身で意識していない時でも。 自分と母は繋がっているし、共に過ごした思い出は決して記憶の彼方に消し去られる事はない。 シオンの花が、母が見せた幻影か。或いはあの世界そのものがこちらの世界の友之を呼んだのか…いずれにしろあれが夢でない事だけは確かなのだ。友之にとってあれは紛れもない現実であり、たとえこちらの世界があちらの世界での時間を全て否定していたとしても、友之はあそこで見たもの感じた事を忘れる事はできないだろうと思った。 それも母や自分自身と向き合えた大切な思い出となったのだから。 その週の土曜日。 友之も大分落ち着いた状態となった頃、旅に出たきり姿を消していた修司がひょっこりと姿を現した。 「 トモ〜! 会いたかった〜!」 「 修っ…!?」 その日友之は週末恒例のチーム練習を終えたばかりで、丁度数馬と河川敷を上がって家路に向かうところだった。突然目の前に現れた修司は持っていた物を全てその場に投げ捨てると、そのままの勢いで友之に激しく抱きついてきた。その為友之は声を出すより前に息を詰まら咳込んでしまった。 「 あーあ、まったく毎回よくやるよなあ」 友之の後ろを歩いていた数馬は修司にがんじがらめにされている友之を冷めた目で見つめた後、荷物の入ったバッグを肩に担ぎ直して大袈裟にため息をついた。それでも数馬は中原とはまた別の意味でこの行動不明な先輩をそれなりには買っていたから、暫くは黙ってその現状を見守っていた。 「 しゅ…修兄、苦しいよ…っ」 「 ええ? もう離れなくちゃ駄目?」 「 だって…」 「 折角トモに会えたのに。久しぶりなんだからもう少しこの感触をさ」 「 く…苦し…っ」 「 はいはい、もうおしまい!」 情けない悲鳴に同情したのか、数馬が子どもをあやすような口調と共に修司の手を友之の背中からべりりと剥がした。修司はそれで「何だよ」とわざとらしく唇を突き出し不服そうな顔をしたのだが、すぐにいつもの飄々とした笑顔に戻ると辺りを見回しつつ言った。 「 おっと、それにしても今日は珍しくトモの近くに正人君がいないよ。ガードマン、数馬1人しかいないじゃん。こりゃ攫うチャンスか?」 「 駄目」 「 ええ?」 「 だから。駄目ですって、攫ったら」 まるで動じた風もなくきっぱりと「友之連れ去り禁止令」を掲げた数馬に、修司は最初しらっとした思いで見つめていたが、やがて苦い笑いを浮かべるとゆっくりと首を振った。 「 勘弁しろよ数馬。俺、久しぶりに帰ってきてやっと可愛いトモに会えたんだぜ。お前はいつも遊んでるでしょ。今日くらい貸してくれたっていいんじゃない?」 「 何言ってんですか。勝手に蒸発してるくせに。裕子さんと遊んであげなよ」 「 ええ…」 「 ええって。あんたら付き合ってんでしょ」 数馬は意地の悪い目を向けた後、ばんばんと乱暴に友之の背中を叩いて言った。 「 あのねえ、ボクは今日仕事で欠席の中原先輩の代わりに、この人の事をおうちまで送る使命があるの。ついでにゴハンも食べて行くけど」 「 アパート寄ったけど光一郎いなかったぜ」 「 光一郎さんは今日遅いんです。ね?」 友之が数馬の言葉に頷くと、修司は「そうかあ」と言った後、何事か考えこむような顔をした。 それには構わず数馬が続ける。 「 言っておくけどボクにそれしろって言ったの、光一郎さんだから。あの人最近おかしいんですよ。ただでさえ尋常じゃなかったトモ君に対する過保護熱が最近じゃより異常に高まっちゃってて。自分が迎えに行けない時はこうやって違う人間に頼むの」 「 はあ?」 「 だから。コイツの事ちゃんと家まで無事送り届けてくれって」 「 へえ…何それ。トモ、俺がいない間に誘拐でもされそうになったのか?」 「 え…」 「 あ、ボクもそれ思った。荒城さんみたいな変なナンパさんに無理やり車に押し込まれてどうにかされそうになったところを奇跡の救出! それ以来、光一郎お兄さんは異様な心配性になっちゃったとさ。とか。そういうんじゃない?」 「 俺みたいなって何だよ。俺は無理やりなんかしなくても…なあトモ?」 「 え…」 「 ……そのエロ親父みたいな言い方やめてくれません?」 その後も延々とくだらない言い合いをしている2人を訳も分からず見つめながら、やがて友之は先刻修司がその場に投げ捨てたカバンを目にして「あ」と呟いた。 「 ん?」 それに素早い反応を返したのはその持ち主の修司だ。自分もそちらへ視線をやると、にっこりと笑う。 「 トモ、今回もな、色々撮ってきたから。後で見せてやるな」 「 うん」 「 俺さあ、今回は何かすっげえ不思議ワールド旅してきたから」 「 え」 「 ははっ、何ですかそれ。異世界にでも行ってきた?」 「 ある意味」 「 修兄…」 「 ちょっとトモ君、キミ信じてんの? はっ、可愛がられるわけだ」 「 バ数馬。マジだって」 中原と同じ呼び名を使用した後、修司はしかし割と真面目な顔をして腕組などをしてみせた。そうしてその時のことを思い出すかのように首を捻り、珍しく神妙な口調を発した。 「 まあシャッター切る時は稀に気分高まっておかしくなる時あるけどな。それにしても気味悪かったぜ。こうさ、レンズ越しに覗いてた時…遠くの方にいんの」 「 いるって。何がです?」 「 俺」 「 は?」 「 だから。俺だよ俺」 「 はあ?」 何も発せない友之に対し、数馬はすぐに素っ頓狂な声を上げて思いきり眉間に皺を寄せた。 「 ちょっと何それ。フツーに言われても何か怖いんですけど。そういう頭おかしいっぽい事言う荒城さんが怖い」 「 数馬。お前ほんっとに口悪いな。トモと同じ年なんて嘘だろ」 「 ボクは正直なだけですよ」 ねえトモ君、キミどう思うよ? と、数馬はすかさず隣で茫然としている友之に返答を促した。友之は何となくうろたえながらそんな数馬を見やり、その後恐る恐る修司の事も見上げた。当人は相変わらず平然と何でもないという顔をしている。それでも「気味が悪かった」と言っているのだから、さすがに修司自身も驚いたのだろう。 「自分以外の自分」と相対した事。 「 な…何か…」 「 ん?」 「 話した、の?」 「 ちょっとトモ君。そんな質問?」 「 ………」 数馬の呆れ顔を見ないようにして友之は修司だけを見つめた。修司は自分が言った事のくせに、この話題に乗った友之を奇異な目で見つめると、微かに唇に笑みを浮かべた。 そしてゆっくりと首を振った。 「 んーん。見たってだけ。何かさ、すっげ荒んでる感じだったから声なんか掛けられないよ。我ながらダークな奴だった。<愛を知らない俺>って感じ」 「 ………」 「 ホント分からないね、荒城さんの話は。いつも」 数馬は偉そうに両手を腰に当てた後、しかし仕方がないなと言う風になって理解しきれていないような友之の為に補足した。 「 荒城さんっていつもトモ君や光一郎さんの前では笑ってるけど、基本はそれに近いですよ。普段隠してる自分を見ちゃったんじゃないの。そんな荒城さん、別に珍しくも何ともないし。フレーム越しに本来の自分見ちゃったってところでしょ。自分探しの旅に出てればそんなのもよくある事じゃないのかな」 「 ……あーあ。数馬如きに分析されちゃったよ」 「 どうも」 誉めてねえよ、と、修司は今度こそ思い切り苦笑しながら数馬の足を軽く蹴ってきた。数馬はそれを甘んじて受けてから、もう一度隣にいる友之の顔を覗きこんだ。依然として動きがない。修司の話に翻弄されてしまい、会話のテンポについていけていない事は明白だった。 「 あのねトモ君…」 しかし数馬が再び叱咤の台詞を吐こうとした瞬間、友之はすっと顔を上げた。どことなく頬を上気させ、思いきったように口を切る。 「 あの、僕も…見たんだ」 「 え?」 修司が笑いながら聞き返すと、友之は焦ったように俯いたが、今更黙る気はないのか先を続けた。 「 だから…僕も、自分のこと…」 「 ……へえ」 「 へえって」 修司の間の抜けた返答に数馬がバカにするような顔を見せたが、今度は友之はそんな友人をきっと見やると強い調子で言った。 「 本当だよ。数馬、絶対信じないと思ったから…言わなかったけど…っ」 「 ………」 「 あっ。だ、それに、コウ兄も、人に言うなって」 すうっと眼の据わった数馬が怖かったのだろう、言い訳のように友之が早口で言うと、修司は面白いものを見るような目で言った。 「 それでトモが見たもう一人のトモってどんなの? やっぱ俺みたいに怖い系?」 「 トモ君の逆バージョンなら、お喋りのネアカ人間じゃない」 すぐに立ち直った数馬があっさりと言う。友之はそんな2人を見やりながら、すぐに嬉々として答えた。 「 凄く、良い人なんだっ。優しい感じで…!」 「 ………」 「 ………」 「 あ…」 一斉に黙り込む2人に友之ははっとして再び口を閉ざした。 ざわざわとした風に吹かれ、河川敷も揺れていた。今日も日が暮れて行く。 「 ねえ」 そんな風の音だけの中、しんとした沈黙を破って不意に声を上げたのは数馬だった。 「 トモ君。自分のことそうやって誉めるんだね。まあいいけど。結構恥ずかしくない」 「 ………」 「 こらこら。トモを苛めるんじゃない」 修司がぐいと友之を引き寄せて自分の懐へ仕舞いこんだ。そうしてよしよしと小さな子をあやすようにして友之の頭を撫でる。 「 そっかそっか。トモはどこのトモでもやっぱそういうコなんだ。俺も見たかった」 「 だ、だって…っ。本当に…」 「 うんうん。じゃ、その楽しい話は帰ってから聞かせて? 寒くなってきたから帰ろう? このバ数馬置いて」 「 何言ってんのさ。ボクだって行くから。そのヘンな話、ちゃんと聞かないと気になってしょーがないよ」 「 ちなみにお前なんかが2人もいたら大変だろうな」 「 何言ってんですか。ボクはボクです。そんなもう一人のボクなんていないから」 数馬は修司の言葉を切り捨てるようにした後、友之が傍に落としたボストンバッグを自分の分と一緒にひょいと持ち上げた。それからもう一度くるりと河川敷グラウンドを見下ろした後、「まったくもう…」と2人に見えないところで呟いた。 「 ………」 だからというわけでもないが、友之も数馬のその視線の先を追うように何気なく遠くの景色に目をやった。もうグラウンドには誰もいない。あの友之もいつもこうして週末1人ここからの景色を見ていたのだろうか、今はどうしているのだろうと思った。 「 トモ、どうした?」 「 あ、何でも…」 不思議そうに訊いてくる修司に友之はかぶりを振った。それから遠慮がちに修司の拘束から逃れ、数馬からバッグを受け取る。そうして友之は2人より先に歩き始めた。 「 ………」 先に歩く自分の背中はとても温かかった。修司と数馬がいるし、他にも自分のことを見ていてくれる人がいる事を知っていたから。 それに。 「 コウ兄、帰り遅いけど、夕ご飯作っておいてくれてるんだ」 「 おっ、さすがコウ君〜」 「 でもどうせトモ君のだけでしょ」 数馬の憎まれ口を聞きながら、けれど友之はこっそりと笑った。 そうなのだ。 前を歩いていても、更にそんな自分の前には立ち止まって待っていてくれる光一郎の姿がある。何処へいてもそれを感じる。それは母が言ってくれたあの言葉と同じもので、今は特にその意味がよく分かると友之は思った。だから今、友之は心から安心してその確かな道のりを歩く事ができるのだった。 それは決して迷う事のない家路だった。 |
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