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  進藤由真から電話があったのは、夜の21時を回った頃だった。
  開口一番、「今すぐ会える?」と聞いてきた由真は、友之がろくに返事もしないうちに、半ばまくしたてるように「駅の近くの公園で待っているね」とだけ告げると、一方的に電話を切ってしまった。
  普段月曜日にアルバイトを入れていない光一郎が、珍しく「用があるから」と言って家を空けていた夜だった。
  いつも家と大学とアルバイト先だけを行き来するだけの人間が、一体何処へ行くのだろうと気になっていたから、友之はいつもなら取らない電話に手を伸ばしたのだった。夕実からのものだったらと思わないでもなかったが、それでも友之は光一郎の帰りが遅いことが心配だった。
  その上、週の始めから実に色々な事があったせいもあり…。
  友之の気持ちはひどくざわついていた。

  そんな時の由真からの電話は、多少気が重い部分もあった。が、それでも彼女に会いたいという気持ちも同時に存在していたから、友之は光一郎に宛てた簡単なメモだけをテーブルに置いて、外に出た。
  湿気の多い夜で、少し走っただけでじっとりとした不快な感触が腕や首筋を襲った。 それでも友之は由真が待っているだろう場所へと急いで歩を進めた。
  駅前通りの繁華街から少し外れた場所に、その公園はあった。整えられた植木に囲まれたその敷地には、ブランコに砂場、滑り台、ジャングルジム、シーソー。 動物の形を模したベンチや、タイヤやネットを擁した小さなアスレチックもあった。一通りの遊びには事欠かないそこは、裏手のすぐ傍に幼稚園があることも相俟って、昼間はいつも子供たちとその親で賑わうような場所だった。
 そんな公園も夜にはさすがにしんとして、たまに高校生やカップルがベンチに座って話しているだけになるのだが。

「 友之! ここ!」
  その場所に入ると、すぐに大きな声がかけられて、子供が乗って遊ぶパンダの型をした椅子に腰掛けている由真の姿がすぐに見えた。今日は制服だ。短すぎるスカートを気にする風もなく、由真は足をぶらぶらさせながら友之に向かって手を振った。
「 久しぶり!」
  本当にそうだと友之は思った。知り合ったばかりだというのに、今実際に彼女を目の前にするとひどく懐かしい気持ちがする。もう何ヶ月も会っていなかったような気がした。
  友之が黙って由真に近づき目の前に立つと、由真は 「えへへ」と気の抜けた声を出してから、「座りなよ」と隣の熊の椅子を指し示した。
  友之はおとなしくそこに腰をおろした。
「 ね、お腹空いてない? さっきそこのコンビニでお菓子とか色々買ったんだ。あとこれはオレンジシュース! あたしの奢り」
「 ……いいよ」
「 何言ってんのよ。人の好意は素直に受け取るものだよ。 いいから、受け取ってって! 無理やり呼びつけちゃったしさ」
「 ………」
  相変わらず押しの強い相手の態度を見て、友之は黙って差し出されたジュースの缶を受け取った。ひんやりと冷たい。その感触を友之はしばし味わった。
「 ねえねえ、アタシさ、フラれちゃったあ」
  話したいことは修司のことだろうと予想をつけていたから、友之は別段表情を変えることなく、そう言った由真の声をただ聞いていた。
「 まあ、知っているよね。だってあの日、友之ン家かけたら荒城さんが出るじゃん! もうホントびっくりしたよォ。で、やっと会えたと思ったら『お前とはもう会わない』だよ。 ひどくなーい?」
「 ……そんな風に言ったの?」
  思っていたよりもキツイ、はっきりとした物言いだなと友之は思った。
  すると由真は友之の質問に対しやや視線を地面に移すと、自重したような笑みを浮かべて答えた。
「 んー。まあそれはさ、言われるだろうなって思っていたからいいんだけど。でもさあ、実際に本当に会えなくなるんだなって実感しちゃうと、たまんなくなったっていうか」
「 ………」
「 アタシさ、これでも結構モテるんだよ。友達からも頼りにされているし、あ、それは男友達の場合もそうね。イロイロ相談持かけられたりさ。『由真と一緒にいると安心する』ってよく言われるもん。で、アタシ自身も結構人のこと放っておけない性質だから、余計な事に首つっこんじゃうし、甘えてくる奴にはついつい優しくしちゃうしさ」
「 ………」
「 ねえ…。そういうの、結構軽く見られちゃうものなのかなあ」
「 え?」
「 だからァ。アタシはさ、誰にでも割と親切にしちゃうんだ。男だけじゃないからね! 女にもだよ? けどさあ、そういうことしていると、周りからは割と『由真は言い寄ってくる奴全部と寝てやる』とか噂立つし。男友達多いから、男と一緒にいること多いし。まあ友達は友達だけど、そうなるとその友達の友達とも繋がり持ったりして、そういう方面から告られたりとかもあるのね、実際。でさあ、どんどん由真って女が勝手に他の奴らの間で1人歩きされて誤解されて」
「 …修兄はそういう誤解とかしないと思うけど」
「 そりゃアタシもそう思うけど。でも、きっと荒城さんはギャルが嫌いだよね。こういう風にメイクする女。こういう風に粗雑に喋る女。こういう風にスカート短くして足組む女とかがさ」
「 ………あまりそういう事気にしないよ」
「 気にするものなんだよ、意外と」
  由真は「あーあ」とため息をついてから、傍に置いていた鞄から携帯を取り出した。それから「また誰かからの愚痴が入っている」とつぶやいてから、友之にそれを差し出して見せた。
「 こうやって随時携帯チェックする女とかも。きっと嫌いだよねえ」
「 ………」
「 でもさあ、そういうのしなくなったら、それはアタシじゃないから。アタシはやめないよ。メイクするのも、日サロ行くのも。男友達と遊ぶのも」
「 ………うん」
「 でもさあ……」
  由真はそう言ったきり、急に口をつぐんだ。
  それから俯いたきり、友之の方に決して顔を向けなかった。やがて微かに聞こえてくる嗚咽で、由真が泣いていることに友之はようやく気づいた。
「 何でさあ…こんなに、辛いのかなあ……」
「 ………」
「 何でさ…アタシ、もう、自分が大嫌いになっちゃう…」
「 ………」
  由真にかける言葉が見つからなくて、友之はただ困惑した表情で項垂れる相手に視線をやっていた。由真の修司を想う気持ちがとても強いこと、いつも自分に自信を持って堂々としている彼女がすごく小さくなっていること、それらの事全てに、友之は自分自身までが不安になるのを感じていた。
「 好きなんだもん、修司のこと」
「 ……うん」
「 諦められないよ…絶対……」
「 うん」
  由真のつぶやきに、友之は無意識のうちに頷き返していた。自分にできることは、ただそれだけのような気がして。
「 あはは…ごめんね。こんなさ、情けない発言で」
  しかし由真は友之のそんな戸惑いを素早く感じ取ったようで、すぐに慌てて顔を上げると涙を拭きながら笑顔を見せてきた。
「 友之にさ、甘えたかったんだ。他の男連中にこんな話したらつけこまれて何されるか分からないし。女友達にもただ『次見つけなよ』って言われるの分かってたし。それに比べて友之なら余計な事言わないじゃん。喋るの嫌いだから」
  半分友之に対して厭味のような台詞を吐いてから、由真は再びアハハと笑った。そしてすぐにわざと頬を膨らませて怒ったように言った。
「 言っておくけどさ、アタシってこう見えてすっごく一途な女なんだよ! 誰かれ構わず寝ているとかって思われているけどさあ。冗談じゃないっての。そりゃ、友達には付き合ってすぐにセックスしちゃう奴とかいるけど、アタシはそういうの嫌いなンだよね」
「 ………」
  あまり自分とは縁のない話で友之が困ったように沈黙していると、それに気づいているのかいないのか、由真は夢中になって先を続けた。
「 フラれたからって次行くなんて切り替えのいい方でもないしね。だからあ、最近ホント、参っちゃってたんだ! 地元でも友達と顔合わせたくない、みたいな」
「 遊びに行く気もしなかったの」
「 んーそうだね。面倒になっちゃって。だから学校行ったりもしてみたけど。大した事ないんだよね、こっちも」
「……学校」
「 あ、 けどアタシそれほどバカじゃないと思ってるんだけど、我ながら。国語とか得意だよ。日本史、好きだし」
「 ふーん」
「 友之は毎日真面目に学校行っている派なんだろうけど、ちゃんと勉強してんの? 大学とか行こうと思ってんの?」
「 分からない」
「 まあ、まだ1年だもんね」
  由真は納得したように頷いてから、「アタシは専門学校行くんだ」と、今やすっかり明るい調子になってそう言った。
「 写真とか映像の勉強できる学校がいいな。アタシ、カメラいじるの好きだし」
「 写真?」
「 あははっ。思いっきり荒城修司の影響受けているンだけどねえ」
「 ……修兄とは何処で知り合ったの?」
「 ああ、こういう感じの公園! 最初見た時ベンチでぐーすか寝ていてさ、そこらのホームレスの人かと思ったんだけど、よく見たらすっごくカッコいいじゃん! だからアタシが逆ナンしたの!」
「逆ナン…?」
「……え!? まさか友之、これの意味知らないとかって言わないよね?」
  友之がだんまりを決め込むと、由真は実に奇異な目をしてから、「友之ってさあ」と間延びした物言いをしてから言った。
「 ホント、変わっているよね。いや、アタシもあんまり人のこと言えないと思うけど。でも、友之みたいなタイプって、絶対放っておけない」
「 どういう意味?」
「 えー? そのまんまの意味だよ。荒城さんも友之のこと、すっごくかわいがっているよね。大体、初めて会った時もそうだったけどさ、友之の写真持ち歩いているとこからして、既に普通じゃないでしょ。アタシ、始め荒城さんのことホモかと思ったもん」
  由真はふざけたように言ってから、「まあホモだろうが何だろうが好きなんだけど」とつぶやいた。
「 まだ友之に会ってなかった時、荒城さんに好かれている友之がすごく羨ましくてさ。どうやったら荒城さんにあそこまで可愛がってもらえるの? って訊こうと思ってたんだよねえ、そういえば」
「 ……知らないよ」
「 うん、きっとそういう素っ気無いとこがいいのかな」
  由真は探るような目をしてから、「君、結構モテるでしょ」と言い、「敵も多そうだけどね」と付け加えた。
「 ま、いいか。アタシはフラれちゃったから、今更そんな秘訣聞く必要なくなっちゃったわけだし。 ……さっきは諦められないなんて愚痴っちゃったけど、 あの人がああ言ったらもう駄目なんだってことくらい……分かっているつもりだから」
「 ……もう会わないの」
「 会えないの」
「 いいの?」
「 いいって?」
「 修兄に会えなくて」
「 いいわけないじゃん」
  由真は少しだけむっとしたような顔をしたが、友之のひどく真摯な視線に却って気を削がれてしまったのか、やがて苦笑するとため息をついた。
「 いいわけないけど、仕方ないよ。あんまりしつこくしても嫌われるし。何年かして、アタシがもっともっとイイ女になったら、また状況も変わるかもだしね」
  それまでは仕方ないよ。
  由真は自分自身を納得させるようにそう言って、笑った。
「 友之」
  その時、公園の入口から声がして、背の高い人影がこちらにやってくるのが見えた。
  光一郎だった。
「 誰?」
  由真が不思議そうな顔をして友之を見つめた。友之は真っ直ぐこちらにやってくる光一郎をただ見やり、「兄貴」とだけ答えた。
「 もう22時だぞ。こんな時間まで女の子連れまわして、危ないだろう」
「 あ、アタシは平気です。アタシが呼び出しちゃったんです」
  突然現れた光一郎に対し由真は思い切り面食らったようだったが、友之に怒っているようなその声に反応して、慌てて言葉を切った。
「 すみません! 友之君が悪いんじゃなくて、アタシが勝手に来てって言っちゃったんです!」
「 ……君、家は近く?」
  光一郎の声のトーンが静かになり、優しいものになったので、由真はほっとしたようになって「はい」と素直に答えた。友之は黙ってそんな光一郎を見やった。いつもの、外用の態度だった。
「 家の人とか心配しない? 送っていこうか」
「 えっ、そんな、とんでもないです! 大丈夫です!!」
  光一郎の真面目なペースに本来の調子を狂わされているのか、由真はあたふたとなってしきりにかぶりを振った。
「 わ、 私、 いっつもオールとかで外出歩いているし! そんな、送ってもらうなんて、そんな! 大丈夫です! 1人で帰れます!!」
「 …そう? じゃあ気をつけて。今度からはなるべく明るいうちに会うといいよ」
「 はいっ!! ありがとうございますっ!!」
  由真は最後には実に素っ頓狂な声でそう言うと、たっと立ち上がってから深々とお辞儀をした。それからぐいと友之を引き寄せて、光一郎から少し離れた所まで連れて行くと「お兄さんなの? お兄さんなの?」としきりに訊ねた。友之が頷くと、由真はやたらと興奮したようになり、「何かモデルの仕事とかしてるの? 何歳? 彼女いるの?」と質問してきた。
「 ……何でそんな事訊くの」
「 だってカッコいいじゃん!!」
  由真は大きな声で言って、それからはっとしたようになってから光一郎の方を見ると、再び慌てたようになり、「それじゃ、帰ります!!」と言って走って去って行ってしまった。友之はぽかんとした顔で由真のその後ろ姿を見送っていたが、やがて近づいてきた光一郎に目をやると、やや首をかしげた。
  光一郎はふうとため息をついてから、「あの子が進藤って子か?」と訊いた。
「 もう修兄とは会わないって」
「 そうか」
「 ……光兄のこと、気に入っていたみたい」
「 ……そうか」
「 嬉しい?」
「 ……バカ」
  光一郎は一言そう言ってから、友之の頭をぽんぽんと叩いた。それからすぐに踵を返すと、「帰るぞ」と先に歩き出す。友之は急いでその後を追った。
「 コウ」
「 ん…」
  光一郎の背中を見ながら、友之は思い出したように話しかけた。
「 今日…何処へ行っていたの」
「 ………」
  何故か光一郎はすぐにその質問には答えなかった。しかしちらと友之の方を振り返った時、相手が自分の答えを待っていると知って、仕方ないというように声を出してきた。
「 人と会ってたんだよ」
「 誰?」
「 ………」
「 彼女?」
  友之の発言に、光一郎は驚いたようになって歩を止めた。それはそうだろう。友之がそんな質問を光一郎にするなど、今までなかったことだから。
「 ……今の子がそういう話をしていたのか」
「 ……別に」
「 ……彼女、か」
「 いるの?」
「 ………」
  不意に裕子のことが頭をよぎったが、友之はそれ以上に自分の内から沸いてくる奇妙な感情に戸惑っていた。それが何なのかはよく分からずに、 友之はただ光一郎のことを見上げた。
「 いるの?」
「 いたとしたら何なんだ?」
「 ………」
  光一郎のやや投げやりな発言に、友之は声を失った。
  誰か。
  光一郎に、自分の知らない誰かがいて。
  その誰かに想いを寄せている光一郎がいて。
  そういうものを考えたことがなかったから、友之はただ戸惑った。
  いつもいつも、光一郎は自分のために色々してくれていて。傍にいてくれていて。
  それなのに、自分以外の誰かに光一郎は惹かれていて。
「 ………」
  何だろう。胸が苦しい。
「 友之?」
  友之の態度がおかしいことに気づいたのだろうか、光一郎が不審の声をあげた。それからいつもの困ったような顔になり、「いないよ」という返事がくる。
「 いないよ。彼女なんか。俺みたいなのに、できるわけないだろ」
「 ………」
「 友之、どうした?」
「 今日、好きって言われた」
「 ん……」
  自分でも何を言い出すのだろうと友之は思った。 けれど、気づいたら声を、言葉を出していた。
「 人から好きって言われた」
「 ……学校の子か」
「 そう」
「 お前、何て答えたんだ」
「 別に。ただキスした」
「 何?」
  光一郎が眉をひそめるのを無視して、友之は口走っていた。
「 分からないのに…好きになるって分からないのに、でも……」
「 おい、友之……」
  光一郎の姿が段々とぼんやりしてきたが、自分の声がはっきりと聞こえた。
「 でも、好きな人に拒まれたら哀しいよ。置いていかれたら嫌だから」
  由真のような気持ちにさせたくない。そして。

  今の自分のような気持ちにさせたくない。

  そう、友之は思っていた。



To be continued…



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