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「 俺は友之のことが好きだ」
  臆面もなくそういう風に言える沢海を、友之はただ戸惑いながら見つめた。学校の校門前でそんな事を言って、誰かに聞かれたらどうなるのか等、相手は考えてもいないようだった。
  そしてそんな台詞を聞かされた香坂数馬の方も。
  実に、平然とした顔をしていた。
「 いや、そんな事は分かっているけど? だからボクも君と同じだって言っているじゃない」
「 一緒にするな」
  普段は人を嫌うということをしない沢海が、数馬には思い切り不愉快な顔を向けて、そう言っていた。そんな沢海に友之は不安定な気持ちになった。
  そんな友之の顔をちらりと見てから、数馬は軽くため息をついて言葉を出した。
「 そりゃあね、厳密に言えば違うンだろうけど、一括りにしちゃえば『スキ』という事に変わりはないでショ。…たとえばさあ、拡君はトモ君とセックスしたいと思ってる?」
「 な…っ!」
  沢海が絶句し、さすがに友之も固まったまま動けなくなった。言った当人の数馬だけが楽しそうにそんな2人を見やっている。
「 まあまあ、過激に言ってしまってごめんね。例えばって言っているじゃない。でも、結局はそういう方面の『スキ』なのでしょ? お友達としての『スキ』じゃないよね、こんな真剣に言っておいて」
「 ……それは」
「 ボクだってお友達としての『スキ』じゃないわけ。と言うか、悪いけどこんな奴とトモダチではいたくないな、俺」
  数馬は友之の前でもしれっとそんな事を言い放ってから、ハハハと軽く笑った。
「 君だってそうでしょ? トモ君のことトモダチだと思ったことってあるの? お友達だったら、こんな世話焼いたりしないでしょう?」
「 ………」
  友之は黙って沢海のことを見上げた。沢海はただ厳しい顔をしたまま黙りこくって数馬の方を見やっていた。
  沢海は誰に対しても優しいと友之は思う。
  先日その事を本人に言った時、沢海は「友之がそういうのを好きだと思ったからやっている」というような事を言い、そんな態度はもうやめると言った。けれど実際のところ沢海は、相変わらず皆に笑顔を向け、誰にでも親切で誰にでも気を配っている。
  結局、沢海拡という人物は「そういう人間」なのだと友之は思う。
  心のどこかではそういう自分の性質を嫌悪している部分があるのかもしれないが、それでも、その本質を変えることはできないわけで。だからたとえ沢海が自分のことをただの「オトモダチ」だと思っていても、きっと彼は自分に対して今と同様に親身に接してくれていただろうと友之は思ってしまう。
  数馬はそんな事は絶対に信じないだろうけれど。
「 ま、こんな所で突っ立っているのも何だから、帰ろうか?」
  その時数馬がそう言った。黙ったままの友之と敵意剥き出しの沢海と面していることがいい加減苦痛になったのだろうか、数馬は先に歩き始めると「何だったら、これから3人で遊びに行く?」などと言い出した。
「 ………くそっ!」
  イラついたようにつぶやいた沢海は けれどその瞬間、はっとなって隣の友之を見やった。決まり悪そうに俯いた後、彼はまた謝った。
「 ……ごめん」
「 ………」
  友之が黙っていると、沢海はいたたまれなくなったように声を出した。
「 友之は……あいつのこと、好きなのか?」
「 ……数馬のこと?」
「 そうだよ」
「 ………」
「 ちょっとォ、何してンの、早く行こうよ!」
  数馬が少し離れた所から振り返って2人を呼んだ。沢海はそんな数馬を完全に無視して、ただ友之のことを見やった。
「 俺より、あいつのこと…?」
「 数馬はそんなんじゃないよ」
「 ……だってあいつは」
「 違う」
  考えたくなかった。
  数馬はただ自分をバカにして、蔑んで、はっきりと物を言ってくれる人でいてほしい。彼は自分のことが嫌いで、ただからかっているだけ。
  そんな風に思っていたい。数馬が何を言おうと、友之は信じる気持ちになれないでいた。
  実際、沢海と数馬の自分に対する感情が同じだとはとても思えなかった。
「 じゃあ、あいつのことは何とも思ってない?」
  沢海が再度訊いてきた。友之は耳を塞ぎたくなるのを必死にこらえながら、それでも恨めしそうな顔を沢海に向けた。
「 そんな風に訊かれるの、嫌だ」
「 ………」
「 ……分からないから」
「 うん。分かったよ、ごめん」
  沢海は言ってから、先に歩き出した。2人を待って立ち止まっていた数馬を無視して通り過ぎると、後は一人でどんどんと歩いて行く。
「 どうしたの、拡君。3人で仲良く帰ろうよ」
  数馬はそう言って沢海の後を追い、ちらりと友之のことを振り返ってからニヤリと笑った。
  友之はそんな数馬に応える術を持たなかった。


  結局その後、 3人はそれぞれの駅で別れることになったのだが、その間喋っていたのは案の定数馬だけだった。重い空気を何とも感じないのか、最近のニュースだとか、自分が凝っている遊びの話だとかを、彼は実に楽しそうに話したのだった。
  どうしてこんな人間がいるのだろうと友之は思った。それは沢海も同じだったのかもしれないが。

  1番最初に自分の駅に着いた友之が電車を降りる時、数馬はぽんと背中を叩いて再び不敵な笑みを見せた。
「 じゃあな、友之。今度は2人でな」
  沢海のことになど構う風もなく、数馬は電車を降りてから振り返った友之にひらひらと手を振った。
  電車のドアが閉まり、2人の姿が見えなくなるまで、友之はホームに立ち尽くしていた。



  そんな事があった夜間に由真から呼び出されて。光一郎が迎えに来てくれて。
  けれど公園から一緒に帰宅した後も、誰から告白されたのか詳しいことを光一郎はもう訊こうとはしなかった。

  どうせ友之がそれ以上のことを教えるわけはないと思ったのかもしれないし、ただ単に興味がなかっただけかもしれない。友之は帰り道も押し黙ったままの光一郎の背を眺めながら、そんな事を考えていた。
  家に帰り着くと光一郎はいつものように「風呂入ってこいよ」と友之に声をかけ、それから自分は居間の電気をつけてから、台所へ行ってまずヤカンに火をかけ始めた。友之はそんな光一郎の後ろ姿を見てから、黙って浴室へ向かった。
  多分、自分を迎えに行く前に光一郎が沸かし直してくれていたのだろう、風呂の湯は丁度良い熱さで、友之はその湯船につかったまま、ふっと目を閉じた。
  何とせわしない一日だったのだろう。
  ばしゃりと湯船に顔をつけて、友之はそれからごしごしと顔を洗った。先刻も石鹸でしつこいほどに身体を洗ったが、自分の汚れは落ちないような気がした。嫌だと思った。
  自分の身体は汚いと思った。

『 友之は綺麗なんだから―』

  沢海の言葉を思い出して、友之は再びばしゃばしゃと音を立てて顔を洗った。そんな風に言う沢海をひどいと思ったし、一方でそう言ってくれた沢海を許容したいと思う自分もいた。
  自分を本気で好きになってくれる人なんかいない―。
  そのはずだったのに。

  友之は目を閉じて、再び湯船に身体全身を沈めた。



  父親とは何の思い出もないはずの友之が、唯一気になっている出来事があった。
  やはりそれが何歳のことなのかは思い出せない。ただ、最初で最後だったと思う、家族で旅行に出かけた時のことだ。母親の涼子が以前からずっと希望して、遂に5人で近場のある山荘に出かけることになったのだ。詳しい地名までは出て来ないが、深い緑の山々に囲まれたそこには、近くに釣りができる湖とつり橋と、ちょっとしたハイキングコースがあった。
  そしてその先には、小さな丘があったように思う。
「 来い、友之。ここからの景色が綺麗なんだ」
  いつも不機嫌で厳しい顔をしている父が、その旅行の時だけは別人のように優しかった。この時も友之の手を引いていてくれたように思う。ただ、そんな父親の表情は何故か暗くてまるで見えない。思い出せなかった。
「 前にも来たことがあるの」
  友之が訊くと、父は「昔な」とだけ言い、それからぐいぐいと友之を引っ張り、小高い丘の頂上まで一気に登って行った。
「 どうだ、友之。あっちの方はまだ山が続いているが、向こうは町だ。この辺りじゃ、ここからしかあの家並みは見えないんだぞ」
「 ふうん」
「 夜近くになるとあの小さい町にだけぽつぽつと灯りがついてな。そりゃあ可愛いものなんだ」
「 かわいいの?」
「 そうさ」
  友之は父親がそんな言葉を言う事自体が珍しくて、それなら是非その可愛い光とやらを見てみたいと思った。昼食を摂ってからしばらくしてこの道を歩き始めたから、時刻としてはそろそろ夕暮れ時だ。現に、先刻まで青々としていた空の色は、やや薄ボンヤリと朱に染まり、濁った白い雲と同化し始めていた。その景色だけも十分に美しくはあったのだが。
  あの時、夜までここにいたいと友之は思った。
  それが叶うことはなかったのだけれど。



「 友之」
  ふと気がつくと、すぐ傍に光一郎の顔があった。
「 大丈夫か」
  何を訊かれているのか分からなかった。うつろな意識のまま光一郎のことを黙って見つめていると、相手はほっとしたような顔を見せてから、そんな友之の額に手を当てた。冷たい。ひやりとして気持ちが良かった。
「 お前が風呂から全然出て来ないから」
  光一郎の言葉で、ようやく友之は自分の身体がじんじんと熱いことに気がついた。
  どうやら湯船につかったまま眠ってしまったらしかった。
  のぼせたのだろう。光一郎がやってくれたらしい氷枕に頭をのせていても、まだどこかしらぼうっとする。光一郎の手が冷たいのも、額に何度も冷やしたタオルを絞って当ててくれていたからに違いない。事態を飲み込めて、友之はようやく自分がしてしまった失態に気がついた。
「 平気か? まだぼうっとするか?」
「 少し……」
「 ……あまり心配させるな」
  ようやくいつもの光一郎らしくなり、諌めるような声が聞こえた。それでも友之は光一郎が自分のことをずっと看てくれていたと分かっていたから、黙ってその声を訊いていた。
  自分の額に当ててくれている光一郎の手を掴もうとして腕を出した時、ようやく自分がまだ裸でいることに気づいた。風呂でのぼせて、光一郎にそのままベッドまで運んでもらったと考えると、どうにも恥ずかしい気持ちがして、友之はかっと赤面した。慌てて手を引っ込めると、光一郎がそんな友之に気づいたようになり、傍に置いていたパジャマを寄越した。
「 何か飲むか?」
  友之はそれに頷いてから、渡された着替えを急いで取った。光一郎はそんな友之の態度にやや苦笑したものの、特に何を言うでもなく部屋を出て行った。火照った身体が余計に熱くなったような気がした。
  のそりと上体を起こし、友之は掴んだ着替えを見つめたまま、先刻見た夢とも過去の記憶とも判別できないような出来事を思い返し、ふっとため息をついた。
  お父さん。
  久しぶりにその言葉が頭に蘇り、友之は一気に心細い気持ちになった。自分にそんな人はいないとずっと思って来たというのに、今になってどうしたというのだろうか。
「 どうした、友之?」
  寝間着を掴んだまま動いていない友之に、部屋に戻ってきた光一郎が声をかけた。
「 ほら、これ」
  透明なグラスに注がれた綺麗な色の飲み物を友之は黙って受け取った。何だろうと思いながら口に含むと、甘酸っぱい味が喉元を通ってすうっとした。グレープフルーツだ、と思った。
  それをくれた相手の方を見ると、向こうは当にこちらを見ていた。その視線が何だか窮屈で、友之は焦ったように俯き、再び頬を紅潮させた。光一郎に見られていると思うと、何だか落ち着かなかった。
「 友之……」
  その時、光一郎がつぶやくように呼び、それからそっと前髪に触れてきた。
  どきんとして顔を上げると、光一郎も何だか戸惑ったような顔をしながら、それでも友之の髪に触れる指はそのままで、優しい視線もそのままだった。
「 コウ……?」
「 ………」
  相手は応えなかった。ただ、こちらを見つめてくるだけで。友之はどうしていいか分からなくなったが、光一郎に撫でてもらう手には離れてほしくなかったので、じっと黙って、それからそっと目を閉じた。
  すると瞬間、自分の額に光一郎が唇をよせてきた。
「 ………っ」
  はっとして目を開くと、より近くに光一郎がいて。キスされたのだと思うと、友之は急に激しくなる鼓動を止められなくて、反射的に光一郎を押しのけようとした。 けれど、逆に光一郎は友之に接近してきて。
  不意に強く抱きしめてきた。
「 コウ…? あ…っ」
  そして問い掛けた瞬間、唇を塞がれていた。
  何が起きたのか一瞬分からず、けれど起きたことは現実で。
  友之は目を見開いたまま、光一郎からの口付けを受け入れていた。
「 ……んっ」
  最初は触れる程度のそれだったのに、1度離されてから再度それは重ねられた。角度を変えてそれは降りてきて、何度も襲うその感触に身体が熱くなるのを感じた。
「 ぅ…っ、ん、光ぃ…っ…」
  名前を呼ぼうとしたけれど、遮られた。拘束は強く激しくなって、それと同時に貪られるような口付けに、次第に自分も求めていくのを友之は感じた。
  この人と。

  ずっとこうしていたい。

  そう思ったら、もう止められなくて。
  友之は自身も強く光一郎にしがみついた。
「 ………」
  けれどそれで相手は逆に冷静になったようだった。不意に唇は離されて、友之ははっとすると、相手の方はひどく困惑したような表情を浮かべていた。
「 ………」
「 コウ……?」
  呼んでみたが、返事はなかった。一瞬、沢海のように謝られたらどうしようという思いが脳裏をよぎったが、しかし光一郎は謝罪の言葉も、それ以外の台詞も、一切口に出そうとしなかった。
  ただ彼は辛そうな顔をしていた。
「 行かないでよ……」
  怖くなって思わず友之は言っていた。何だか光一郎がこのまま何処かへ行ってしまうような気がしたかから。友之は1度言ってしまって楽になったのか、たまらなくなって光一郎の首に両腕を回し、しがみついて言った。
「 コウ…傍にいてよ…ここにいてよ……」
「 ………」
  何故だろうか。光一郎はここにいて、立ち去る気配もないのに。
  友之は何故だか光一郎が自分の傍からいなくなってしまうような気がして、必死になって言葉を紡いでいた。
「 コウに……いなくなられたら、嫌だ」
「 ………友之」
「 嫌だ…。置いていかないでよ」
  夕実のことが脳裏をよぎった。突然自分の傍からいなくなって。自分のものだと言っていたのに、突然消えて。
  それでも自分を縛り続けて。
「 友之、俺は―」
「 嫌だ! 聞きたくない!」
  光一郎に抱きついたまま友之は声を荒げた。光一郎の顔を見ないまま、友之はどんどんと大きくなっていく不安を消せなかった。
  あの時手をつないでくれた父親も、そういえばああやって優しくしてくれた後、自分にはもうあの笑顔を見せてくれることはなかったなと思い出す。
  自分が何をしたというのだろう。みんな優しかったのに、自分の元を離れていって。
  光一郎がキスをしてくれたのも、きっと自分から離れるつもりだからだ。どうしてかそう思えてならなくて。
「 違うよ、友之」
  光一郎がそう言ってくれる声が聞こえたが、友之はただ首を横に振って抱きつく腕に力を込めた。光一郎が背中を抱いてくれたけれど、それすら不安で仕方なかった。
「 嫌だ…コウといたいよ……」
「 友之」
「 兄弟じゃなくても…いたいんだ」
「 友―」
「 コウのこと、好きだから……」
  友之の言葉に、光一郎からの返答はなかった。



To be continued…



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