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友之が光一郎の料理の腕を知ったのは、父の元を離れて一緒に暮らし始めてからだ。 北川家の食事は、友之の母が生きていた頃は彼女が全て作っていた。あの頃、既に崩壊気味の家庭をぎりぎり繋ぎとめていたのは母の涼子であり、彼女の作る料理だった。涼子は病床に伏すまで家族との夕食の時間をとても大切にしていたし、夫の弁当や友之たちのおやつに至るまで余念がなかった。彼女の食事に対する執念はある意味誰もが感心するところだった。 …けれどその人間がいなくなってからは、逆に誰も食事の事を口にしなくなった。父の帰りはいつも遅かったし、それと併せるようにして夕実も家を空ける事が多くなった。光一郎は大学合格と同時にすぐ家を出ていたから元から不在だし、つまり友之はいつも独りだった。母が亡くなった直後は、幼馴染である裕子や彼女の母親が友之を心配して夕飯のおかずを運んでくれたりもしたけれど、夕実がまたそれを異様に煙たがったので、自然と北川家に寄り付く者も少なくなった。友之も夕実が嫌がるのならばそれでいいと思っていた。 だから当時は光一郎と2人で食事を取るなど、考えた事もなかった。思い出にある食卓の風景はいつでも暗くて、母を思い遣って仕方なくテーブルに着く「兄」の姿や、始終不貞腐れている「姉」の顔。むすっとして不機嫌な「父」。そんな彼らに遠慮がちな笑顔を向ける「母」と、その母が作った色とりどりの料理。 食事はとても美味しいのに、でも怖くて、哀しい思い出。 あの頃、自分はどういう顔をしていたろう…と、友之は思う。 けれど、何だかうまく思い出せない。 「食えよ」 だから初めて光一郎と一緒に住む事になって、初めて2人だけの食卓を囲んだ時は驚いた。 「まずくても文句言うなよ。これしかないんだから」 お互いにぎこちなくて、どうして良いか分からなくて。会話も殆どなく(というか、友之は全く喋らないに近かった)、お世辞にも明るい雰囲気はない。けれど、あの5人でいた頃のような恐怖に近い暗さもない。光一郎は生真面目な顔をして、ちょっと怒った風に友之を見ていたが、皿を出す事もしない、何の役にも立たない「駄目な弟」に憮然としながら、それでも「自分が作った夕食」を友之に差し出した。その手際の良さには勿論、出された食事が本当に美味しかった事が衝撃だった。 いつから料理を覚えたのかと初めて訊いた時、光一郎は「何となくやっているうちに」と曖昧な答えしかくれなかったが、2回目訊いた時には、「お母さんが家を出る時にレシピをくれたから」と言った。 「あの人は、本当は俺が家を出る事に反対だった。けど、親父が心底怒った時には逆に応援してくれたし、レシピも…、あと、食器だの何だのを用意してくれたのもあの人だった。は……出来過ぎだよな。あんな母親はいないと思うよ」 いつだったかそう言って笑った光一郎の顔を友之は未だにはっきり覚えている。本当は母の涼子に対して、光一郎とて色々思うところがあったに違いないのに。…それなのに、友之の前では決して彼女を悪く言わない。いつでも誉めて、「いいお母さんだった」と笑う。友之はそんな光一郎を尊敬しているし、自分もそうなれたらいいのにといつも思う。 それでも結局、友之はそういう「兄」にいつでも頼ってしまう自分から抜け出せない。 「美味しい」 遅めの夕食を友之は自分でも驚くくらいにがつがつとほうばった。口が小さいせいか、或いは元来の鈍臭さが原因か、友之はいつも食べるのが異様に遅いし、必死になっているから料理に対する感想を言う事も少ない。以前、裕子が「折角作ったものなんだから、食べた人がどう思うかは真っ先に知りたい」と言っていたから、本当は毎回「美味しい」気持ちは伝えたいと思うのに、気づくといつも忘れている。言葉を出すのが遅いのを言い訳には出来ないけれど、何故かつい忘れる。 それでもいつも、光一郎の食事が本当に美味しいと思う気持ちは本当なのだ。その想いを今日は何とかきちんと言えた。 「すごく、美味しい」 「そんな誉めなくても、見てれば分かるって」 何度目かに光一郎は「もういいよ」という風に苦笑して友之の頭を撫でた。 光一郎の胸で散々泣いて泣いて、真っ赤に晴れ上がった目をタオルで冷やしていたら、やがて魔法のように出てきたものはラザニアだった。普段は和食を作る事の多い光一郎だが、今夜は何か思うところがあったのだろう。普段は使わず奥の棚にしまってある真っ赤な小鍋に、2人分にしては少々多い量が作られた。食欲をそそるトマトソースの香りが辺りに漂い、友之が不思議そうにその鍋の中を覗きこむと、光一郎は持ってきた取り皿にそれを切り分けて友之の前に差し出してくれた。まるでクリスマスか誕生日のようだ、ボールに大胆に盛られたグリーンサラダも色鮮やかで、手作りのドレッシングもとても美味しい。何でも器用にこなしてしまう光一郎を、以前裕子が呆れながら「コウちゃんはいちいち厭味な人だよね」と言っていたけれど、その事をふと思い出して、それでまた楽しくなる。憂鬱な気持ちが少しずつ薄れていった。 「お母さんてさ」 珍しく自分もビールを開けて、光一郎が言った。 「お前が夕実と喧嘩すると、絶対“お子様ランチ”だったろ」 「え…?」 訳が分からず顔を上げると、台所を背にして友之の向かい側に座っていた光一郎がビールを片手に笑って続けた。 「夕実が怒るの分かってるからさり気なく、だけど。お前、気づいてなかった?」 「何を…?」 「だから、お子様ランチ」 「ご飯が?」 「そうだよ」 また一口煽って大分減っただろうビールの缶をテーブルに置き、光一郎は珍しく片肘をテーブルにつけて思い浮かべるような仕草で頭をその手にもたげかけた。 「ハンバーグとかエビフライとか……グラタン、とかさ。お前が喜びそうなもの」 「………」 「本当にセットにしちゃうとホンモノのお子様ランチになっちゃうだろ。だから小分けして、さ。わざと渋めの皿に盛ったり。あの人も結構笑えたよな」 「笑えた、の?」 「……ちょっとな」 だからってわけじゃないけど、と光一郎は自分の皿に持ったラザニアの欠片を持っていたフォークで軽くつついた。普段は行儀が悪いとか綺麗に食べろとか割と口煩いのに、今日はどことなくそういう事には無頓着で、いささか酔っているようにも見えた。 友之の前で柔らかい雰囲気を崩しはしないけれど。 「俺はグラタンってあんまり好きじゃないんだよな。裕子は何だかんだでよく作るけど。 あれってお前が好きだから?」 「そう…なの、かな」 「お前ってあんまり食べる事に興味ないからな」 でもその事に気づいてないのは裕子が可哀想なんじゃないかと光一郎は付け足した。 友之はそれを黙って聞いていたものの、何だか今なら訊けそうな気がして、つい、「言ってしまった」。 「コウは……裕子さんが、コウを好きなの、気づいてた…?」 「ん……」 「修……」 ごくりと唾を飲み込んだ後、友之は思わずフォークを下に落としてしまいながら、更に続けて「言ってしまった」。 「修兄が……コウを好きなのも、気づいてた…?」 「……お前ってさ」 光一郎は友之の落としたフォークをちらりと見た後、腕を伸ばして自分がそれを拾った。そのまま立ち上がって台所へ行ってしまうその姿に友之はぎくりとして自分も腰を浮かしかけたが、声を出すよりも動き出すよりも先に光一郎が口を開いたので自然身体が押し留まった。 「知ってる」 そして友之が何かを考える間もなく、光一郎はそう言った。 「お前、自分が言われたからって言い返すなよ。そういう性格悪いところ、俺に似なくていいんだから」 「コ……」 「裕子の事はな。今のと俺のは、全然違う話だろ」 「い、い…今のって」 台所でフォークを洗うのかと思った光一郎は、けれどそれを流しにガシャンと乱暴に置いた後、新しい物を出す気なのか引き出しを開けた。友之はそんな光一郎の一挙手一投足を見逃せず、やはり身体を伸ばして台所の方へ目を向け続けた。 すると光一郎は相変わらず淡々とした口調ながらもその会話を続けてきた。 「裕子がお前の為にお前の好きな物を作ってやってたって事とさ…。あいつが、俺を好きな事に気づくとかそういうのは、別の話」 「何で…。だって」 それに修司は、と言おうとして、けれど今度も友之は光一郎に先を越された。 「修司のもまた別だから、気づくも気づかないもない」 「何が……」 「あいつは性悪だから、お前が気にするような言い方してたんだよな。それは俺も前から気になってたけど、面倒だから放置してたんだ。あいつの面倒臭さは……似てるから」 「何…な、わ…分から、ない…」 光一郎が新しいフォークを持って戻ってきた。別段友之の粗相を叱るでもなく、黙って皿の傍にそれを置いてくる。 「何」 けれど友之は光一郎の顔しか見えなかった。光一郎の言っている事が全く分からないから、気持ちが悪くて胸が逸って、どうしても他の事に気を取られる余裕がなかった。空腹はまだ満たされていない。光一郎の作ってくれたラザニアはとても美味しくて、蕩けたチーズの心地良い味わいがまだ口の中に残っている。その続きを楽しみたいのに、でも今はそれが出来ない。 光一郎と修司の話がしたかった。 「何が似てるの」 「修司と……あいつ」 「あいつ……?」 「夕実」 「……っ」 思わずびくんと身体を揺らすと、そんな友之に光一郎は予測はしていただろうに困ったように眉をひそめて口を閉じた。それから漏らしそうになる溜息を必死にかみ殺すように、誤魔化すように残っていたビールに口をつける。友之からも視線を逸らした。 「何…?」 それでも友之は光一郎から目が離せず、カラカラになる喉を自覚しながら必死に声を絞り出した。 「誰…?」 「この話、まだしたいのか?」 「うん」 「そうは見えないけどな」 「したい…」 「………」 「しなくちゃ……」 「何で?」 お前ってMだろと光一郎は酷薄な言葉を呟いた後、「だから」と仕方がないと言う風に今度こそ深く嘆息した後、続けた。 「修司と夕実って似てるだろ?」 「修兄が…?」 「あいつも前自分で言ってなかった? 同属嫌悪?ってやつで、夕実の事は大嫌いだって」 「分から…ない…」 修司が夕実を嫌っているという話自体は別段驚く事ではない。光一郎や友之だけでなく、幼馴染である裕子や正人などもとうに知っている事で、昔からあの2人は特に仲が悪くて互いに忌み嫌っていた。 けれどだからこそというかで、2人の間には殆ど接触がなかったし、あからさまに口喧嘩をしているところというのも見た事がない。正人と夕実の組み合わせなら、野球の事やら何やらでやたらといがみ合っていた記憶があるけれど、修司はそういう事自体を忌避しているように見えた。 「似てるよ、あいつら」 光一郎が言った。 「頭おかしいところとか。……お前のこと、異様に執着してるところとか」 「え…?」 「本当、腹立つよな?」 別段怒っているような口調ではないし、顔も笑っていたけれど、光一郎はそんな事をサラリと言ってのけた後は、もう2人の話題を口にしようとはしなかった。ただ、友之が散々泣いて取り乱した事については放置する気はないのか、「修司には俺からよく言っておくからな」と、友之が眠る間際にちらりと言った。光一郎はやると言ったら絶対にやる人間だ。修司と喧嘩しなければいいと友之は徐々に薄れていく記憶の中でぼんやりと思った。その想いを実際口にもしたかもしれない。 「大丈夫だよ。お前は何も心配するな」 遠くの意識の方でそう言ってくれる声があったから、友之は安心した。その夜はもう絶対に眠れないと思っていたのに、光一郎が隣に来てずっと抱きしめてくれていたせいか、眠りに落ちるのは早かった。光一郎の懐はいつでも温かくて優しくて安心する。大好きで、ずっとこうしていたいと思った。 「学校休めよ」 そうして、翌朝。 「え?」 ぼんやりとした目をこすりながら起き出した友之に、今朝もせっせと朝食の支度をしていた光一郎が何でもない事のようにそう言った。 「学校を…?」 「ああ。今日は俺も暇だし。何処か遊びに行くか?」 形の良いオムレツが友之お気に入りの丸皿にストンとフライパンから落ちてくる。その様とそれをしている光一郎とを交互に見やりながら、友之は途惑いがちに首を傾けた。 「暇じゃ、ないよね。金曜日はゼミの日でしょ…?」 「は……よく知ってるな」 そりゃ覚えるかと光一郎は笑ったけれど、それ以外は特に何も言わずに「早く顔洗ってこいよ」といつもの兄のような事を言う。それに友之が従順になってまた戻ってくると、「とにかく俺は暇なんだ」と光一郎はまた繰り返した。 「どうする。こんなチャンス、滅多にない。何処か行きたい所あるなら連れて行くし…。行きたくないなら、家にいてもいい。何か美味いもん、食わせてやるよ」 「コウが作るの?」 「俺しかいないだろ」 どうするんだとまた言外に目が訴えてきていて、友之はまた困って咄嗟に視線を外してしまった。瞬間的に目がいったのは、ハンガーに掛けてある学校の制服だ。いつもは顔を洗って食卓に着く前に白いシャツに腕を通し、あれに着替えてネクタイは最後に結ぶ。それが決まりきった朝の動作なのに。 どうしてそんな事を言うんだろう。普段の光一郎なら絶対に言わないのに。 「サボりは良くないっていつも言ってる」 だから正直にそう答えたのだけれど、光一郎は全く動じなかった。 「誰だよ、そんな事言う奴」 それどころかそんなとぼけた事を言ってかわそうとする。 しかし、だからこそ友之もムキになった。 「コウだよ。コウが言う。いつも、学校サボったら駄目だって」 「そいつは俺じゃない。俺の皮を被ったニセモノだ」 「え…」 「今日の俺がホンモノだよ。学校なんて行きたくないだろ? だったら行かなくていい」 「……別に、行きたくなく、ないよ」 昨日咄嗟に口走った事を友之は後悔していた。「自分など死んだ方がいい」―…心の奥底に秘めていたものを考えなしに光一郎にぶつける事で、その内にあった自分の哀しみや苦しみを和らげようとした。案の定光一郎はそれをしっかり受け留めてくれて、心配している。学校で何かあったのだと当然のように見透かしている。情けない。 駄目だと思った。 「学校、行くよ」 だからそうキッパリと言ったのだけれど、光一郎は暫し黙ったまま特に何も言わなかった。 「トモ」 そして友之が黙っていつもの場所からシャツを取ってきて、いつもの位置で着替えて、いつものように制服に手を伸ばそうとした時。 「友之」 光一郎はそうしようとする友之を2回呼んで、ロボットのように規則正しく動く友之の「ネジ」を飛ばしてしまった。 「あ」 腕を取られてくるりと身体を捻られると驚きで正常な動作が不可能になる。おまけに身体を曲げられた方向には大好きな光一郎の身体があって、大好きなあの目も真っ直ぐに下方にいる自分の目を捉えてきていて。 「コウ…」 「言う事きけよ」 「……っ」 静かだけれど強い口調で声が出なかった。光一郎は滅多に声を荒げないし、怒ると言ってもそれは「叱る」の範疇で、それを受ける友之もいつも「言われても仕方がない」と納得するものばかりだ。だから理不尽な怒りの色に晒される事などないし、だからこそ光一郎には絶対的な信頼と安心を寄せている。確かに以前は怖いところもあったけれど、最近はそれも殆どなくなっていた。 だからこそ、今のは少しだけ……怖かった。 「コウ兄…」 「うん」 意味もなくくぐもった音だけで返答をして、光一郎はそのまま身体を屈めると友之の唇に自分のものを押し付けた。腕を掴まれたまま強引にされたキスは、唇への熱を感じるよりも心臓にズキンとした痛みが走って友之を困惑させた。 「…悪い」 「…っ、ん…」 それでも光一郎がその様子にすぐさま気づき、今度はしっかり抱き寄せて改めてキスをし直してくれたので、友之もほっとした。ほっとして目を閉じたらもっとたくさんのキスが降りてきて、とても幸せな気持ちになった。 光一郎とのキスが大好きだった。 「今日は休めよ。学校には俺からちゃんと連絡しておいてやるから」 唇が離されたと思って目を開くと、光一郎の端整な顔がすぐ傍にあった。 「……何て、言うの?」 どぎまぎとして目を逸らすと、光一郎は駄目だと言う風にそんな友之の顎先を摘み、自分の方へ向かせてから挑むように言った。 「正直に、本当の事」 「本当の事って…?」 「『弟が苛められてるから、学校には行かせない』って」 「嫌だ、そんなのっ」 「何で?」 「嫌だっ」 「ふ……嘘だよ」 友之が途端ハッとして大きな声を上げたものだから、光一郎は忽ち破顔して目を細めた。そうして友之を宥めるように頭を何度も撫でてから、「大丈夫だから」と繰り返した。 「それは言わない。休みの理由なんて何とでも言えるよ。お前が嫌な風には言わないから。な、今日だけは休めよ」 「今日休んだら……もう今週、ないよ」 「3連休か。ラッキーだな」 「ズル休みだよ」 「ズルじゃない。当然の権利だ」 堂々と光一郎は言って、また笑った。友之はそんな光一郎に先刻とはまた違う意味で心臓をドクンと鳴らし、ボー然としたまま視線を逸らせなくなってしまった。しかも、いつの間にか掴まれていたはずの腕は解かれて、逆に自分が光一郎の腕を掴んでいた事に今さら気づく。キスをされているうちにしがみついたのだろうけれど、それが何だか気恥ずかしかった。光一郎は何も言わないけれど、きっと友之自身が気づいていないところまで見えてしまったに違いないと思った。 やっぱり1人では駄目だ。それでも友之はその手を離す事が出来なかった。 「信じらんない。1日遊んでたんなら、何で俺も誘ってくんなかったの!」 「お前、学校だろ」 「そっちだって大学だろっ! 友之君だって学校じゃん!」 ダンダンと大袈裟に両足をばたつかせ、光次―光一郎の実弟―は心底憤慨しているという風に鼻を鳴らした。 光次が入寮している建物から徒歩5分の場所にあるこのファミレスには、友之も既に何度か入った事がある。光次のいるこの街で食事を一緒にする時は、大抵がこのファミレスか、駅前のラーメン屋と相場が決まっているのだ。 「あぁ〜、もうマジで信じらんねえ!」 「お前、しつこい。何回その台詞言ってんだよ」 「だって信じらんないんだもん!」 今度は目の前のハンバーグステーキに当り散らすようにして、光次はそれにぶすりとフォークを突き刺して豪快にその欠片を口に運んだ。もりもりと美味しそうに頬張りながらも、やはり顔は怒っている。隣でそんな「義弟」の様子を眺めている友之はハラハラなのだが、目の前に座る「実兄」の光一郎は済ましたものだ。 それがまた光次の苛立ちを誘うのだけれど。 「高校始まってから部活忙しくて週末も全然そっち行けないしさ! こういう時くらい気を利かせて俺も誘ってよ! 光一郎さんには兄弟3人、水入らずで遊ぼうとかって気持ちはないわけ?」 「ねえよ。つーかお前、別に休みだからって、いちいちこっち来る必要ないだろ」 「うわっ。何この人! うちの母親の前では『困った事があったらいつでも頼っていいよ』なんて善人面して言ったくせに!」 「困ってないだろうが、別に」 「困ってる! 友之君と全然遊べなくて困ってる!」 ねえ?とようやく友之に顔を向けて光次がそう話しかけてきたので、友之は突然の事に驚きながら反射的に頷いた。すると光次はもう満足顔で「そうでしょ?」と嬉しそうに笑い、それからまた頬を上気させながらばくばくと目の前の食事に勢いよく手をつけ始めた。 今年で友之と同じく高校生になった光次は、「将来はプロのサッカー選手になる」と言っているだけあって、細身な身体ながら友之よりは遥かにがっちりしているし、背も伸び続けているようだ。邪魔だからと短く切られた髪の毛は如何にもスポーツ少年という風だが、凛とした目は意志の強そうな光を宿していて聡明な印象も受ける。こういうところが光一郎と兄弟なのだなと実感する。 そんな光次は、住んでいる所こそ離れていて滅多に会う事はないが、何故か友之をとても気に入っていて、何かと言うと「遊ぼう!」とか「元気?」とか電話をしてきたり、あまつさえ突然アパートにやってきたりもする。光一郎はそんな光次を最近ではあからさま邪険にしているけれど、友之は本当の弟が出来たようで嬉しいし、明るく無邪気な光次といると憂鬱な事を忘れられるので、今日ここに来られて本当に良かったと思っている。 結局1日中「学校をサボって」光一郎と遊び呆けていた友之は、午前中は自然動物公園、昼はファーストフードでハンバーガー、その後は都内に出来た新しいショッピングモールで久しぶりに買い物をたくさんして、15時には可愛らしいフルーツパーラーに入ってパフェを食べた。…そしてそこで夕飯の話になった時、光一郎が「光次の所行くか?」と訊くので、一もニもなく頷いたのだ。 光一郎はその日1日、友之に対しては「恋人」というよりは完全に「兄」だった。ひたすらに優しく、時々見せる友之を「喰らう」危さは微塵もない。…もっとも、「だからこそ」かもしれない。光一郎が友之と2人きりで1日を終えるのではなく、光次を間に入れようとしたのは。 友之の座る椅子の横には、光次の母親からのお裾分けであるお茶の入った紙袋がある。光次がここで待ち合わせている2人の為に持ってきてくれた物だった。それを意識するだけで友之は幸せな気持ちになれた。 「そういえばさぁ、数馬さんっていたでしょ。あの性格悪い人」 粗方食事を済ませて落ち着いた後、光次がコーラをごくごくと飲みながら何気なくその話題を持ち出した。 「うちの学校とあの人の学校ってさ、何か知らないけど色んな意味でライバル校らしいんだよね。それで噂が流れてきたんだけど、生徒会に入るか何かで校内の実力者とかと喧嘩したんだって」 「何で喧嘩するんだ?」 光一郎がぽかんとしながら当然の質問をした。すると光次はストローを口に咥えたまま「あほへいはふは」と訳の分からない音を紡いだ後、ぺっと口を放して苦い顔をした。 「あの性格じゃ敵作って当然でしょー。でもまあ、あの人カリスマさんだし。逆に味方につきたがる人間も多いわけじゃない? だから生徒会に入れ、入らない!…とかで、色々揉めたらしいよ。俺はうちの会長の藤咲先輩がそういうの詳しいから色々聞いて知ったんだけど、や〜、本当面倒臭いよねえ。俺は絶対そんな生徒会とかの役職にはつかないんだ!」 「あの先輩がお前推しそうだけどな」 「絶対やだって!」 光一郎がわざと煽るのにまんまと乗って光次はムッとして言い返していたが、友之は数馬が同じ学校の人間と何やら喧嘩をしたという事が気になって他の事が頭に入らなくなってしまった。数馬の事だから心配はないだろうし、彼が誰かと喧嘩をしたところで負けるわけがないのだけれど、自分の事があっただけに、誰かに疎まれて数馬に何か悪い事が起きては嫌だなと思った。 (でも……先週の練習の時には何も言ってなかったし) 数馬は普通に練習に参加していて、普通に友之をからかって、いつもと何も変わらなかった。大丈夫だよねと思っていたら、ふと視線を感じて顔を上げると光一郎がこちらを見て何か言いたげな顔をしていた。 「何?」 すぐに訊くと光一郎は「別に」と言ったものの、光次の不思議そうな顔も受けて根負けしたのか、少し呆れたように肩を竦めた。 「本当に何でもない。こいつは、人の心配ばかりするお人好しなんだよ」 「んん? 友之君?」 「偶には自分の事ばっかりでもいいのにな」 「……ふうん?」 光次は光一郎の言う言葉を噛み締めるように聞いて頷いた後、今度はくるりと友之の顔色を窺った。友之はそんな光次に困って少しだけ腰をずらして距離を取ったのだけれど、光次はそれは駄目だという風に更に友之に接近して、さっと悪戯っぽい目と声で耳元に囁いた。 「でもさ、この人も友之君の事言えないよね」 「あ…」 「ね? だって友之君の事ばっかり心配してるじゃん」 「………」 友之が絶句するのに光次ははははと笑った後、「でも俺も心配してるからね?」と笑って身体を放した。光一郎が不満そうに「何、内緒話してんだよ」と言ったけれど、光次は「別に」と言っただけでとぼけて見せた。 「………」 友之はその後も続く2人の不毛な言い合いを眺めながらちらりと光一郎を盗み見た。 光一郎の1日を全部自分が取ってしまった後ろめたさがじわじわと身体にしみこんでくる。 けれどそれ以上に、光一郎の温かさがありがたくて、やっぱり泣きたくなるほど嬉しかった。 |
To be continued… |
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