(4) 特別悪い事をしたわけではない。後ろめたいところもなかった。 「 ご、ごめんなさい…!」 「 友之君?」 けれど友之は光一郎に謝ると、逃げるようにして店の外へ飛び出した。今日1日あれほど会いたいと思っていたはずであるのに、どことなくよそよそしい態度の光一郎を見た瞬間、頭の中がただもう真っ白になってしまったのだ。 だから咄嗟に口をついて出た謝罪の言葉は、前方不注意から光一郎にぶつかってしまった事を指したものではない。今のこの状況から逃れようと殆ど無意識のうちについて出た、まるで考えのないただの音だった。 「 ちょっと待って友之君」 「 あ…っ」 しかし光一郎はそんな友之の腕を素早く捕まえた。そうして人の通りを避けるように道の端へと引っ張って行き、半ば怯えた風の友之を落ち着かせるような声色で言った。 「 そんな逃げる事ないだろ。どうして謝るの?」 「 ………」 「 正人たちと一緒だったんだろ? 別に居酒屋にいたくらいで怒ったりしないよ」 「 ………」 何も答えられなかった。 こんな風に喋る光一郎は最早自分の知っている光一郎ではない。完全に他所の人だ。違う世界の違う北川光一郎だと思った。 友之は唇を引き結んだまま、光一郎に掴まれじんと痛んだ手首にただ目を落とした。 「 コウ」 「 コウちゃん」 するとすぐに店を出てきた中原と裕子が心配そうに声を掛けてきた。 「 大丈夫か」 「 あぁ俺は…別に大丈夫なんだけど」 問いかける中原に光一郎が途惑った風に答える。その声すら今の友之の耳には痛かった。不思議だった。ここにいる光一郎も裕子もそして中原とて、友之にとってはよく見知っている、心から安心して一緒にいられる人たちだ。それなのにそんな彼らに囲まれているこの状況が今の友之には信じられない程に息苦しく不安だった。 居た堪れなかった。 「 ねえ友之君。ここに来たの、コウちゃんに会いたかったからじゃないの?」 その時、裕子がどことなく慰めるような口調で友之にそう言った。友之が弾かれたように顔を上げると、裕子はいつもの優しい笑みを向けて続けた。 「 ね? だってそうじゃなかったらこんなおっかない正人なんかと一緒に来たりしないでしょう。何か話があったんじゃないの? そうでしょ?」 「 おっかないってなぁ、何だよ」 「 あんたは黙ってて!」 「 そうなの? 友之君」 裕子の発言を受けて光一郎も訊いてきた。それはまるで小さな子どもに対するような態度だった。それで友之はまたしてもさっと表情が翳ってしまったのだが、それを吹き飛ばすように今度は中原が縮こまる友之の背中をバシリと叩いた。 「 オラ、何か言えって。気に食わねえけど裕子の言う通りだろ。お前、俺がコウと会うって聞いたから自分も行くって言ったんじゃねえかよ。思った事は言っとかねえと損だぞ。お前、もしかしてあれじゃねえの? 親の再婚話とかに反対なんじゃねえの?」 「 え……」 言われた事の意味が分からず友之が怪訝な顔をすると、見つめられた中原は憮然とした顔をした。 「 違うのか? けど、親の都合で損するのはガキのお前なんだし。俺は気になる事はきちっと言っといた方がいいと思うぜ。コウに言っときゃ、あの親父にも話が通るだろうしな」 「 俺かよ…」 中原のその台詞で今度は光一郎が途端むっとした顔を見せた。それで友之の心臓は思い切り飛び出そうになってしまったのだが、ここにいる誰もその事には気づかなかった。 「 お前しかいねーだろ」 中原が言った。どうやら彼は友之が光一郎に会いたがっている理由を何か別の事と勘違いしているようだった。自分の事で光一郎を怒らせてしまったかもしれないと怯えている友之には構わず、中原はまるで「俺は何もかも分かっている」という風な態度で腕組まですると、幼馴染の親友に諭したような言い方をした。 「 まあウザイのは分かるがよ、ちゃんと聞いてやれよ。こいつ、もしかしてあの家に住む事になるかもしれないんだろ」 「 ……だから?」 光一郎は一拍空けてそう答えた後、おもむろにガツンと靴先で地面を蹴った。イラついているようだった。 そんな光一郎に向かって声を出したのは、今度は裕子だ。 「 コウちゃん、そんなあからさまに嫌そうな顔しないでよ。友之君がかわいそうでしょ」 「 ………」 「 私からも夕実にはよく言っておくけど。けどねえ、耐性ない人には、あれは結構効くよ?」 「 ああ…。分かってる」 何を分かっているというのだろう。 友之はただ何も言えず、どうする事もできず、3人のやりとりを茫然と眺めている事しかできなかった。唯一何か出来るとしたら、絶えずズキズキと疼くこの胸を片手でそっと抑える事くらいで。 「 ねえ」 すると、突然4人に向けそう割って入ってきた声があった。その場にいた全員が皆一様に驚いてその相手を仰ぎ見る。 いつの間に店先に出てきていたのだろう、修司だった。 「 何してんの」 「 何してるってなぁ…」 相変わらず何を考えているか分からないような顔で1人蚊帳の外状態の修司を中原は実に鬱陶しそうに見やった。裕子もこの時ばかりは中原と同じ気持ちなのか、「アンタは1人で飲んでなさいって!」と邪魔な虫でも払うかのように飄々としている恋人を片手でしっしと追い払う仕草までして見せる。 「 コウ」 けれど修司はそんな中原たちの事などやはり全くお構いなしで、ただ光一郎にだけ視線をやり、そして笑った。 「 早く飲も」 それは中原や裕子は勿論、光一郎の傍にいる友之の事もまるで見えていないというような態度だった。 「 ああ…」 けれど光一郎の方はそう言った修司に曖昧な返事をした後、再び傍の友之に目を戻した。さすがに自分に会いに来た「らしい」友之を置いてさっさと友人らと飲もうという気にはなれないらしい。当の友之の方は光一郎に意識を向けられた事でまた身体が硬くなり、ますます口がきけなくなってしまったのであるが。 この時は光一郎に視線を返す勇気も持ち合わせていなかった。 「 友之君」 そんな友之に光一郎が言った。 「 何か話があるなら今聞くよ?」 「 ………」 「 一応、親父にも話するけど。友之君が今回の話に反対なら」 「 ………」 「 その事でしょ? 俺に話があるとしたら」 「 ………」 「 友之君…」 光一郎が呆れたように嘆息するのが分かったが、友之としても何の事を言われているのか分からないから答えようがなかった。勿論分からないなら分からないなりに幾らでも返答のしようもあったのだろうが、やはりそんな事には頭が回らなかった。 友之が俯いたままだんまりを続けていると、再び苛立ったような中原の声が落ちてきた。 「 あのなあ、だから何なんだよお前は! ウジウジしてねえで何か言えって!」 「 ……っ」 「 びくついてんじゃねえっ。俺はただ言いたい事を言えと―」 「 正人煩い! あんたが怒鳴ると友之君怖がって話せないでしょ!」 これにキッとなって友之に助け舟を出してきたのはやはり裕子だ。今にも中原に殴りかからん勢いで「あんたはいつでもいちいち口挟み過ぎなのよ!」と怒鳴り声をあげている。 「 俺が何も言わなくても口きかねえじゃねーかよ、コイツは!」 「 そんな事ないっ。あんたのそのがなり声のせいで友之君話せないのよ!」 「 あんだと〜!?」 「 コウ、早く来いって」 「 修司も煩い! あんた、ホントに自分の事しか考えてないでしょ!?」 「 そうだ、テメエは引っ込んでろ!」 「 ……あのさ、お前ら」 その後も暫くぎゃーぎゃーと喚き立てる中原と裕子、それに我が道を行く勢いでひたすら光一郎にだけ声を掛ける修司に、遂にその光一郎が一言、ため息交じりの声で言った。 「 頼むからちょっと消えててくれ」 「 コウちゃん…」 「 けどお前、コイツと2人で会話できんのかよ?」 「 あ、それはできるわよね。だってこの間も会ったんでしょ…」 「 店入ってろって!」 いい加減にしろとばかりに光一郎が怒鳴った。 「 コ、コウちゃん…」 「 ……ちっ。分かったよ。行こうぜ」 「温和」というわけではないが、光一郎は滅多な事では人に怒鳴り散らしたりはしない。少なくとも友之が知っている「自分の世界」の光一郎はそうだ。それだけではない、普段は常に感情自体を表に出すという事がないから、こうやって彼が声を上げる事、ましてやそれが負のものだとなかなかに迫力がある。 それでさすがに中原と裕子の2人は素直にすごすごと店内に引き下がって行った。長い付き合いから、本当に自分たちがここにいるのはマズイと感じたのだろう。 「 修司」 ただ、1人だけはそれを良しとしなかった。 「 お前も行ってろよ」 光一郎がそれを見咎めて声を出すと、呼ばれたその人物―修司は素っ気無い調子で口を開いた。 「 お前、その子どうするの」 「 どうするって?」 あからさまに不快そうな顔を向ける光一郎を、修司は今度は嘲笑うような顔をして軽く顎を上げた。 「 この後。お前、『送って行ってあげようか?』…とか訊くだろ」 「 お前がしたいのか」 「 はぐらかすな。何だかねえ…どうでもいいけど、罪な事すんなよ」 「 修司!」 「 全然似てないぜ。友之クンは、お前と」 「 ………」 一連の動きにただ傍観者を決め込んでいた友之は、この時強く思った。 この世界の修司はひどく怖い。 光一郎に向けて放たれた修司の声は限りなく冷たかった。それが本当に光一郎に向けてのものなのか、それともここにいて2人の団欒を邪魔してしまっている自分に対してのものなのか…友之には今ひとつ計る事が出来なかった。普通ならば修司が光一郎に酷い態度など取るはずもないから、素直に捉えればやはりこれは自分に向けられたものだと考えるのが自然だろうと、頭では分かっていた。 けれどそう思う一方で友之は、今の修司が発しているこの意地の悪い笑みや態度は、もしかすると自分ではない何処か全く違う方向を向いているのではないかと思った。 それが何処なのかは、何なのかは、勿論分からなかったのだけれど。 友之はただ力なく光一郎と修司の顔とを交互に見比べた。 「 お前に何が分かる」 光一郎が言った。 「 お前は何でもすぐ分かった風に言うけどな。本当時々むかつくんだよ、そういう態度は」 「 ワザとやってるって言ったら?」 「 いいから行けよ」 「 お前はどうするの」 「 知らねえよ!」 「 はっ…。分かったよ」 肩を竦めて修司が笑った。そうして「正人君と仲良く飲むよ」と、わざとらしい台詞を吐いて、後はもう振り返る事なくそのまま店の方へ入って行ってしまった。 そして修司は遂に友之には一言も声を掛けなかった。 「 ……ごめんね、何か」 「 え…?」 「 ………」 機械的に問い返したが光一郎からの返答はなかった。ただやがて、「あいつは頭がおかしいんだよ」と、親友に対してあんまりな感想を光一郎はぽつりと漏らした。 「 それで。話があるんだよね。聞くよ」 「 あの…」 「 ん…」 「 修に…あ…あの、あの人…怒ってた…けど…」 「 え?」 ぼそぼそと言った友之のその言葉に、光一郎はひどく驚いた顔をして見せた。そうして改めて友之に向き直ると、心底不思議そうな声で問い返してきた。 「 どうしてそう思う?」 「 え…」 「 あいつ、笑っていただろ。怒ってたって…思うの?」 「 あ…」 オドオドとしつつも何とかこくりと頷くと、光一郎はそんな友之に苦い笑いを浮かべながら首をかしげた。 「 あいつのそういうのが分かるなんて凄いね。正人でも分からないのに」 「 ………」 「 まあ。あんまり気にしないでいいよ」 黙り込む友之には視線を向けず、光一郎は修司が去っていった店先に視線を向けてそう言った。何事か考え込んでいるようなその横顔は友之の不安をより一層煽った。 光一郎はそれに気づいていなかったが。 「 あいつの喋る言葉に意味なんかないから」 そして立て続け、光一郎は友之の方は見ずにそう言った。だから友之が眉間に皺を寄せて顔を上げた事にも気づいてはいなかっただろう。 「 本当、全く意味ないんだ。だから友之君が変に気にしたりしなくていいんだよ」 「 ………」 「 いちいち気にしてたら疲れるしね」 「 ………」 「 人をイラつかせるのが好きなんだよ、あいつは…」 「 そんな事ない!」 「 え?」 「 あっ」 思わず口走った友之に光一郎が驚いた顔を見せた。それで友之もしまったと言う風に口を閉ざしたが、今更零れ出た言葉を拾う事は不可能だった。 「 ………っ」 気まずい沈黙が流れたがどうにもできない。友之はまたしてもさっと俯き、自分を見ているらしい光一郎の視線から逃れようと目を瞑った。 「 友之君、あいつと話した事なんかあったっけ」 すると光一郎が友之のその闇を遮断するようにそう問いかけてきた。 友之がさっと顔を上げると、その相手の所作が意外だったのか、光一郎は少しだけ困ったような顔になり、誤魔化すような笑顔を閃かせた。 「 …いや。あいつを悪く言うなって顔したし、庇うから」 「 ………」 「 違うの?」 「 ………」 「 ……まあいいけど。それで、話は?」 あまりに声を発しない友之にさすがの光一郎も辟易したような声を出した。友之の心はそれだけで震えたのだが、当然相手には伝わらない。光一郎が自分の事を持て余し疲弊しているのが分かる。その事が悲しい、苦しい、寂しい。けれどその事を相手に知ってもらう手段を、今の友之は持ち得なかった。 「 ……ないなら俺ももう行くけど」 そして光一郎は遂に素っ気無くそう言った。その台詞の後も暫くは相手の反応を伺いその場に佇んでいたが、いよいよ何も返ってこないと知ると、光一郎はさっと友之に背を向けた。 「 ………」 それでも友之は光一郎に声を掛ける事ができなかった。何を言って良いか分からなかったし、何も言いたくなかった。この光一郎は自分が探し求めていた兄の光一郎ではない。自分の大好きな光一郎ではない。全くの別人だ。それは修司にしてもそうで、自分たち3人の間に確かにあると感じられたあの絆のようなものは微塵もない。むしろ乾いていて空虚で、近くにいても距離があって。 そんなものを感じているくらいなら、一緒にいない方がいいと思った。 「 …あ、ひとつだけ」 しかしその時、考え込んでいる友之に光一郎が立ち止まって振り返ってきた。 そして言った。 「 この間も言ったけど、俺は本当に親父と君のお母さんの再婚については何とも思っていないんだ。好きにしてくれていいと思ってる。俺はもうあの家を出ていて実質関係ないし、俺の残ってる部屋も荷物とか捨ててくれて君が使っていいんだ」 「 え…?」 「 妹の夕実もこの話には賛成しているみたいだし、親父はまあ…言うまでもないだろ。だから後は本当に友之君たちがどう思うかで、迷惑なら迷惑で断ってくれていいし、本当…嫌だったらきちんと言った方がいいよ。言いにくいなら俺から言ってもいいんだから」 「 どう…して?」 「 どうして…? 何が…?」 茫然と呟いたような友之に光一郎が苦笑気味に返してきた。何を言われているのか分からなかったのだろう。実際、声を発した友之の方とて意識して言葉を発したわけではなかったのだが。 「 嫌じゃないならそれでいいんだ。ただ、もしかすると断りづらいところがあるんじゃないかと思っただけ。それだけだよ」 「 ………」 「 それじゃあ」 「 あ、コウ兄…っ」 「 え?」 「 !!」 思わず発してしまったその呼び方に、友之はハッとなった後赤面した。 「 友之君…?」 光一郎も友之のその台詞に驚いたようになって目を見開いている。当然だろう。この世界の光一郎は友之の兄ではない。それどころか「この世界」の光一郎は今の友之にとって家族などとは比べ物にならないくらい遠い位置にいるような存在なのだ。そんな立場にいる人間が突然「ちょっと知り合い」というくらいの友之からそんな風に馴れ馴れしい呼び方をされて違和感を覚えないわけがない。 「 ……っ」 どうして良いか分からずにオロオロしている友之に、しかし光一郎がさっと近づいてきて言った。 「 それ。何か驚いたけど…」 「 ………」 「 俺の事そう呼ぶって事は…友之君は再婚の話には賛成なの?」 「 ………」 「 構わないよ? コウ兄?でも何でも。俺はいいんだけど」 「 ………」 「 友之君?」 「 ……あの」 「 ん?」 もう分かっている。分かっているけれど、不意に光一郎の空気が柔らかくなったような気がしたから、だから友之はその勢いにさっと乗るようにして顔を上げ、言った。 訊かずにはおれなかった。 「 コウ兄は僕が…っ」 「 え?」 「 分から、ない…?」 「 ……分からないって。何が?」 「 ………」 あっさり返されて友之は縋るような目を向けたままその場で硬直した。 当たり前なのに、もう分かってきた事なのに。そう返される事は予想できていた事なのに。 「 一体どうしたの友之君」 ああ、嫌だ。嫌だ嫌だと友之は思った。けれど耳を塞ぎたくとも身体が思うように動かなかった。 光一郎が自分とは赤の他人なのだと改めて知らされる事は、友之にとっては意識を失いたいくらいの絶望だった。どうやらこの世界では、母はこれからあの父と再婚する事になっているようだが、現時点では紛れもなく「そう」なのだ。 友之は光一郎とは何の接点もない他人。 「 ……あの」 じっとその場に立ち尽くす事で悲しみを押さえ込み、ようやくそれが通り過ぎたと思った時、友之は口を開いた。最初に発した言葉がもう一度口をついて出た。 「 あの…ごめんなさい」 「 友之君?」 「 何でもない…です。あの、帰ります…」 「 ……顔色悪いけど。本当に大丈夫?」 「 ………」 気遣う光一郎に友之は力なくも頷いて見せた。思えばこの兄は自分に対してはひどく厳しい口調を発したり威厳のある態度を取るけれど、他所の所謂「外面」はいつでもこんな感じだったなと思った。光一郎は誰にでも物腰が柔らかく、優しい態度を取る。本人は適当な態度だと卑下するが、傍から見て友之はそんな兄の人付き合いの良さをいつも尊敬していた。 しかし実際に自分がそういった第三者的立場から接せられると痛いほどに分かる。光一郎はあまり人に執着しないのだ。だからこそ却って当たり障りのない態度が取れる。 「 帰ります」 友之はもう一度、今度ははっきりと言った。いつ元の世界に戻れるのかは分からない。けれど、もうこの世界の光一郎とは一緒にいたくない、そう思った。 今度は自分から背を向けて友之はとぼとぼとあてもなく夜の道を歩き始めた。駅前に行けば交番がある。そこで自分の家の住所を聞こう。情けない話だけれどそうするしかもう手はないような気がした。 「 友之君」 しかしそんな友之の背中に光一郎の声が掛かった。振り返りたくなかったので足だけを止め次の声を待っていると、不意にがつりと肩先を掴まれて友之は驚き竦みあがった。 「 そんな怯えなくてもいいだろ」 またすぐ傍にまで来ていた光一郎が困ったような声で言った。 「 送って行くよ」 そうして光一郎はそう発した後、少しだけ顔をしかめた。親友の思い通りになってしまった事が悔しかったのかもしれなかった。 「 トモちゃん! こんな時間まで何処に行っていたの!」 家に帰ってきた友之に開口一番、母は鬼気迫る声でそう叫んだ。玄関先に響き渡ったその声はしょぼんとしていた友之の身体をじんと震わせたが、目の前に立ち尽くす母の顔は一面心配そうな色で滲んでいた。 「 もう本当に…本当に心配したんだから…! トモちゃんが何も言わないでこんなに遅くなる事ってなかったじゃない。だから事故にでも遭ったのか、人攫いにでも遭ったのかって…本当に本当に心配で…! ……あ」 「 すみません、おばさん」 「 まあ…。こ、光一郎君!?」 今にも泣き出しそうだった母の涼子は、しかし友之の背後からさっと現れた光一郎に驚きの声を上げた。光一郎はそんな母にいつもの気さくな笑みを向け、自分が街で会った友之のことを無理に引き止めてしまったのだと嘘をついた。友之はそんな光一郎の顔を茫然と見上げたが、光一郎は友之の方は一切見なかった。ただ母の涼子に笑い掛け、そして侘び、母は母でそんな光一郎に途端ぱっとした笑顔になって何度も頷いて見せた。 「 そうだったの。そうだったのね。いいのいいの、2人がこんなに仲が良かったのはびっくりしたけど…。でもそうなのよね、いつの間にかこの子もすっかり懐いてしまって…。ふふ、そういえば今朝なんかもね、この子ぱっと飛び起きたと思ったら『コウ兄は?』なんて聞いたのよ」 「 え…」 「 ……っ」 ぎょっとして顔を上げる友之を楽しそうに見やってから母は続けた。 「 この子、昔からお兄さんとか欲しがっていたから、光一郎君が仲良くしてくれるの凄く嬉しかったのね。本当にありがとう」 「 いえ…あの」 「 え?」 「 それじゃあ、親父とのことは」 「 ああ…それは…」 母は光一郎の問いに急に苦笑したようになると、ゆっくりかぶりを振った。 「 ごめんなさい…。それは、もうちょっと…この子ともよく話し合ってから…」 「 俺は別に構いません。あんな勝手な親父ですから、お2人に迷惑掛けてるんじゃないかって心配だったんです」 「 光一郎君は本当にできた息子さんね」 母の涼子はふふと笑ってからおもむろに傍に佇む友之の頭を撫でた。 それはとても優しくて温かい手のひらだった。 「 これからもこの子のこと宜しくお願いしますね」 「 あ…はい」 光一郎は母のその言葉に控え目に返答したものの、去り際友之の顔を見た時は少しだけ笑ってみせた。 「 それじゃあ…友之君、またな」 「 ………」 けれど友之の方は最後までそんな光一郎とまともに話す事ができなかった。 |
To be continued… |
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