(9)



  暗く沈んだような友之を前に、光一郎はふと思い出したようになって「そうだ、これもどうだ?」と、テーブルの上に真四角の小洒落た箱を置いた。何処かの店で買ってきた物なのだろうか、その箱の傍には白いリボンと一緒に丁寧に折りたたまれたレモン色の包装紙があった。
「 ………」
  その箱を開ける光一郎の所作に誘われるようにして友之はゆっくりと顔を上げた。先刻までビール缶しかなかった殺風景なテーブルの上には、見るからに美味しそうな苺のショートケーキ、モンブランやチーズケーキがあった。不思議そうな顔をして今度は光一郎に目をやると、相手は途端優しい顔になって笑った。
「 甘い物、好きだろ?」
「 ………」
「 何それ」
  黙りこむ友之に代わって修司が口を開いた。もう既に友人の意図は分かっているだろうに、意地の悪い笑みを浮かべて「わざわざ買ってきてたわけ」などと訊いている。
「 お前のはない」
  光一郎は光一郎で、修司のそんなからかいが気に食わないのだろう、あからさまに嫌そうな顔をして今は視線すら合わせようとしない。友之はそれでまた困ったようになり、そんな2人を順番に見つめた。
「 しかしコーラとケーキって。お子様には毒になるもんばっか」
  修司が再度言うと光一郎も素っ気無く返した。
「 お前にはやらないぞ」
「 全部友之クンのもの?」
「 余ったら家に持って帰ればいい。とにかくお前のはない」
「 しつっこいな。いらねえよ」
  光一郎の台詞に修司は再びはっと鼻で笑い、それからおもむろに手にしていた煙草を口に運んだ。間もなくふうと吐き出されたその紫煙を友之はぼんやりと見やったが、修司の方は逆にその視線から逃げるようにしてふいと外へと顔を背けてしまった。
  友之の胸は修司のその態度だけでまた痛んだ。
「 あいつの事は気にしなくていいよ」
  それを察したように光一郎が言った。台所から持ってきた皿に箱から全てのケーキを移しつつ続ける。
「 まあ、昨日は不味いもん食わせちゃったしな。駅前でふっとこれを見た時、友之君はこういうのは好きだろうと思ってね」
「 ……あ」
「 ん?」
「 ありがとう…ございます」
「 ああ。別にいいよ」
「 ………」
「 友之君?」
  礼と同時にへこりと頭を下げ、そのままちっとも顔を上げようとしない友之を光一郎が不思議そうに呼んだ。それに促されるようにしてのろのろと顔を上げた友之は、それでも目の前の、自分たちから顔を逸らしている修司の事が気になって、出されたケーキにはなかなか手をつける事ができなかった。修司は笑っていたけれど、声も柔らかかったけれど、でも「いつもの」修司とは違う。それが分かっていたから落ち着かなかった。
「 おい修司」
  すると傍でふっとため息が漏れたと思ったと同時、光一郎が修司に向かって声を発した。
「 お前、こっち向いてろ」
「 あ? ……何で」
  修司の気のない返事に構わず光一郎は畳み掛けるように言った。
「 友之君が、お前が不貞腐れてるのを気にしてる」
「 ええ?」
  光一郎のその発言で、修司が途端驚いたように顔を向けた。友之はそれだけで反射的に身体をびくりと揺らしてしまったが、しかしその時は何故光一郎に自分のその気持ちが分かったのか、その事の方が驚きだった。
  友之のそんな気持ちには気づく風もなく、修司が言った。
「 何で俺が不貞腐れてんの?」
「 不貞腐れてんだろ」
  修司の問いには光一郎が答えた。しかし修司はすぐに首を横に振ると、持っていた煙草を灰皿に押し付け、再度友之の方をさっと見やった。
「 友之クンに訊いてんだよ。何で俺が不貞腐れてるって思うの?」
「 そう言ったのは俺だろ」
「 でもそう思ってるのは友之クンなんだろ?」
  お前は黙れというように、修司は光一郎の言葉を素早く掻き消すと再度訊ねるような目で友之に視線をやった。別段怒っているような光はない。しかし気分は害しているようだった。友之は内心でどきどきとしながら、石の塊のように強張った頬を無理に動かすようにして小さな声を出した。
「 思った、から…」
「 は? 何を?」
「 お、怒ってるって…思ったから…」
  友之の言葉に修司は呆れたようにため息をついた。
「 ……だから。何で俺が怒ってるって思ったの? 俺、何かそういう素振り見せた?」
「 ………」
  友之が黙って首を振ると、修司はますます不可解だというような顔をして引きつったような顔で口の端を微かに上げた。そうして今度はちらと光一郎の方を見やり、やや抑えたような声を出した。
「 じゃ、コウは何でこの子がそんな事思ってるなんて言った?」
「 何でって…。まあ、分かったからだな」
「 何がだよ」
  はっきりとした物言いをしない友人に苛付いたのか、修司は珍しく不満そうな顔をした。いつも余裕のある笑みを閃かせ、滅多な事では怒らない。滅多な事では不機嫌な様子を見せない修司。その修司が今はこうしてあからさまに感情を表に出しているような仕草をする。その事が友之にはひたすらに恐ろしく、そして不安だった。
  しかし一方で「この世界」の光一郎はそんな修司に慣れているのだろうか、大して驚いた風も見せずに軽く肩を竦めた。
「 この間、お前居酒屋でも不機嫌になっただろ。その時も友之君はお前が怒ったってのをすぐに見抜いてたんだよ。だから今日も分かっただろうなと思って言っただけだ」
「 居酒屋…?」
  何の事だっただろうかというような顔を修司はしていたが、光一郎が「正人とかと飲んだ日だよ」と付け足した事で思い出したようだ。「ああ」と短く返事をし、修司は納得したように頷いた。
  それからややあって再び友之に視線を送る。
「 ……友之クンは俺の事がよく分かるんだ?」
「 え…」
「 この間も何か分かった風な事言ってたよな。河原ン所で。俺そういうの分かりにくい人って言われてるんだけど、何で分かっちゃう?」
「 ………」
「 何で?」
「 ……やっぱり」
「 え?」
  まくしたてるように訊ねる修司に、友之はごくりと唾を飲み込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「 やっぱり…」
  いつもは修司に向かって話す時、こんな風に緊張したりはしないのに。今は背中に冷たい汗すら流れている。
「 やっぱり、修兄…怒って、たんだ…?」
「 ………は?」
  ぽかんとしている修司をちらちらと見ながら友之は言った。
「 修兄は、いつも大体怒ってたり…。い、嫌な事があったりすると、目が…変わるから。優しいけど、元気なくなるし…」
「 ……何それ」
「 いつも…って、やっぱり友之君って修司と前からの知り合い?」
「 ……っ!」
  修司と光一郎の唖然としたような反応にハッとなり、友之は慌てて首を横に振った。
  いけない、こん事を言っても「今の」2人には何の事だか分からない。分かるわけがないのだ。こちらの世界の友之は、修司と…ましてや光一郎とさえ親しくはない赤の他人なのだ。それはここでこうして一緒にいるだけで嫌というほど実感しているはずなのに、どうしてこんな事を口走ってしまったのだろう。
「 何でも…っ」
  友之はどぎまぎとしながら、ただもう必死になって首を左右に振り続けた。
「 ……おい、コウ」
「 あ?」
「 何なのこいつ」
  すると暫くの間の後、修司が言った。その酷く毒のある口調に友之がびくりとなって顔を上げると、当の修司の方はもうとうに友之の方に眼をやっていた。
  そう、あの決して笑っていない淀んだ瞳で。
「 もしかしてちょっとおかしい?」
「 やめろって」
  光一郎が眉をひそめて修司を止めた。ちらりと友之の方を気遣うように見やった後、深くため息をついて友人に言う。
「 自分の事言い当てられたからって八つ当たりするなよ。大体お前、自分で思ってる程隠せてねえよ。むしろ見え透いてる」
「 はっ…。相変わらずキツイね」
  光一郎の言葉に修司は薄い笑みを浮かべたものの、すぐにそれを消すとまたふいと視線を外へと向けてしまった。
「 ………」
  友之はそんな修司の横顔を見つめたまま、ただ真っ青になって固まっていた。修司が自分のことを「おかしい」と見るのも最もだし、光一郎が表向きの優しさで年下の自分を庇っているだけだというのも分かっている分、この場にいるのが辛かった。先刻も実感した通り、ここにいるのは大好きな光一郎や修司とは違う。違う世界の別人の光一郎と修司で、だから自分の居場所はここではない。それが分かっているのに、何を縋るようにしてまたここへ来てしまったのだろうか。
「 ………」
  何ともなしに友之は目の前に置かれたケーキを見てみた。お客に出すような上品なそれに、余計自分が「余所者」だという感覚を抱く。
  しきりに「気にしないでいいよ」という光一郎だって所詮はニセモノなのだ。
「 帰り、たい…」
  だから、だろう。思わず口について言ってしまった。
「 友之君?」
  すかさずその声を拾った光一郎が困ったような声で呼んだが、友之はそれに反応を返す事ができなかった。
  ただ、帰りたいと思った。
「 帰りたい…」
  思えばどうしてこんな事になってしまったのだろう。あの時、目覚めたらもうこの世界にいた。母は自分が中学生の頃に亡くなったはずであるのに生きていて、光一郎とは兄弟であるはずなのに赤の他人で。修司とは知り合いですらなくて。
  どうしてこんな世界へ。
「 友之君? 帰るか? 送っていくか?」
  友之の「事情」など分かるはずもない光一郎がそう訊いてきた。修司は辟易したように冷めた眼をしていたが、特には何も言わなかった。



  光一郎とまともな会話を交わす事ができなかった頃―母が亡くなり姉の夕実が家を出て、学校へ行けなくなった頃だ―暗い部屋に1人閉じこもり鬱々としていた友之を救ってくれたのは修司だった。周囲の雑音から守ってくれる優しい人間なら他にもいたし、不器用で分かりにくい愛情ではあったけれど、光一郎とてあの時分から既に友之の傍にはいてくれていた。だからたとえ父や姉の夕実から嫌われ疎まれていたとしても、友之は決して1人ではなかった。大勢の人間が友之を見てくれていたのだ。
『 トモは可愛いなあ。大好き』
  それでもあの頃、友之の心の深遠を不思議な程に理解し支えてくれたのはやはり修司だと言えた。
『 トモ、これが今回のお土産だよ』
  突然何も言わずに姿を消して暫く帰ってこない事などザラだったが、それでも会いに来てくれた時は、修司はいつも友之が喜ぶような写真をくれた。見知らぬ遠い土地の風景画はその度友之の心を締め付け、そしてその後とても穏やかな気持ちにさせてくれる。不思議だった。修司はいつでも友之の欲しい言葉をくれ、そして時には言葉なしに友之の心を落ち着かせてくれた。
  光一郎が迎えに来てくれて一緒に住み始めてからも、当初ぎこちない自分たちの間に入って微笑んでいてくれたのは修司だ。
『 お前たち2人だけが俺の特別』
  修司の声はいつでも魔法のようだった。友之は修司が好きだったし、修司になら普段口にできないような事でも思い切って話す事ができた。無論、修司とて感情のある人間だからいつでも笑っていられるわけではないし、不機嫌になったり完全に他者を撥ね付ける所作を見せる事もあったが、それでも友之にとって修司はいつでも完璧な憧れの人だったのだ。
『 トモは俺を買いかぶり過ぎなんだよ。俺だってむかつくなこいつ、と思ったらどんなに隠そうとしたって目が死んじゃうんだぜ?』
『 目が…?』
  だから以前、修司がそう言って話してくれた時、友之はとても想像できないという風になって首をかしげた。
  修司はそんな友之の頭を撫でながら言った。
『 そうだよ。顔とか声が笑っててもさ。どうしても死んじゃうんだ。目のさ、この奥の方。完全に死んじゃう』
『 ふうん』
『 まあトモと喋ってる時はそういう風にならないから分からないだろうけどな。今度誰かと話してるときの俺、見てみな。そうなってる時あるから』
『 分からない』
『 ん? 分からない? ふ…まぁそれならそれでいいよ』
  トモには関係ない話だしな。

  修司のあの時の優しい笑顔が今ではこんなにもぼやけている。それが友之には堪らない事に思えた。



  結局友之はとっぷりと陽が暮れた後も光一郎の部屋に居座り続けた。「帰りたい」などと口走っておいて、それなら帰るかと訊いた光一郎に何も言えない。結局修司を交えて気まずい雰囲気ながらも、何となく3人でテーブルを囲み、何となく光一郎が頼んでくれた店屋物をぼそぼそと食べた。普段からよく利用しているのか、光一郎と修司はその店の特製だという担々麺を頼み、友之は炒飯を貰った。光一郎が出前を取るところなど未だかつて見た事がない。ぼんやりとしながら、友之は2人の姿を見た後、渡されたレンゲを手に味の濃い炒飯を口に運んだ。
「 コウ、金貸してくんない」
  どちらがつけたのかは分からないが、今では部屋に誰も見ていないテレビがついている。友之も知らないバラエティ番組だったが、画面から流れる芸能人たちの笑い声がひどく耳についていた。
「 突然だけどさ」
  そんな中で突然発せられた修司の言葉だった。
「 お前はまたかよ。前のはいつ返してくれるんだ」
「 んー。そのうち」
「 ……マスターに請求するからな」
「 コウ君がそれできないの、俺知ってる」
  にやりと笑う修司に光一郎は動かしていた箸を止めてため息をついた。
「 せめて裕子には返せよ」
「 俺、今回はあいつから逃げる為に外出るんだよ。むしろあいつには出資させたいくらいだぜ」
「 じゃ、させろ」
「 うわ、ひどい。でもな、元々裕子ちゃんがうざくなってんのはコウ君、キミのせいなわけ。だから今回はコウ君に借りる事にしたんだよ」
「 なら回りくどい事言うなよ、お前は―」
「 あ、嘘。今の失言。ごめん」
  光一郎の追及が面倒になったのか、修司はさらりと交わしてからちらと友之に目をやった。友之はおとなしく食事をし2人にはなるべく視線をやらないようにしていたのだが、修司がこちらを見たのは素早く分かったので、やはり知らぬフリができずにびくりと肩を揺らしてしまった。恐る恐る顔を上げると、案の定待ってましたとばかりに修司はそんな友之に向かって口を開いた。
「 鋭い友之クンは今の会話の意味分かる?」
「 おい修司」
  お前はまた友之君に絡むのか、というような事を続け、光一郎はその後やんわりと友之にも「答えなくていいよ」と言った。
「 ………」
  友之はそんな光一郎をじっと見詰めた後、今度は修司を見て、がっくりと俯いた。
  やっぱり何度確認しても同じだ。修司の眼は「死んで」いるように見えた。
「 ……修に…荒城さん、は…」
  友之は言い直してから微かに唇を震わせた。
「 裕子さんと付き合ってて…でも、本当に好きというのとは違うから…。疲れるとバイクで…旅に出る…」
「 ……友之君?」
「 ………」
  驚いて目を見開く光一郎と沈黙している修司。友之は下を向いているので詳しい様子は分からなかったが、もうここまでくると自棄だった。
「 でもそれは裕子さんもそうで…裕子さんが本当に好きなのはコウ兄で、修兄…荒城さんの事も好きだけど、でもそれも本当じゃ、ない…」
「 おい…」
  途惑う光一郎の声が遥か彼方で聞こえたような気がしたが、友之は構わず更に続けた。
「 遠くの土地に行くと、息が吸えるから…。だから行くんだって。そこで気に入った風景を写真に撮って…いつも…見せてくれた…」
「 写真?」
  ずっと声を出さない修司の代わりに光一郎が言葉を重ねる。友之の言っている意味が分からないようだった。
  友之はここで顔を上げ、不思議そうな顔で光一郎を見た。
「 修兄が好きなの、写真でしょ…?」
「 写真? コイツが?」
  「お前そうなのか」という光一郎の声を聞いて友之は「え」と口だけ動かして今度は修司を見た。
「 ………」
  修司は感情の読み取れぬ顔をしたまま、ただ静かな目で友之の事を見ていた。
  それからふっと息を吐き出し、呟くように言った。
「 誰にも見せた事ないと思うんだけど…。どこで見た?」
「 え…」
「 写真だよ。別に特別好きってわけでもないし、自分でもウンザリするようなもんしか撮れないから続けてもいなかったし。どこかで見た? どこに流れてた?」
「 な、何…」
「 だから。俺の撮ったやつ」
  怯える友之に苛立たしそうな修司の声が被る。友之は真っ青になって、またまずい事を言ってしまったと思ったが、咄嗟に脳裏に浮かんだ映像をそのまま相手に告げた。
「 ア、 アラキで…。あの、写真、が…あって…」
「 ………何だあれか」
「 何なんだ?」
  1人意を飲み込めていないような光一郎が今度は修司に訊いた。修司はつまらなそうな顔で「昔撮ったやつを親父が店の壁に一枚貼ってたな、確か」と何ともなしに答えていた。
  友之はほっとして肩を撫で下ろした。
「 あんなもん気づいてたんだ」
  修司はそんな友之をまだ探るような目で見やった後、「あーあ」と意味もなく嘆息した。
  再び修司が黙りこみ、音はブラウン管から流れるものだけになった。
「 ……何か」
  その時、不意に光一郎が口をついた。どことなく憮然とした表情だが、友之と修司を交互に見て言う。
「 何か、変だな…」
「 何が」
  これにすかさず反応したのは修司だった。友之に冷たい態度を取ったまま黙り込んだのが自分でも嫌だったのかもしれない。既に食事を放棄した身体は2人から横を向いてしまっていたが、顔だけはくるりと向いて光一郎を見やる。
  友之もそれに倣うようにして光一郎を見上げた。
「 さっきから友之君は、修司の事を昔から知ってるみたいに言うだろ? お前、それを不気味がってるよな」
「 まあ。態度悪くて友之クンにはごめんねだけど、普通の人間は怪しむだろ?」
「 ああ」
  けれど光一郎は自分が言いたいのはそんな事ではないと言わんばかりの顔をしてから、落ち着かない様子で隣に座る友之をじっと見つめた。
  そして。
「 俺も最初は友之君のことは…正直、何だかおかしな奴だと思ってたんだ。思ってたんだけどな…。確か以前にもこういうシーンがあったような気が…」
「 は?」
  修司が眉をひそめるのを構わず、光一郎は依然友之を見つめたまま言った。
「 以前なのか? 分からない…。分からないが、とにかくこうやって3人でメシ食ったりってのはあったような気がする…」
「 はあ? ねえよ。何言ってんだよお前まで」
「 ……ないよな。そうだよな。そう思う、俺も。けど……」
  誰に言うでもなくぶつぶつと呟きながら、それでも光一郎は言った。
「 分かってる。分かってるはずなのに、とにかくそういう事があったような気がするからおかしな気分だ。しかも、その時のお前は友之君にそういう態度は取ってなかった。気色悪いくらい優しくて、べたべたしてて…。何ていうか…別人なのはお前だ」
「 お前いい加減にしろよ?」
  修司はいよいよ薄ら寒い顔をして、多少引き気味に身体を後退させた。そうしてもうこんな話はやめようとばかりに、食事の為中断していた煙草を早々に取り出して火をつけていた。
  友之はそんな修司を見てから、再びカチコチになっている首を無理に動かして横にいる光一郎を見上げた。光一郎も友之の事を見ていた。
  心臓が破れそうだった。
  「この世界」の光一郎がまさか、自分の事を認識しようとしている?
「 コウ兄…?」
  たどたどしく呼んでみたが、答えはなかった。光一郎が答えようとした瞬間、部屋の電話が鳴り響いたからだったが、いつもはそういった外界の音に敏感に反応する友之がこの時はびくりとも動けずにいた。
「 はい北川です。……はい、そうですが」
  立ち上がってサイドボードの上にある電話を取り、一言二言交わす光一郎の姿を友之は依然縋るような思いで見続けた。光一郎が、もしこの世界の光一郎が自分の事を認識してくれたなら。そんな事はありえないはずだが、けれど今さっきの光一郎は間違いなく「向こう」の世界の自分たちを頭の上に浮かべていた。そうだ、元々自分がこの世界にいる事自体不思議なのだから、光一郎が向こうの世界を認識したとしても驚く事はないではないか。
  友之は必死な思いで光一郎の背中を見つめ続けた。
「 えっ…そうなんですか。はい…はい、分かりました。あ、本人は、そうです。今ここにいるので」
「 ……?」
  しかし友之がハラハラとした思いで光一郎を見守るのも、ほんの僅かな時だけだった。電話を受けていた光一郎が突然振り返ったと同時、深刻な口調になり表情も変えた。その様子にただらなぬものを感じて友之が表情を翳らすと、電話を切った光一郎がすかさず言った。
「 友之君、お母さんの職場の人から電話で、お母さんが具合悪くして家で寝てるから早く帰るようにって」
「 え」
「 俺も行くから。行こう」
「 ………」
「 大した事はないみたいだけど。でも熱があるようだから」
「 母、さんが…?」
  その瞬間、友之は今までの考えが全て消え去り、ざっと血の気が引くのを感じた。



To be continued…



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