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「 何でこの人の家に来るわけ」
  友之に勝手についてきたのは自分のくせに、数馬は思い切り不満な顔をして見せた。
「 ボク、苦手なんだよね、裕子さん」
「 ………」
  そう言う数馬のことは思い切り無視して、友之は表門についているインターホンを鳴らした。
  久しぶりに来た幼馴染の家は以前と何も変わらなかった。小洒落た表札は裕子の父親が作ったもので、それ以外にも表の通りから覗ける庭には木造りのテーブルや椅子が並べられていた。その周囲には季節の花が色取りどりに植えられてもいる。裕子の家は休みの日にはその庭で昼食も楽しむ、仲の良い家族で有名だった。
  その庭と隣接している玄関の入口には、赤い屋根の犬小屋もあった。その様子も、以前と何も変わりはしない。
「テス」
  友之が外から声をかけると、呼ばれたその小屋の主である芝犬―小屋にはソクラテスと書かれている―は、そこでようやく我が家の訪問者に気づいたのか、慌てて小屋から身体を出してきて、久しぶりに顔を合わせた昔の遊び相手に尻尾を振った。
「 反応、遅っ。フツー、チャイム鳴らした時点で出て来ない?」
  数馬は毒づきながら神部家の番犬に対しそんな感想を漏らしたが、一方では友之の犬を見る目が珍しかったのか、やや楽しそうな視線を向けた。友之は身体を屈めるとすぐに小屋の傍へ向かい、激しく喜びを表現する犬に手を差し出した。
「 トモ君って犬好きなんだ」
  数馬がそう言うと、友之は黙って首を縦に振った。しかし数馬は自分で聞いておいて、その答えにはさして興味のないように実にあっさりと言い放った。
「 あ、そ。でも残念ながらボクは猫派なんだよね。犬ってプライドないじゃない。誰彼構わず尻尾振っちゃってさあ」
「 誰彼なんて振らないわよ。特にあんたみたいな奴には」
  数馬が玄関の外に何気なく視線を向けてそんな事を喋っていると、すかさずそれに対して返ってきた声があった。
  裕子だ

  明らかに気分を害したような声。自分の家の愛犬、ひいては犬全般をバカにされたことへの腹立ちもあったのだろうが、何より数馬という人間が友之と一緒にいたということそれ自体が気に食わなかったのだろう。裕子は自分の不快さを隠すことなく先を続けた。

「 どうしたの、友君。突然」
  裕子は結っていない長い髪の毛を無造作にたらしたまま、顔にもどことなく生彩を欠いた様子でその場に立っていた。 Tシャツにジーンズ。ラフな格好をした裕子は、しかし大学から帰ってきたばかりという風には見えなかった。きっと今日は一日中家にいたのだろう。
「 あらま裕子さん、聞いてました?」
「 聞かせるために声に出したんでしょ」
  にこにこした様子の数馬に、ぶすくれた顔の裕子。犬から身体を離して立ち上がった友之を間にして、明らかに牽制しあっているような2人の視線が妙な空気を醸し出していた。
「 まあそんな事より、ほらほらトモ君、早く訊きなって」
  その空気を先に破ったのは数馬だった。裕子にはそれも気に入らなかったのだろう、思い切りムッとした顔をして、友之に目をやった。
「 友君。どうして数馬君となんているの」
「 なんてって。失礼な人だなあ、相変わらず」
「 友君、友達は選ばなきゃ駄目よ」
「 ………こらこら」
  数馬は苦笑したような感じだったが、あくまでも自分を敬遠しようとする裕子に呆れたような顔をして見せた。そうして必死に口をつごうとする友之に目をやる。

  夕実のところに。

  切迫したような顔をしていた。ひどく苦しそうな顔をしていた。数馬はそんな友之を不審に思ったが、どうにも放っておくことはできないと思った。
  そして同時に、とても知りたいと思った。
  彼女は誰で、この友之とどういう関係なのか。

( …それをこの人が知っているのなら、仕方ないか)
  数馬は裕子が嫌いだった。いつも友之にまとわりつき、何かというと世話を焼きたがる。外見が「綺麗」で、中原あたりは何やらやたらと気に入っているらしいが、自分は「そんな」オンナが大嫌いだった。理由など知らない。昔から 「気に入らなかった」というだけのことだ。
「 裕子さん、トモ君がねえ、訊きたいことがあるんだって」
  なかなか口を開こうとしない友之に代わって数馬が声を出した。核心はつかない。それは友之自身が言わねばならないことだと何となく感じていたから。
  それを裕子も察したのだろう、やや眉をひそめたが、友之の方へ身体を屈めると、いつもの優しい声を出した。
「 どうしたの、友君? ……何?」
「 ……こにいるの」
「 え?」
  裕子が怪訝な顔をしてもう一度聞き直すと、友之はぐっと詰まったようになり、困ったように俯いた。小さな芝犬がどことなく心配そうな顔でそんな友之のことを見上げている。それに反して数馬がイラついたような顔を閃かせ、友之の背中をばんと叩いた。
「 ほらー! 早くちゃっちゃっと言えっての! ホント、どうしようもないなあ」
「 ワンッ!」
「 わっ」
  数馬が突然吠えた犬に驚いて後退した。瞬時に苦笑したようになり、こちらに敵意を向けてきた「番犬」に興味深そうな目を向ける。
「 何だ、コイツ。いきなり吠えやがった」
「 友君に危害を加えるからでしょ」
  冷ややかに答えた裕子に、数馬はぷっと吹き出してから「危害? へえ、そんなもんなの」などとつぶやいてから、わざと挑発するように犬に近づくと「わうわう!」と喧嘩を売り出した。犬はそれによって余計にいきりたち、低く唸って向かってきた相手に食ってかかろうとした。
「 やめなさい、2人とも」
  裕子がたしなめるように「数馬と愛犬」に声をかけ、改めて友之を見やった。
「………あ」
  しかし友之にとってはこんな些細な騒動が幸いした。自分から意識を削がれた空気にようやく言葉を出す気になり、たどたどしい口調ながらも再び声を出すことに成功した。

「 夕実……」
「 え………」
「 何処にいるの」
「 ………」
「 夕実、今、何処にいるの」
  裕子がすぐに答えないので、2回目はきちんと言えた。友之の台詞によって、数馬は姿勢を元に戻すと、背後から黙ったまま2人の様子を伺った。
「 ………訊いてどうするの」
「 会わなきゃ……」
「 どうして?」
「 え……」
「 どうして会わなきゃいけないの?」
「 だって………」
「 友君は会いたいの?」
「 ………」
  裕子の態度は明らかに変わっていた。先ほどまでの優しい口調は消え、冷えたような凛とした雰囲気を漂わせている。昨夜の裕子だった。
「 どうなの、友君。友君は会いたいの、あの子に?」
「 ……会わなきゃいけないから」
「 別に会いたくないのでしょう? だからそんなのおかしいでしょう? どうして友君もあいつも、あの子の都合にあわせようとするの?」
「 そんなんじゃ……」
「 そうじゃないっ。あの子があんな事言い出さなかったら、友君、一生あの子に会うなんて言い出さなかったでしょ? 違う?」
「 ………でも」
「 いいじゃない。友君が言えないなら私が光一郎に言ってあげる。それでいいじゃない。一緒に暮らすなんて間違っているでしょ。できないでしょ、そんな事」
「 ちょっとちょっと待った」
  興奮しながらまくしたてるように言葉を投げかける裕子に、突然数馬が口を挟んだ。それだけではなく、裕子と友之の間に自分の大きな身体を割り込ませ、まるで喧嘩の仲裁をするかのような体勢を取る。
「 裕子さん、ちょっと落ち着いて下さいよ。一体何の話してるんですか」
「 あんたに関係ないわよ」

  そう言われた数馬は、不快になっただろうに顔は平静のまま裕子を見やった。
「 関係ないってねえ…。いや、まあじゃあ関係ない人でもいいですけどね。でも何か傍で聞いていてもおかしいのは貴女ですよ。誰の話してンのか知らないけど、友之は夕実さんって人に会わなきゃいけなくて、でもその居所は知らない。で、それをどうやら貴女は知っている。だから教えてくれって言ってるのに、貴女は何だかんだ訳の分からない事言ってそれを拒もうとしている。それこそ、何で?」
「 だからあんたには分からないわよ、関係ないの」
「 ……むかつく人だなあ、何ムキになってんだよ。何で友之のことをお前が勝手に判断して決めようとするんだよ。アンタにそんな権利あるわけ?」
「 な……何よ……」
「 そうだろうが。何かにつけちゃ、コイツのこと分かったような顔して、結局はコイツのこと縛っているだけだろ? よくいるよなあ。自分の息子を『この子の事は私が1番よく分かっているの』とか何とか言って束縛しようとする親。…って、裕子さんは別にコイツの母親でもお姉さんでもないけどね」
「 ………」
  ぺらぺらと堰を切ったように喋りたてる数馬に二の句が告げられなくて、裕子は絶句した。年下の生意気な高校生くらいにしか思っていなかったのに、自分が1番ついてほしくなかった「部分」に触れられたと思った。
  裕子は赤面した。
「 数馬」
  その時、友之がとても嫌そうな顔をして声を出した。呼ばれた当人は素早くその相手の様子に気がついたのか、降参という風に手を挙げた。
「 はいはい、もう言いません、言いませんよ。どうも無口な人の傍にいると反動かお喋りになってしまうね。ごめんね、もう言わない」
「 ………」
「 だからお前ももっとちゃんと言えって。自分の言いたいこと」
「 ……うん」
  友之は数馬の言葉に素直に頷いて、さっと顔を上げて裕子を見上げた。半ば茫然としている裕子も、それで我に返ったように焦点を合わせてきた。
「 裕子さん、夕実のいるところを知りたいんだ」
「 ………何を言うの」
「 分からない」
  友之は正直に答えた。
  夕実のことを考えるだけで冷や汗が流れた。だから当人と面と向かって何を言おうなどとまでは、考えが至らなかった。
  でも。

「 …でも、会えば分かると思うから。きっといっぱい言いたい事もあると思うから」
「 言える?」
「 分からない……でも」

  会わなきゃ、いけないから。

  ようやくそれだけを言い、はあと息を吐き出すと、友之はじっと裕子の返答を待った。 裕子は自分に対してそこまでの言葉を出してきた友之に多少たじろぎながら、しかし意を決したような顔をしてから、一言言った。
「 嫌」
「 はあ?」
  反応を返したのは数馬だった。裕子はそんな第三者は相手にせずに、くるりと背を向けた。
「 …嫌と言ったら嫌よ。友君。私は、友君にあの子と会ってほしくないの。ずっと…会ってほしくないの」
「 おいおい、アンタねえ」
「 友君はあの子のものなんかじゃない」
  裕子は自分に、そして友之に言い聞かせるように言った。
「 光一郎だって…。なのに、あの子にばかり振り回される2人なんて…バカみたい!」
  顔を見せないので、裕子の表情は分からない。けれど最後そう叫んだ声は、どことなく涙声のように聞えた。
  そしてそれだけを言うと、裕子は自分のいたたまれない気持ちをぶつけるように、叩きつけるように玄関のドアを閉め、中へと姿を隠してしまった。
「 ……何だあれ」
  ヒステリーなオンナは嫌だねえ、と、数馬が思い切りバカにするような声を出した。友之は裕子の荒々しい態度に胸をつかれ、しばし唖然としてしまったが、けれどもまたぐっと唇を噛むと黙って踵を返した。
「 そんで、どうするわけ?」
「 ………」
  裕子の家を離れ、通りを歩き出す友之に、数馬が平然と声をかけてきた。
「 ありゃテコでも教えてくれそうにないね。何なの、アレは? 妬きもちってやつですかね」
「 妬きもち…?」
  数馬の言葉に引っかかるものを感じて、友之は立ち止まった。眉をひそめて聞き返すと数馬は呆れたように言葉を出した。
「 裕子さんはさ、君たち兄弟のことが大好きでしょ。でもその夕実さんって人に君たちを取られて面白くないわけだ。だから会わせたくない」
「 ………裕子さんはコウのことが好きなんだ」
「 君のことも好きだって」
「 ………知らない」
「 うわ、かわいそう。ちょっとあの人のこと同情した」
  数馬は友之の言葉に大袈裟に仰け反って見せてから、言葉に反していやに楽しそうな目を向けた。それからにやにやしたまま言う。
「 でも、あの人が光一郎さんのこと好きってのは、君、気づいてたんだ。珍しく鋭いじゃないですか。いや、まあ当然かな」
「 数馬は……」
  友之は心底不思議そうな顔を向けた。

「 何でそんなに人のことが分かるの」
「 はあ」
  それに対し、数馬の方はどうにも空気の抜けたような声を出すだけだ。
  友之は再度訊いた。
「 一緒にいたわけでもないのに…何で分かるの」
「 …あのね、ボクは別に超能力者とかじゃないからね。人のココロなんて分かるわけがないでショ」
「 ………」
  友之が分からないというような顔をしていると、数馬はひどく優しい眼を向けてから、はははと高い声で笑った。
「 分かりやすいの、君たちが。ただそれだけ」
「 ………」
  数馬は言ってから、ぽんぽんと友之の頭を軽く叩いた。





  仕方なく家に戻ると、当然のように後についてきていた数馬が後ろから声を出した。
「 そういえば君さあ、今日は裏口から帰ったでしょ」
「 え……」
  どきりとして振り返ると、数馬はそれで手が止まった友之から家の鍵を奪い、自分がドアを開けようとしながら軽く言い放った。
「 ボク、折角待っていたのにさあ。拡君と君と3人で帰ろうと思って」
「 それは……」
「 わははっ。 嘘だよ、嘘! 何、ホントに裏から帰ったわけ? やるね、拡君!……って、アレ?」
  数馬は何度目か鍵をガチャリと動かしてから、「あれ、君、鍵閉めたよね?」と不思議そうな声を出した。
「 もしかして光一郎さんが帰ってきているのかな? 開いているみたいだよ」
  数馬のその言葉で、友之は途端に胸が高鳴るのを感じて必死にその態度が表に出ないよう努めた。
  光一郎には会いたい。きちんと面と向かって何か話したい。…そう思う気持ちがあるのに、実際に顔を見てしまったらどんな風に接して良いのか分からなくなくなりそうな自分がいた。
  怖かった。

「 ? 何ぼうっとしてンだよ? さっさと入れって」
  固まったような友之に不審の声を上げ、数馬が代わりにドアを開けて、 一人で中に入りこんだ…と、同時に彼は思い切り意表をつかれたような声を上げた。
「 わっ、びっくりした…! ……って、あ、ど、どうも」
  数馬は既に中にいた誰かに妙な声で挨拶をし、それから「あのう、どちら様ですか」などと間の抜けた声で訊ねていた。
  部屋の中にいた声が、ドア越し、友之の耳にも届いた。
「 あ、あの、貴方は? 私はここの北川の者ですけど……」
「 ええ? ……ああ、友之君のお姉さんですか?」
  数馬の察したような声に、友之の中で時間が止まった。

「 はい。 姉の夕実です 」

  けれどその声は、はっきりと聞こえた。
「 ああ……。あれ、貴方が夕実さん?」
  そして数馬の素っ頓狂な声も聞こえた。
「 トモ君、良かったねえ、わざわざ訪ねる必要なかったじゃん」
「 え……友、ちゃん?」
  声が近づいてきて、金縛りのようになっている友之に夕実は姿を現した。
  濃紺のシャツにチェックのスカート。 髪はやや赤く染まっていたが、別れた時よりその長さはずっと短くなっていた。そのショートの髪をやたらと気にするような素振りで後頭部に手をやっていた夕実の左手には、いかつい指輪がいくつもつけられている。化粧はやや濃い。何処かで嗅いだような香水の臭いがした。
「 久しぶり……」
  夕実は言って、戸惑うような笑顔を見せた。くっきりとした眉に大きな目、すっと伸びた鼻に、唇にはピンクの口紅が光っていた。しばらく会わないうちに違う誰かになってしまったかのようだ。夕実は大人の女の人のように見えた。然程年齢が離れているというわけでもないのに。
「 ごめんね、勝手に上がっちゃった」
「 いや、お姉さんなんだから勝手ってわけでも、ねえ?」
  事情を知らない数馬が適当な事を言った。友之が未だに言葉を発しないのをどこかでおかしくも思っているのだろうが、気づかないフリをしようと決め込んでいるようだった。
「 鍵、ね。スペアは、この間作ってもらったんだ。本当はここにも来たことあるの。友ちゃんがいない時とか……」
「 上がってたの…?」
  掠れた声で友之が聞くと、夕実は慌てたように首を横に振った。
「 ううん、入ったことはなかったの。コウちゃんが入れてくれなかったし。1度勝手に家を出たんなら、ちょっと辛い事あったからって逃げ帰ってくるなって」
「 お父さんみたいですねえ」
  数馬が感嘆の声を出すと、夕実の方もこの初めての相手の存在を心底ありがたがるような、ほっとした笑顔を向けた。
「 そうなんです。コウちゃんって…ホント、そういうとこしっかりしてるから」
  夕実のどことなく遠くを見やるような目に、友之はかっと熱が上がるのを感じた。
  光一郎のことを考え、安堵するような夕実の顔に悪寒を覚えた。

「 ゆ……」
「 え?」
「 ………」
「 なあに、友ちゃん。本当、久しぶりだから…いっぱい話さない?」
「 そうそう、じゃあ、みんな上がって」
  数馬がいきなり仕切りだし、強引に友之をドアの入口から部屋の中へ入れようと腕を引っ張った。
  その反動で、扉付近にいた夕実ともろに身体が接触しそうになった。
「 ……ぅ…!」
  その瞬間、友之は思わず悲鳴を上げていた。

「 ……っ!?」
  これにはさすがに数馬も仰天して、慌ててその身体を引き寄せると、自分の背後まで友之のことを後退させた。
「 と、友之?」
  数馬の問いかけに友之は応えず、自分でも今出した自身の声に信じられず、ただぶるぶると震えた。縋るように数馬の腕にしがみつき、冷える身体に神経を集中させようとする。
「 友ちゃん……」
  夕実が心底悲しそうに自分を呼んだ声が聞こえた。
  ―が、友之はもう応えられなかった。




To be continued…



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