ぐしょ濡れになりながら部屋に戻った後は、何度も何度もキスをした。 友之は光一郎の熱がひどく気になったけれど、何度も「大丈夫だ」と言われて。 友之自身も光一郎とキスをしたかったから、抱きしめられたかったから、結局その夜は心配の言葉を飲み込んでしまった。 (21) 部活動で学校の外周を走っていた女子生徒たちが、すれ違いざま口々に「カッコ良すぎ」だとか「芸能人!?」だとか異様にはしゃいだ声を上げているのが聞こえていたから、友之は校門の前でバイクに跨ったままこちらに手を振っている修司を見ても驚く事はなかった。 修司と会うのは久しぶりだった。光治の写真を貰ってアラキで別れて以来だったから、目の前の笑顔にはどこか奇妙な懐かしさすら感じた。 「 お勤めご苦労さん」 そんな修司は明るく気さくな笑みを湛えた「いつもの」優しい修司だった。ハンドルに両肘を掛けた格好ですっかりリラックスした表情をしている。友之がすぐ傍にまで近づくともう一度「お帰り」と言い、修司はふっと笑った。 「 久しぶりの学校はどうだった?」 「 ………楽しかった」 「 お。本当? それってスゴイじゃん」 友之の発言に修司は目を見開き心底驚いたような顔をしてから、やはりゆったりとした笑みを向けた。それから校舎の方へ視線を向け、しばし黙る。友之はそんな修司の横顔をただじっと見つめ、その1拍後、ぽつぽつと今日の出来事を話して聞かせた。クラスメイトの沢海や橋本が相変わらず楽しい話をたくさんして自分を和ませてくれたこと。遅れていた分の勉強も2人のカバーで何とか追いつく事ができそうなこと。 それと、ずっと提出できないでいた「進路希望調査票」を担任に渡す事ができたこと。 その話になると修司は遠くへやっていたような意識をすっと友之に向けてから、どことなくからかうように言った。 「 コウ君から聞いたよ。看護学校か福祉の専門学校志望って書いたんだって?」 「 うん」 こくりと頷くと、修司は目を細め、そう言った友之をじっくりと観察するように眺めやった。それからやや首を捻り、「どうして急にそんな事を書いた?」と、光一郎と同じ事を訊いてきた。 「 ……誰かの役に立ちたいから」 友之がボソリとそう言うと、修司は「……へえ」と一瞬の沈黙の後反応を返し、やがて「うーん」と大袈裟に首を捻った。 「 ヘン…?」 ただ、友之が小声でそう言った態度が心配そうなものに見て取れたのだろうか、修司はすぐに声を立てて笑うと違うというように首を横に振った。 「 いやいや。やっぱりトモは良い子だね。俺が見込んだ通りの子だ。…それに」 そうして修司は自分の傍にいる友之の頭をよしよしと撫でると、にやりと笑って勝手知るような口調で続けた。 「 それに夢を持つのは良い事だ。夢があるってのは、ステキな事だからね」 「 ………修兄」 「 ん……」 友之が何事か言いたそうな顔をしている事が分かったのだろうか、修司はぺらぺらとわざとらしく動かしていた口をぴたりと閉ざした。そして再び視線を友之から逸らし、その後何でもない事のように言った。 「 トモ。またしばらくお別れだ」 「 え……」 「 そろそろ充電。今度は…うーん、北の方へ行こうかな。トモの好きそうな写真、たーっくさん撮ってくるな」 「 修兄…?」 心細そうに呼ぶ友之の声を無視し、修司は1人でさっさと話を進めた。 「 それでトモに頼みがあるんだわ。今日な、裕子と約束してたんだけど。俺、これからこのままもう出るので行けなくなったから。あいつに言っておいてくれるか? 『あんたの彼氏はまた旅に出た』ってさ」 「 ………」 友之が眉をひそめたまま口を閉ざしていると、修司は多少困ったようになってから片手で自らの頭をがりがりとかきむしった。そうして「どうしてお前はそうカワイイ顔するかなあ」などとつぶやき、苦笑した。それは笑っているはずなのに、1人でバットを振っていた時の陰鬱な修司にやや近かった。 修司は言った。 「 なぁトモ。俺な、最近ずっと考えてたんだよ。柄にもなく、な。荒城修司って奴のこと」 「 ……修兄のこと?」 「 ああ、そうだよ。でもそれだけじゃないぜ。コウ君のことも、トモのことも」 「 ………?」 友之が分からずに首をかしげると、修司は自分もそれを真似るようにして一緒に首をかしげてから、「あはは」と軽い笑声を立てた。そして不意に片手を差し出すと友之を引き寄せ、そのまま実に自然な所作でキスをした。 「 ……!」 驚いて身体を逆らわせようとした時にはもう遅かった。友之は目を見開いたまま、修司からのその突然の口づけを受け入れてしまった。 「 ぅん…ッ」 喉の奥でくぐもった音が漏れたのが自分でも分かったけれど、同時に友之はそんな修司からのキスが、あの時強引にされたものとは違う、何か別のもののように感じた。 それは少しだけ寂しそうなものではあったけれど。 「 ……あー、得した」 唇を放し友之から離れた後、修司は笑顔ながらもしみじみとした様子でそんな事を言った。それからぽかんとしている友之をそのままに、後部座席に置いていたメットを被るとすぐにバイクのエンジンを掛けた。 そうして修司は事も無げに言い放った。 「 トモ、今のは共犯。コウ君には内緒にしてような!」 「 え……」 「 絶対トモの気に入る画、撮ってくるよ! そしたらまたチューしよう?」 張りのあるその声はバイクのエンジン音にかき消される事なく友之の耳にもはっきりと聞き取ることができた。 「 修…ッ!」 友之の呼びかけに、けれど修司はもう応えなかった。片手を挙げて挨拶をすると、後はいつものようにあっさりと、実に簡単にその場を去って行ってしまった。一旦旅に出てしまったら今度はいつ帰ってくるのか分からないのに。 「 修兄…」 友之は修司が去って行った道をしばらくじっと眺めたまま、何となく触れられた唇に指先を当てた。 |
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いつも日曜日に使用している河川敷のグラウンドは、少年野球のチームが練習試合に使っていた。湿った曇り空のお陰か、元気に駆け回る少年たちを土煙が覆う事はなかったが、一塁側のすぐ傍、薄汚れた木のベンチに腰掛けている裕子は白っぽいロングスカートを履いていた。あれではさすがにすぐ汚れてしまうだろうにと、友之は裕子を見た途端にまずそれだけを思った。 裕子は傍にやってきた友之にすぐには気づかなかった。目を細め、実に楽しそうな顔をして少年たちの練習を観戦している。その横顔はとても穏やかなものに見えた。 そして一方で、どことなく寂しそうなものにも見えた。 こんな風に1人で知り合いのいない野球チームの様子を眺めている裕子を友之は見た事がなかった。 「 トモ君」 そんな裕子が友之の存在に気がついたのは、少年の1人が転がったファウルボールを追いかけてラインの外に出てきた時だった。その姿を追っていた裕子は、そのまま自分のすぐ傍に立ち尽くしている友之の姿をも認め、多少驚いたような顔を見せた。 すぐにいつもの明るい笑顔になったのだが。 「 どうしたの、トモ君。私がここにいるってよく分かったね」 「 おばさんが…」 「 ああ、私場所を言ったっけ」 「 アラキに行ったって聞いたから」 「 そうなんだ」 裕子は納得したように頷いてから腰を浮かしてベンチの端に移動し、友之にも隣に座るよう促した。友之が大人しくそれに従うと、裕子は少しだけ迷ったような仕草を見せた後、「光一郎の熱は下がった?」と実にさり気ない口調で訊いてきた。 「 うん。明日からバイト行くって」 「 ふふ…。すごいよね、あのコウちゃんが熱出して3日も寝込むなんて。でも本人、熱よりも横になってなきゃいけない事に苦しんでたんじゃない?」 「 うん。眠れないから苦しいって。でも…熱が下がるまで心配だったから」 「 あはは。トモ君に頼まれたんじゃあ、コウちゃんも我慢して寝ていたわけだ。でも本当良かったよ、大したことなくて」 「 うん」 「 ………」 友之が頷いた後、裕子は笑いを浮かべたまましばし黙りこくった。それから下を向き、何事か考え込むような顔をしてから「修司に頼まれたの?」と突然切り出してきた。 「 え……」 意表をつかれて友之が言い淀むと、裕子はすっと顔を上げて視線を寄越し、得意気に言った。 「 あいつの行動パターンなんて簡単に読めるよ。大方、今日の約束から逃げる為にまた何処かへ行っちゃったんでしょう? 今度は何処へ行くって?」 「 北の方へ行こうかなって」 「 ふうん……」 何ともないように裕子はそう応えた後、手持ち無沙汰のようになって両足をぶらぶらと揺らし始めた。焦点はそこへいっていない。けれどしきりに足を動かした後、裕子はやや投げやりになって言った。 「 修司、私と別れる気だよ」 「 え…」 友之が茫然と声を出すと、裕子はますます口の端をあげて笑った。 「 いよいよかなって最近思っていたけど。うん、もう決定的かなあ。あーむかつく。どうせなら私からフリたかったのに」 「 裕子さん…?」 「 ねえ、トモ君。私はさ、コウちゃんのことが好きだけど、修司の奴のことも、あいつはあいつで好きだったんだよ。これは本当。……時々無性に殴ってやりたいくらい嫌いにもなったけど」 「 ………」 何だか同じような事を修司の口からも聞いた事があるような気がする。そんな事を思いながら友之は黙って裕子の言葉を聞いていた。 裕子は友之の方は見ずに続けた。 「 でもさ、これって世間的に見たらどうなのかな。光一郎も好きで、修司も好きで…」 指折り数えるようにして言いながら、裕子は最後に友之をちらと見た。 そして笑って。 「 それにさ…。私、トモ君の事も大好きだし」 「 え……」 「 そうだよ、大好きだよ? コウちゃんにも修司にもこんなに素直に言えない。けど、トモ君には私の情けないとこ全部見せられる。こうやって素直にもなれるんだ。だからトモ君ってすごいんだよ?」 「 ………」 「 でもさあ…男3人好きって…。それってかなり人格に問題があるのじゃなかろうか。そこが問題なのだよねえ」 「 ………」 最後はおどけたように言った裕子だったが、友之がちっとも一緒になって笑ってくれないのを悟るとすぐにしんとなり、沈黙した。それから裕子は横に置いていたバッグから在る物を取り出すと、友之の手にそれを握らせた。 それは銀色の鍵だった。 「 トモ君家のスペアキーだよ。それ、もう私が持っているのは駄目」 裕子はきっぱりとそう言ってから意地の悪い顔になって笑った。 「 修司に返してやろうと思ったけど、最後まで私をバカにした罰。それはトモ君に返す。ああ、でも正人とか香坂君には渡して欲しくないなあ。マスターあたりにしておいてよ。ほら、マスターなら頼りになるし」 裕子は自分の代わりに北川家のスペアキーを持つ人間が中原や数馬になる事だけは心底嫌なようで、「本当にそれだけは勘弁」と何度となく繰り返した。そして友之が渡された鍵を掌に乗せたまま困ったような顔をしているのにも構わず、裕子はすっと立ち上がると両腕を上に伸ばしてうんと大きく背伸びをした。背筋を伸ばした裕子を見上げると、その長い髪が艶やかになびいているのが見えた。 「 裕子さん…」 裕子が自分に背中を見せたからだろうか、ようやく友之はまともな声が出せた。 「 裕子さん」 そうして友之はもう一度言った。少しだけ胸の奥がじりりと痛んだ気がしたが、言わなければと思った。 「 何で…謝るのかって…聞いたでしょ…」 「 え……」 裕子が少しだけ首を動かしてこちらを見た。友之は慌てて下を向いたが、背中を押されるように後の言葉を続けた。 「 あの時…どうして謝るのかって…。こ…わかったん、だ…。裕子さんに…コウを取られるのが…。でも、そんな風に思う、自分…情けなかった…」 「 トモ君……」 これは憐れみの篭もった声だろうか。判断はできなかったが、友之は自分を呼ぶ裕子の声を耳に入れると、何故だか胸だけでなく耳朶までじんじんと何かに引っ張られるような感覚に襲われて眉をひそめた。細波のように引いてはやってくるその痛みに翻弄された。 けれど、やがて。 「 ばっかだなあ…」 裕子の少しだけ寂しそうに笑う声に友之は驚いて顔を上げた。裕子はもうとうにこちらを向いていて、そうして友之を慈しむような目を向けて微笑んでいた。 裕子は言った。 「 そんな事で謝らないでよ。自分を責めないでよ、トモ君。何でもない事じゃない、当然の行為じゃない。むしろ私こそ…本当、うざったい事しているって自覚はあったんだ。本当…私こそごめんね」 「 裕…」 「 それに」 友之に言わせないで裕子は首を横に振った。 「 たとえトモ君が私にひどい事を言ったりやったりしたとしてもだよ? 私はトモ君のやる事なら何だって許せるよ。絶対、何だって平気だよ。だって私は全面的にトモ君の味方なんだから」 そうして裕子はまたくるりと背を向けて、両手を後ろに組んだまま晴れ晴れとした様子でグラウンドの方向へ視線を向けた。拍子、また裕子の黒髪が綺麗に揺れた。友之はそんな裕子の後ろ姿に何だか堪らないものを感じ、手にしていた鍵をぎゅっと握り直した。 そして。 「 これ……裕子さんが持っていて」 「 え?」 一旦は受け取った鍵を友之がそう言って突っ返した事に裕子は振り返って思い切り面食らった顔をして見せた。それから戸惑いながら苦笑し、ひらひらと両手を振った。 「 どうして? トモ君、そんなの私に持たせたら…。大体、トモ君は私がうるさくしているの、嫌でしょ…?」 「 ………嫌じゃない」 「 でも……」 「 僕も…裕子さんを好きだから…」 それは本当の気持ちだと友之は思った。いつもいつも護ってくれた。いつもいつも許容してくれた。 「 僕だって…コウも…裕子さんも修兄も好きだよ。同じだ……」 「 同じ……」 裕子がそう発した言葉に、友之は強く頷いた。 「 うん。同じ、だ…。裕子さんと…」 「 同じ……」 裕子は何度かその言葉をつぶやいてから、一瞬だけ泣き出しそうな顔をした。けれどもすぐにかぶりを振ると、裕子はくるりと友之を見返して思い切り大きな笑顔を見せた。 「 ……なーんだ、トモ君も私と一緒で人格に問題があるんだ? 私と同じで光一郎も修司も好きで。私たち、お互い両想いで。それって何だかスゴイね!」 家族より家族みたい。 しかし裕子はおどけてそう言いはしたものの、友之が差し出した鍵を受け取る事はしなかった。裕子はもう一度くるりと背中を向けると再度伸びをし、そして突然素っ頓狂な声を張り上げた。試合中の野球少年たちが驚いて視線を向けてくるほどの、それは実に大きな声だった。 「 あーあ、どっかにイイ男いないかな! 金持ちで、ハンサムで! すっごく優しいイイ男!」 「 ………裕子さん」 「 トモ君、私もさ。そろそろ学校行こうかな。それで合コンいっぱいやってさ! 修司より光一郎よりイイ男を見つけるよ。私が彼氏作ったら、あいつら絶対後悔するんだから」 裕子はそう言って友之に自信に満ち溢れた顔を見せた。それは久しぶりに見る、裕子の晴れ晴れとした綺麗な顔だった。友之は返された鍵をぎゅっと握り、そんな裕子の顔をただじっと見つめた。 |
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家に帰り着くと、リビングの入口からすぐに光一郎が電話で誰かと話す声が聞こえてきた。 「 ………」 靴を脱ぎながらちらとそちらへ視線をやると、光一郎は面倒くさそうな返答をしながらもどことなく相手のその言い分を受け入れ苦笑している様子でもあった。友之が部屋に入って来るのをちらと見たものの、向こうが話を終わらせないのか、何度か相槌を打ったり返答を返したりしている。 光一郎が電話を切ったのは、それから十分ほどした後の事だった。 「 まったく、面倒な人だよ」 「 ……お母さん?」 「 新垣さんな」 わざわざ言い直してから、光一郎は友之がいる向かいに自分も座りこみ、はあとため息をついた。 「 海外通話はまだ高いとか何とか言いながら色々と煩く言うから…。光治君も大変だな。一緒に暮らすより煩く言われているんじゃないかな」 「 ………心配だから」 「 ん……」 「 だって、離れていたら心配だよ」 「 ……そうだな」 友之の言いように光一郎は少しだけ驚いたような顔をしつつも、やがて静かに笑って頷いた。それからゆっくりと友之に手を差し出す。どきん、としたが、おずおずと傍に近づくと、光一郎はそのまま自分の元へ来た友之を引き寄せ、唇を寄せ軽いキスをした。 「 ……んっ」 はじめは友之が驚かないよう、一瞬だけの、触れるだけの口付けを。 「 あ…んぅ、ん…」 そうして友之が覚悟を決めたようになって大人しくなると、光一郎はこちらに身体を寄せてきた友之の唇を再度ついばむようにして何度となく重ね、更にゆっくりとした所作で髪の毛を撫でるのだった。 「 ……お帰り」 「 あ……」 その後で、光一郎は今更のように友之にそんな台詞を吐き、笑った。そして「お前、手、洗ったのか?」などといつものような小言めいた事を言う。友之が首を横に振ると、光一郎は行ってこいと暗に示して、それから拘束していた友之の腕を放した。 「 ああ、そうだ」 けれど光一郎はふと思い出したようにちらと背後のキッチンを見つめ、楽しそうに口を切った。 「 病み上がりのせいかな、何か字を見るのが嫌でさ。今日は1日、お前の好きそうな菓子を作っていた」 「 え?」 「 食べるか?」 「 !! うん…っ!」 友之が嬉しそうに頷くと、光一郎は自身も照れたような笑いを浮かべ、「なら早く手、洗ってこい」ともう一度言って自分から先に立ち上がった。台所へ向かう光一郎を目で追いながら友之がくんと鼻を揺らすと、確かに甘いチョコレートの匂いがした。ひどく胸が躍った。光一郎は確かに以前から食事の支度に関して非常にマメなところがあったが、所謂「おやつ」にまで頓着する方ではなかった。ずっと昔は母親の涼子が学校から帰ってくる友之たちの為にこうしてお菓子を作ってくれたりもしたが、いつからだろう、その母が他界してからは、そんな事も何処か他所の家の自分とは縁のないものになっていた。 「 あ、そういえば。修司が写真を置いていったぞ」 その時、ようやく洗面所へ行こうと立ち上がった友之に光一郎が思い出したように言うのが聞こえた。はたとテーブルに目をやると、なるほどそこには数枚の写真が無造作に置いてあった。 「 あ……」 それは以前友之が川原で倒れ失くしてしまった光治の町の写真だった。 「 マスターが後で拾ってくれて修司に渡したらしいな。あいつ、何を思ったのかそれを数馬に渡したらしいが…」 今また焼き増しをしてもう一度これを寄越したのはあいつの気紛れだろう。 光一郎は台所でお茶を淹れながら別段何でもない事のようにそう言った。友之は驚いたままそれらの写真に目を落としていたが、修司が再度これをくれたという事、あの時貰った全部の写真がこうしてまた自分の手元に戻ってきたその事がやはり嬉しいと感じた。 修司の撮る景色は、友之にとっていつでも胸が痛くて、そして温かくて。 何かを掻き立ててくれるものだったから。 その後、友之はリビングでパソコンをいじっている光一郎の背中に寄りかかった状態で、ベランダの窓から覗く曇り空をただぼんやりと眺めていた。 それはとてもゆったりとした午後で、静かで、落ち着ける時間だった。 「 友之。寝るならベッドで寝たらどうだ?」 「 ううん…」 光一郎と離れたくなかったから、眠たくはないと首を振って、友之は依然としてぼうと空を見続けた。光一郎もそれ以上は煩い事を言わなかったし。 結局は知らない間にうとうとと眠ってしまったようでもあったが、その夢の中でも友之は光一郎の温度を常に感じ取っていた。夢の中には光一郎だけでなく、修司や裕子、それに数馬や由真や中原、沢海や橋本もいた。もしかすると一度しか会っていない光治の姿もあったかもしれない。更には両親、そして夕実の姿も。 それらの人たちの幻影を見やりながら、友之はただ静かに眠り続けた。あんなに1人でいたかった過去の自分。闇の中で息を潜めていた時間。あれらが今はとても遠いもののように感じられた。 背中に感じるこの温かい熱があるから。呼べば応えてくれる、強くて優しい声。 「 友之」 目を開いた時、辺りはもうすっかり暗くなっていた。 「 あ……?」 時間の感覚が取れなくて友之はぼんやりとしたまま呼ばれた方へ視線をやった。横には光一郎がいて、ひんやりとした冷たい掌で額に触れてきてくれていた。 「 コウ…?」 何時なのだろうか。口には出さなかったが、目が泳いだ事で気づかれたのだろう。光一郎は静かに笑んで、今がもう夜中であること、友之が夕食の時間にも起きずにずっと寝続けていたことを教えてくれた。徐々に目覚める意識の中で、友之は未だ自分が洋服のままベッドに入ってしまっている事に気がつきはっとした。蒲団の中で伸びをし、目をこする。起き上がって着替えようと思った。 すると光一郎がそんな友之の様子を眺めやりながら囁くように言ってきた。 「 夢、見ていたのか? お前、俺を呼んでいた」 「 え……?」 掠れた声で聞き返すと、光一郎は暗闇の中でやや首をかしげ、「寝ぼけていたか」とつぶやいた。友之は訳が分からないままその問いに頷いたが、先刻まで自分が見ていた現実とも夢ともつかないような映像を思い出すとたどたどしくも口を開いた。 「 ………色々な人、見てた」 「 色々な人?」 「 うん…。コウ、呼んだ…」 「 ……そうか」 微笑しながら尚も額を撫でてくれる光一郎が嬉しかった。友之は目をつむった後、甘えるようにそんな光一郎の傍に身体を寄せた。ベッド脇にいる光一郎はそんな友之の所作に多少途惑ったようだったが、すぐに唇を寄せるとそのままそっとキスをした。 「 友之…いいか?」 そうして光一郎はそっと友之に身体を寄せると、覆い被さるようにして今度はその唇を確実に捕らえてきた。友之が頑なに目をつむりながらも従順にそれを受け止めると、光一郎はそのまま自らもベッドに乗り、友之の頬を撫でて言った。 「 な…友之。怖い、か…?」 「 う…ううん……」 「 ………」 友之が首を横に振ると、光一郎はそのまま掛けてあった蒲団を下に落とし、いやにゆったりとした動作で友之のシャツのボタンに手をかけた。同時に首筋を舐るように唇が這う。 「 やっ…」 友之は一瞬だけ身体をゾクリと震わせた。けれど光一郎が傍にいてくれるのは嬉しくて、緊張で胸を上下に激しく動かしながらも、ただされるがままになっていた。 「 あっ……」 露になった胸に唇を寄せられる。下着ごとズボンを下げられ、熱で緊張している自らのものに触れられた。びくびくと身体を震わせると光一郎はその都度遠慮したように一瞬動きを止め、友之の表情を確かめながら、落ち着かせるような優しいキスを続けながら自らの行為を進めて行った。 「 んんっ…。あ、あ…!」 友之は光一郎の動きを直視するのはやはり躊躇われて殆ど視界を遮断していた…が、時折目を開いては今ある自分の現状を確認した。もっとも暗い部屋の中で自分の肌だけが明るい色を放っているようで、慌ててまた目を閉じるという事を繰り返していたのであるが。 ボタンを取られ開かれた白いシャツが脳裏に残る。どきどきする鼓動が露になった胸から飛び出して光一郎にも聞こえてしまうのではないか。そんな事を考えながら、それでも友之は光一郎の所作を嫌だとは決して思わなかった。 ただ、やはり心配で。 「 コウ…コウ、僕…、あ、あぁ…ッ」 「 ん…何だ…」 何か言いたそうな友之に光一郎が反応を返す。友之の性器は光一郎の手によってすっかり勃ちあがり既に先走りの汁を出していたが、その手が止むと余計に焦らされ熱が煽られる気持ちがして、友之はかっと頭に血をのぼらせた。 熱い。 「 コウ…やっぱり…やっぱり、身体…ヘンだよ……」 「 ヘンじゃないさ……」 「 コウ…こっち…こっち来て…っ」 「 ああ…」 友之に言われるままに光一郎は友之の唇を舐め、それからまた深くキスをした。舌を口腔内にもぐりこませ、友之が呼吸できないほどにしつこく絡めあわせてくる。そうして友之の意識が唇に集まると、今度はまた下へ。光一郎は友之の身体をあちこち刺激し、そうしてその度襲う快楽に身を委ねさせた。 やがてあの夜の時のように、光一郎が友之の中へと侵入していった時には。 「 ひ…あぁ、あ…ひんーッ!」 どれだけ歯を食いしばって耐えようとしても、友之は内から脳天にまで襲うその快感に身が捩れ、声が漏れるのを止める事ができなかった。 「 あんぅ…んん…! コウ、コウ…ッ」 「 う……友、之…!」 「 はう、ぅ、うぅ…っ!」 痛みと快感が交互にやって来て、友之は翻弄される感情をどうにかしようと必死に両手を光一郎の背中に回し、ぎゅっときつく縋りついた。視界は閉じたままだったが、光一郎が時々瞼にキスをくれると嬉しくて少しだけ開いてしまった。すると光一郎が自分と繋がったまま腰を動かし中へ奥へと突いてくるのがもろに見えてしまい、恥ずかしさで余計に全身の熱が上昇してしまった。涙がこぼれた。 友之は弱々しい声をあげて力失くもがいた。 「 コウ…ッ、あ、コウ…ッ。好き…好き、だよぅ…っ」 「 友之…ッ」 光一郎自身も限界に達してきているようだった。最早友之の身体をきつく抱きしめながら荒く息を継ぎ名前を呼ぶだけで。それでも友之にはただその声だけが嬉しかった。だから光一郎が最後まで達し熱を伝えてきた時も。 「 んん…っ!!」 声をあげ、くらりと目眩を感じても、友之は光一郎が耳元でそっと囁く最後の声を聞き取る事ができた。 「 愛してる……」 「 あ………」 それはひどく熱っぽくて。 どことなく切羽詰ったような、今までに聞いた事のない声だと友之は思った。 数日間寝込んだせいでアルバイトも学業も随分サボってしまった光一郎は、今日からは早速今までの多忙な生活に戻らなければと言っていた。 「 トモ。見ろよ……」 けれどその光一郎は朝の到来に焦ることもなく、寝室のカーテンを少しだけ開くとベッドでぐったりとしている友之に声を掛け、笑った。差し込む光から温かい陽光を感じる。今日は良い天気だ、と光一郎は嬉しそうに言った。友之はそんな光一郎のがっしりとした肩先や、目を細めて朝日を眺めるその横顔を見やりながら光一郎に出かけて欲しくないなと思った。 思ったから、言った。 「 コウ…。僕、何処か行きたい…」 「 ん…」 光一郎がやや意表をつかれた顔をしてこちらを見た。友之は自分の願いに別段期待を込めたわけでもなかったが、それでもしっかりとした口調で繰り返した。 「 今日もコウといたい…僕……」 「 ………」 「 コウといたい……」 「 ……そうか」 すると光一郎は意外にもそう反応を返すと、もう一度を外の景色を眺めてから可笑しそうに口の端を上げた。 そして言った。 「 今日は2人でサボるか」 「 え?」 「 トモは何処へ行きたい」 「 僕……? あの…じゃあ……海……」 「 海? そうか」 光一郎は友之が何となくそう言った言葉に深く頷き、「それなら行こう」とまたあっさりと言った。そうして喉の奥でもう一度くっと笑い。 「 たまにはいいよな…。行くか、トモ」 光一郎はまるでこれから大変な悪戯をするような、どことなく子供っぽい笑みを友之に向けた。 「 うん…!」 だから友之もベッドに擦り付けていた顔を浮かし、嬉しそうに笑って頷いた。 もう一度ベランダの外へ目をやる。細い光が真っ直ぐに2人のいる部屋に差し込んできていた。 もうすぐ、温かい季節がやってくるのだなと思った。 |
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