―6―



  友之が所属している社会人中心の草野球チームは、通常、日曜日に集まって練習や試合を行う。それは仕事や学校に通う彼らの共通休暇が日曜で、必然的に河川敷のグラウンドを借りる曜日もそこに合わせるからなのだが、その週は日曜にグラウンドを借りる事が出来ず、土曜に号令が掛けられていた。
「……あいつらナメてるだろ」
  けれど、その日に集まった人数はたったの5名。事前に「大丈夫だと思う」というメンバーの確約を取れたからこそ、自分も無理に仕事の都合を合わせて休みを取ったのにとキャプテン・中原正人はぼやいた。面子が5人では、キャッチボールは出来ても、守備練習や打ち込みは中途半端になってしまう。おまけに正規選手(レギュラー)が2名しかいないとあっては、やる気も起きない。正人は大仰に溜息をついた後、「今日は止めるか」と珍しく早々に白旗を揚げた。いつもならどんなに少人数でも助っ人だの何だのをかき集めて練習をしようとするのに。ぐずついた天気が正人の投げ遣りな気持ちに更に拍車を掛けたのかもしれない。
「何かなぁ、たりぃ。ま…他の奴らも、そういう日だったのかもな」
「何だ、キャプテンまで、そもそもやる気なかったのかい」
  ボロボロの木のベンチにごろりと横になった正人を呆れたように見下ろしたのは電気店店主の村井だ。皆からは「村さん」と呼ばれて慕われており、そもそもは彼が「町内会の暇人を集めて草野球チームを作りたい」と思いついた事からこのチームは生まれた。だから“キャプテン”という所謂雑用係は「若いもんがやった方がいい」と正人に押し付けてはいるが、本日の練習にもきっちり出席してきている。村井は家人にぶうぶう言われながらもこれまでの集まりも見事に皆勤、どんなに仕事が混んでいてもチームの号令には必ず駆けつける野球マニアなのだった。
「もうすぐ大会なのになぁ、今年あたりそろそろ勝ちたいよなぁ」
  その村井はガランとしたグラウンドを寂しそうに見やりながら、正人とは違った意味で溜息をついた。折角準備万端、土曜だろうが何だろうが気合満点だったというのに、気を削がれて意気消沈といった様子だ。
  そんな村井に対し、横になったままの体勢で正人が唇を尖らせる。
「一度も勝った事ないような言い方すんなよ」
「え?」
「偶には勝ってるだろ」
「偶にじゃヤだよ。俺はね、草野球と言えども、やるからには常勝と呼ばれる程の名門チームを作り上げたいの。だぁから、敢えて若いもんにしか声掛けてないし? この間もうちの爺さんが入りたいっていうのを、そ知らぬ顔で隣のササキさんとこのチームに紹介したからね」
「鬼だな」
「そうか? いや実際、鬼コーチがいるこのチームは、年寄りにゃあ無理だって」
  いいんだ、俺は体育会系の草野球チームが望みだったんだからと村井はでっぷりとした腹を擦りながら偉そうに言ったが、そんな2人の、話の内容に見合わずどこかだらりとした会話を聞いていた残りの3人は、どこかしらっとした空気を纏ったままそこにいた。
「んじゃセンパイ。俺もう帰ります」
「あん…? うち来ねえの。暇になったし、奢ってやるぜ?」
  その3人のうち、最初にその場を去ろうとしたのは正人の後輩である渡辺という青年だった。正人とは高校が一緒だったらしいが、友之はあまり話をした事はない。彼もこのチームに所属はしているものの通常は試合の助っ人中心で、普段は専門学校とバイトに忙しく、なかなか顔を見ないメンバーだった。
  そんな人間が今日という日に限っていたのには皮肉と言う他ないが。
「練習ないなら帰ります。ガッコーの宿題あるし」
「スゲェな、何だよ宿題って」
  正人がからかうように訊くと、渡辺青年は自らもニッと軽快な笑みを閃かせながら帽子の鍔をくいと指先で上げた。車の整備工になりたいという彼の手は、体躯が細身の割にごつごつとしてとても大きい。助っ人でいつもピッチャーをやっている彼には似合いの大きな掌だった。
「まぁ。成績悪くてサボってる奴にだけ配られるご褒美なんですけどね?」
「ハッ…。悪ィな。また声掛けるからよ」
「はいはい」
  寝っ転がったまま片手を挙げて「バイバイ」をした正人に渡辺青年はもう一度笑ってみせると、傍にいた村井にも被っていた帽子を下げて軽く頭を下げた。以前は中原同様、相当な「ワル」だったらしいと同じチームのメンバーが悪気もなく噂していたけれど、友之が遠目で窺う限りにおいては、野球帽の中に隠された派手な金髪以外は特に取り立てて「悪い」といった感じは見受けられず、至って好青年に見える。チーム内でもエースではないが、カーブやフォークなどの球種も持っているしコントロールもある。それほど練習には参加していないのに、それを軽くこなす姿も、友之にしてみたら「凄い先輩」というところだ。
「そういやお前、今は幾つバイトしてんだ?」
  ぼうと3人の様子を眺めていた友之には構わず、正人は去ろうとしていた渡辺青年にまた声を掛けていた。村井もそれには興味があるようで、「お前、いつも気づくと違うもんやってるしなあ」とからかうように付け足している。
「んな辞めてないっすよ。人聞き悪いなあ」
  渡辺青年はそれに対して軽くかわすような物言いをした後、「えーっと」と考える素振りをした後、「2つかな」と意味不明に曖昧な答え方をした。
「スタンドはこの間辞めたし、引っ越しは呼ばれたら行く感じだから、固定職は今んとこ2つ。そうそう、この間から始めたバイトは結構オイシイですよ。ガッコーに文房具置きに行くの」
「文房具ぅ?」
  正人が胡散臭そうな顔をするのを渡辺青年は予想していたような笑いを浮かべた後、細い目を見開き、去りかけていた身体を元に戻した。
「そーっ。回るとこ、女子高もあるし。この間なんか桜乃森行っちゃった。先輩にも紹介しましょうか? カワイイコ、結構いますよ」
「女子高生を? 冗談じゃねえよ」
  もういいお前行けと、正人は、今度はしっしと言う風に片手を振って、帽子を目深に被ると後輩への視界を完全にシャットアウトしてしまった。村井はそれを見て可笑しそうに「今、正人に女の話は禁句でしょう」と言っていたが、渡辺青年は「そうなんですかぁ?」と腑に落ちない顔をした後、「じゃあホントに行きます」と、また村井に頭を下げた。
「あ」
  そうして、残りの2人―その場にいた友之と数馬―にも初めて思い出したという風に視線を向けて、渡辺青年はにこりと笑って手を挙げた。
「じゃあな! トモ君と……数馬?」
「あ……」
  自分に声が掛けられるとは思っていなかったので友之はすっかり慌てて、たどたどしく頭を下げた。もうこのチームに入って大分経つけれど、実際よく喋るのは正人と村井、それに数馬くらいしかいない。他の大人たちも気を遣って時々話をしてきてはくれるけれど、それに対してまだうまく対応する事は出来ない。
  ましてやこの渡辺青年とは、(彼の都合とはいえ)殆ど顔を合わせる事もない。
「何でボクだけ『?(ハテナ)』マークついてんの」
  けれど友之がそれに対し焦っているのとは裏腹に、バックネットの壁に寄りかかって本を読んでいた数馬は、視線も上げず渡辺青年に向かって不機嫌な声を発した。
「……っ」
  友之はそれで余計に慌てて自分の背後を振り返り見た。
  今日の数馬は会った時からどこかおかしかった。挨拶をしても上の空で、普段は掛けない伊達眼鏡をしてどうにもよそよそしく、口数も少ない。そうしてメンバーが集まって練習が開始されるまでの暇潰しとでも言うように、ずっと同じ体勢で本を読んでいただけなのだ。
  いつもなら友之に色々な事を話しかけてきたりするのに。
「だってお前とはあんまり会った事ないし。そういう名前だったっけって思って」
  正人の後輩なだけあり、渡辺青年も数馬の人となりは何となく熟知しているのだろう。別段気分を害した風もなく、彼は軽く肩を竦めてその攻撃をかわした。それからちらりと正人と村井を見た後、もう一度数馬を見て声を掛ける。
「数馬でいいんだっけ?」
「うん」
「そっか。ごめんな」
「いいよ」
「ふっ…。変な奴」
「隆(りゅう)。あんま、そいつと関わるな」
  正人がようやく口を挟んだ。それで隆―渡辺青年の名前だ―はこくんと頷いた後、今度こそ行くという風に踵を返した後、最後に友之に手を挙げた。
「そういや、トモ君の学校にも行く事あるかも。学校行ったら声掛けるよ」
「え……」
「ばいばい!」
「あ……」
  また反射的に頭を下げたものの、うまい事言葉は出なかった。あまりに向こうが普通に接してくれたから途惑ったというのもあるし、数馬がどうにもぶっきらぼうでそれが気になったというのもある。
「あいつも丸くなったなぁ」
  村井が何ともなしに呟くのを友之が驚いて反応すると、正人が帽子を指先で上げて面白くもなさそうな顔を見せた。
「丸くなった?」
「なったじゃないの。礼儀正しくなったし。後輩にも気を遣うし。お前、前とかなんか思い出してみ? 今のあれだけでも大乱闘よ?」
「………まあな」
  正人は納得したように頷いた後、すかさずむっとして未だ同じ体勢で本を読んでいる数馬を睨み据えた。朝から様子が変だという事は、勿論友之よりも付き合いが長い正人の方が分かっているのだろう。
  だからと言って先輩後輩の上下関係には口煩いところのある正人である。今の数馬の態度を見過ごす気はないようだった。
「おい、お前はよ。一体何なんだ?」
「………」
  正人に話を振られて数馬はちらりとした視線を向けた。「黙ってこのままスルーしたい」オーラは満々だが、正人相手ではそれも叶わないと知っているのか、面倒臭そうにしながらも開いていた本は閉じる。
「何って?」
「隆に対する態度。感じ悪ィな」
「そうですかね。いつもと同じだと思いますけど」
「それだそれ! そういう言い方が気に食わねーんだよ! 何なんだテメエは!? 休日の朝っぱらからつんけんしやがって!」
「ま、まあまあ正人…お前も…」
  村井がこれ以上こんがらがるのは嫌だという風に間に入ろうとする。友之も途端険悪になった空気にオロオロとして、無意識に数馬の方へ身体を動かした。
「……何だよ」
  すると数馬はそんな友之の方に矛先を向けて、思い切り不機嫌を表に出してきつい口調を放ってきた。
「何でいきなりそこに立つの。邪魔なんだけど」
「あ……」
「どいて。ボク、今あの先輩と話をしてるんでしょ?」
「話じゃねえだろ! 俺はお前の態度の問題を―」
「わーっ、そうやって声を荒げるの止めろっての、お前は!」
  正人と村井が一緒に声を大きくするものだから、2人だけでもそれが人気のないグランドに響き渡って、上方の通りを行く通行人が不思議そうな顔をして見下ろしてくる。当の2人も友之もそんなギャラリーには全く気づいていなかったのだけれど、数馬だけが冷静だったらしい。すっくと立ち上がるとあっという間に自分の前に立ちはだかる友之を押し退けて年長の2人に堂々とした物言いを発した。
「帰りますよ。今日は練習ないんでしょ」
「待て。その前に何でそういう態度なのかを話してけ」
「そういう態度って」
「何をイラついてるのかって訊いてんだよ!」
  正人がムキになって数馬に突っかかろうとする。村井が軽く抑えている為になかなか2人の距離は縮まらなかったが、それは数馬の方が自分に歩み寄って来ようとする正人を忌避しているからかもしれなかった。
  口は荒いけれど、正人は不器用なだけだ。数馬の不調を心配しているだけなのだろう。
  勿論そんな事は数馬にも伝わっているのだろうけれど。
「とにかく今日はもう帰ります。また来週」
「お、おう。また来週な!」
「村さん! 何でアンタはそう、ヤバそうな事は流そうとする!?」
「お前が直球過ぎるんだよ。数馬だって不機嫌な日くらいあるだろ?」
  正人と村井はまだ何事か言い合っていたけれど、数馬はもう構わない風にカバンを下げて勾配のある草地を上がって行く。きちんとさよならをしてくれた渡辺青年とは違って友之の方をちら見もしなかった。
「あの!」
  友之は、だから数馬の後を追いたかった。元々今日だって練習が楽しみだった事もあるけれど、数馬に会える事自体を待ち遠しくも思っていたのだから。
  それなのにこんな風にちっとも話せないまま別れてしまうのは嫌だ。
「僕も……これで……」
  だからすぐに荷物を持って、自分も数馬の後を追おうとした。正人はそれに対して「放っとけよ!」と声を掛けたものの、村井の方が「そうだそうだ、トモが行けばいい」と勧めてくれたので、すぐさま頷いて駆け出す事が出来た。正人はそれによってまだ背後で村井に何か言っていたけれど、友之にはもうさっさと去って行こうとする数馬の背中しか見えない。必死に数馬と距離を縮めようと足を速めた。
「数馬っ」
  だから思ったよりも早く追いつけた事で友之は息を荒げながらも声を大きくしてその友人を呼び止めた。
「どうしたの…数馬…っ」
「……何が」
  それでも数馬は歩く速度を緩めはしなかった。河川敷グランドを見下ろせる細い小道は、その先数百メートルほど歩くと大きな公道と陸橋にぶつかって、間もなく商店街のある駅に繋がって行く。そこに至ると人の入りも多くなるし、このまま歩かれたら見失ってしまう可能性もあるから友之は焦っていた。
「何でそんな急いでるの」
「家に帰りたいから」
「どうして…っ?」
「何か今日は外出る気分じゃなかった。なのに出ちゃって、失敗しちゃった」
「何で…っ」
「……何で? 何が、何で?」
  相変わらずキミは意味が分からない、と数馬は腹を立てたように呟いた後、更に歩幅を大きくしてズンズンと歩き出した。らしくもなく数馬も正人のようにムキになったように友之という存在をかわそうとする。
  避けようとしている。
「数馬っ」
  友之にはそれが堪らず、折角1週間ぶりに会えたのにと、ゼエゼエと息を切らせつつ自分も歩く速度を懸命に速めた。
「練習なくなっても…っ。話そうよっ…」
「……話す? 誰と?」
「ぼ……お、俺と……」
「キミと? 何の為に?」
  ハッと馬鹿にするような嘲笑が漏れたのが分かって、友之はカッと頬を紅潮させた。思えば数馬にそんな風に誘いを掛けたのは初めてかもしれなかった。いつもそんな事いちいち言わなくても数馬は話したいと思っている時は自ら寄ってきて色々と話題を振ってくれたし。
  待っているだけで、数馬は友之にいつも色々なものをくれるから。
  だからあまり意識していなかった。
  こんな風に急に拒絶されるように背中を向けられる事。
「な…何で、今日は、眼鏡掛けてるの…?」
「……そんな事がお前の話したい事かよ?」
  呆れたように数馬は言う。ただ、何故か歩くスピードは弱まった。友之の方を振り返りはしないけれど、声のトーンもぐっと静かになり、苛立ちが薄れてゆく。
  友之はそんな相手の変化を確かに感じながら、はっはと息を吐きながら尚も声を上げた。
「今日…っ。不機嫌…?」
「見りゃ分かるだろ」
「うん」
「………」
「何で?」
「何が?」
「何で…不機嫌…っ?」
「不機嫌になっちゃいけないの。俺はいつでもニコニコ、バカな事ばっか言ってお前を笑わせる偉い奴でなくちゃいけないの」
「ううん…」
「………」
「別に…不機嫌でも、いいよ…っ」
  友之の答えに数馬は何も言わなかった。それでも急にぴたりと足を止めると、友之がそれに気づかずそのままぶつかりそうになるのを冷めた目でちらりと振り返り見る。
「あ……」
「……あのさぁ」
  数馬はそうしてすうと据わった眼を友之に当て続けながら、形の良い眉を寄せて如何にも迷惑なんだという風に口許を歪めた。
「そんなに必死にならないでくれない?」
「え…?」
「別にキミの事で怒ってるわけでも何でもないし。機嫌は悪いけど、最悪って程でもない。そんな日もあるんだ。ただ、今日は優しく構ってあげられる気分でもないってだけ」
「……数馬」
「それだけ。いつでもキミ中心でいられるボクじゃないってだけ」
  眼鏡の奥に光る数馬の眼を友之はじいと見つめた。レンズ越しのせいかあまりよく見えない。けれど、いつもの不敵な香坂数馬とはどこかが違っているようには見えた。
「キミだってそうでしょ。いつでもボクの事だけ考えてるわけじゃないでしょ。自分の事で精一杯でしょ」
「……うん」
  咄嗟に昨日までにあった色々な事が思い返されて友之は表情を翳らせた。
  ほんの1週間前に数馬とここで会っていた時にはこんな風になるなんて想像もしなかった。姿の見えない誰かに悪意ある目を向けられる事。友達と思っている沢海に負担を掛け、橋本が直面している悩みにも対処出来ていない。学校が憂鬱。光一郎にはそのせいで昨日1日を棒に振らせた。
  そして修司を怒らせて、そのまま。光一郎によると家には一度帰ったようだけれど、また昨日の時点ではどこぞへ行って姿が見えないらしい。
  それでも何もしてあげられない。
「そうでしょ。自分の事が第一でしょ。まずは自分、でしょ」
  数馬が追い討ちを掛けるようにそう言った。
「うん…」
  だから友之は素直に頷き、けれど、それでも―…数馬の顔をさっと見上げると、これだけは言わなければとごくりと息を飲み込んだ。
「でも」
「でも?」
  数馬はいつもすぐに聞き返してくる。息継ぎをするのがままならない。それでもその勢いが大切な事だってある。
  だから友之は言った。
「今は…数馬の事、考えてるよ」
「………」
「どうしたの。何か……あったの」
「……言うね」
  数馬は友之の言葉にハアと溜息をついた後、いつもの余裕ぶった笑みを浮かべて………やがて、「むかつく」と呟いた。





「生き急ぎたくないよね。まだ若いんだから」
  陸橋の下を流れる細い川を見やれる位置に2人で座って、友之は数馬が気だるそうに喋る横顔を眺めていた。
「トモ君はどうよ? せかせか生きたい? 自分の人生」
「……あんまり」
「嫌でしょ? キミなんて特にそうでしょ。だっていつでも分かんない分かんないって立ち往生してるような人じゃない」
「……うん」
「でも別にそれが絶対的に悪いってわけじゃないよ。そういうのが必要な時もあるしね」
  ボクはまさに今それなんだなあと、数馬は今度は実に大袈裟に両手を広げて見せてから、これまたわざとらしく大きな溜息をついてみせた。
  それからじっと自分を見やっている友之に挑むような視線を向けると、膝を抱えてニヤリといつもの意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「で、さ。結局、トモ君にはボクのこの苦悩が分かってもらえる?」
「え…」
「何で不機嫌なのか分かる?」
「わ……」
  ここで分からないと言えばまた気分を害させてしまうだろうか。友之は一瞬躊躇し、しかし「分からないものを分かる」というわけにもいかず、暫しフリーズした。数馬が不機嫌なのは分かる。けれどその理由は分からない。ただそれをそのまま分からないと言って斬り捨ててしまうのは、友達としては「いけない事」なのだろうという事だけは分かっていた。
「あの…。生徒会の人と喧嘩したって本当?」
「……は?」
  膝を抱えて頭をもたげかけていた数馬が、友之のその発言によってすっと顔を上げた。
  友之はそんな数馬に無駄にびくりと身体を震わせたが、元から気になって訊こうと思っていた事なんだしと、ごくりと唾を飲み込んだ後勢いに乗って続けた。
「光次君から聞いたんだ。数馬が、学校の人と…生徒会に入るとか入らないとかで喧嘩したって」
「好きだねえ、そういうどうでもいい噂話」
  数馬は薄い笑いを浮かべながら、おもむろに尻ポケットから携帯を取り出してそれをかちりとスライドさせ、何を見ているのか画面にすうと目をやった。
  それからちらりと友之の方を見て、「今はこんな時代だからね」と面白くもなさそうに続けた。
「トモ君は知らないだろうけど、今や学校の内部事情ってヤツ? ホントも嘘も、携帯一つで何でも全部覗けちゃうんだよ。ロクでもないヤツが自分のプロフに載せる事もあるし、決まったコミュニティサイトで情報交換する事もあるし」
「こみゅ……何?」
「別に知らなくてもいいんじゃない」
  くだらないし、と数馬はきっぱりと言い捨てた後、「どうでもいいけどさあ」と再び携帯をしまった後、心底不愉快だという風に唇を尖らせた。
「そんなねえ、学校の事なんかどうだっていいんだよ。あんなくだらない事でこのボクがいちいち不機嫌になってたとかって思ってたんなら、本当心外だから! 大体トモ君はさ、ボクが学校の連中と喧嘩?だか何だかしたとして、ボクが負けたりしちゃうとか思うわけ?」
「お、思わない…」
「そうでしょ? どう? ボクが学校で仲間外れ?か何かになったとして、暗〜くミジメになって落ち込んでたりすると思う?」
「思わない……」
「そうでしょ。キミじゃあるまいし」
「…っ!」
  突然振られて友之はドキンとして目を見開いたが、数馬の方には取り立てて何か意図があったわけではないらしい。友之の動揺には気づいたようだけれど敢えてそれには深く立ち入る気はないのか、数馬は相変わらずぶすくれた調子で再び膝を抱え、必要以上に身体を丸めた。
  そしてらしくもなくふっと溜息をつくと、数馬は言った。
「ボクがね、憂鬱なのはさ。まあ情けない話だけど、家庭の事情ってやつです。ごくごく私的な事情なんです」
「家庭…?」
「うん、そう。トモ君と一緒だね」
  ちらと友之を見て笑う数馬は、友之の目から見たらそれほど悩んでいる風には見受けられなかった。
  それでもいつものような覇気や勢いがないのも事実で。数馬はどこか疲れているような…そう、心底ウンザリしているような様子だった。
「あんまり振り回されたくないんだけどなぁ…。まあボクもまだ高校生ですから。子どもですからね。時にはこんな目に遭う事もありますよ」
「数馬…?」
「まあ相談に乗ってくれようってキミの優しさは買いだけど。今はこれくらいしか言えないかなあ」
「……言えない?」
「言ってもいいけど、くだらないし。そのうち言うかも」
「………」
「でも、心配してくれてありがとう」
  数馬は友之の顔をはっきりと見て、そう言った。そうして笑って、未だ割り切れない顔を見せる友之に向かってさっと長い腕を伸ばすと、その頬にさらりと触れてまた笑った。
「………」
  友之はそんな数馬に何も返せず、けれど笑ってくれた数馬が嬉しくて、自分も何とか弱々しく笑顔を浮かべる事が出来た。数馬が何かに悩んで落ち込んでいるという事、それがどうやら家庭の事らしいと分かっても、どうにもしてあげる事は出来ない。数馬も別に望んではいない。ただ、数馬はやっぱり大切な友達だから、話してきてくれた時には何かを返せる自分でいたいと思った。自分の事ばかりでしょと言われて、それは本当にその通りなのだけれど、友達が困っている時は友達の事を考えてあげられる、そんな人間でいたいと思う気持ちも本当なのだ。
「話したくなったら……話してくれる?」
  だから友之はおっかなびっくりではあったけれど、とんでもなく小さな声でそう言ってみた。
「………いいよ」
  数馬は最初何も言わなかったけれど、やがて友之に負けず劣らず、わざとなのかと疑うような囁き声でそう返事をした。その顔はやっぱり少しだけ笑っていた。



To be continued…




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