(6)



  修司は光一郎や中原、それに裕子の幼馴染とは言っても、それほど頻繁に彼らとつるんでいたわけではなかった。昔から1人で本を読んだりフラリと遠出したりするのが好きな「一風変わった子ども」で、話しかければ笑いもするしよく喋りもするのだが、肝心なところでは決して相手に心を開かない。修司はあらゆる人間との接触を忌避しているようにも見て取れた。
  それがいつの頃からか修司も光一郎とだけはよく一緒にいるようになり、友之が小学校高学年に上がる頃には、2人は誰が見ても仲の良い親友同士となっていた。そしてその流れを受けて、修司は光一郎の弟である友之とも優しく話をしてくれるようになった。友之は修司の一匹狼的なところも、それでいて周りを惹きつけあらゆる面で多才なところも、彼の全てを尊敬し慕っていた。修司のようになれたら…それは実におこがましい願いのようにも思えたが、光一郎が時折修司にだけ見せる「素の部分」を垣間見る度に、友之は修司に少しでも近づきたいと思った。
「 修兄…」
  けれどその修司は今、友之にとっては遥か彼方にいる他人だ。こうして面と向かっているとよく分かる。修司の表情は柔らかでまるで害はない、それは確かだけれど、代わりに何も映し出してはいない。友之や母の涼子を見てはいるものの、実際は何も誰をも見ておらず、「こんばんは」と挨拶し微笑みかけているそれは、友之には容易に分かるただの「作り笑い」でしかなかった。
「 トモちゃん、知り合い?」
  修司を見てから動きが完全に止まってしまっている息子に、母の涼子は途惑ったように訊いてきた。どうやら彼女は修司に見覚えがないらしい。お辞儀を返しはしたものの、どうしたものかと困惑しているのが横にいる友之にも容易に分かった。
「 友之クン、こんばんは」
  するとそんな2人に修司が寄ってきて言った。
「 ……っ!」
  友之がその呼びかけに驚いて弾かれたように顔を上げると、修司はもうすぐ傍にまで来ていて、またしても穏やかな口調で言った。
「 こんな所で会うなんて偶然だね。具合は良くなった?」
「 え……」
「 あの、息子のお友達ですか?」
  くぐもった声を漏らしたまま沈黙した友之に代わり、母がそんな質問を修司に浴びせた。この明らかに息子とは年齢差のありそうな青年を捕まえて「友達」というのも微妙に違和感のある発言ではあったが、彼女にしてみればそうより他に訊ねる道がなかったのだろう。
「 いえ」
  するとその問いに修司はあっさりと答えた。
「 昨日知り合ったばかりなので。俺は友達になりたいと思ってるんですけどね」
「 はあ…。あぁ、そうなんですか…?」
  よく分からないという風な態度の母・涼子と、依然として硬直したまま動かない友之を前に、修司だけが飄々とした顔をしていた。そうして修司は何も発しようとしない友之に語りかけるのは早々に諦め、涼子に向かって自分は光一郎の友人で荒城という者ですと簡単に自己紹介をし、後は「それじゃあ」と言って2人の横をそのまま通り過ぎて行った。
「 ……!」
  あっさりと去っていく修司にぎくりとした思いを抱きながら友之は振り返った。悠々と歩いて行く修司の後ろ姿が見えて、再びズキリと胸が痛んだ。
「 そう、光一郎君のお友達なの。それで昨日会ったのね?」
  得心したように母は頷いていたが、友之は反応を返せなかった。ただじっと遠ざかっていくその背中を食い入るように見つめ、そしてその数秒後にはもう堪らなくなって駆け出していた。
  こんなのは嫌だと思ったから。
「 あ、トモちゃん!?」
  母はそんな息子の行動にぎょっとしたようだったが、すぐには追いかけて来なかった。友之が一目散に向かった先が修司だとはっきり分かっていたせいもあるだろう。一方の友之はそんな母を構う余裕もなく、たかが数メートルの距離を全力疾走しただけで乱れてしまった呼吸に溺れながら、必死になって修司を呼んだ。
「 修兄…ッ」
  だから友之は自分がいつもの呼び方で修司を呼んでしまった事に、はじめは気づかなかった。
「 修兄っ」
  それよりも何よりも、友之は先刻の修司の言葉に対しどうしても言いたい事があった。だからもう一度、「この世界」の自分とは関係のない修司なのに、友之ははっきりと呼んでしまった。
  「修兄」と。
「 ………」
  けれど当然の事ながら修司の方は自分がそう呼ばれた事に驚いたようだ。それは昨晩の光一郎と同じで、反応の仕方も殆ど同じだった。修司はやや目を見開いたようになり、ぴたりと立ち止まると追いかけてきた友之をじっと凝視した。それから何やらひどく乾いたような笑みを浮かべ、ゆっくりと首をかしげた。
「 ……それ、俺のこと?」
「 あの…っ」
「 修兄…って。俺のこと?」
「 ………」
  何と答えて良いか分からずに友之はぐっと唇を噛むとその視線から逃れるように地面を見た。それでも、先ほどの胸を引っかくような気になる言葉が脳裏を過ぎって仕方なかった。
  だから友之は修司の方は見ないで言った。
「 どうして…そんな、嘘つくの…?」
「 え?」
  修司が問い返してきた。友之は依然下を向いたまま言った。
「 友達になりたいなんて、思ってない…。修兄は絶対そんな事思ってない…」
「 ………何?」
  不審な声が耳にざくりと突き刺さった。先ほど向けていた穏やかな声色とは違う。けれどそうだ、これこそが本来の陰鬱になっている時の修司ではないか? そう、昨晩中原に強引について酒屋に来た友之を心で密かに怒っていたような、不快に思っていたような修司の空気。これが素の部分に限りなく近い修司だ。
「 修兄は…親友はコウ兄だけでいいって、前、僕に言った…」
  暗い夜道だ、下を向いていたって見える地面はただ真っ黒なだけ。それでもそれだけに視線を集中して友之は続けた。
「 修兄は…僕がコウ兄の弟だから優しかっただけだから…。だから今の修兄は…コウ兄と関係ない僕に優しいわけ、ないし…。友達になりたいなんて、思うわけない…」
「 何言ってるのか分からないな」
  ややイラついたような声が返ってきて、友之はびくりと肩を揺らした。
  けれど瞬間、頭の上にふわりと置かれたその手のひらはひどく優しくそして静かで、友之は驚いて顔を上げた。自分の頭に手を乗せて撫でてくれるような所作をした修司の顔が目に入った。そしてその目は笑っていて、やはりとても優しいものだと思った。
  その修司が言った。
「 何言ってるか分からないけど……でも、半分は当たってる。よく分かったな?」
「 ………」
「 でも半分だよ。友達になりたいって気持ちはそれなりに本当なんだぜ?」
「 ……でもそれは…修兄の本当じゃない…」
「 ええ?」
「 修兄にとって…《それなりに友達》ってだけだもん…」
「 ……おい」
「 そんな半分いらない…」
「 ………」
  半ば唖然としているような修司をやはり友之は見られなかった。自分がひどい我がままを言っている事は分かっていたし、この修司にそんな事を言っても通じないとは痛い程に理解していた。また、こんな風に自分の我を修司に向かって出したのも、もしかすると初めてではないだろうかと友之は思った。
  けれど言わずにはおれなかったのだ。これは以前、当の修司本人から聞いて知っていた事だった。修司は全国各地に知り合いがいて、それらは皆それなりに大切な人たちでそれなりに友達なのだけれど、でも自分のホンモノではないのだという。皆と友達になりたい、そう言う時の自分は半分は本心で、半分は嘘なのだと。修司は以前友之に向かって笑いながらそう語った事があった。分かっている、修司のホンモノはいつだって光一郎だけで、こんな話をしてくれる自分すら所詮はおまけなのだと、友之は自身でちゃんと分かっていた。
  けれどだからこそ、今ここでそれなりの友達になるのは嫌だと思ったのだ。修司を他の人間たちよりも少しは分かっているという自負があったからこそ、それは嫌だった。
「 友之クン」
  そんな友之に向かって修司が口を開いた。頭に乗せられていた手のひらはいつの間にかなくなっていた。
「 いらないならしょうがないか。友達になれなくて残念」
「 ………」
「 でもそれなりに仲良くするってのも、それはそれで大切な事だと思うけど」
「 嫌だ…」
「 そうか」
「 修兄だから嫌だ……」
「 ……その呼び方」
  くるりと踵を返し修司は言った。毒はなかったけれど、先刻まであったうわっぺりの優しさもなくなっていた。
「 俺は君のお兄さんじゃないんだから、やめてくれ。はっきり言って嬉しくないしね」
「 ………」
「 お母さんが待ってるよ。早く行きな」
「 ………」
「 じゃあな」
「 ………ごめん、なさい」
  つっと漏れた言葉に友之は自身で泣きそうになった。
  けれど去って行く修司はもうちらとも振り返ってはくれなかった。





  木曜日。
  今日は朝起きても元の世界に戻ってはいないだろうと友之には「分かって」いた。眠りが浅くこちらの世界への意識が強かったからという理由だけでなく、うまくは言えないがきっとここで目覚めるという確信に近い思いがあった。
「 トモちゃん、朝よ。起きなさい」
  そう、母がいるこのアパートで目覚めるという予感。
「 お母さん…おはよう…」
「 うん、おはよう」
  小さく消え入りそうなものながらもきちんと声を出した友之に、母はカーテンを開きながら殊の外嬉しそうに笑った。今朝は天気がぐずついているのか、昨日のように眩しい日差しが窓から差し込んでくるという事がなかったのだが、それでも母の太陽のように明るい笑顔を見ているだけで友之のくすんだ心は少しだけ救われるような気がした。
  だから友之は、今朝はまるで何事もないかのように制服を着て家を出た。
「 いってらっしゃい」
  玄関先で友之を見送った母は嬉しそうだった。その顔を見た時、友之はああやはり心配だったのだなと思った。昨日は何でもない事のように振舞っていてくれたけれど、突然学校へ行きたくない素振りを見せた友之を、本心ではハラハラした思いで見守っていたのだろう。当たり前だ、突然訳も分からず無口になって蒼白になって、学校を休むと言う息子。母親なら何があったのかと訝るのが普通だし、その点で言えば何も訊かずに自分の職場へ連れて行ってくれた母は本当に優しく、そして強い人なのだと友之は思った。
  のろのろとした足取りで友之は駅に向かった。沢海と約束しているし、何よりあの優しい母を心配させない為にも、どうしても学校へは行かなくてはならなかった。あの角を曲がってパン屋の前を通り過ぎて、改札を抜け階段を上って。
  あの学校へ向かう駅のホームへ。
「 ………」
  けれど、友之はつと足を止めた。
  ごくりと唾を飲み込んで、もう一度足を前へ動かそうと思う。けれど頭で思うのとは裏腹にその足はもうびくりとも前へ動こうとはしなかった。行かなければ、分かっているのに動けない。むしろそう思えば思う程に額からは冷たい汗が流れ、心臓の鼓動は早くなった。全身からすうっと血の気が引いた感触がして同時に眩暈を感じると、最早その場に立っている事すら辛くなった。
「 ……コウ兄」
  だからだろうか、友之は思わず呟いていた。同時に、何故か昨夜の修司の顔が頭にふっと浮かんだ。昨夜はあれから母と共に帰宅し、弁当屋で持ち帰った母の手作り弁当と家で作った味噌汁で食卓を囲んだ。母は優しくて、一緒にいると温かい気持ちになれた。だから余計な事を考えるのはやめよう、そういう風に切り替える事ができた。
  それなのにどうした事だろう、1人の今は自分でも信じられない程に心細く、そして恐ろしかった。
  修司の冷めた眼を思い出すだけで胸が抉られるような気持ちがした。
「 コウ兄…」
  泣き出しそうな声でそう呟く自分は滑稽だと分かっているのに止められない。そしてそう思った瞬間、友之はもう踵を返し元来た道を駆けて戻っていた。家へ向かうのではない、本来の「家」へ戻ろうと思った。
  光一郎と住んでいるあのアパートへ。
  行ってみようと思った。





  駅からなら何なく行けるはずの「本来の家」には、友之が混乱しているせいか、はたまたこの世界では元の世界と地理上多少の変化が起きているのか、なかなか見つける事ができなかった。ハアハアと荒く息を継ぎながら、小さな児童公園を抜けて窮屈に立ち並ぶ住宅地を通り、光一郎がいるはずのアパートを目指す。あの時、光一郎は「自分はもう家を出ていて関係ないから」というような事を言っていたから、独り暮らしをしている点で変化がないのなら、同じ場所に住んでいる可能性は高いだろうと思った。
  そしてどれだけ経っただろう、恐らくは小一時間は歩き回っていたはずだ。
「 あった…」
  友之はもう十分に見慣れたはずの自分の住処を見つけてぽつりと呟いた。
  果たして光一郎と共に住んでいるあの二階建てのアパートは、まるで変わる事なく目の前に現れた。震える足取りで近づき、一階に設置されている住民の郵便ポストを確認する。そのうちの1つ、201と書かれた箱のところには薄れた字で「北川」という文字があった。
  友之の胸の鼓動は一気に跳ね上がった。
「 ………」
  カンカンと階段を上る自身の足音にも押し潰されそうな思いを抱きながら、友之はそれでも迷わずに光一郎がいるだろう部屋に向かった。会って何を言うともどうしたいとも、そんな具体的な欲求は何もなかった。実際に会ってしまったらきっと一昨日のように何も話せなくなってしまうだろう。それは分かっていたけれど、ただ友之は会いたかったのだ。光一郎に会って、光一郎の顔を見て、安心したかった。きっと安心できるだろうと思った。
  ドアの前にまで来て、友之は震える手を伸ばして部屋の呼び鈴を鳴らした。
「 ………」
  返答はない。
  迷った挙句もう一度鳴らしたが、やはり返答はなかった。
「 ……コウ兄」
  留守のようだった。
  当たり前といえば当たり前だ。今日は平日だし、たとえ大学に行かない日だったとしても、そんな時光一郎は大抵バイトを入れてしまっている。だから光一郎が日中の、しかも午前中に家にいる事など滅多にないのだ。
  失望が友之の全身を覆った。ドアに背を向け寄りかかると、そのままズルズルとその場に座り込んで友之は大きく息を吐き出した。しんとした周りの空気をより身近に感じ取って、自分はこの世界でたった一人のような感覚に囚われた。
  寂しい。
  辛い。
  誰か助けて。
「 コウ兄…」
  膝を抱えて顔をうずめ、友之はもう一度光一郎の名前を呼んだ。他人のように扱われてもいい、自分の事を知らなくても何でもいいから、とにかくここに来て名前を呼んで欲しいと思った。あの時は自分を他人のように扱う光一郎になど絶対に会いたくない、顔をあわせたくないと思っていたくせに、その舌の根も乾かないうちに今はもう全く正反対の事を考えている。それを自覚しながらも友之はただ光一郎に会いたい、それだけを思った。
  じわじわと不快な風が、うずくまる友之の髪の毛を撫でては通り過ぎていく。目を瞑って何もかもを遮断して、友之はただその場に座り込んでいた。母に会いに行こうか、消えかける意識の中で一瞬そんな思いが脳裏を過ぎったが、ぷつんと切れた思考の先に埋没して、いつしか友之は全ての思考を闇の中へ沈めてしまった。





  あれはいつの事だったか。随分前の事のように思えるが、もしかするとつい最近の出来事だったかもしれない。
「 はい、これ」
  ある日、裕子が薄紫色の可愛い花束を持って友之たちが住むアパートにやってきた。
「 ごめん、私は行けなくなっちゃったから」
「 別にいいよ。それよりこれ、わざわざ悪い」
  光一郎は裕子からその花を受け取りながら、ありがたいような申し訳ないような苦笑を漏らして礼を言っていた。友之はその放射線状に伸びた紫の花びらをじっと眺めながら、ああこれは何かの形に似ている、何だろうとぼんやり思った。
「 トモ君、これね。シオンって言うの。アスターとも言って、それは星の意味があるんだよ。ね、花びらが星みたいに広がってるでしょ?」
「 うん」
「 そういや…そうだな」
  友之と光一郎は裕子の説明に同時に納得したようになり、これまた同時に頷いた。裕子はそんな2人の様子を何か可笑しいものでも見るように目を細めて笑った後、自分から離れた花束に再び視線をやって続けた。
「 私、この花好きだなあ。それにね、今昔物語にはこんな話があるんだよ。コウちゃんも知ってるよね? 前、国語の授業でやったじゃない?」
「 何だっけ」
「 ほら、あれだよ。仲の良い兄弟の話―」
  裕子が光一郎を見ながら楽しそうに話していた。その光景を見やりながら、友之は、そうだ、そういえばあの時はこの後裕子がそのシオンの花にまつわる昔話を自分にも聞かせてくれたのだと思い出した。光一郎はあんな話好きじゃないとか言っていたけれど、自分は何となく心に残っていて、そして。
「 ……何だっけ」
  けれど今、その話を思い出せない。
  裕子と光一郎の姿がどんどんと霞んでいき、遂に見えなくなった後、友之はそれでも必死にあの後の事を思い出そうと暗闇の中でもがき、呻いた。あの薄い紫の花がゆらゆらと揺れる中、裕子の柔らかい音楽のような優しい声を聞きながら、自分はあの時確かにあの部屋で幸せだと感じていた。光一郎がいて裕子がいて、それに自分を心配してくれる人たちがあそこにはたくさんいて。
  何故。大切な事なのに、何故忘れてしまったのか。
「 友之君」
  だから、こんなだらしない人に甘えるだけの自分だから、あの世界から追い出され、こんな何もない世界へ来てしまったのだろうか?

「 友之君」

  光一郎がいない、こんな所でうずくまって。

「 友之君!」
「 はっ…」
  激しい揺さぶりと叱咤するような強い声に友之は驚き、顔を上げた。
「 はぁ…っ」
  ドキドキと鳴る鼓動を感じながら、友之は途端感じる肌寒さにブルリと身体を震わせた。
「 一体いつからここにいたんだ?」
「 ……っ」
  ゆるゆるとした動作で、友之はその声の方へと顔を向けた。背の高い、スラリとした体躯が目に入り、もっともっとと視線を上げていくと、そこには心底呆れたようにして自分を見下ろす光一郎の顔があった。
「 あ……」
「 どうしたの」
「 ………」
「 このアパートよく分かったね。誰に聞いた?」
「 ………」
「 友之君?」
「 ………」
  何も答えずただ呆けているような状況の友之に、光一郎はいよいよ参ったというように深いため息を漏らした。それから手にしていた荷物を下に置いてジャケットから鍵を取り出すと友之に向かって「どいて」と簡素に言った。当たり前だ、部屋の中に入りたくとも友之がドアの前に寄りかかってうずくまっていたのだ。無視して自分だけ入るわけにもいかないだろう。
  友之が慌てて身体を浮かしてドアの前から離れると、光一郎は黙ったまま鍵を開け、ドアノブを回した。ガチャリとしたその金属音は、いつも学校から帰ってくる度に聞いている音と全く同じだと友之は思った。
「 ……はい、いいよ」
「 ………?」
  言われた事が分からず友之が問うような目を向けると、光一郎は困ったような顔をしながらも続けた。
「 何か話があるんだろ? 中入りなよ。外寒いし、この後たぶん雨降るよ」
「 ………」
  言われてふと背後を振り返ると外はもうすっかり夕闇に包まれていた。一体何時間ここで眠ってしまっていたのか。そんな事を考えながら、友之は光一郎が言うようにどんよりとして今にも降り出しそうな空を見上げ、微かに眉をひそめた。
「 本当にいつからいたの? まさか学校行ってないとか言わないよな」
「 え……」
  ドアを開け放したまま1人先に中へ入っていく光一郎の背中を眺めながら、友之はようやっと掠れたものながらも声を出せた。それは光一郎も気づいたのだろう、少しだけ安心したようになって振り返ると、口の端を上げて苦笑した。
「 何度呼んでも起きないしさ。思いっきり数時間は寝てましたって顔してるから」
「 ………」
「 どうした? いいから入れって」
「 ………」
「 ……ったく」
  何も言わない友之に光一郎は再度深く嘆息した。一旦はリビングへ入ったものの、またつかつかと玄関先に戻ってきて、悪さをした子どもを叱るように腕を組んだ。
「 一体何なんだ? お前、男だろ?」
  そして光一郎は友之の茫然とした様子に構わずにぴしゃりと言った。
「 正人じゃないけど、俺もそういうのいい加減イラつくんだよな。俺は君ののんびりした天然お母さんや学校の友達と違って優しい奴じゃないから。話があるなら聞くとは言ったけど、こう訳も分からずだんまりだと困る」
「 ………」
「 俺も暇じゃないんだ。大体、家族の事に係わり合いになるのはもうウンザリだし、本当…特に用がないなら帰ってくれ」
「 つ……」
「 ん?」
「 疲、れる…?」
「 は……何が?」
「 ………」
「 ……君の相手をしてるとって事か?」
「 ………」
  こくりと頷いてからそっと上目遣いで見てきた友之に光一郎は一瞬だけたじろいだように瞳を揺らした。けれどそれは本当に一瞬で、すぐに迷いのないようにきゅっと口元を引き締めると、光一郎は容赦なく言った。
「 疲れないって言ったら嘘になるな」
「 ………」
「 でも聞くよ。話があるなら聞く。待ってたんだろ、俺のこと?」
「 うん……」
  今度ははっきり友之が答えると、光一郎はほっと肩から力を抜いた。
「 なら言えよ。何でいた? 何が言いたいんだ? 何して欲しいんだ、俺に?」
「 ……に」
「 え?」
  矢継ぎ早に問われると今更だが分かりはしない。自分がこの世界の光一郎に求めている事など。
「 ここ、に」
  けれど友之は言っていた。ちらりと母のあの笑顔が浮かんだのだけれど、うずくまり意識を夢の中へ飛ばしている間確かに見ただろう光一郎の笑顔がやっぱり欲しかったから。
  友之は光一郎に向かって言っていた。
「 ここに、いたい…」
  それに対する返答を待つ時間は、友之にとって絶望的なほど長く感じられた。



To be continued…



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