(5)



  目が覚めた時にはまた元の世界に戻っているかもしれないという期待は、明るく元気な母の呼び声によって見事に掻き消されてしまった。
「 トモちゃん、朝よ。起きなさい」
「 ………」
  昨日と同じだ。
  ザッと勢いよく開かれたカーテンの音と共に、金色の明るい日差しが寝ている友之の額の先にまで差し込んでくる。片手をかざしながらその光の線に向け目をやると、てきぱきと部屋の窓を開け換気をしている母の後ろ姿が見えた。
  見慣れない天井、部屋。
  空気。
  今日も友之は「今までいた場所とは別の世界」で目を覚ました。
「 ほらほらボサッとしないの。朝ごはん冷めちゃうわよ」
  優しくもそう言って急かす母の声。促されるままに上体を起こし、友之は暫しぼうとした様子で未だ受け入れ難いその現状に身を晒した。
「 良い天気ね。今日もお布団干していかなきゃ」
  だからトモちゃんも早く起きて。
  再度そう言って母は友之に満面の笑顔を寄越してきた。眩しい。友之はそんな母の顔を見つめながら何ともなしに、「この人はこんなにも笑う人だったろうか」と思った。母の記憶でいつでも鮮明なのは夕実や自分を前に寂しそうに笑う控え目な表情だけだ。こんな風に快活で生き生きとした様子には本当に馴染みがないと、友之は僅かに痛む胸に片手を添えた。


「 トモちゃん、何だか顔色が悪いわよ。大丈夫?」
  母がそう言って心配そうな視線を向けたのは、友之が洗面所で顔を洗い、のろのろとした動作で居間の食卓に着いたところでだった。美味しそうな色合いのオムレツや程よく焼けたトースト、それに寝惚けた頭にすっきりとしそうなオレンジジュースを前にしても未だ微動だにしない息子の様子に、さすがの母も異変を感じ取ったようだった。
「 食欲ないの?」
「 ……ううん」
「 その声。やっぱり具合悪いんじゃない? 何、気分悪いの?」
「 違う…」
  俯いている友之に無理やり視線をあわせようと目の前で体勢を低くする母。友之は途端窮屈な思いがして軽く咳き込んだ。
  そういえばこんな風に2人だけで面と向かう機会など、今までに一体どれほどあったというのだろう。
「 ちょっとおでこ出しなさい。……んー、別に熱くはないか」
「 ないよ…熱」
  テーブル越し、白く冷たい母の手のひらが友之の額に伸びてきた。ぴたりと当てられ、その温度が伝わってきた時、友之はびくっとして思わず身体を逸らした。
「 どうしたの? 本当変よ。何かあったの?」
「 ………」
  そうだ。黙り込んだ状態のまま友之はこうも思った。
  こんな風に2人だけで話す事など、一体どれほどあったというのか。
  母とこんな風に接した事など、一体どれほど。
「 トモちゃん」
  すっかり硬直しているような友之を前に、当然の事ながら事情の全く飲み込めていない母の涼子は、目の前の席で心底困惑したような顔を向けた。それからちらと前方にある壁掛け時計に目をやった後、「学校行ける?」とだけ訊いた。
「 ………」
  確かにそろそろ学校へ行かなければならない時間が差し迫っていた。
「 ………休む」
  友之は母に倣い、自分も背後の壁掛け時計に目をやった後、ぽつりとそれだけを言った。昨日は何となく流されるままに出掛けたが、それもほとんど勢いだけだ。訳が分からなかったからこそ行けたのであって、現在の状況が大分飲み込めてきている今となっては、学校などとてもではないが行く気持ちになれなかった。無理して行った所で、昨日同様「知っているけれど知らない人たち」に囲まれ一日を過ごさなければならない。それがどれだけ苦痛でどれほど恐ろしい事か、友之はもう痛いくらいに分かっていた。
「 ……そう。そうね。無理はしない方がいいもんね」
  母は暫く沈黙した後、しかし割とあっさりと息子の欠席を許可した。身体的には問題がないようでもこの目の前の息子が精神的に憔悴しているのは明らかだったし、それならばその理由が分からないにしても無理に登校させる必要はないと判断したようだった。
「 それじゃ今日はお店にも来ないわよね。牧村さんたち残念がるだろうけど、しょうがないか」
「 え…?」
  意味が分からずに顔を上げると、そんな息子に母は「あの」寂しそうな笑顔を見せた。
  それに友之が「あ」と思っていると、母は続けた。
「 別にいいのよ。ただほら、最近は学校が終わるの早い水曜日に来るっていうのがお決まりみたいになっちゃってたでしょ。だから皆、水曜日はトモちゃんに会えるって何となく楽しみにしちゃってて。でも元々は、勉強の手が空いている暇な時だけ手伝ってくれればいいって言ってたんだもんね」
「 あの…」
「 牧村さんたちには母さんから言っておくから」
「 母、さん…?」
「 ん? どうしたの?」
「 ………」
  頭がおかしくなりそうだ。
  友之は母を呼びはしたものの、どこからどう訊いて良いものやらまたしても頭の中で逡巡してしまった。母の言っている事が分からない。何の話かさっぱり読めない。当たり前だ、自分は元々この世界の住人ではないのだから。けれどそんな事はこの母には通用しないし、第一彼女の息子「友之」は紛れもなく自分なのだ。
  友之は必死にそんな事を考えながら、何とか現状を把握しようとすうと大きく息を吸った後、改めて目の前の母を見つめた。
  そういえば今日は水曜日だなんて今初めて知ったと、関係ない事をも思いながら。
「 母さん…」
「 どうしたのよ? 本当にヘンね。大丈夫なの?」
「 あの、お店って…何だっけ?」
「 え?」
  ぽかんとしている母に焦りを覚えながら友之は必死に口を継いだ。
「 ごめ…なさい。あの、ちょっとまだ頭がぼうっとしているんだけど…。あの、今日手伝うって…?」
「 ええ…? だからお店よ。トモちゃん、いつも水曜日は学校帰りに寄ってくれるでしょう?」
「 お母さんの…お店……?」
「 ? そうよ。母さんが働いているお店よ。シオンよ。知っているでしょ?」
「 ………」
「 ……トモちゃん?」
「 母さんて…」
「 え?」
「 ……っ」
  一体何の仕事をしているの。
  その簡単な質問がしたいのに出来ない。そんな事を訊けばまた不審な顔をされるだけだろうし、第一心配もかけるだろう。息子の頭がおかしくなったと、母は友之を病院に連れて行こうとするかもしれない。
  けれど今の友之にはその当然知っているだろう母の仕事や現在の様子がまるで分からないのだ。
「 ………」
  そして知りたいと、友之は思っていた。
「 あ、いけない、もうこんな時間!」
  動きを止めている友之をじっと見つめていた母は、しかし再度時計に目をやった事で慌てて立ち上がった。その所作で友之も驚いて顔を上げた。
  母はエプロンを軽く畳んで傍のサイドボードに置きながら、途惑った様子の友之に言った。
「 今日母さん早出なの! シュウゲンさんがお米届けてくれる日だし。トモちゃん、片付けはいいから寝てなさいね! 母さん、今日帰り遅いかもしれないけど、お昼過ぎには何とか一旦戻るから。そしたらお弁当も持って帰って来るね!」
「 あ…っ…」
「 いつものやつでいいでしょ? トモちゃん、あれ好きだもんね」
「 あの!」
「 え?」
  バタバタと途端忙しなく出掛ける準備をする母の背に、友之は自身も慌てて立ち上がると言った。
「 僕も…行きたい…!」
「 ………え?」
  殆ど叫ぶように言ったその息子の台詞に、母はやはり呆気に取られたようになって暫し動きを止めていた。





「 一体どうしちゃったのお? 本当変ねえ」
「 本当。でも相変わらず可愛いけどっ」
「 そう! まあ可愛いから何でもいいけど!」
  一心にじゃがいもの皮剥きをしている友之に対して、その背後からは「私たちはそんな仕事とても集中してられません」というような空気が先刻からひっきりなしに届いてくる。それでもその視線があまりに苦しくて恥ずかしくて、友之はわざと作業に夢中になっているフリをして彼女たちの話し声に背を向け続けていた。
「 ねえ涼子ちゃ〜ん。どうしちゃったの、友之クンは〜?」
「 そうよ〜。今日は全然アタシ達の相手をしてくれないよぅ!」
「 あはは…。ほら、思春期だから…」
「 え〜そんな〜。あ! 友之クン、まさか恋の悩みとか!?」
「 ええっ。駄目よ駄目! まだ早いでしょ! トモ君はアタシ達シオンのアイドルなんだから、まだまだ若い女の子には取られたくないよ〜」
「 ほらほら牧村さんたち。手が止まってますよ。早くこのお惣菜お店に並べてきて下さい」
「 ええ〜。もう涼子ちゃんはお堅いねえ。まあ分かりましたよ、ハアイハイ」
  ぐだぐだと子どものような会話を展開する老齢の女性2人を相手に、友之の母はやんわりと、けれど先ほどからびしばしと仕事の指示を出していた。どうやらこの職場の中心的存在は母の涼子らしい。友之はガシガシとじゃがいもを洗い、そして洗っては皮を剥きながら、家と同じく快活な様子の母の姿にただ面食らった。
  狭い厨房と、それと隣接して開かれている小さな小さなお店。
  友之の母の職場は、自然食品を利用した手作りの弁当屋だった。スタッフは母と手伝いの友之を除いてあと2人。先刻から友之をしきりに構いたがっている「牧村さん」と「清水さん」という、共に50代の女性だった。年齢は彼女たちがしていた会話の様子から恐らくはそうだろうというただの予測に過ぎないのだが、少なくとも「牧村さん」には友之よりも年が上の息子と娘がいるらしいから、大きな見当外れはしていないだろうと思われた。またもう1人の、軽くパーマがかった髪を派手な紫色に染めている「清水さん」の方は、「うだつのあがらない定年間際の亭主」と、「食べちゃいたい程に可愛い」ボーダーコリーとで3人暮らしのようだった。
  駅から少し離れた位置にあるこの「シオン」という名の弁当屋は、母とこの2人が共同で切り盛りしている「会社」なわけだ。
「 でもトモ君は偉いわよねえ」
  犬を飼っているという清水さんがレジのあるカウンター席から言った。
「 今日は具合が悪かったんでしょ? それなのにこっちのお仕事はサボらず手伝いに来てくれるんだからさ。ホント孝行息子だよ。息子の鑑だわね」
「 まったく」
  昼から数時間はやたらと混雑していた店も、夕方前のこの時間は比較的暇なのだろう。店内のフロアに設置されている小さなパイプ椅子に腰をおろしていた牧村さんも頷いた。
「 うちのバカ息子なんかいい年してまだアタシに小遣いをせびるんだよ? ったく、大学生なんだからテメエで稼いで、それこそ母親のアタシにビールの一杯でも奢れっての。この間一緒に飲みに行こうって言ったら、『何でババアと飲みに行かなきゃなんねえんだよ!』とかキレ出したんだよ? ったく、むかついたわ〜」
「 あははは! 相変わらず笑える家族だねえ」
「 どこがよ!? あーあ、アタシは涼子ちゃんが羨ましいよ。こんな可愛くて素直で良い息子のトモ君がいてさあ」
「 そりゃアンタ。育て方の差だって」
「 何ィ〜?」
「 はいはい。2人共おしゃべりが過ぎますよ!」
  さんざんぺちゃくちゃと喋りまくる彼女たちに、母は厨房で忙しなく動きながら時々合いの手を入れている。主だった惣菜やおにぎりなどは牧村さんたちも用意していたが、母はその他にデザートも担当しているのか、夕方に来るお客さん用にと、美味しそうな匂いのするたくさんの果物を先ほどから物凄いスピードで切っていた。
  友之はそれをちらちらと見やりながら、料理をしている時の母の顔は確かにこんな感じだったなと思った。
  学校へは行かない、けれど母の職場に行きたいと言った友之に、母は不思議そうな顔をしながらもすぐに「いいよ」と言ってくれた。「何故」とも、「どうしたの」とも訊かないでくれた。訊いて良いものかと遠慮したのか、それとも息子がうまく答えられないのを知っていたのか。
  それは何となく後者のような気が友之にはしていた。
  日中から、母は食材を運んでくる業者や農家の人たちを相手にしながら、同時に昼から出す弁当の仕出しにも余念がなかった。友之はただオロオロとするばかりで満足な手伝いが出来なかったのだが、母はそんな息子を責める事もなかった。「いつもはレジで客寄せをしてくれるのに今日はどうしたの」と言う牧村さんたちからもうまく庇ってくれ、「今日は中で仕事を覚えたいみたいだから」と、あまり彼女たちと接しなくても良い仕事をさせてくれた。息子がいつもの息子とは勝手が違う事、それこそもう十分手馴れているはずのレジ仕事すら満足に出来なくなっている事を疑問に思ってもおかしくはないのに。
  母の涼子はまるで何もかも分かっているかのように、傷つき怯えている友之のことをひたすらに守ってくれていた。
  だから。
「 ………」
  ガシリとじゃがいもの皮を剥く。その音が、そして感触が。今の友之には少しだけ心休まるものだった。
「 あ。友之クンね〜。ふふふ、待ってて、今呼ぶから!」
  その時、店先の方でそう言う楽しそうな声が聞こえてきた。
  そして、それとほぼ同時に。
「 トモく〜ん。彼氏が会いに来てるわよ〜?」
「 なっ…! お、おばさん、やめてくださいって!」
「 だってそうじゃない〜。朝会えなくて寂しかったから来ちゃったくせにぃ!」
「 そうそう。優等生、ここは潔く白状しなさい!」
「 だから! 違いますって!」
「 拡…?」
「 あ!」
  濡れた手を拭きながらのろのろと店先に顔を出すと、そこには学生服を着たままの沢海がいた。ただ、その制服は昨日同様、友之が通っている高校のものではなかったのだが。
「 と、友之。えっと…今日、学校休んだんだって?」
「 あ…うん」
「 何、トモちゃん。拡君に朝行けないって連絡しなかったの?」
  母の涼子も顔を出して、店にやってきた沢海を見た瞬間そう言った。それは初めて息子を責めるような口調だった。
  これに慌てたのは沢海だ。
「 あ、いいんです! 朝は…別に約束してるってわけじゃないですから」
「 そうそう。勝手に待ってるんだよね!」
「 健気だよねえ」
「 だから! おばさんたちは黙ってて下さいって!」
「 だっておばさん、拡クンならオッケーなんだもの」
「 おばさんも〜。拡クンなら泣く泣くトモ君をあげる〜」
「 あのね…」
「 拡…心配してくれたの…?」
「 え? あ、うん、まあ…」
  友之が訊くと沢海は途端気まずそうになりながらも、苦笑して頷いた。
「 だって珍しいからさ。友之が学校休むなんて」
「 ………」
  何とも言えずにいると沢海は続けた。
「 それにほら…何か昨日様子おかしかったし。どうかしたのかなって思ってたんだ」
「 ………」
「 友之…?」
  何も発しない友人を不審に思ったのか、それともいよいよ本当に心配になったのか。沢海は言い淀んだようになって沈黙した。さすがに明るくからかっていた様子の牧村さんと清水さんもあまりに沈黙する友之を心配そうに見やる。
「 ………」
  けれど友之はうまく言葉を継ぐ事ができなかった。沢海は「この世界」でも同様にとても優しい。それがとても嬉しいのだけれど、けれどだからこそ何だか余計に悲しい気持ちがしてしまったのだ。どう接して良いかわからなかった。
  しかしその時、とんと背中を叩かれて友之ははっとして振り返った。
「 …っ!」
  母の涼子だった。
  さり気ない様子で背中を押してきたその母は、どことなく強く諭したような顔で友之のことを見下ろしていた。
「 ひ、拡…」
  それに押されるようにして友之はゆっくりとだが口を開いた。ほとんど瞬間的に母が言わんとしている事が分かったから。
  友之は沢海に向き直ると言った。
「 あの、心配してくれて…」
「 え?」
「 あ、ありがと…」
「 あ…」
  友之がやっとの思いでそう言うと、沢海は何故か焦ったようになり、途端赤面した。友之はそんな友人の顔を不思議そうにじっと見つめながら、今度は少しだけれど笑顔も見せて続けた。
「 平気だから…。あの、明日はちゃんと行く。学校」
「 そ…そっか。な、なら良かったっ!」
「 ……うん」
「 あ! お、俺、弁当買いに来たんだ。両親の分と3つ。味わい幕の内下さい!」
「 はーい」
  これには牧村さんもほっとしたように明るい声で答えた。清水さんも途端嬉しそうになってバタバタと動き出した。
「 ………」
  振り返ると母はにっこりと笑っていた。友之の胸はそれでとくんと高く鳴った。





  何か人に喜んでもらえるような仕事がしたかったのだと母は言った。
「 母さん、若い頃は本当に世間知らずだったから、おばあちゃんたちが行きなさいって言った学校行って、ここで働きなさいって所に就職して。お前は自主性ってものがないのかーって、いっつも怖い上司に怒られてたんだよ。お局様にも苛められてたし」
  アパートに帰る道すがら、母は河原沿いの細道を歩きながら友之にそんな話をして聞かせた。辺りはとっぷりと日が暮れていたが、穏やかに吹く風は心地良かった。
「 でもね、ある時ふっと思ったんだよ。母さん、今まであれがしたいとかこれがやりたいって思った事あんまりなかったけど、本当にこれでいいのかなあって。仕事だって大嫌いってわけじゃなかったけど、いつも何となく時間だけ過ぎていっちゃって。これじゃしょうがないんじゃないって思って、ある日突然会社行くのやめちゃった」
「 やめちゃった…の?」
  友之が驚いたような顔をすると、母はふっと小さく笑った。
「 そうだよ。辞表届け郵便で送って、そのまま雲隠れ。今思うと本当に無責任だね。おばあちゃん達にも暫くは勘当だって実家は出入り禁止だったし」
「 ………」
  友之は黙ったまま母の清々しい横顔を不思議そうに見つめた。母のこんな顔も初めてなら、母の母、つまり祖母の事なども初めて聞いた。今も生きているのだろうかとは、ちらとだけ思った。
「 でも後ろ盾を失くしたのが良かったのかな。母さん、今の仕事大好き。そりゃ、最初は借金まみれでいつ路頭に迷うかって心配だったけど。でも、同じ夢持った牧村さんたちと一緒に楽しくお弁当作れてさ、アトピーのお子さん抱えているお母さんとか、近所のおじいちゃんとかに『いつもありがとう』って言われるとね。やっぱりね」
  母はその後、自分はこの仕事を始める前は同じ自然食品を出しているレストランで何年か働き、そこで調理師免許を取ったのだとも教えてくれた。また、そこの店主に色々と食品の勉強をさせてもらった事も、初めての借金で300万の札束をどんと手渡された時の事も、母は嬉々として友之に話して聞かせてくれた。
  友之はそんな母の生き生きとした姿を見やりながら、ではいつ母は結婚して自分を生み、そして今はどうして光一郎の父親と知り合ったのだろうと、そんな事を漠然と考えていた。 
  それを訊く事は何となく憚られてストップがかかってしまったのだけれど。
「 それにしても今日はトモちゃんが一日手伝ってくれたから助かったよ。明日も手伝ってくれる?」
「 え……」
  母のその言葉に友之は驚いて足を止めた。すると母も数歩先を行ったものの立ち止まって振り返り、不思議そうに首をかしげ再度笑い掛けてきた。
「 あ……」
  不思議だった。
  母の涼子は息子である友之が惑い、迷っている様子が分かっているようだった。無論、何を思い悩んでいるかまでは分からないだろう。想像できるはずもない。けれど、ともかくも母は友之の気持ちが落ち着くまでは好きにして良いと考えているようだった。
「 お母さん…。あの…。あ!」
「 え?」
  その時、友之は母に向けて発しようとした声をぴたりと止めて絶句した。その息子の態度に母も驚いて振り返り、友之の視線の先を追った。
  そこには一体いつからだろう、自分たちをじっと見据えている人があった。カメラはない。いつものバイクも、この細道だ、勿論なかった。
  ただふらふらと河原沿いを散歩でもしていたのだろうか。それとも。
「 修兄…」
  相手に聞こえない声で友之がその人物の名前をぽつとだけ呟くと。
「 こんばんは」
  修司は無機的な顔で佇んでいたものの、2人が自分に気づいたと同時ににこりとしてそう言った。
  それは害のない、穏やかな声色だった。



To be continued…



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